第17話 外交問題の火種は、いつだって「勘違い」から生まれる
王宮の大広間で開催された「人間国宝認定記念・祝賀晩餐会」。
字面だけで胃に穴が開きそうなこのイベントは、私にとって生き地獄そのものだった。
私は、会場の最奥に設置された、一段高い雛壇のような席に座らされていた。
隣にはニコニコ顔の国王陛下。
その反対側には、私の手首にリボン(GPS機能付きの魔道具)を結びつけたレオナルド殿下。
雛壇の下には、仁王立ちで周囲を威圧する騎士団長ギルバート様。
私は展示品だ。
博物館に飾られた壺か何かだ。
「見よ、あれが我が国の至宝、リナ・バレットだ!」
陛下が高らかにグラスを掲げる。
貴族たちが一斉に拍手し、私を崇めるような目で見つめる。
「美しい……座っているだけで空気が浄化されるようだ」
「微動だにしないあの姿勢……なんと肝が据わっているのか」
「リナ様バンザイ! 国王陛下バンザイ!」
(微動だにしないんじゃありません。緊張で金縛りになってるだけです)
私は引きつった笑顔のまま、目の前の豪華な料理を見つめていた。
フォアグラ、キャビア、トリュフ。
高級食材のパレードだが、味がしない。
早く帰りたい。王宮のふかふかのベッドではなく、実家の煎餅布団が恋しい。
その時だった。
会場の入り口で、衛兵が声を張り上げた。
「ガレリア帝国、皇太子ジークフリート殿下、ご到着ー!!」
会場の空気が一変した。
ガレリア帝国。
隣国にある軍事大国であり、我が国とは長年、冷戦状態にあるライバル国だ。
その皇太子が、わざわざこの祝賀会に来た?
「……フン。招かれざる客が来たな」
レオナルド殿下が目を細め、私を庇うように前に出た。
陛下も表情を引き締める。
重い足音と共に現れたのは、長身の偉丈夫だった。
燃えるような赤髪を短く刈り込み、軍服のような礼服に身を包んでいる。
その背後には、強面の近衛兵たちを引き連れている。
まさに「覇王」といった風格だ。
ジークフリート皇太子は、会場の中央まで大股で歩くと、不敵な笑みを浮かべて陛下を見上げた。
「レジナルド王よ。貴国が新たな『国宝』を手に入れたと聞き、祝いに駆けつけたぞ」
声がでかい。
腹の底に響くようなバリトンボイスだ。
「それは殊勝なことだ、ジークフリート殿下。……だが、我が国の宝は渡さんぞ?」
陛下が牽制する。
ジークフリートは鼻で笑った。
「宝? くだらん。貴国の宝など、どうせ煌びやかなだけで役にも立たん装飾品だろう」
彼は軽蔑しきった目で私を見た。
「ふん。なんだその貧相な娘は。地味で、覇気がなく、今にも死にそうな顔をしているではないか」
(ありがとうございます! もっと言ってください!)
私は心の中でガッツポーズをした。
そうだ、私はただの地味な女だ。
軍事国家の皇太子の目には、さぞかし魅力のない存在に映るだろう。
これで彼は私に興味を失い、帰ってくれるはずだ。
「おい、そこの女」
ジークフリートが私を指差した。
「貴様、何ができる? 歌か? 踊りか? それとも男への媚びへつらいか?」
侮蔑を含んだ問いかけ。
レオナルド殿下が「貴様……!」と殺気を放つが、私はそれを制した。
これはチャンスだ。
ここで私が無能さを露呈すれば、国宝認定も取り消されるかもしれない。
私は気だるげに立ち上がり、マイクも使わずに地声で言い放った。
「何もできません。強いて言えば、ジャガイモの皮剥きが得意です」
会場がざわつく。
「ジャガイモ……?」「国宝が庶民の家事を?」「暗号か?」
ジークフリートが眉をひそめた。
「ジャガイモだと? ふざけているのか」
「本気です。芽を取る速さなら誰にも負けません。あと、私は早く帰って寝たいです。あなたの演説はうるさいので、もう少しボリュームを下げていただけますか?」
言ってやった。
他国の皇太子に対して「うるさい」発言。
これは完全にアウトだ。外交問題だ。
さあ、激怒しろ。「無礼者!」と叫んで、私を見捨ててくれ。
ジークフリートは目を見開き、数秒間、私を凝視した。
そして、その顔が徐々に紅潮し、わなわなと震え始めた。
「……面白い」
「へ?」
「俺に向かって、これほど無防備に、かつ傲慢に本音を吐いた女は初めてだ」
(え、そっち?)
