第14話 舞踏会は戦場であり、ダンスは殴り合いのメタファーである
太陽が完全に沈み、王立学園は夜の帳に包まれた。
校庭での「巨大ロボvs王子&騎士」という特撮映画のような騒ぎは、遠くで響く爆発音と共に収束に向かいつつあるようだ。
私は、校舎の最上階にある特別準備室に監禁されていた。
監禁と言っても、手錠や縄で縛られているわけではない。
「美」という名の鎖に縛られているのだ。
「動かないで、リナ。マスカラがズレるわ」
鏡の前で、マリアンヌ様が真剣な眼差しで私の顔を覗き込んでいる。
彼女の手には化粧筆。
背後には、ドレスや宝石箱を抱えた取り巻きの令嬢たちが控えている。
「マリアンヌ様、もう十分では……? 私、ただのモブなので、布切れ一枚巻いておけば……」
「お黙りなさい。素材が良いのだから、妥協は許しません」
マリアンヌ様は筆を走らせながら、熱っぽく語った。
「いいこと、リナ。舞踏会は、ただ踊るだけの場所じゃないわ。女たちの戦争よ。ドレスは鎧、メイクは武器、そして笑顔は……相手を仕留める刃なの」
「物騒すぎませんか?」
「特に今夜は、あの野蛮な男たち(殿下と騎士団長)が、血眼になってあなたを探しに来るでしょう。彼らのペースに巻き込まれないためには、あなたが圧倒的な『格』を見せつけて、彼らを跪かせるしかないのよ」
なるほど。
つまり、舐められないように着飾れということか。
一理ある。
「なんだ、やっぱり地味な村娘か」と幻滅されれば、彼らの執着も薄れるかもしれない。
私は少し期待して、マリアンヌ様のプロデュースに身を委ねることにした。
◇
一時間後。
私は全身鏡の前に立っていた。
「……誰?」
思わず呟いてしまった。
そこに映っていたのは、私であって私ではなかった。
茶色の髪は、夜会巻きのように複雑に編み込まれ、星屑のような小さな宝石が散りばめられている。
メイクは、私の地味な顔立ちを活かしたナチュラルなものだが、目元のラインが強調され、伏し目がちになると色気が漂う仕様になっている。
そして、何よりもドレスだ。
「テーマは『月下の静寂』よ」
マリアンヌ様が満足げに解説する。
色は深いミッドナイトブルー。
派手な装飾やフリルは一切ない。
だが、その生地自体が特殊だった。
角度によって微かに光沢を変え、まるで夜空そのものを纏っているかのような奥行きがある。
背中は大胆に開いており、肩から腕にかけては透け感のあるレースが覆っている。
「派手さを捨て、あえて『静けさ』を強調したわ。周りの令嬢たちが孔雀のように着飾れば着飾るほど、あなたのその『沈黙』のような美しさが際立つ……そういう計算よ」
(すごい……。これなら確かに、壁際に立っていても馴染むかも?)
私はドレスの裾を摘んだ。
深い青色は、確かに闇に紛れるには最適だ。
マリアンヌ様、ありがとう。私の「目立ちたくない」という願いを、最高の形で叶えてくれたのね。
「さあ、仕上げよ」
マリアンヌ様が、一つのネックレスを取り出した。
それは、何の変哲もない、透明なクリスタルのネックレスだった。
「これは?」
「魔道具よ。『視線誘導』の逆……つまり、あなたを見た者の視線を、無意識に釘付けにする呪いがかかっているわ」
「外してください! 今すぐ!」
「あら、冗談よ。ただのガラス玉だわ」
マリアンヌ様は悪戯っぽく笑い、私の首にそれをかけた。
ひやりとした感触。
だが、鏡の中の私は、そのガラス玉をつけることで、なぜか完成された一枚の絵画のようになってしまった。
「完璧だわ……。悔しいけれど、私が着るより似合っているかもしれない」
マリアンヌ様が少しだけ寂しそうな、でも誇らしげな顔をした。
「リナ。胸を張りなさい。あなたは今夜、この学園で一番美しい『影』になるのよ」
◇
その頃、校庭では。
ズドォォォォン!!
