第12話 メイド喫茶がバトルフィールドになっても、客は演出だと思っている
「か、神よ……もし聞こえているなら、今すぐここを更地にしてください」
私は配膳用のワゴンの下に潜り込み、ガタガタと震えていた。
頭上では、魔法と剣劇の音が交錯し、爆風が吹き荒れている。
私のクラス、1-A『アリスと不思議な森』は、開店からわずか一時間で『アリスと修羅の戦場』へと変貌を遂げていた。
「邪魔だ! 消え失せろ!」
ドガァァァァン!!
レオナルド殿下の放った炎の竜が、店内のテーブル(と敵の集団)をなぎ払う。
焦げ臭い匂いと共に、黒ローブの男たちが「ぐわぁぁぁ!」と吹き飛んでいく。
「リナの視界に入るな。汚れる」
キィィィィン!
ギルバート様の剣が一閃するたびに、空間そのものが凍りつく。
敵の放った魔法障壁も、物理的な盾も、全てが氷の彫像と化し、パリーンと砕け散る。
そして、極めつけは。
「えいっ! やあっ! オムライス一丁あがりっ!」
カォーン! パコォーン!
ヒロインのアリスちゃんが、調理場から持ち出した巨大な中華鍋を振り回していた。
彼女の一撃は重い。
ローブの男が杖でガードしようとしたが、杖ごと頭を叩かれ、星を飛ばして沈んでいく。
無邪気な笑顔で暴力を振るうその姿は、まさにバーサーカー。
(強い……強すぎる……!)
本来なら、テロリストの襲撃なんて大パニックになるはずだ。
生徒たちは逃げ惑い、悲鳴が響き渡るはずだ。
だが、現実は違った。
「すげえええええ!!」
「なんだあの演出! 本格的すぎるぞ!」
「殿下の魔法、CGじゃないのか!?」
「リナ様を守るための聖戦(劇)か! 俺たちも加勢するぞ!」
客席の男子生徒たちが、ペンライト(魔法の杖)を振って応援しているのだ。
彼らはこれを「アトラクション」だと思い込んでいる。
いや、私の【魅了:S+】による集団催眠効果で、恐怖心が「興奮」に書き換えられているのかもしれない。
「リッナ・ちゃーん! がんばッ・れ!」
「魔王軍なんかに負けるなー!」
コールが起きる。
敵のリーダーらしき男が、仮面の下で引きつった声を上げた。
「な、なんだこの空間は……! 狂っている!」
「おっしゃる通りです! ここは狂気の坩堝です! 早く帰ったほうが身のためですよ!」
私はワゴンの下から小声で敵にアドバイスを送った。
「ええい、埒があかん! 『魅了』の器を確保しろ! 他の雑魚は捨て置け!」
リーダーの指示で、影のような動きをする身軽な男たちが、殿下たちの防衛線をすり抜けてこちらに向かってきた。
アサシンだ。
狙いは私ただ一人。
「ひっ……!」
見つかった。
ワゴンの下の目が合った。
男が短剣を構え、ニヤリと笑う。
「もらった!」
「いやぁぁぁ! 来ないでぇぇぇ!」
私はパニックになり、手元にあったものを投げつけた。
それは、さっきまで私が握りしめていた「ケチャップ容器」だった。
ピューッ!
放物線を描いて飛んだ容器は、蓋が開いていた。
真っ赤なケチャップが空中で撒き散らされ、アサシンの顔面を直撃する。
「ぐあっ!? め、目が!」
「今だ! サーブ君、行けぇ!」
私の足元にいた蜘蛛型ロボット『サーブ君1号』が、私の叫びに呼応して飛び出した。
『了解。排除プログラム・レベル5、起動』
シリウスの声と共に、ロボットのアームから「高粘着スライムネット」が発射された。
ベチャァッ!
