第11話 接客とは、客を悦ばせることではなく、踏みつけることらしい
1-Aの教室、『アリスと不思議な森』のホールへと足を踏み入れた瞬間、世界から音が消えた。
それは比喩ではなく、物理的な静寂だった。
先ほどまで「リナ様を出せ!」「俺を罵れ!」と暴動寸前だった男たちが、私の姿を見た途端、全員が彫像のように凍りついたのだ。
私はお盆を胸に抱き、入り口で立ちすくんでいた。
(えっ、なにこれ。なんでみんな黙るの? 私の格好、そんなに変?)
不安になり、自分の姿を見下ろす。
マリアンヌ様の手によってミリ単位で調整された、最高級シルクのメイド服。
スカートの丈は、清楚でありながら足首のラインを美しく見せる絶妙な長さ。
ウエストはコルセットで締め上げられ、そこから広がるフリルは花弁のようだ。
髪はハーフアップにされ、アリスちゃんが選んだ白いリボンが揺れている。
変ではないはずだ。
むしろ、鏡で見た時は「誰だこの美少女は」と自分でも驚いたくらいだ。
ということは、やはり「似合っていない」ということか。
所詮は村娘顔のモブが、高貴な衣装を着ている違和感に、みんなドン引きしているのだ。
(よし、チャンスだわ!)
この冷え切った空気をさらに凍らせて、客を帰らせよう。
私はあえて、不機嫌そうな顔を作った。
眉間に皺を寄せ、口角を下げ、目の前の客たちを「休日の朝に起こしに来た親」を見るような目で睨みつける。
そして、低く、ドスの利いた声で言い放った。
「……なに見てんのよ。邪魔なんだけど」
完璧な塩対応だ。
これで「なんだその態度は!」と怒号が飛び、店は閉店に追い込まれるはずだ。
しかし。
数秒の沈黙の後。
「……うっ」
最前列にいた男子生徒が、胸を押さえて呻いた。
「ぐ、はぁっ……! 最高だ……!」
「え?」
「その蔑んだ目……! ゴミを見るような冷徹な眼差し……! ゾクゾクする! 背筋に電流が走った!」
ドサッ。
彼は膝から崩れ落ち、恍惚の表情で床にひれ伏した。
「ありがとうございます! リナ様! その一言で、俺の一生の運を使い果たしました!」
それを合図に、凍りついていた店内が一気に爆発した。
「俺も! 俺も罵ってください!」
「邪魔と言われたい! むしろリナ様の通る道の敷石になりたい!」
「尊い……冷酷なる美の女神が、我々に『視線』という慈悲を与えてくださった……」
「おい、今の『なに見てんのよ』を録音した奴はいないか!? 家宝にするぞ!」
(なんでだよ!!)
私の心の中のツッコミは、熱狂の渦にかき消された。
客たちは怒るどころか、私の暴言を「神託」として受け取り、涙を流して喜んでいる。
私のバグスキル【魅了:S+】は、マイナスの感情すらもプラスの快楽に変換してしまうのか。
「さあ、リナ。突っ立っていないで働きなさい」
背後から、マリアンヌ様が扇子で私の腰をツンと突いた。
「あなたの仕事は、彼らに『絶望』と『歓喜』を与えることよ。……ほら、あそこのテーブル、注文を待っているわ」
私は背中を押され、よろよろと指定されたテーブルへ向かった。
◇
テーブル席に座っていたのは、他校から来たと思われるガラの悪そうな男子生徒三人組だった。
彼らはニヤニヤしながら私を見ている。
「へぇ、君が噂の『幻のメイド』ちゃん? 可愛いねえ」
「ねえ、メニューにないこと頼んでもいい?」
おっと、これは。
もしかして、ついに「絡まれる」イベント発生か?
不良客に絡まれて困っているところを、ヒーローが助けに来る……という王道パターン。
だが、私はヒーローなど呼びたくない。
自力で解決(撃退)して、彼らに「なんだ、可愛げのない女だ」と捨て台詞を吐かせて帰らせるのがベストだ。
「メニューにないものはありません。お水でも飲んで帰ってください」
私はコップを三つ、テーブルに叩きつけるように置いた。
水がチャプンと揺れ、少しこぼれる。
「あーあ、こぼれちゃった。拭いてくれる?」
不良Aが、私の手首を掴もうと手を伸ばしてきた。
セクハラだ。
ギルバート様からもらったスタンガンの出番か?
