第15話 運営すらも、私のバグには勝てなかった
「消去……実行」
無機質な声と共に放たれた漆黒の光線が、私を飲み込もうとした。
それは魔法ではない。
この世界の「データ」そのものを無に帰す、絶対的な消去コマンドだ。
「させるか!」
「守り抜く!」
レオナルド殿下とギルバート様が、同時に叫んだ。
ドォォォォォン!!
光と闇が衝突し、舞踏会場が激しく震動した。
衝撃波で窓ガラスがすべて割れ、シャンデリアがガシャガシャと揺れる。
令嬢たちの悲鳴が上がる中、私は恐る恐る目を開けた。
そこには、信じられない光景があった。
レオナルド殿下が展開した黄金の炎と、ギルバート様が作り出した氷の壁が、黒い光線をギリギリで受け止めていたのだ。
「ぐっ……! なんだこの威力は……!」
「魔力ではない……『存在』そのものを削り取られる感覚だ……!」
二人の顔が苦痛に歪む。
彼らの服が、光線に触れた端から砂のように崩れ落ちていく。
物理的な破壊ではない。情報の消失だ。
「無駄だ」
仮面の男――『システム管理者』の代行者は、淡々と言った。
「私の権限は『世界の理』そのもの。キャラクターごときが、システムに抗えると思うな」
男が手をかざすと、黒い光線が増幅した。
炎が消え、氷が砕かれていく。
「殿下! 団長!」
私は叫んだ。
このままでは、私を庇って二人が消えてしまう。
私が消えるのは構わない(いや、嫌だけど)。でも、攻略対象が消滅したら、このゲーム自体が崩壊してしまう!
「どいてください! 狙いは私なんでしょ!?」
私が前に出ようとすると、殿下が背中で私を制した。
「動くな、リナ!」
殿下の背中は、ボロボロになりながらも、決して揺るがなかった。
「たとえ世界の理であろうと、俺の『理』は曲げられん! 俺が惚れた女一人守れずに、何が次期国王か!」
「その通りだ」
ギルバート様も、血の滲む唇で笑った。
「システム? 権限? 知ったことか。私の『愛』は、いかなるプログラムよりも強固だ。この身がデータ屑になろうとも、彼女の指一本触れさせん!」
(かっこいいけど! 言ってること無茶苦茶だよ!)
愛でシステムエラーを起こそうとしている。
だが、現実は非情だ。
黒い光線が、二人の防御壁を突破し始めた。
「警告。抵抗を確認。……強制排除(BAN)対象に追加」
代行者が冷酷に告げる。
終わった。
その時だった。
「待ったぁぁぁぁ!!」
会場の天井が爆破された。
ガラガラガッシャーン!
瓦礫と共に降ってきたのは、またしてもあの男だった。
黒焦げの白衣。背中には謎の機械。
シリウス・アルケミーだ。
「やあみんな! ダンスパーティーの途中ですまないが、乱入させてもらうよ!」
「シリウス!? 生きてたのか!」
「当たり前だろ! 爆風を利用して成層圏まで飛んでいただけさ! それより……」
シリウスは、手に持っていたタブレットのような端末を激しく操作しながら、仮面の男を指差した。
「そいつの正体がわかったぞ! そいつは『自律型デバッグプログラム』だ! この世界のバグを自動検知して修正する、お掃除ロボットみたいなもんだ!」
「掃除機だと!?」
「ああ! だから物理攻撃は効きにくい! だが……プログラムである以上、ハッキングは可能だ!」
シリウスがニヤリと笑った。
「リナ君! 僕がそいつの論理回路に干渉して、一瞬だけ隙を作る! その間に、君の『バグ』を叩き込んでくれ!」
「私のバグを!? どうやって!?」
「簡単さ! 君の最強の武器……『お願い』をするんだ!」
「はあ!?」
「君の【魅了:S+】は、システムの上限を突破している! つまり、管理者権限すらも上書き(オーバーライド)できる可能性があるんだ! システムそのものを『籠絡』しろ!」
無茶振りだ。
相手は機械だぞ。
機会に色仕掛けしろと言うのか。
「行くぞ! コード注入!!」
シリウスが端末のエンターキーを叩き割る勢いで押した。
バチバチバチッ!
仮面の男の周囲に、数式のような文字が浮かび上がり、彼の動きを一瞬止めた。
「エラー。不正なアクセスを検知。処理遅延……」
「今だリナ! とびきりの愛を!」
殿下とギルバート様が道を開ける。
マリアンヌ様が「背筋を伸ばして! 上目遣いよ!」と叫ぶ。
アリスちゃんが「がんばれー!」とペンライトを振る。
私は追い詰められた。
やるしかない。
生き残るために、私はこの「世界」そのものを口説き落とす!
私はスカートの裾を握りしめ、仮面の男の目の前に立った。
そして、涙目で、震える声で訴えた。
「あ、あのっ……!」
仮面の男の目が(光る点が)、私を見下ろす。
「お願いです……見逃してください……」
私は必死だった。
「私、ただ平穏に生きたいだけなんです。バグってるのは知ってます。でも、誰にも迷惑かけないように、部屋の隅っこでじっとしてますから……」
本音だ。
ただの命乞いだ。
「だから……私のこと、消さないで……?」
最後の一言に、私は無意識に首をかしげた。
これがマリアンヌ様直伝の「最強のおねだり角度(あざとさ120%)」であることに、私は気づいていなかった。
シン……。
会場が静まり返る。
仮面の男の動きが止まった。
黒い光線が霧散する。
「……解析中」
男の声から、感情のようなノイズが混じり始めた。
「対象:リナ・バレット。……音声パターン、解析。……表情筋の収縮率、解析。……視覚データ、照合」
ピピピピピピピピ!!