視界を奪われ、もがいていたアサシンは、全身をネバネバの網に絡め取られ、床に転がった。
「な、なんだこの粘着力は……! と、取れない!」
『ふふふ。僕の特製スライムだ。成分分析が終わるまで、そこでおとなしく観察されていたまえ』
ロボットからシリウスの勝ち誇った声が聞こえる。
牢屋の中から遠隔操作で援護射撃とは、さすがマッドサイエンティスト。役に立つ変態だ。
しかし、敵は一人ではなかった。
別方向から、もう一人のアサシンが迫っていた。
「こっちがお留守だぜ!」
背後からの奇襲。
殿下もギルバート様も、前線の敵に阻まれて間に合わない。
「リナ!!」
「しまっ……!」
二人の焦燥に満ちた叫び声。
刃が私の首元に迫る。
走馬灯が見えた。
ああ、お母さん。結局、一度も親孝行できないまま、メイド服で死ぬのね……。
その時。
バサァッ!
私の目の前に、豪奢な布が翻った。
フリルのついたエプロンだ。
それが闘牛士のマントのようにアサシンの視界を遮り、短剣を絡め取った。
「……私の最高傑作に、薄汚い刃を向けるんじゃないわよ」
凛とした声。
マリアンヌ様だ。
彼女は自分の身につけていたエプロンを瞬時に外し、武器として使ったのだ。
「なっ、公爵令嬢が護身術を!?」
「淑女の嗜みよ。……それに」
マリアンヌ様は扇子を開き、アサシンの顎をカチ上げながら、妖艶に微笑んだ。
「この子は私がプロデュースした『作品』なの。傷一つ付けたら、ローゼンバーグ家の全財力を使って、あなたたちをこの世の果てまで追い詰めるわ」
「ひぃっ!」
そのド迫力に、アサシンが怯んだ。
その隙を、私の【魅了:S+】は見逃さなかった。
システムが勝手に判定を下す。
【判定:危機的状況】
【スキル発動:強制応援】
私は無意識のうちに、心の底から叫んでいた。
「誰か! 助けてくださぁぁぁい!!」
その声は、ただの悲鳴ではなかった。
聞く者の脳内麻薬をドバドバと分泌させ、身体能力を限界突破させる「女神の祈り」として響き渡ったのだ。
ドクン!!
レオナルド殿下とギルバート様の瞳から、理性の光が消えた。
代わりに宿ったのは、制御不能なほどの愛と殺意。
「リナが……呼んでいる」
殿下の全身が、黄金の炎に包まれる。
それはもはや魔法の域を超え、小型の太陽のような輝きを放っていた。
「虫ケラどもが。……よくも私の愛しい人を怯えさせたな」
ギルバート様の背後に、巨大な氷の狼の幻影が浮かび上がる。
室温が一気にマイナスまで低下する。
「消えろ」
「凍てつけ」
「「極大魔法!!」」
ズドォォォォォォン!!
炎と氷の嵐が、教室の壁(と敵)をぶち抜いて炸裂した。
リーダーを含む残りの敵兵たちは、断末魔を上げる暇もなく、空の彼方へと吹き飛ばされていった。
キラキラと光る星になって消えていく彼らは、さながらロケット団のようだ。
静寂が戻る。
壁には大きな風穴が空き、外の青空が見えている。
教室内は半壊。
テーブルは消し炭か氷塊になっている。
終わった……。
何もかもが終わった。
私はへたり込んだ。
これで学園祭は中止、私たちは大目玉を食らって謹慎処分だろう。
しかし。
パチ……パチパチ……。
誰かが拍手をした。
それをきっかけに、割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。
「ブラボー!!」
「すげええ! 壁まで壊す演出なんて、前代未聞だ!」
「感動した! 愛の力が悪を滅ぼす……まさに王道!」
「リナ様万歳! 殿下万歳!」
「アンコール! アンコール!」
(……は?)