いや、店内で電気ショックはまずい。
私が手を引っ込めようとした、その時。
シュバッ!
私のスカートの影から、何かが飛び出した。
シリウスが送り込んできた蜘蛛型ロボット『サーブ君1号』だ。
『警告。警告。リナ君への接触を検知。排除モード起動』
無機質な合成音声と共に、サーブ君1号のアームが高速回転した。
そして、不良Aの伸ばした手の甲を、ピシッ!と正確に叩いた。
「痛っ!?」
『リナ君に触れていいのは、登録者と、その許可を得た者のみです。貴様のDNA情報はデータベースにありません。即時退去を推奨します』
「な、なんだこのロボット!?」
「気持ち悪っ!」
不良たちが腰を浮かす。
よし、このままロボットのせいにして逃げよう。
だが、騒ぎを聞きつけたクラスメイト(リナ様親衛隊)たちが、鬼の形相で駆けつけてきた。
「貴様ら……リナ様の聖域(スカートの中)から出てきた守護神を愚弄するか!」
「リナ様にお触りしようなどと、万死に値する!」
「つまみ出せ! 校庭の土に埋めて肥料にしてやる!」
「ひぃぃっ! ごめんなさーい!」
不良たちは、怒れる信者たちによって物理的に排除(窓から放り出)された。
「リナ様、お怪我はありませんか!?」
「汚らわしい空気を吸わせて申し訳ありません!」
「今すぐお清めの塩を撒きます!」
「い、いえ、大丈夫です……」
過剰防衛だ。
この店、治安が悪すぎる。
◇
その後も、私の受難は続いた。
オムライスを運べば、「リナ様、転ばないんですか? 俺の顔面にダイブしてくれないんですか?」と理不尽なクレームを受け。
紅茶を淹れれば、「毒(愛)を入れてください」と懇願され。
ただ歩いているだけで、「ああっ、リナ様が歩いた後の空気が美味い!」と深呼吸をされる。
疲れた。
開店から一時間しか経っていないのに、精神的な疲労が限界突破している。
「……休憩したい」
私は厨房に戻ろうとした。
だが、その退路を塞ぐように、入り口の方から凄まじいプレッシャーが押し寄せてきた。
ゴゴゴゴゴゴ……。
空気が重くなる。
店内の喧騒が一瞬にして止み、客たちが怯えたように道を開ける。
現れたのは、この世のものとは思えないオーラを纏った二人の男だった。
黄金の髪をなびかせ、王者の風格を漂わせるレオナルド殿下。
銀髪を冷たく輝かせ、絶対零度の視線を放つギルバート様。
彼らは私服姿(といっても、一般市民の生涯年収を超えるような高級素材の服)で、堂々と店に入ってきた。
「……ここか」
殿下が店内を見渡す。
その碧眼が、客たち一人一人を睨みつける。
「むさ苦しい。……俺のリナが、こんな有象無象の視線に晒されているとはな」
「同意する」
ギルバート様が、腰に差した剣(学園祭なので模造刀のはずだが、殺気で真剣に見える)に手をかけた。
「リナの姿を見る権利があるのは、選ばれた者だけだ。……ここにいる全員の記憶を消去する必要があるかもしれない」
(やめて! テロリストみたいな発言しないで!)
