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モブに徹したい私 vs 絶対に私をヒロインにしたい世界  作者: 九葉


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10/20

第10話 悪役令嬢の登場は、救世主かそれとも新たな信者か

学園祭前日。

嵐の前の静けさと言うには、あまりにも私の周囲は騒がしかった。


教室は「メイド喫茶」の準備で戦場と化していた。

リナ様親衛隊(男子生徒)はテーブルの配置に命をかけ、女子生徒たちは店内の装飾に血道を上げている。

そして、本来のヒロインであるアリスちゃんは、つまみ食いをしながら「味見係」という名のサボタージュを決め込んでいた。


私はと言えば、教室の隅でひたすらナプキンを折っていた。

唯一与えられた地味な仕事だ。

これなら誰の目にも留まらない。

空気のように、背景の一部として過ごせる。


(ふふ、いい感じだわ。このまま明日まで気配を消し続ければ、伝説のメイドなんて都市伝説で終わるはず)


そう楽観視していた時だった。


「……ごきげんよう」


凛とした、しかし氷のような冷たさを孕んだ声が、私の頭上から降ってきた。


ビクッとして顔を上げる。

そこには、豪奢な縦ロールの金髪を揺らし、扇子で口元を隠した一人の令嬢が立っていた。

切れ長の瞳は釣り上がり、私を品定めするように見下ろしている。


マリアンヌ・ド・ローゼンバーグ。

公爵家の令嬢であり、レオナルド殿下の婚約者候補筆頭。

そして、このゲーム『聖と魔のレガリア』における「悪役令嬢」その人である。


(き、来たあああああ!!)


私は心の中で歓喜の声を上げた。

悪役令嬢!

それはつまり、ヒロイン(またはその座を奪った私)をいじめ、排斥しようとする存在だ。

彼女なら、私をこの狂った「愛され世界」から引きずり下ろしてくれるかもしれない。

「身の程を知りなさい!」と罵って、メイド喫茶の主役から降ろしてくれるかもしれない!