私は呆然と客席を見渡した。
誰も怪我をしていない。
そして誰も、これが「本物の戦闘」だったことに気づいていない。
殿下とギルバート様がやりすぎた破壊行動さえも、「気合の入った舞台装置」として処理されている。
「ふぅ……。やりすぎたか」
殿下が炎を消し、何食わぬ顔で髪をかき上げた。
「だが、リナを守るためだ。壁の一つや二つ、安いものだろう」
「ああ。それに、この程度の修繕費、私のポケットマネーで十分だ」
ギルバート様も涼しい顔で剣を納める。
金持ちの発想が怖い。
「リナちゃん、大丈夫!?」
アリスちゃんが駆け寄ってきて、私をギュッと抱きしめた。
彼女の手には、ひしゃげた中華鍋が握られている。
「怖かったねー! でも、悪い人たちバイバイしたからね!」
「う、うん……ありがとう……」
私は涙目で頷いた。
もう、ツッコミを入れる気力もない。
「リナ」
マリアンヌ様が、優しく私の背中をさすった。
「よく頑張ったわ。……あなたのその『か弱さ』が、男たちの本気を引き出したのよ。最高の演出だったわ」
「褒めてませんよね? それ」
こうして、学園祭最大のトラブル「テロリスト襲撃事件」は、生徒たちの誤解と、攻略対象たちのオーバーキルによって、幕を閉じた。
『アリスと不思議な森』は、「伝説のバトルファンタジー喫茶」として、学園祭の語り草となることが確定したのだった。
◇
数時間後。
嵐のような午前中の部が終わり、休憩時間が訪れた。
店は一時閉店し、クラスメイトたちは片付けや休憩に入っている。
私は校舎裏のベンチで、死んだように脱力していた。
隣には、なぜか殿下、ギルバート様、マリアンヌ様、アリスちゃんが並んで座っている。
豪華すぎるメンバーだ。
私の胃が痛い。
「さて」
レオナルド殿下が、不意に口を開いた。
「邪魔者は消えた。……約束の時間だ」
「約束?」
「忘れたか? 屋上での協定だ。『学園祭で一番楽しませた者が勝ち』。……ここからは、俺たちのターンだ」
殿下がニヤリと笑い、私に手を差し出した。
「リナ。午後は俺がエスコートする。王族専用のVIP席で、舞踏会の予行演習といこうか」
「待て」
ギルバート様が、反対側の手を取る。
「騎士団主催の剣術大会がある。最前列の席を用意した。私の勇姿を、その目に焼き付けてほしい」
「二人とも、リナちゃんを困らせちゃダメだよー! リナちゃんは私とお化け屋敷に行くの!」
アリスちゃんが背中から抱きついてくる。
「ちょっと待ちなさい。リナは疲れているのよ。私の用意したサロンで、最高級のスイーツとお茶を楽しむのが最優先だわ」
マリアンヌ様まで参戦してきた。
四方向からの誘い。
逃げ場はない。
午前中の戦闘で体力を使い果たした私に、拒否権など残されていなかった。
「あ、あの……」
私が口を開こうとした時、シリウスの声が足元のロボットから聞こえた。
『リナ君。僕も忘れないでくれたまえ。現在、地下牢の壁を溶解して脱獄中だ。あと十分でそちらに合流できる』
(脱獄するな!)
状況は悪化の一途を辿っている。
テロリストがいなくなった今、彼らのリミッターを外す要因は何もない。
ここからは、純度100%の「リナ争奪・学園祭デート編」が始まるのだ。
「……じゃあ、みんなで回りましょう。みんなで」
私は最後の力を振り絞って提案した。
一対一になるよりは、全員で牽制し合ってもらったほうが、まだ命が助かる確率が高い。
「みんなで、ですか……」
殿下は不満そうだったが、私の懇願するような目(死んだ魚の目)を見て、しぶしぶ頷いた。
「よかろう。リナがそう望むなら、ハーレムデートと洒落込もうか」
「ハーレムじゃないです。引率です。介護です」
私はよろよろと立ち上がった。
午後も地獄だ。
でも、生きて帰るまでは諦めない。
「さあ、行こう。伝説の続きを」
殿下の言葉と共に、私たちは午後の学園祭へと繰り出した。
そこには、午前中の騒ぎを聞きつけて集まった、さらなる野次馬と信者たちが待ち構えていることを、私はまだ知る由もなかった。