二人はまっすぐに、私が立ち尽くす場所へと歩いてきた。
マリアンヌ様が素早く私の前に立ち塞がる。
「あら、殿下。それに騎士団長様。一般のお客様としてのご来店でしたら歓迎いたしますわ。ですが、営業妨害はおやめになって?」
マリアンヌ様、強い。
王族相手に一歩も引かない。さすが悪役令嬢。
「マリアンヌか。相変わらず気が強いな」
殿下は鼻で笑うと、マリアンヌ様の肩越しに私を見た。
その瞬間、彼の表情が劇的に変わった。
「……っ!」
殿下は目を見開き、口元を手で覆った。
頬が一瞬にして朱に染まる。
「……なんだ、その格好は」
震える声。
「メイド服……? しかも、俺の好みを熟知したかのような、完璧なシルエット……。清楚でありながら、そこはかとなく漂う色気……」
殿下の手が震えている。
「似合いすぎている……。いや、犯罪的だ。これは俺への誘惑か? 俺の理性を崩壊させようという作戦か?」
(違います。制服です)
ギルバート様もまた、石像のように固まっていた。
「……『奉仕』の象徴であるメイド服を、あのように高潔に着こなすとは。……守りたい。今すぐこの店ごと鉄壁の結界で覆い、誰の目にも触れさせず、私だけにその姿を見せてほしい」
重い。
二人の愛が重すぎて、物理的に床が沈みそうだ。
「注文を」
殿下が席に着くこともなく、立ったまま宣言した。
「この店のメニュー、上から下まで全部だ。そして、給仕は全てリナが行え」
「私もだ。リナ、私のテーブルに来い。他の客の相手などする必要はない」
ギルバート様も対抗するように隣に立つ。
「ちょ、ちょっと! 困ります!」
私は悲鳴を上げた。
二人がここに居座ったら、他のお客様が逃げ出す。いや、逃げ出してくれるなら好都合か?
「あら、困りますわ殿下」
マリアンヌ様が扇子で殿下の胸元を制した。
「当店は『公平』がモットーですの。特別扱いはいたしません。リナの接客を受けたいのであれば、他のお客様と同じように整理券をお取りになって?」
「整理券だと? この俺に並べと言うのか?」
「ええ。それがルールですので」
マリアンヌ様、かっこよすぎる。
殿下は不服そうに眉をひそめたが、私の方をチラリと見て、ため息をついた。
「……よかろう。リナが一生懸命働いている店だ。俺がルールを破って、リナの顔に泥を塗るわけにはいかない」
殿下は意外と聞き分けが良かった。
彼は懐から財布を取り出し、分厚い金貨の束をカウンターに置いた。
「だが、金ならある。この店の整理券を全て買い占めればいいのだろう?」
「私も出そう。騎士団の予算(自腹)を使う時が来たようだ」
ギルバート様もブラックカードのようなものを提示する。
(大人の解決法ーーッ!!)
「あー! ずるいよー!」
そこに、ピンク色の旋風が飛び込んできた。
アリスちゃんだ。
彼女は両手に大量のオムライスを持って(アクロバティック配膳中)、二人の間に割って入った。
「お兄さんたち、独り占めはメッ!だよ! みんなで仲良くリナちゃんを愛でるのが、この『アリスと不思議な森』のルールなんだから!」
「アリス、お前……」
「リナちゃんはね、みんなのアイドルなの! 特定の誰かのものになっちゃダメなの!」
アリスちゃんはニコニコしながら、とんでもない爆弾発言をした。
「さあリナちゃん! ステージの時間だよ!」
「……はい?」
「ステージ?」
アリスちゃんは私の手を引いた。
「リナちゃんの『虚無オムライス』実演販売と、『おまじない』の披露タイムだよ! みんな待ってるよー!」
「待ってない! 誰も待ってない!」
私は抵抗したが、アリスちゃんの馬鹿力と、マリアンヌ様の「行きなさい!」という背中押しによって、ホールの中心にある特設ステージ(机を並べただけ)へと押し上げられた。
スポットライト(魔法による照明)が私を照らす。
数百の視線が突き刺さる。
「リナ様ー!!」
「待ってましたー!」
「虚無! 虚無!」
コールが起きる。
地獄だ。ここは地獄の釜の底だ。
私は震える手で、マイク代わりの拡声魔法石を握らされた。
「あ、あの……」
私が口を開いた瞬間、サーブ君1号が足元で起動した。
シリウスの声が、ロボットを通じて響き渡る。
『通信確立。映像転送良好。……リナ君、頑張りたまえ。君の心拍数上昇データは、僕が責任を持って記録している』
(シリウス、お前も見てるのか!)
