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E18

鐘の音がもう一拍、鳴った。とても薄く澄んで、金属ではなく空気そのものが身を傾けて挨拶するように。そのあとに来たのは言葉だった。今日は拍手ではなく、鐘と言葉が順番をそろえる日らしい。


ミホが紙の書類を広げた。ラミネートのような艶がないぶん、かえって頼もしい。鉛筆跡が残っても、手の油がついても構わない紙。彼女は王子のほうへ顔を向けた。


「保存契約です。簡単に読み上げます。わかりやすい言葉で。」


外套はおとなしく一歩さがった。隣国の姫は両手を組み、目で文を追った。群衆は階段を中心に円く立つ。海から上がってきた擦れる風が、紙の角を一度持ち上げては置いた。


「あなたの『最初の息』についての叙述権は、あなたのものです。」ミホの調子は教本のように堅かったが、最後の音はじゃがいもをほくりと割るみたいに柔らかく落ちた。「誰も編集できず、誰かが代わって要約することもできません。ここで語られた文は、語った人の名とともに記録に残します。」


王子がうなずいた。喉の下のくぼみが薄く朝日を受ける。


「昨夜のように、声を持ってきて貼り付けるのは禁止。」私は付け加えた。「『継ぎ足し』は音楽でのみ許容。人の息には許容しない、と明記します。」


外套の眉がわずかに動いた。スピーカーの網目はさっきのようには弛まなかったが、飾りは所詮飾りだ。視線が貼り付いたのは紙とペン先だった。


「隣国の姫の証言は『発見』として記録します。」ミホが姫に笑みを向ける。「助けを単純化しません。海から引き上げた者と、砂の上で見つけ救助を呼んだ者。どちらも事実で、どちらも削りません。」


隣国の姫は低く答えた。「私が見たのは、それだけです。浜辺で倒れていた方。鐘の音は……小さな鈴が先で、大きな鐘が後でした。」


「いいですね。」ミホがペンを取った。「では——今日の場所は、こう。」


文たちが紙の上で静かに居場所を見つける。ざわめきは一拍ずつ遅れて流れた。ヨムスが礼拝堂の脇扉を閉め、風の長さを少し縮める。ルシアが階段の縁で旗竿をそっと押さえた。赤い線が陽のなかでかすかに光る。〈この線は退くための線〉だと、皆が目で共有した。


外套がふっと笑みを戻す。「結構な規定です。秩序のためにも、皆が同じ物語を共有するほうが誤解がありません。とくに海のように気まぐれな場所では。」


「秩序と統一は別です。」私は言った。「同じ物語ではなく、異なる事実が重なった場所を共有する。今日はそれで十分。」


彼がさらに何か言おうとしたとき、礼拝堂の床をかすめる音が薄く鳴った。濡れた足が砂を踏む音——いや、濡れた足が砂を手放す音。どちらともつかないほど短い。何人かが同時に振り返る。


濡れない水跡が、礼拝堂の石床をぴたりとなぞるように上ってきていた。水ではないのに、水のようにきらめく。水膜めいたものが石と石の細い溝を伝い、鐘の真下の円い影の縁で止まる。形は文にも見え、息の痕にも見えた。


私は無意識に鐘の舌へ手を伸ばしかけて、止めた。今日は手で鳴らす必要がないことを、朝から何度も学んだ。ミホが私の手の甲に指を軽く置いて離す。〈待って〉という、とても短い接触。


そのとき、海の匂いよりずっと細く澄んだ香りが掠めた。貝の身を一度開けて閉じたときに立つ匂い。波が砂へ押し入り踵の下で返るときの、ごく微かな塩の匂い。そのあとに、足音が一つ、二つ。


誰かが礼拝堂の敷居で止まった。視線が自然とそちらへ集まる。


少女だった。水から上がった者だけがまとう光を身に引いている。陽の当たるところは明るく、影に入ったところはガラスのように冷たい。足に砂がつき、素足から落ちる雫が石床に小さな輪を残した。輪はすぐ消えたが、消えた場所に薄い水膜の文が残った。


彼女は口を開かなかった。けれど〈目の言葉〉というものが本当にあるなら、おそらくこんな形だ。言葉のかわりに、彼女の見つめる先が文のように動く。鐘——王子——海——そして最後に、私。順番はそうだった。


群衆が一度に沸かないように、ヨムスが静かに水筒を掲げた。「水。」低く言う。「どうぞ。」


人々が紙コップを受け取り、息を新しく整えるあいだ、隣国の姫が二歩進み出た。二人の視線が触れる。嫉妬めいたものはない。不思議なことに、二人のあいだには〈発見〉と〈発見される〉の長さだけがあった。重くない長さ。互いを奪わない距離。