ジークフリートが、軍服のマントを翻して壇上に上がってきた。
衛兵たちが止めようとするが、彼はそれを気迫だけで押し留める。
私の目の前まで来ると、彼は私の顎を強引に持ち上げた。
「ジャガイモの皮剥き……それはつまり、『兵站』の重要性を理解しているということか」
「は?」
「華美な芸事ではなく、兵士の腹を満たす実務こそが尊いという思想……。そして、俺の演説を『うるさい』と切り捨てるその度胸。……貴様、軍師の才があるな」
(ありません。ただの主婦力とコミュ障です)
「気に入った」
ジークフリートの瞳に、狂信的な炎が宿った。
「貴様のような、飾らず、媚びず、本質を見抜く女こそ、我が帝国の皇妃に相応しい」
「やめてください。戦争が好きな男は嫌いです」
「ほう! 俺を否定するか! 俺を制御しようというのか! たまらん! その冷ややかな視線で、戦場で暴走する俺を叱咤してくれ!」
ダメだ。この世界、M属性の男しかいないのか。
「そこまでだ、ジークフリート」
レオナルド殿下が、私の肩を抱き寄せて間に割って入った。
その全身から黄金の魔力が立ち昇り、空間が歪むほどのプレッシャーを放っている。
「俺のリナに触れるな。その手ごと焼き尽くすぞ」
「リナは我が国の国宝だ。持ち出しは国際法違反であり、即ち宣戦布告とみなす」
ギルバート様も剣を抜き、切っ先をジークフリートの喉元に向けた。
一触即発。
王宮の晩餐会場が、一瞬にして戦場前夜の空気に包まれた。
ジークフリートは、二人の殺気を受けてなお、楽しそうに笑った。
「ハッ! 貴国のような軟弱な国に、この女は過ぎた宝だ。彼女の瞳を見ろ。平和ボケしたこの国に飽き飽きしている目だ」
(ただ帰りたいだけの目です)
「決めたぞ。この女は俺が貰う。……力ずくでな」
ジークフリートが指をパチンと鳴らした。
すると、会場の窓ガラスが一斉に割れ、黒い服を着た帝国軍の特殊部隊がなだれ込んできた。
「なっ、伏兵か!?」
「親衛隊、防衛せよ!」
悲鳴と怒号が飛び交う。
せっかくの料理がひっくり返り、貴族たちが逃げ惑う。
またか。
また私のせいで会場が崩壊するのか。
「来い、リナ。俺の国へ連れて行ってやる。ジャガイモの皮剥き専用の黄金のナイフを用意してやるぞ」
「いりません!」
ジークフリートが私の腕を掴もうとする。
それを殿下が炎の拳で弾く。
「させるか!」
「邪魔だ、軟弱王子!」
二人の拳が激突し、衝撃波が私を吹き飛ばした。
私は宙を舞い、雛壇の後ろのカーテンへと突っ込んだ。
「痛っ……」
転がり込んだ先は、配膳用の通路だった。
チャンスだ。
今、全員の意識が乱闘に向いている。
この隙に逃げ出せば、どさくさに紛れて家に帰れるかもしれない。
私はドレスの裾をまくり上げ、全力で走り出した。
人間国宝? 知るか!
私は自由だ!
◇
王宮の迷路のような廊下を、私はひたすら走った。
目指すは裏口。
使用人用の出口なら、警備も手薄なはずだ。
「はあ、はあ……! もう少し……!」
角を曲がった先、小さな木製の扉が見えた。
あれだ。あそこから出れば、外の世界だ。
私は希望に胸を膨らませ、ドアノブに手をかけた。
「……どこへ行くつもりだい? リナ君」
背後から、冷ややかな声が聞こえた。
心臓が止まりそうになった。
ゆっくりと振り返ると、廊下の闇の中に、青白い光を放つモニターが浮いていた。
ドローンだ。
シリウスのハエ型ドローンが、集合して一つのホログラム映像を形成している。
「シリウス……!」
『君の逃走ルート、予測済みだよ。AIが弾き出した「リナ君が逃げそうな場所ランキング」の第一位だ』
「邪魔しないで! 私、もう限界なの!」
『わかるよ。君は疲れている。……だからこそ、僕のラボにおいで。最高の睡眠カプセルと、栄養点滴を用意してある』
「それ、ただの標本保存処理じゃない!」
『嫌かい? なら、選択肢をあげよう』
ホログラムのシリウスが、二本の指を立てた。
『1.僕のラボに来て、優雅に管理される生活。
2.あの野蛮な帝国皇子に連れ去られ、戦場の女神として祀られる生活。
3.王子たちに過保護に監禁され、鳥籠の中で愛でられる生活』
「4番! 実家でこたつに入ってミカンを食べる生活!」
『残念ながら、4番の選択肢はシステムエラーにより消滅したよ。君はもう「国宝」だ。一般社会には戻れない』
絶望的な事実を突きつけられ、私は膝から崩れ落ちた。
そうだ。
もう戻れないのだ。
私の「モブ」としてのIDは削除され、「メインヒロイン(兼・国宝)」という重すぎる称号が上書きされてしまったのだ。
「……嫌よ」
私は涙を拭った。
「絶対に嫌。私は私の人生を生きるの。誰かのモノになんてならない!」
その時、私の背後の扉が、外側から蹴破られた。
バキィッ!!
