表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/57

6 誠、目標を決める

 誕生日パーティーには家族の大半が参加していた。

 大多数(だいたすう)、というのは仕事の関係で常にひとりふたり家にいないからである。夜勤なのか昼に帰ってくることもあれば、休日出勤もある。普通の事務員のような働き方ではないのだろう。

 今、家の庭先には八人の大人と四人の子供がいた。なかなかの大家族であるし、そのため用意されたBBQ台もひとつでは収まりきらず、三台の焼き場(やきば)はフル稼働、もくもくと煙を立てては香ばしい香りを振りまくスプリンクラーのようだった。

 ごくり、と誠の喉が鳴る。前世では酒タバコと言った嗜好品に手を出したことがなかったが、流石に畜肉(ちくにく)くらい口にしていた。主に安い鶏胸肉だったし、たまの贅沢が半額の豚バラ肉だったのだ、年に一度食べられるかどうかという牛肉が目の前で山のように焼かれていく光景を見て我慢できるものがいるだろうか。いや、いるはずがない。

「はい、どうぞ」

 メートル近い、フェンシングのような鉄串に刺さった塊肉(かたまりにく)を持ってきたのは陽子(ようこ)と言う女性だった。妊娠中のため大きくなってきたお腹が目立つ彼女は朗らかな笑みを智也に向けていた。

 これまた大きなナイフを使って肉を皿に削ぎ落としていく、シュラスコのような料理は名称を知らない誠にも視覚の暴力として映った。

「ありがとう、でも無理するなよ」

「大丈夫、これくらいはね」

 そうか、と智也が彼女の頬に口付けする。はにかむ陽子はまたねと言い残し、重そうな肉を持ってそれぞれのテーブルへと向かっていた。夫婦なのだから当然ではあるが、先程の彩花とのやり取りの直後、陽子へ粉をかけているようにも見えて誠は素直に受け入れることが出来ずにいた。

 いや、それよりも今は肉である。ローズ色の断面から滴り落ちる肉汁は透明で光り輝き、ハーブや香辛料(こうしんりょう)の香りが鼻腔(びくう)をくすぐる。長袖でも肌寒さを感じる今日この頃、立ち上る湯気は最高に食欲をくすぐるパフォーマンスであった。

 そんな美食に智也はナイフをたてて、一口大に切りフォークで口に運ぶ。温かいものは温かいうちにという鉄則を忠実に守る彼は、分かりにくいながらも口の端を少しだけ持ち上げていた。

「……美味い」

 ただ一言、本当に美味い料理には過度な装飾など必要ないのだとでもいいたげである。

 気持ちが痛いほどわかる誠にとって、生き地獄とはまさにこのこと、しかし手を伸ばすことは出来なかった。見た目が子供だからといって人の皿に手を伸ばすようなはしたない真似は出来ず、どれだけ美味しそうに見えても、腹の虫が泣きわめこうとも、食べたくても、手づかみでかぶりつくことは矜持(きょうじ)に欠ける。

「たべたい」

 ……おっと。

 誠の意志に反して、思わず口から本音がこぼれていた。撤回する気はないが無理だろうなと理解している、それでも誕生日くらいわがままを言っても許されるのではと甘い期待を忘れてはいなかった。

「……彩花、誠が肉食べたいらしい」

「えっ、脂身は駄目。赤身は……保育士に聞いて」

 誠の要望を智也越しに聞いた彩花は、サラダの盛り付けの手を止めて視線を流す。その先にいたのは真由であり、

「え、何ですか?」

「誠に肉はいいのか?」

「えっと……周りは味が濃いので真ん中をよく焼いてから細かく切ってもらえれば少しならいいですよ」

 専業主婦兼保育士である彼女の了承に、顔をほころばせたのはほかでもない誠だった。ダメ元でも言ってみるものである。

 注文を受けて他の男性が肉を焼き始める。ガタイのいい偉丈夫(いじょうふ)、健太郎だ。彼は表面が焦げるほどじっくりと火を通すと、トングで雑に持ち上げて智也の皿に置いていた。

 ウェルダンなんてもんじゃない、店で出したら客が何も言わずに帰る程しっかり焼かれた肉は赤い部分が一切なく、見た目からして随分と硬そうだった。先程の完璧なロゼを見てしまった誠は水を差された気分に落ち着きを取り戻していたが、それでも肉は肉、と気を取り直して細切れにされている肉のひとつにフォークを刺していた。

 ただの肉片を口に運ぶ。ゆっくりと、繊維(せんい)を解すように味わいながら、体感で数年ぶりの肉の味をかみ締めていた。

 ほろり、ほっぺたよりも先に涙が落ちる。

 たった一滴、後続を根性で押しとどめた為誰に見られることもなく、こんな美味いものを前世の母に食べさせることすら出来なかった自分の不甲斐(ふがい)なさに心穿たれていた。