外套がその隙へ入ってくる。「ようやくお越しですね。」彼は長く待っていた者のように丁寧に頭を下げた。「本日の主役が言葉を控えたいことは存じています。ですから、より簡素な契約を用意しました。美しい沈黙は、ときとして人々を不安にしますから。大衆に安心を——」


「沈黙は不安を作るのではなく、責任を分けます。」ミホが遮った。柔らかく、しかし鮮明に。「いま必要なのは『沈黙を解釈されない権利』。話す権利と同じだけ。」


私は書類の余白をめくった。ペン先が小さく鳴る。「沈黙の解釈を禁ずる条項。質問はできるが、うなずき/首振りを超える意味づけは禁止。言葉がない場合は『不明』として記録。代わりに——」


代わりに、私は少女の足もとに残る薄い水跡を指さした。何も語らないのに、確かな方向を作っている。王子へ。鐘へ。海へ。そして最後に、礼拝堂脇の狭い扉へ。


「——代わりに、『水の文字』は記録可能。解釈は、現場で合意した証人三名以上が同時に確認した場合に限る。」


少女の目が、ごく浅く笑った。彼女は私のほうへもう一歩近づき、手のひらを見せた。雫が手相のあいだで集まって流れる。手のひらに、ごく薄く、文字が一つ刻まれた。私は息をひと呼吸だけ止める。


ハル。


私の名前だった。塩気を含んだ小さな湿りが陽を受けてきらりと光り、そして消えた。意味は残り、水は抜けていく。私は無理に呼吸を整えた。まったく知らない人に自分の名を呼ばれる感じは、妙に温かかった。怖くはなかった。


そのあいだに王子が歩み出る。踵についた砂が、段の角に一粒ずつ落ちた。彼は少女をまっすぐ見た。感嘆で視線が伸びる前に——息を先に整えた。昨夜の波とは違い、朝の息は簡潔だ。


「私が……朝に目を覚ましたとき、」王子が言う。「最初に聞こえたのは、海の音ではなかった。舌の抜けた鐘の、空の息みたいな音。そして次は——」


彼は少女へ手を少し上げ、それからすぐ下ろす。手つきは慎重だった。「——言葉でも歌でもない……見る音。誰かが『ここ』と書く音。」


少女の目がさらに深くなる。彼女はもういちど、私に向けて手のひらを差し出した。今度は文字が二つ。


見て。急がないで。


私はごく小さくうなずく。「私たちが先に見たものを、わざわざ言葉で追い越さない——そう受け取って、いいですか。」


少女はうなずいた。隣国の姫も同時にうなずく。三人で合図を合わせるみたいに。外套はそのあいだも笑みを崩さない。狼狽ではないが、彼が慣れ親しんで押し込む物語の長さが短くされていくのは、たしかに居心地が悪そうだった。


「では、これ以上手続きを延ばすのはやめましょう。」外套が一度だけ手を打とうとして、やめ、代わりに掌を合わせる。「王子の安全、市民の秩序、そしてこの場の——高ぶりのために。『大衆契約』の枠を使うべきです。見物人が海へ殺到するのを防がねばなりません。防御線と誘導、そして海岸パトロール……すべて費用がかかる。支援と約定が必要です。」


引いてくる語は滑らかだった。うなずきたくなるだけの現実味。誰かが「そうだな」と囁き、誰かはポケットをいじる。私はヨムスの目を見る。ヨムスがレシートの封筒をひらりと振った。〈買うものは買い、切るものは切る〉という朝の合意——いや、契約を、私たちはすでに練習している。


「いいでしょう。」ミホが言う。「大衆契約で誘導線を引くことには同意します。ただし、物語の主は観客席の外に置きましょう。『見物』の費用は見物でのみ徴収。『救助』の費用は、救助が終わってから公開会計で徴収。」


外套が唇を結んで、ほどく。「その程度なら——」


「それから、」私は言葉を継いだ。「王子の『最初の息』を利用した一切の商品化・興行を本日より禁止。必要な案内は鐘の音のみ。広告音楽は禁止。鐘は鐘の仕事だけ。」


小さな笑いが人々のあいだを走る。緊張をほんの少しほどく種類の笑い。王子がうなずき、短く言った。「いいですね。鐘は鐘の仕事を。」


その言葉に、少女は石床へ足をもう一度つけて離した。濡れない水跡が丸く広がり、とても端正な文へと集まる。私が腰を折って読むより早く、ミホが口で移した。


「『私は——ここにいられる。』」


文は陽に乾きながら、かえって鮮明になっていく。誰かの息のように、すぐには消えなかった。少女はもう一度、私たちを見た。目の奥に〈契約〉という語の影があった。言葉ではなく、場所として感じられる種類の影。私はペンを取る。