巨大な爆発と共に、メカ・リナちゃんが崩れ落ちた。
全身から黒煙を上げ、その巨大な鉄の塊がグラウンドに膝をつく。
「バカな……! 僕の最高傑作が、物理攻撃と魔法攻撃の同時飽和攻撃で沈むなんて……!」
コックピット(頭部)から放り出されたシリウスが、パラシュートで降りてきながら嘆く。
地上には、肩で息をする二人の男が立っていた。
レオナルド殿下は、自慢の礼服が所々焦げ、袖が破れている。
髪も乱れ、頬には煤がついている。
だが、その瞳は爛々と輝き、野性味溢れる色気を放っていた。
ギルバート様も同様だ。
騎士服はボロボロで、マントは半分焼け落ちている。
しかし、氷の剣を杖代わりに立つ姿は、戦場を生き抜いた戦士の悲哀と強さを感じさせる。
「はぁ……はぁ……。しぶとい鉄屑だったな」
殿下が汗を拭う。
「ああ。だが、これで邪魔者はいない」
ギルバート様が剣を納める。
二人は顔を見合わせた。
そこにあるのは、共闘の友情ではない。
これから始まる本当の戦いへの、牽制だ。
「行くぞ、ギルバート。舞踏会はもう始まっている」
「望むところだ、殿下。……リナとのファーストダンスは、私がいただく」
二人の男は、ボロボロの格好のまま、しかし王者の風格で校舎へと歩き出した。
彼らの背後で、メカ・リナちゃんが「リナ君……バンザイ……」と言い残して爆散した。
シリウスは「ああっ! データのバックアップが!」と叫んで爆風に巻き込まれていった。
彼については、もう放っておこう。
◇
講堂は、煌びやかな舞踏会場へと変貌していた。
数千本の蝋燭がシャンデリアで輝き、オーケストラの優雅な演奏が流れている。
色とりどりのドレスを着た令嬢たちと、燕尾服の紳士たちが談笑し、グラスを傾けている。
私は、その入り口で立ちすくんでいた。
「……無理。やっぱり無理」
足がすくむ。
こんなキラキラした場所に、私ごときが入っていいわけがない。
酸素が薄い。光が眩しい。
「リナちゃん、行こう! みんな待ってるよ!」
アリスちゃんが私の背中を押す。
彼女もまた、可愛らしいピンクのドレスに着替えていた。
まるで妖精だ。彼女こそが主役だ。
「アリスちゃん、私、お腹痛い。帰る。盲腸かもしれない」
「大丈夫だよ! 盲腸ならシリウス先生が『3秒で切除する魔法』開発してたもん!」
「それ余計に怖いやつ!」
問答無用で、重厚な扉が開かれた。
ギィィィ……。
扉が開くと同時に、会場内の喧騒がスッと引いた。
入り口に立った私たちに、数百人の視線が集中する。
私は反射的に、顔を伏せた。
見ないで。石ころです。
ただの通りすがりの背景Aです。
しかし、静寂は破られなかった。
むしろ、どよめきすら起きない。
ただ、全員が息を呑む音が聞こえた。
(えっ、なに? やっぱり変? ドレスに値札ついたままとか?)