「うわっ!?」
扉と共に吹き飛んだ私を、誰かが抱きとめた。
香水の匂い。柔らかい感触。
そして、勝ち誇ったような高笑い。
「見つけたわ! 私のリナ!」
そこにいたのは、マリアンヌ様だった。
彼女はなぜか、完全武装していた。
ドレスの上に革の鎧を纏い、背中には巨大なリュックを背負っている。
「マリアンヌ様!? その格好は!?」
「逃避行の準備よ」
「……はい?」
マリアンヌ様は、私の手を強く握りしめた。
「王宮も、帝国も、男たちはみんなバカばかり! リナをモノ扱いして、自分の所有欲を満たしたいだけじゃない!」
彼女の瞳は、真剣そのものだった。
「私は違うわ。私は、あなたの『意思』を尊重したい。あなたが逃げたいなら、地の果てまで連れて行ってあげる!」
「マリアンヌ様……!」
初めてだ。
初めて、まともなことを言ってくれる人が現れた。
やはり悪役令嬢こそが、この物語の真の救世主だったのか。
「さあ、行くわよ! 外には私の私用馬車(改造済み・ニトロ搭載)が待機しているわ!」
「はい! ついて行きます!」
私はマリアンヌ様の手を取った。
シリウスのホログラムが『おい、計算外だぞ!』と叫んでいるが無視だ。
私たちは裏口から飛び出した。
夜の闇に紛れ、黒塗りの馬車が停まっている。
御者台には、なんとアリスちゃんが座っていた。
「リナちゃーん! 待ってたよー! ドライブ行こうー!」
「アリスちゃんも!?」
「ヒロインと悪役令嬢が手を組んだのよ。最強の布陣でしょ?」
マリアンヌ様がウィンクする。
私たちは馬車に乗り込んだ。
「出発進行ー!」
アリスちゃんが手綱を振るう。
馬車が急発進し、王宮の裏門を突破する。
しかし。
世の中はそう甘くなかった。
ヒヒィィィン!!
前方に、三つの騎影が立ちはだかった。
黄金の炎を纏う、レオナルド殿下。
氷の剣を構える、ギルバート様。
そして、赤き闘気を放つ、ジークフリート皇太子。
彼らは乱闘を一時休戦し、結託して先回りしていたのだ。
「どこへ行くつもりだ、リナ」
殿下の声が、地獄の底から響くように低い。
「私から逃げられると思っているのか?」
ギルバート様の目が据わっている。
「鬼ごっこは終わりだ。……確保する」
ジークフリートが巨大な斧を構える。
馬車が急停止した。
前方は最強の男たち。
後方は王宮の警備兵。
上空にはシリウスのドローン群。
完全に包囲された。
「……マリアンヌ様、どうしましょう」
私が震える声で尋ねると、マリアンヌ様は不敵に笑い、リュックから何かを取り出した。
「ふふふ。こんなこともあろうかと、公爵家の地下倉庫から『アレ』を持ってきたわ」
彼女が取り出したのは、虹色に輝く怪しげな水晶玉だった。
「これは『転移の魔道具』の試作品よ。どこに飛ぶかは運任せ。でも、この包囲網を抜けるにはこれしかないわ!」
「それ、危険すぎませんか!?」
「リナ、あなたの『運』を信じなさい! あなたのバグなら、きっと安全な場所を引き当てられるはずよ!」
根拠のない自信。
でも、もうそれしかない。
「わかりました! 賭けましょう!」
私はマリアンヌ様とアリスちゃんと手をつなぎ、水晶玉に手をかざした。
「リナ! やめろ!」
「待て!」
男たちが駆け寄ってくる。
遅い。
「飛びなさい! 私の願い(バグ)よ!」
私が叫んだ瞬間、水晶玉がカッと光り輝いた。
視界が真っ白になる。
浮遊感。
そして、世界が反転する感覚。
「リナァァァァァァァ!!」
男たちの絶叫を置き去りにして、私たちは王宮から消滅した。
◇
ドスン。
硬い地面にお尻を打った。
転移成功か?
目を開けると、そこは見たこともない場所だった。
薄暗い空。
荒廃した大地。
そして、目の前にそびえ立つ、禍々しい黒い城。
「……ここ、どこ?」
アリスちゃんがキョロキョロする。
マリアンヌ様が顔面蒼白で呟いた。
「嘘でしょう……。魔力濃度が異常だわ。ここは……」
その時、黒い城の扉が開き、漆黒の翼を生やした美青年が現れた。
彼はワイングラスを片手に、私たちを見下ろした。
「ほう。人間か。……我が『魔王城』に、自らデリバリーされてくるとは」
【システム通知】
新エリア到達:魔界
遭遇キャラクター:魔王ルシファー
状態:退屈(暇つぶしを探している)
特殊フラグ:『魔王の嫁』ルート開放
「……こたつは?」
私の問いかけに答えるように、魔王城の上空に雷が轟いた。
外交問題から逃げ出した先は、人類の敵の本拠地だった。