私は期待に胸を膨らませ、マリアンヌ様を見つめた。


「は、はい! ごきげんよう、マリアンヌ様!」


私の元気すぎる挨拶に、彼女は一瞬怯んだようだが、すぐに気を取り直して鼻を鳴らした。


「ふん。挨拶だけはできるようね、男爵令嬢」


彼女の取り巻きである二人の令嬢も、クスクスと笑う。

「見てよ、あの安っぽいナプキン」「平民上がりの男爵家にはお似合いね」


素晴らしい。

これぞテンプレだ。

もっと言ってくれ。もっと私を蔑んで、この教室から追い出してくれ。


マリアンヌ様は、私の手元にあるナプキンの山を扇子で指した。


「あなた、学園新聞で『魔性のモブ』だの『伝説のメイド』だのと持て囃されているようだけれど……いい気にならないことね」


「はい! おっしゃる通りです! 私は調子に乗っていました!」


私は食い気味に同意した。


「レオナルド殿下が執心されているからといって、所詮は一時の気まぐれ。あなたのような地味な女が、王族の隣に立てると思って?」


「思いません! 1ミリも思いません! 私は壁際がお似合いです!」


「……は?」


マリアンヌ様の扇子がピタリと止まった。

彼女は怪訝そうな顔で私を見ている。

予想外の反応だったのだろう。普通なら「そんなことありません!」と泣くか、言い返す場面だ。


「な、なによその態度は。私を馬鹿にしているの?」


「滅相もございません! マリアンヌ様の正論に感動しているのです!」


私は立ち上がり、彼女の手を握りしめた。


「マリアンヌ様、お願いです。もっと私を罵倒してください。そして『目障りだから消えなさい』と命じてください。私、すぐにでも実家に帰りますので!」


「ちょ、ちょっと! 離しなさい!」


マリアンヌ様が顔を赤くして手を振りほどく。


「な、なんなのこの女……。私の高圧的な態度に怯えるどころか、目を輝かせて……」


彼女が後ずさる。

いけない、引かれている。

ここで引かせてはいけない。悪役令嬢としての職務を全うしてもらわなければ。


「マリアンヌ様! いじめの手始めに、私の靴を隠すとかどうでしょう!? それとも教科書に落書きですか!? 全部受け入れます!」


「き、気味が悪いわね! 誰がそんな低俗なことをするものですか!」


マリアンヌ様は扇子をバッと広げた。


「ローゼンバーグ家の流儀は、もっと高尚で、芸術的な『指導』よ。……こっちへ来なさい」


彼女は私に背を向け、廊下へと歩き出した。

やった。

これは「体育館裏への呼び出し」イベントだ。

ついに私にも、乙女ゲームらしい断罪イベントが発生するのだ。


          ◇


連れて行かれたのは、人気のない被服室だった。

中には高価そうなミシンや布地が並んでいる。


マリアンヌ様は私を部屋の中央に立たせると、腕組みをして睨みつけた。


「さあ、見せなさい」

「え?」

「明日の衣装よ。あなたが着るメイド服を見せなさいと言っているの」


なるほど。衣装を切り刻むつもりか。

それとも「こんなボロ布、あなたには勿体ないわ」と没収してくれるのか。

どちらにせよ、メイド服がなくなれば私は接客に出なくて済む。


私は急いでロッカーから、クラスの女子たちが作った(最高級シルクの)メイド服を取り出した。


「こちらです。どうぞ、お好きなように煮るなり焼くなりしてください」


私はうやうやしく献上した。

マリアンヌ様は布地をつまみ上げ、じっくりと観察し始めた。

鋭い目が、縫い目の一つ一つをチェックしていく。


「……何これ」


低い声。

怒っている。いいぞ、その調子だ。


「素材は悪くないわ。シルクの質も上等。でも……」


ビリッ!


彼女が袖口を強く引っ張った。


「縫製が甘すぎるわ!」


マリアンヌ様が叫んだ。


「なによこのステッチ! 3ミリもズレてるじゃない! それにこのフリルの寄せ方、均一じゃないわ! こんな恥ずかしいものを着て、殿下の前に出るつもり!?」


「えっ、いや、私は別に……」


「許せない……美学に反するわ!」


マリアンヌ様は鬼の形相で、近くにあった裁縫箱を開けた。


「脱ぎなさい!」

「はい?」

「今すぐ着てみなさいと言っているの! 私が直接、修正(お直し)してあげるわ!」


「……へ?」


予想と違う展開に、私は思考が追いつかない。

衣装を切り刻むんじゃなかったの?

修正?