「では、今日の契約はこう束ねます。」ミホが静かにまとめる。「王子の『最初の息』の保護、沈黙の解釈禁止、水の文字の記録、大衆契約の分離、鐘の用途の制限。そして——」


彼女が最後のページをめくる。風が紙を一度軽く揺らした。「彼女の『ここにいられる』を誰も強いない。行き来は本人が決める。問うなら礼を守り、待つときは待つ。今日は朝の場所まで。」


外套はしばし沈黙した。スピーカーの電源を落とし、網目を外して鞄にしまう。笑みはそのままだったが、その笑みが今日やるべきことをすべて終えた顔ではなかった。


「では、」彼が言う。「午後にまた。」


彼は群衆の縁へ、ゆっくりと消えていく。人々はその背を追わなかった。鐘の音が、もう一拍。今度は顔を上げなくても、どこで鳴っているか分かった。鐘は頭上で鳴り、海は足もとで応じた。


王子が先に少女へ歩み寄る。ごく慎重に、手を差し出して挨拶するように。少女はその手を見、それから私を見、隣国の姫を見、最後に王子の掌の近くへ自分の掌を重ねた。触れはしない。水と空気のあいだに紙一枚ぶんの距離。


その間に、文がひとつ書かれた。


急いで——話さない。


王子が微笑む。「では——歩きましょう。短く。」


私たちは礼拝堂の脇の狭い扉へ移動した。路地は風が入りにくく、静かだった。陽は壁の半分にだけ当たり、残り半分は影。二つの世界が半分ずつ、公平に座っているみたいだ。少女は影のほうを少し好むようで、足を長く置いた。


「この道は、どこへ行きますか?」私は尋ねる。


少女がつま先で示した。海のほう、そして防波堤の中ほど。階段の下、昨夜私たちが見た濡れない水跡の起点。昼には見えないと思っていたが、陽の下でもかすかに残っていた。道のように。


王子が私に尋ねる。「ご一緒して、いいですか。」


隣国の姫が先に答えた。「私は礼拝堂に残って、人たちを見ます。誰かが興奮したら水をもっと運びます。それから——」彼女は少女に短く微笑んだ。「彼が戻ったら、そのときに。」


少女がうなずく。彼女のうなずきは感謝を長くしない。短い首の動きで十分だということを、みな知っていた。


私たちは防波堤のほうへ歩いた。鐘の音が遠ざかると、海の息が少しずつ長くなる。昼の波は夜より荒れず、その代わりに内緒話が多い。私はわざと横目を使わなかった。今日の横目は仕事場だけに、ともう一度心に書きつけておく。


防波堤の中ほど、水が届かない狭い縁に立つと、少女が足を出して縁の端をそっと押さえた。水跡が圧に沿って薄く光り、道を作る。道は海へ一歩、陸へ一歩、そして——私たちの前へごく浅く分かれた。


彼女は言葉を持たないが、道は十分に饒舌だった。私はペンを出し、ノートの白いページを開く。風で紙が裂けないように、手のひらで角を軽く押さえた。


「記録します。」私は言う。「あなたが書き、私たちが読み、あなたが首で決める——そんな流れで。」


少女がうなずく。王子は一度海を見、私たちを見た。目が不思議と軽い。夜の舞踏会と拍手、継ぎ足された言葉の中で疲れた人の朝の目。ようやく自分の息を見つけた人の目。


そのとき、遠くから声が風に乗ってきた。礼拝堂のほうだ。私は反射的に顔を上げる。ヨムスの声が聞こえた。「ゆっくり! 赤い線の内側へ!」


小さな騒ぎはすぐに静まる。水筒が触れる音、旗が風を割る音、そして子どもの笑い。ミホが顔を少しのぞかせ、こちらを見て親指を立てた。〈大丈夫〉の合図。私は手を振って応えた。


王子が静かに問う。「外套は——午後にまた来るでしょうか。」


「来ます。」私は言った。「いつでも『来る場所がある』と信じている人だから。でも今日は——まず場所、言葉はそのあと。」


その言葉に、少女がもういちど手のひらを広げた。陽が一度きらめき、水が一度流れる。手相のあいだに、短い文が置かれて消えた。


場所——先に。


私は笑いをこらえなかった。王子も一緒に笑う。海が足もとで、とてもゆっくり吸気をする。そしてその吸気の端で、鐘の音が遠い塵のようにかすかに触れた。昼の鐘は夜と違い、今日の鐘は昨日と違う。けれどひとつだけ同じことがある。私たちはその音に、署名できる。


「では、書きます。」私はノートの一行目を記す。「今日の最初の文。海の道と、沈黙の権利と、王子の息。そして——」


私は少女を見る。彼女が、ごくゆっくりうなずく。王子が短く息を吸う。

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