男の仮面の奥で、凄まじい勢いで処理音が鳴り響く。
「……エラー。……エラー。……判定不能」
男が頭を抱えた。
体がノイズのように明滅する。
「可愛い……すぎる……」
「はい?」
「システム定義における『愛らしさ』の限界値を突破。……エラー。この存在を消去した場合、世界の『萌え』総量が致命的に低下する恐れあり」
(なんちゅう計算してるんだ!)
「結論:保護対象に指定」
カッ!!
仮面の男から、ピンク色の光が溢れ出した。
漆黒だった彼のオーラが、一瞬にしてファンシーな色に染まる。
「リナ様……。申し訳ありませんでした」
男が、その場に跪いた。
まるで忠誠を誓う騎士のように。
「貴女様はバグではありません。……この世界の『仕様』です」
「は?」
「貴女様を中心に、世界を再構築します。これより、全リソースを『リナ様を見守る機能』に割り当てます」
「やめて! 監視しないで!」
「では、私はこれにて。……空の上から、貴女様の尊い日常を24時間録画し続けます」
男はそう言い残すと、光の粒子となって天井の穴から昇天していった。
キラキラと輝くその姿は、満足して成仏する霊のようだった。
取り残された私たち。
半壊した会場。
「……勝ったのか?」
殿下が呆然と呟く。
「ああ。……リナが、世界を陥落させた」
ギルバート様が剣を収める。
「さすがリナ君! 機械まで落とすとは、もはや種族の壁を超越した『全一』だね!」
シリウスが高笑いする。
私はその場にへたり込んだ。
勝った気がしない。
世界システムを味方につけた?
つまり、私はこれから「世界の運営公認」のヒロインとして生きていかなければならないということか?
「……詰んだ」
私の小さな絶望の呟きは、再開されたワルツの音色にかき消された。
◇
騒動が去り、舞踏会は奇跡的に再開された。
「今の演出、すごかったわね!」「神が降りてきたのかと思ったわ!」と、参加者たちは全てをエンターテイメントとして消化していた。この国の民度は異常だ。
私はバルコニーに逃げ出していた。
もう踊りたくない。
夜風に当たりながら、現実逃避をしたかった。
「……ここにいたのか」
背後から声がした。
振り返ると、レオナルド殿下が立っていた。
ボロボロの礼服を脱ぎ捨て、ワイシャツ一枚の姿になっている。
月明かりに照らされた彼は、悔しいほどに絵になっていた。
「殿下……」
「逃げるな。今日はもう、十分逃げただろう」
彼は私の隣に立ち、手すりに肘をついた。
「……なあ、リナ」
「はい」
「俺は、お前が欲しい」
ストレートすぎる告白に、心臓が跳ねる。
「権力のためでも、顔のためでもない。……今日、お前が見せた『弱さ』も、『強さ』も、そしてあの『訳のわからない力』さえも、全てが愛おしい」
殿下が私の方を向く。
その瞳は、昼間の狩人の目ではなく、一人の青年の真剣な眼差しだった。
「俺の妃になれとは言わん(本当は言いたいが)。ただ……俺のそばで、俺を振り回してくれないか?」
「殿下……」
ちょっと、ときめいてしまいそうになった。
いけない。これは乙女ゲームの強制力だ。流されてはいけない。
「私も、同じ意見だ」
もう一人の声。
バルコニーの反対側から、ギルバート様が現れた。
「リナ。お前を守るのは私だ。……システム管理者とやらが空から見守るなら、私は地上で、一番近くでお前の盾になろう」
「僕も混ぜてよ」
屋根の上から、シリウスが逆さまに顔を出した(怖い)。
「君のバグは未知数だ。一生かけて解明したい。……君という名の謎をね」
「あら、リナは私のものよ」
カーテンの隙間から、マリアンヌ様が顔を出す。
「私の最高傑作を、むさ苦しい男たちに渡すもんですか」
「リナちゃーん! お菓子あるよー!」
アリスちゃんまで乱入してきた。
結局、バルコニーはすし詰め状態になった。
狭い。
ムードも何もない。
でも。
「……ふふっ」
私は思わず吹き出してしまった。
テロリスト、巨大ロボ、システム管理者。
あんな滅茶苦茶な一日を乗り越えて、まだこうして懲りずに私を追いかけてくる彼ら。
ここまでくると、もう「恐怖」を通り越して「呆れ」、そして少しだけ「愛着」が湧いてきてしまったのかもしれない。
「……笑った」
殿下が目を見開いた。
「初めて見た。……お前の、心からの笑顔」
「え?」
私は自分の頬に手を当てた。
笑っていた? 私が?
営業スマイルでも、苦笑いでもなく?
「綺麗だ……」
ギルバート様がため息をつく。
「その笑顔……0円どころか、国家予算レベルの価値がある」
「記録した! 今の笑顔、永久保存!」
シリウスがシャッターを切る。
私は顔を赤くして、慌てて表情を隠した。
「わ、笑ってません! 今のは顔の筋肉が痙攣しただけです!」
「素直じゃないな」
殿下が優しく私の頭を撫でた。
「だが、それでいい。……これからも、俺たちがその笑顔を引き出してやる」
月夜の下。
私の「モブに徹したい」という野望は、完全に打ち砕かれた。
しかし、その破片の上で、新しい何かが始まろうとしていた。
「……お手柔らかにお願いします」
私の小さな降伏宣言は、夜風に乗って彼らに届いたようだった。