私は言われるがままに着替えさせられた。

鏡の前に立つ私を見て、マリアンヌ様は「むぅ」と唸った。


「サイズ感は合っているけれど、シルエットが野暮ったいわ。あなたのその……無駄に儚げな体型を活かしきれていない」


彼女は待ち針を口にくわえ、私の服をつまんで調整し始めた。

その手つきは、プロの職人のように鮮やかだ。


「ウエストはもっと絞る! スカートの丈はあと2センチ詰めて、足首のラインを強調する! リボンの角度は45度!」


「あ、あの、マリアンヌ様? いじめてるんですよね?」


「黙りなさい! 今、集中しているの!」


怒られた。

彼女の取り巻きたちも、「さすがマリアンヌ様……完璧な針運びですわ」「リナ様のポテンシャルを引き出している……」と感心している。


一時間後。


「……完成よ」


マリアンヌ様が額の汗を拭った。

私は鏡を見た。


そこには、別人が立っていた。

もともと上等だったメイド服が、マリアンヌ様の手によって「至高の逸品」へと進化していた。

私の体型にミリ単位でフィットし、動くたびにフリルが優雅に揺れる。

地味なはずの茶髪も、衣装とのコントラストでなぜか上品に見える。


「……どういうこと?」


私は呆然とした。

これでは、余計に目立ってしまうではないか。

「幻のメイド」どころか「傾国のメイド」だ。


マリアンヌ様は満足げに頷き、私を見た。

その目には、先ほどまでの敵意とは違う、奇妙な達成感が宿っていた。


「ふん。まあ、これなら許容範囲ね。ローゼンバーグ家の人間が関わった以上、駄作を世に出すわけにはいかないもの」


「あ、ありがとうございます……?」


「勘違いしないでちょうだい。あなたのためじゃないわ。学園の品位を守るためよ」


典型的なツンデレ台詞だ。

だが、彼女の視線が私の胸元(新しく付けられたレースの飾り)に留まった時、彼女の顔がぽっと赤らんだ。


「それにしても……素材あなたが良いと、作り甲斐があるわね」


「え?」


「なんでもないわ! さあ、次は立ち振る舞いよ! そんな猫背じゃ服が泣くわ!」


そこから、地獄のウォーキングレッスンが始まった。

「背筋を伸ばす!」「笑顔は口角を5ミリ上げる!」「ターンは優雅に!」

マリアンヌ様はスパルタだった。

汗だくになりながら、私は必死に食らいついた。

いじめられているはずなのに、なぜか部活の合宿のような一体感が生まれている。


夕日が被服室に差し込む頃、私は完璧なお辞儀カーテシーを習得していた。


「……悪くないわ」


マリアンヌ様が扇子を閉じた。


「今の所作なら、王妃教育を受けている私と並んでも恥ずかしくないでしょう」


「はあ、はあ……疲れました……」


私は床にへたり込んだ。

マリアンヌ様は私を見下ろし、ふと優しい表情を見せた。

いや、待って。

悪役令嬢が優しい顔をしてはいけない。


「リナ。……あなたは、不思議な人ね」


「そうですか? ただのモブですが」


「殿下や騎士団長が夢中になる理由が、少しだけわかった気がするわ」


彼女は私の手を取り、立たせてくれた。


「あなたは、私のプライドを傷つけない。むしろ、私の技術や美意識を、無防備なほどに受け入れてくれる」


それは私が「何でもいいから早く終わらせたい」と思っていただけなのだが。


「私、決めたわ」


マリアンヌ様が宣言した。

その背後に、なぜか後光が差しているように見える。


「私は、あなたの『プロデューサー』になるわ」


「……ぷろでゅーさー?」


「そうよ。明日の学園祭、この私が総指揮を執って、あなたを最高に輝かせてあげる。中途半端な男たちなんかに、私の最高傑作あなたを独占させてたまるもんですか」


【システム通知】

悪役令嬢:マリアンヌ

状態:陥落

新たな役割:敏腕プロデューサー兼ファンクラブ会長

ルート分岐:『悪役令嬢との友情(百合風味)』ルート発生


(違う! そうじゃない!)