 貧しさにより苦労することはあっても救われることはない。今一度強く認識した誠はひとつ決意を固めていた。




 一年の計は元旦にありというが、二月生まれの誠にとっての計は誕生日パーティの夜から始まっていた。

 心に決めたこと、それは苦労せずに往生(おうじょう)すること。進んで苦労する人などいないが、前世のような経験を自分だけでなく周りの人にも感じて欲しくないという、切実な願いだった。

 そのためには金。安定した仕事、学力、体力――と一部を挙げただけでもこれだけある。その中で、誠が目をつけたものがあった。

 運だ。

 運気とも言い換えられるだろう、都市が壊滅するほどの災害に会えば金など意味がなく、信じて入った会社がブラック企業かもしれない、力をつけても不慮の事故には立ち向かえず、試験当日に体調を崩せば積み上げてきた勉強も無駄になる。“運が全て”と諦めてはいないが、運が良ければ何もせずとも成功し、運が悪ければ万全を期しても失敗することもまた事実である。

 ではいかにして運気をあげるかが焦点となる。開運グッズを買い漁ろうとも手持ちがなく、パワースポットへ赴く足がない。元よりそんなものに頼ろうとしていなかった誠が目をつけたのは、『(とく)』だった。

 徳とは、古来より中国で信じられてきた儒教(じゅきょう)的教えである。仁義礼智信(じんぎれいちしん)、人を慈しみ正しい行いをする、礼節を重んじ良き選択をし、誠実であれというものである。おおよそいい人であれとも言えるのだが、時の皇帝に徳があれば災害は起こらず治世(ちせい)は順風、逆に徳がなければ世は荒れると信じられてきた。

 真偽の程は定かでないが、誠はこれを選んだ。皇帝でもないことは承知であるが、徳を積んで後ろ指さされることもない。また日本にも情けは人の為ならずという言葉がある通り、人道に恥じぬ行動を心がけていれば目論見(もくろみ)通りにならずとも悪影響はないだろうとの考えだ。そして何より必要なのは労力と気の持ちようで金がかからないというのがいい、そんな理由では徳を積むことができるのかは謎であるが、駄目で元々、過度に期待してはいなかった。

 その初実践の日は近くに訪れる。誕生日パーティから二日、寒空の上には柔らかく陽の光が降り注ぎ、絶好の外遊び日和だった。

 いつものように兄姉を連れてベビーカーに運ばれること数分、すっかり馴染みとなった公園にたどり着く。兄姉がさっそく駆け出していく様子を尻目に、誠もベビーカーから身を乗り出していた。

 しかし深く腰かけるつくりになっているためなかなか降りられず、仕方なく“プランB”へ移行する。

「まゆさん、おろして」

 両手を天にかざして、ベビーカーを押す真由にお願いする。ようやくひとりでえっちらおっちら歩けるようになった我が子の無茶な要求を突っぱねるかと思いきや、「はい」と一言誠を抱えて地面におろす。見渡せば同じような年齢の子供が兄姉に手を引かれて遊んでいる様子が当たり前なのだ、真由はすでに誠から目を離していた。

 危機管理が甘いのでは、と一抹の不安を覚えながら誠は周囲を見回した。目的の人物はすぐに見つかった。

 前世の母によく似た、あの女性である。

 空のベビーカーを横に止め、ベンチに座りどこを見るでもない。その周囲に人はなく、誰もが存在を認識していないかのようにぽっかりと穴が空いたように人が寄りつかない。

 誠はゆっくり歩きだす。走れば転ぶ、経験済みだった。下手に目立つと見知らぬ年上がいらぬお節介を働かせて皆のところへ拉致するのだ。慎重に、誰の注意も引かずベンチまで行くのに、短い距離を想像以上の時間をかけて進む。

「――となり、いいですか?」

 誠が女性に声をかける。基本的に彼女へ声をかける人はいない。始めは目線すら向けることがなかった女性は、たっぷり十秒かけたのち顔を上げて、

「……今、私に言ったの?」

 柔らかい声、顔が似ていれば声も似ている、誠は目の奥にあふれる熱いものを堪えながら首を縦に振る。

「……どうぞ」と、紫色の警戒色を顕にしながら、女性がすこしだけ端によける。感謝の意を込めて一礼した誠はベンチに座ろうとして、

「あっ……」

 尻もちをつく。まだ腕力のない身体にはベンチの座面までの高さというのは大きな壁のごとく立ちはだかり、足が少し浮くだけという、情けない成果だけをもたらしていた。

 一歳児なのだから仕方ないのだが、誠からすれば顔から火が出るほど恥ずかしいことだった。顔をあげることすら出来ず、果敢に再度挑戦するも結果は同じ、お尻に砂を付けることしか出来ないでいた。

「……出来ないならそう言いなさい」

 業を煮やしたのだろう、無駄なあがきを続ける誠を見て女性は短くため息、そして片腕を掴みあげてベンチへと座らせていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