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2 誠、自分の母を知る

 病院の検査を終え、医師から健康上何ら問題ないとお墨付(すみつ)きを貰ったところで、納得していない母親の腕に抱かれて帰宅する。恐らく定位置であるベビーベッドに寝かされて、赤子は今後の展望(てんぼう)を夢見ていた。

 前世は姓を篠原、名を直澄(なおずみ)として生きていたが、今世では佐藤 (まこと)と名付けられていた。生まれ変われば名前くらい変わるものだが、体感として誠で生活したのはまだ三日、慣れるものではない。それでも今世に産んでくれた家族を無視するのはいかがなものか、最優先は前世の母だとしても成人するまでは保護者である家族……払いきれない恩ばかりが積み重なっていくことに赤子、誠は頭を悩ましていた。

 しかし、その母の存在が今揺らいでいた。何故なら今は終戦から七十五年が経過した二〇二〇年、前世で死ぬ五年も前のことだった。この頃はまだ誠の前世の母、静江(しずえ)も元気で、誠自身も生きている。同じ時間に同じ意識がふたり存在していいのか、そもそもそれは本当に前世の記憶なのかと疑問は尽きず、むしろ別の世界であるという奇天烈(きてれつ)な意見を補強(ほきょう)するだけとなっていた。もう二度と母に会えないのだろうかと考えるだけで視界がぼやけていたが、もうどうしようもないのではないかと諦めも浮かびつつあった。世の中を見渡してみればままならないことなど採石場(さいせきじょう)の小石ほど散らばっている、いつまでも母の幻影(げんえい)を追いかけるより、前世の記憶というアドバンテージを得た今世を有意義(ゆういぎ)に生きるほうがあの世で出会ったときに顔向けできるのでは、と。

 もうこれ以上考えたくない気持ちは確かにあった。零歳児に出来ることなどなく、いくら頭をひねったところでまずは身体の自由が利く年齢まで生きることが仕事と言ってもいい。なにせ寝返りを打つだけでもスムーズにとはいかないのだ、その事実に誠は心折れ始めていた。

 ……甘い麦茶が飲みたいなぁ。

 前世で母親が作ってくれていた砂糖入りのお茶を思い返してまたひとつ涙を流す。いつかは切り替えてしまう日が来るだろうけれど、今だけは手の届かぬ世界へ思いを馳せていた。



 悲観しながら現状の把握を済ませた誠は出来ることを模索していた。

 文字は読めるし話も理解できる。ただ自分から言葉を発することは難しく、手指は細かい動作に不向きであった。身体は緩慢(かんまん)、筋力もなく、なによりたびたび耐え難い眠気に襲われるため、ろくに活動の時間がとれなくなっていた。それも時間が解決してくれると言えばその通り、数か月から一年程度の我慢だと、確証のない予測を立てていた。

 そんな悠長(ゆうちょう)な見立てでいいのか、と漠然とした不安を抱えながら、誠はふて寝しようとしていた。まだ気持ちの整理をするには時間が必要で、やはりそれは眠るに限る。精神は成人男性のそれでも肉体は見た目相応、気力でどうにかなるような問題ではないと実感していた。

 目を閉じ、細かく身体を動かしながら最適な体勢を探す、ようやく腕や足の位置を決めたところで退室していた母親が入ってきていた。

「まーくん、起きてますか?」

 声をかけてきたのは病院にも連れて行った女性である、彼女は誠に近寄ると、寝ぼけ始めていた誠の首の後ろに手を回して軽々と持ち上げていた。いくら体重が軽いとはいえ、女性の細腕で持ち上げられる感覚は頼りなく、ひゅんと肝が冷える。