私は頭を抱えた。

求めていたのは「いじめ」による「退場」だ。

それがどうして「プロデュース」による「センター抜擢」になってしまうのか。

私の【魅了:S+】は、敵対関係すらも「育成シミュレーション」に変えてしまうらしい。


「さあ、行くわよリナ! まずは髪のケアからよ! 公爵家秘伝のトリートメントがあるの!」


マリアンヌ様は私の腕を組み、楽しそうに歩き出した。

彼女の取り巻きたちも、「リナ様、お荷物持ちます!」「靴もお磨きしますわ!」と完全に下僕化している。


私は引きずられながら、窓の外の夕日を見た。

明日はいよいよ学園祭。

味方は増えた。

しかし、それは同時に「私を舞台に立たせようとする勢力」が増えたことを意味していた。


          ◇


翌朝。

学園祭当日。


快晴。雲ひとつない青空。

まさに祭り日和だが、私にとっては処刑日和だ。


1-Aの教室前には、開店前から長蛇の列ができていた。

校舎を一周するほどの行列だ。

最後尾のプラカードを持った生徒が、遠すぎて見えない。


「すごい……」


私は教室の窓からその光景を見て、震え上がっていた。

マリアンヌ様によって完璧に仕上げられたメイド服。

アリスちゃんによって施されたナチュラルメイク。

そして、クラスメイトたちによる完璧な布陣。


「準備はいいか、野郎ども!」

「おう!!」

「リナ様を守りつつ、その尊さを世界に知らしめるぞ!」

「不審者は即座に排除! ただし、リナ様が『嫌です』と言った場合は、それが『ご褒美』になる客もいるから見極めろ!」


男子生徒たちの士気が異常に高い。

もはや喫茶店ではない。要塞だ。


「リナちゃん、緊張してる?」


アリスちゃんが、フリフリのメイド服(ピンク色)で駆け寄ってきた。

彼女は本当に可愛い。これが正義だ。


「緊張というか、吐き気が……」


「大丈夫だよ! マリアンヌ様もいるし、サーブ君1号もいるし!」


足元を見ると、シリウスから送られてきた蜘蛛型ロボット『サーブ君1号』が、私のスカートの裾を掴んでスタンバイしていた。

こいつ、自律稼働してたのか。

しかも、カメラレンズが私の絶対領域を狙っている気がする。後で破壊しよう。


「開店5分前ですわ!」


マリアンヌ様が、扇子をバシッと鳴らして指示を出す。


「リナ、あなたは厨房の奥で待機。私が合図するまで出てきてはいけなくてよ。焦らし(チラリズム)こそが、客の飢餓感を煽る最高のスパイスなのだから」


「はい! 一生出てきません!」


「一生とは言っていないわ。……さあ、行くわよ!」


キーンコーンカーンコーン。

鐘の音が鳴り響く。

学園祭の始まりだ。


「いらっしゃいませー! 『アリスと不思議な森』へようこそー!」


ドアが開かれ、怒涛のようにお客様がなだれ込んできた。

悲鳴のような歓声。

注文の嵐。


厨房にいた私は、皿洗いのスポンジを握りしめ、神に祈った。

どうか、このまま平穏に終わりますように。

誰も私のことを思い出しませんように。


だが、その祈りが届くはずもなかった。


「おい、聞いたか? 第一王子がこっちに向かってるらしいぞ」

「騎士団長も一緒だ!」

「なんか、すごい殺気だって……」


厨房の入り口で、クラスメイトが青ざめている。


来た。

ラスボスたちの襲来だ。


そしてさらに悪いことに、店内の客の一人が大声で叫んだ。


「おい! リナ様はどこだ! 俺はリナ様の『虚無オムライス』を食いに来たんだ! 金なら出す! 俺の全財産と引き換えに、あの冷めた目で見下してくれ!」


それに呼応するように、他の客たちも騒ぎ出す。

「幻のメイドを出せ!」「俺も罵倒されたい!」「いや、俺は転んでオムライスをぶっかけられたい!」


カオスだ。

客層が歪みすぎている。


「……ふふ」


マリアンヌ様が、厨房に入ってきた。

彼女は不敵な笑みを浮かべている。


「リナ。出番よ」

「えっ、嫌です」

「客が暴徒化しかけているわ。鎮めるには、女神あなたが降臨するしかないの」


「生贄の間違いでは!?」


「大丈夫。私がついているわ。それに……」


マリアンヌ様は、私の背中をポンと押した。


「あなたの王子様たちも、もう店の前まで来ているみたいよ?」


ドーン!

店の入り口付近から、爆発音のようなものが聞こえた。

おそらく、レオナルド殿下が「行列が邪魔だ」とでも言って威圧魔法を放ったのだろう。


逃げ場なし。

前門の変態客、後門のヤンデレ攻略対象。


私は覚悟を決めた(白目を剥いた)。


「……行きます。行って、散ってきます」


「行ってらっしゃい。最高のショーを見せておやりなさい!」


マリアンヌ様の声援を背に、私は震える足でホールへと踏み出した。

その一歩が、伝説の幕開けになるとは知らずに。

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