不安になって、恐る恐る顔を上げる。
すると、近くにいた貴族の男子生徒が、持っていたグラスを取り落とした。
パリーン。
その音が、静寂を破る合図となった。
「……女神だ」
「夜の女神が、地上に降りてこられた……」
「なんて静謐な美しさなんだ。派手に着飾った自分が恥ずかしい……」
「あの憂いを帯びた瞳……この世の全ての悲しみを背負っているようだ」
(ただ緊張して吐きそうなだけです)
私の【魅了:S+】は、夜の帳というシチュエーションを得て、さらに凶悪な補正をかけているようだ。
「ミッドナイトブルーのドレス」+「伏し目がちな表情」+「震える肩」=「儚くも高貴な夜の女王」。
この方程式が、会場内の全員の脳内で成立してしまっている。
「ふふ、計算通りね」
隣でマリアンヌ様が扇子で口元を隠し、勝ち誇ったように笑った。
「さあ、歩きなさいリナ。モーセが海を割るように、道が開くわよ」
言われた通りに一歩踏み出す。
すると、本当に人垣が左右に割れた。
誰も私に触れようとしない。
いや、触れることすら恐れ多いというように、一歩下がって頭を垂れる。
私はその「恐怖の静寂」の中を、祭壇への生贄のように進んでいった。
会場の中央まで来た時だった。
入り口の方から、悲鳴のような歓声が上がった。
「キャーッ! 殿下よ!」
「ギルバート様も!」
「きゃっ、素敵……! なんてワイルドなの!」
振り返ると、扉の前に二人の男が立っていた。
レオナルド殿下と、ギルバート様だ。
彼らの姿を見て、私は目を疑った。
ボロボロだ。
服は破れ、煤で汚れ、髪は乱れている。
普通なら「つまみ出せ」と言われる浮浪者寸前の格好だ。
だが。
彼らは堂々としていた。
そのボロボロの姿が、逆に「戦いを終えた男の勲章」として機能している。
破れた袖から覗く筋肉、汗ばんだ首筋、そして鋭い眼光。
「傷ついた野獣」のようなフェロモンが、会場中の令嬢たちを悩殺していた。
「……いたぞ」
殿下が私を見つけた。
その目が、肉食獣のように細められる。
「リナ……」
ギルバート様も私をロックオンした。
二人は迷うことなく、私に向かって一直線に歩き出した。
会場を横切る二つの嵐。
人々が慌てて道を開ける。
私の心臓が早鐘を打つ。
来る。
ラスボスたちが来る。
逃げたい。でも、背後は壁(人垣)。
左右も壁。
前方は猛獣。
「リナ」
殿下が私の目の前で止まった。
煤けた匂いと、男性的な香りが鼻をくすぐる。
彼は私の姿を上から下まで舐めるように見つめ、そして深く吐息を漏らした。
「……卑怯だぞ」
「は、はい?」
「そんな姿を見せられては……俺の理性が蒸発してしまう」
殿下の手が、私の頬に触れようとして、止まった。
自分の手が汚れていることに気づいたのだ。
彼は苦笑し、手を引っ込めた。
「汚れた手で、その雪のような肌に触れるわけにはいかないな」
「いえ、あの、どうぞお構いなく(触らないでください)」
「待て、レオナルド」
ギルバート様が横に並ぶ。
彼もまた、私の姿を見て絶句していたが、すぐに騎士の顔に戻った。
「そのドレス……防御力が低すぎる」
「え?」
「背中が無防備だ。肩も出ている。こんな姿を他の男に見せるなど……今すぐ私の上着を」
ギルバート様がボロボロの上着(半分焦げている)を脱ごうとする。
「いりません! それ着たら余計に目立ちます!」
「そうか……ならば、私の体で視線を遮るしかないな」
ギルバート様が私の背後に回り込み、壁ドンならぬ「背中ドン」の体勢で密着しようとする。
「近い! 騎士団長、近いです!」
三つ巴の膠着状態。
周りの視線が痛い。
「リナ様はどちらを選ぶの?」「野獣と野獣に挟まれた美女……絵になるわ」
勝手な実況をするな。
その時、オーケストラの指揮者が空気を読んだのか、それとも読めなかったのか、ワルツの演奏を始めた。
優雅な調べが流れる。
ダンスタイムの始まりだ。
「リナ」
殿下が、汚れていない方の手(左手)を差し出した。
「俺と踊れ。国一番の権力と、俺の全てを賭けて、お前をリードしてやる」
「いいえ、リナは私と踊る」
ギルバート様も手を差し出す。
「私のステップは戦場の剣舞のように正確だ。お前の足を踏むことはないし、他の誰にも踏ませない」
二つの手が目の前にある。
究極の二択。
どちらの手を取っても、その瞬間「本命ルート」が確定し、バッドエンド(溺愛監禁生活)への扉が開く。
(どうすれば……どうすればこの場を切り抜けられる!?)
