5 誠、誕生日を祝われる
季節は巡り、冬本番。佐藤家では誕生日を祝う準備が始まっていた。
主役は誠だけではなくもうひとり、智也という男性も祝われる立場であった。父親の次郎、つまり“二人目”というわけだ。
月に一度、誕生日はまとめて祝うのがこの家の習わしらしく、月初の土曜日、家族総出でバーベキューというのが恒例となっていた。
と言っても誠が口にできるのはまだ離乳食、脂のはねる音と肉から踊り立つ匂いを背景に果実を潰したものを食べる――なんとも味気ない話である。前世の環境から健啖家ではないものの、あの芳醇な旨味を知っているものからすれば生き地獄であった。
意識が根付いてから四ヶ月、その間に誠がしたことと言えば食う寝るくらいしかなく、端的に言えば暇を持て余していた。最近ようやくつかまり立ちができるようになり言葉も少しずつ話せるようになったものの、時間の経過は遅々として進まない。夏休み、どこへも行かず、宿題も終えてひとり床に寝転がっていた頃を思い出し、誠は自分で自分に憂鬱になっていた。
そんな彼を後目に、慌ただしく立ち回る家族の中で、ひとり暇を持て余していたのが智也だった。前世の誠より数年年上にして四人の子供を持つ、常識が違うとはいえ誠は父親どころか同じ日本人であるとすら思えずにいた。顔立ちは純日本人であるのにだ。
「誠」
そんな彼から声をかけられ、誠は上を向く。短い付き合いなれど人となりくらいはわかる程度に接点があった。
智也は、無口だ。
いつも何か考え込んでいるようで、不用意に言葉を発さない。家族が子供を交えてわいわいとしている中でもひとり外から見守る、そんな男性だった。
そしてそれは誠も同じである。滅多に泣かず笑いもしない。拙いながらも話せるようになったというのにほとんど口を開かず、絵本や漫画を読む以外では無心の表情で積み木を積んでは崩すを繰り返すような、賽の河原ごっこが日課だった。
そんなふたりが椅子に座り、誠は智也の膝の上にいた。かれこれ三十分、お互い虚空を見つめたままだったのが、ようやく動きを見せようとしていた。
「暇か?」
「うん」
「何かするか?」
「しんぶん」
片言の日本語を話す外国人同士の会話のようだが、これでお互い満足いく会話が出来ていると考えるあたり、似た者同士である。
智也は「ん」とだけ口にして、目の前のテーブルに置いてある新聞を手に取り広げていた。
それから数分、無言で新聞と向き合うふたりの背後から近づく影があった。
彩花である。
彼女は智也の肩越しに覗き見をしてから、
「……なにしてんの?」
「何って、新聞を読んでいるだけだが?」
問いにさも当然と答える。そこになんら疑問を挟む余地はないと言い切る様子に、彩花は深くため息をついていた。
「あのさぁ、子供の面倒見ないでなんで新聞読んでるのか聞いてんの」
「見てるだろ、ほら」
そう言って智也が指さしたのは誠だった。新聞を真剣に読んでいたところを急に話題に挙げられて何事かと上を向く彼に、眉間を押さえる母親の姿が映っていた。
せっかく政治欄から世俗の情報を学習していたところにこれである、邪魔しないのだから邪魔しないで欲しいと普段とあまり変わらない不満顔を浮かべる誠へ、「可哀想になぁ」と彩花が頭を撫でる。
はて? と、疑問を浮かべたまま、されるがままになっている誠は蚊帳の外、彩花は智也を皿のように薄い目で見て言った。
「こんな小さい子が新聞なんて読めるわけないでしょ」
道理である。いや、誠は読めるのだが読める方がおかしいのだ。
時折自分が赤ん坊であることを頭から抜け落ちるが、傍から見れば見た目と年齢は一致するもの、わざわざ自分から新聞を広げるように指示した手前罪悪感を覚えながらも、教えられていないものをいつの間にか学習しているなんて怖いだろうかと葛藤し、