私は追い詰められた。
目の前には熱狂する信者たち。
最前列には、腕組みをして仁王立ちするレオナルド殿下とギルバート様。
舞台袖には、親指を立てるマリアンヌ様とアリスちゃん。
逃げ場はない。
やるしかない。
私はヤケクソになった。
「……いらっしゃいませ。ご主人様(棒読み)」
「うおおおおおおおお!!」
地鳴りのような歓声。
「今日は……オムライスに、私の心の闇を描きます」
私は用意された巨大なオムライスに向き合った。
ケチャップを持つ手が震える。
何を書く?
「虚無」はもうやった。
もっと絶望的な、もっと救いのない言葉を書いて、みんなをドン引きさせてやる。
私は勢いよくケチャップを絞り出した。
『 帰 り た い 』
本音だ。
これ以上ないほど純粋な、私の魂の叫びだ。
どうだ。
メイド喫茶で「帰りたい」と書くメイド。
職務放棄だ。やる気ゼロだ。
さあ、怒れ。トマトを投げつけろ。
私は挑戦的な目で客席を見た。
しかし。
客席の反応は、私の予想を遥かに超えていた。
「……泣ける」
誰かが呟いた。
「『帰りたい』……。それは、本来いるべき場所(天界)へ帰りたいという、堕天使の悲哀……」
「我々の住むこの汚れた地上に絶望しながらも、それでもここに留まってくれている……」
「リナ様の孤独……! その悲痛な叫びが、ケチャップの赤色によって鮮烈に表現されている!」
レオナルド殿下が、感動のあまりハンカチで目元を押さえた。
「そうか、リナ。お前は王城(俺の元)へ帰りたいと言っているのだな。……わかった。今すぐにでも連れ帰ってやりたいが、この祝祭が終わるまでは我慢しよう」
ギルバート様が、胸に手を当てて頷く。
「帰りたい場所がある……それは守るべき家があるということ。彼女の帰巣本能、なんと愛おしい」
(全員、国語のテスト0点か!?)
私の「帰りたい」は、高度な文学的表現として解釈され、会場の感動を最高潮に高めてしまった。
「リナ様! リナ様!」
拍手喝采の中、私はステージの上で立ち尽くしていた。
私の抵抗は、すべて無力化される。
何をしても、どんなに嫌がっても、世界は私をヒロインとして持ち上げる。
その時だった。
「きゃああああああ!」
悲鳴が上がった。
入り口付近の客たちが、何かの勢いに押されて吹き飛ばされたのだ。
現れたのは、黒いローブを纏った数人の男たち。
彼らは一様に不気味な仮面をつけており、手には杖や剣を持っていた。
「……見つけたぞ」
先頭の男が、しわがれた声で言った。
「あそこにいるのが、『魅了の聖女』か」
空気が凍りついた。
これは、イベント?
いや、違う。
彼らが放っているのは、明確な殺気と、禍々しい魔力だ。
「誰だ、貴様ら」
レオナルド殿下が前に出た。
その全身から、黄金の魔力が立ち昇る。
「我らは『真理の使徒』。……その娘の持つ、異常な『魅了』の力を回収しに来た」
男が私を指差した。
「世界の理を乱すバグ。……我々が管理し、有効活用させてもらおう」
(えっ、バグって知ってるの!?)
私は目を見開いた。
彼らは、この世界の住人ではない?
それとも、ゲームの運営的な存在?
「リナを渡せだと?」
ギルバート様が抜刀した。
冷気が床を走り、男たちの足元を凍らせる。
「断る。彼女は私の保護下にある」
「それに、俺の獲物だ」
殿下が炎を生み出す。
「楽しい学園祭に水を差す無粋な客には……退場してもらおうか」
戦闘開始のゴングが鳴る前に、アリスちゃんがフライパン(調理器具)を構えて飛び出した。
「もう! せっかくリナちゃんのステージ中なのに! 邪魔しないでよー!」
「リナ、下がっていなさい!」
マリアンヌ様が私を庇うように前に立つ。
私はステージの上で、呆然としていた。
メイド喫茶でのドタバタ劇から一転、急にシリアスなバトル展開へ。
私の「平穏」は、もはや風前の灯火どころか、とっくに消え失せていた。
「……もう、本当に帰りたい」
私の小さな呟きは、爆発音と怒号の中に吸い込まれていった。
伝説の学園祭は、まだ午前中だというのに、クライマックスのような様相を呈していた。