私は助けを求めて周囲を見た。
マリアンヌ様は「さあ、選びなさい! どちらも私が認めた男よ!」と親指を立てている。
アリスちゃんは「わあ、すごーい! クライマックスだね!」と拍手している。
誰も助けてくれない。
自分の身は自分で守るしかない。
私は脳をフル回転させた。
拒否すれば、彼らは力づくで来るだろう。
選べば、片方の恨みを買うか、選んだ方の愛が重くなる。
ならば。
第三の選択肢だ。
私は深呼吸をした。
そして、震える声で言った。
「あ、あの……私、ダンスが踊れません」
「……なに?」
「田舎育ちのモブなので、ステップなんて知りません。足を踏むどころか、転んで殿下たちを巻き込んでドミノ倒しにする自信があります」
これは嘘ではない。
前世は事務員、今世は引きこもり令嬢。
マリアンヌ様の特訓はウォーキングだけで、ダンスまでは手が回らなかったのだ。
「だから、無理です。ごめんなさい」
私は深く頭を下げた。
これで「なんだ、踊れないのか。興醒めだ」となってくれれば……。
しかし、殿下はフッと笑った。
「踊れない? それがどうした」
彼は強引に私の手を取り、腰に手を回した。
「俺の足の上に乗れ」
「はい?」
「子供の頃、父上にそうしてもらったことがあるだろう? 俺の足の甲に、お前の足を乗せろ。そうすれば、俺が動くだけで踊れる」
「ちょ、重いですよ!? 私、最近お菓子食べ過ぎて……」
「羽のように軽いさ。さあ」
殿下は私の足を自分の革靴の上に乗せさせた。
密着度が上がる。
顔が近い。
逃げられない。
「レオナルド、抜け駆けは許さんぞ」
ギルバート様が反対側に回った。
「ならば、私は背後から支えよう。三人で踊ればいい」
「はあ!?」
前代未聞の「三人ダンス(サンドイッチ型)」が結成されようとしていた。
前には王子、後ろには騎士。
私は挟まれたハムだ。
「ミュージック、スタートだ」
殿下の合図で、私たちは動き出した。
ワルツのリズムに合わせて、殿下がリードし、ギルバート様がサポートする。
私の意思など関係なく、体は勝手に動かされる。
「ひっ、あ、目が回る……!」
「リナ、俺だけを見ろ」
「リナ、背中は私に預けろ」
会場中がざわめく。
「新しい……!」「三人でのワルツ……なんて高度な技術!」「あれこそが真の愛の形!」
違う、これはただの連行だ。
私は必死にバランスを取りながら、心の中で叫んだ。
(お母さーーん! 助けてーー! 私の学園生活、もう修復不可能ですーー!)
シャンデリアの光が回転する。
回る、回る。私の平穏も、常識も、全てが遠心力で彼方へ飛んでいく。
その時。
回転する視界の端に、会場の窓ガラスがガシャン!と割れるのが見えた。
「!?」
音楽が止まる。
冷たい夜風と共に、黒い影が飛び込んできた。
「……見つけたぞ、器」
しわがれた声。
昼間に撃退したはずの「真理の使徒」の残党か?
いや、違う。
今度の敵は、纏っている気配が桁違いだ。
「我は『システム管理者』の代行者。……その娘のバグを修正(消去)する」
現れたのは、全身がノイズのように揺らぐ、仮面の男だった。
(バグ修正!?)
私の【魅了:S+】を消してくれるの?
それなら歓迎だ。
どうぞどうぞ、持っていってください。
私が期待の眼差しを向けると、男は無機質に告げた。
「修正方法は一つ。……対象の『存在』ごとの消去だ」
「やっぱ殺す気じゃん!!」
私のツッコミと共に、男の手から漆黒の光線が放たれた。
「リナ!!」
殿下とギルバート様が、同時に私を庇った。
愛のサンドイッチが、最強の盾となる瞬間だった。