「よんで」
折衷案のつもりで右上にある見出しを指さしていた。
そもそも新聞に興味がある赤子という時点で異質なのだが、本人の要望なら仕方ないと智也は目を向けて、
「『自分は障害者じゃない』――三十代未婚男性、わいせつ行為から身勝手な言いわけぇっ」
「子供に何聞かせてんだ、こら」
読み上げ途中で腰を折るように智也の頭が叩かれる。生後一年の子へ伝えるには不適切かもしれないが、智也としては嵌められたようなもの、そもそも新聞に乗るような記事は子供向けに作られておらず、ある意味では新聞を手に取った時点で詰んでいたとも言えた。
そんな頭上のわちゃわちゃなど目もくれず、誠は知識欲を満たす為に目を走らせる。新聞自体は親の目を盗んで何度か見ている、アナログだがメディアとして未だ現役なのだ、ここ数日で色々と見えてきたものがあった。
それは、この日本が超結婚主義であるということ。そんな言葉はない、ただの造語であるが、今の世の中を示すにはちょうどいい言葉だった。
何せ、成人して結婚していないだけで犯罪者扱いなのだ。シングルは予備軍扱いなど、誠の常識からすればたまったものじゃない。幸いなことに世界的な常識ではなく、日本やごく限定された国で行われている文化である、問題はそのことが誠にとってなんら慰めになっていないことである。
そんな文化だからまず優先されることは協調性だ。次に収入、これは家庭内に差が激しいと不和を生むからだそうだ。見た目はさほど重視されていないところを見ると夢があるようにも感じるが、第一印象でそもそも弾かれている可能性もあるため確証はない。
協調性が重視されるということは子供の教育に対しても同様で、あの日公園で見た光景とも一致する。なにせ将来自分の遺伝的関係のない子供を育てることが推奨されているのだ、他所の子供だろうが面倒を見て当然となってもおかしくない。
調べれば調べるほど、異常性ばかりが浮かんでくる状況に、誠は「うわぁ……」と呟くことが癖になっていた。社交性レベルは人並み、小学生から始まる婚活競争についていけるか今から不安だからだ。
逆を返せば複数の女性と合法的に関係を持てるが、誠にそこまで割り切れる柔軟な精神はなく、むしろいずれ割り切れるようになる方が今は怖かった。気の早い話ではあるが誠の性根が楽観視を許さず、新聞を見ながら心ここに在らず、悶々としていたその頭上では、彩花と智也がまだ話を続けていた。と言っても彩花が一方的に捲し立てるばかりで会話というより壊れたラジオのようである。
よくまあ飽きもせず、と話を流していた誠はふと静かになったことへ「おや?」と、視線をあげる。ようやく騒々しさが和らいだ原因を目にして、見なければ良かったと後悔していた。
唇を合わせる、軽いスキンシップ。
夫婦ならどこもおかしくはないのだけれど、一ヶ月と見続けていればその意図も見えてくる。キス自体は珍しい行動ではないのだが、場所が唇なら含まれる意味合いも変わるのだ。
確証はないが、恐らく夜のお誘いという奴である。
聞いたわけでもなく、聞けるはずもなく。「夫婦仲がいいな」と思う反面、「頭上でやるな」とも思う。思春期の子が見たなら不潔だなんだと騒ぎ立てそうなものだが、年長の子ですら今年四歳、誠に至っては精神年齢が二十を軽く超えているのだ、とりたてて忌避することはなかった。「頭上でやるな」とは思うけれど。
「じゃ、またね」
彩花は手を振ってその場を離れていく。その後ろ姿を見ながら何を考えているのかわからない顔をしている智也に、誠はまっすぐな眼をぶつけていた。
「どうかしたか?」
「なんでもない」
答えて、誠はすぐに新聞へと目線を戻す。そこで智也の気にしないところが実に親子の雰囲気を醸し出していた。