 抱きかかえられたまま見たのは栗毛色した髪が肩まで伸びた、穏和そうな顔の女性である。ただ、その後ろからもうひとつ、別の顔が覗いていた。

 ダークブラウンの髪を雑に後ろで束ねた女性である、彼女は透明な薄い茶色の瞳で誠を一瞥すると、

「ふーん、今は大丈夫そうじゃん」

 まさに値踏み、興味を失ったのか解けた糸のような視線を向け、誠の柔らかい頬をつついていた。

 誰だろう、と思う。友達か、はたまた親戚か。先の女性が子犬のような可愛らしさであるのに対し、孤高の狼を思わせる切れ味鋭い目付きは血縁関係が微塵もないことを匂わせていて、たまたま遊びに来た友人説が濃厚となる。

 ただ感触がよほど気に入ったのか、誠の頬をこれでもかとつつき続ける様は子供のそれである。幼心にもいい加減にしろと文句は浮かぶもので、手で払い除けようにも力比べに負けては為す術がなかった。それどころか段々と容赦がなくなりぐりぐりと抉られると痛くも感じて、誠は恥ずかしげもなく泣いてやろうかとすら考えつつあった。

 敵対心を目に焼き付けていると、急に攻撃の手が止まる。やりすぎたから自制したのではなく、もうひとりの女性が身をかわしたためだ。

「もう、嫌がってるわよ」

「そうか?」

「顔みたらわかるでしょ。それに変に痕付いて結婚に響いたらどうするつもりよ」

 頭上で繰り広げられる喧騒に、誠は驚き目を見開いていた。早くとも二十年は先のことを今から悩む必要があるのか、親バカにしても程度があるだろう、と。

 意識高いなと他人事のように眺めていた誠を他所に、ひたすらつつき倒した女性は満足気に息を吐き、

「大丈夫だろ、私の息子だし」

 どういう根拠か、胸を張って答えていた。

 衝撃的な事実であった、ここ二日、忙しなく付き添ってくれたのは親でもない女性で実母はその間何をしていたのやら。ベビーシッターを雇う余裕があるようにも見えず、誠は子供ながらに渋い顔をしていた。

 浪費家なのだとしたら自分が改める必要があると、前世の苦労から金勘定にはシビアな考えを持っていた。嫌な子供であると揶揄されようとも、あのひもじさを思い出せばなんのそのである。

 今は何も出来ぬとも、と決意を決める誠などお構いなしに、大人達の話は進んでいく。

「どうする? 他の子達のところに連れていくか?」

「うーん……大丈夫かしら?」

「病院は平気だったんだろ? たまたま虫の居所が悪かったんじゃないか?」

「だといいけど……」

 推定ベビーシッターの女性は歯切れ悪く、誠の頭を撫でていた。ただでさえ眠ろうかとしていたのだ、誠は柔らかく甘い香りに包まれて抗い難い眠気に誘われるまま目を閉じていた。




 そこは託児所かと思わせるほどの雰囲気だった。

 子供の数が多い訳ではない――誠を除き三人いて、八畳一間を占領している――ただ、内装や置かれている遊具など子供向けのものが多数散らかっており、小さな怪獣がそれらを使って思い思いの遊びを考案していたのだ。

 寝ている誠を抱えながら入ってきた女性の姿を見つけると、子供達は我先にと群がるように駆け寄ってくる。獲物を見つけた肉食獣のようにキラキラとした瞳は弓なりに曲がり、しかしその後ろから入ってきた誠の母親の姿を見るや隠れるようにベビーシッターの女性の足の後ろへと隠れていた。

「がきんちょども、どういう態度だ?」

「彩花、すぐ怒るもん」

 長男だろうか、子供達の中で一番顔立ちのはっきりした男の子の言葉は容赦ない。彩花と呼ばれた女性はくっきりと眉間に皺を寄せてから、その子の腕を掴み引き寄せていた。

「やっ、やー」

「減らず口叩くのはこいつかぁ?」

 大人気なく、彩花は子供の脇に手を入れてくすぐっていた。本気で嫌がる子は身を捩りなんとか逃れようとするが、そこは大人が相手である、小さな身体を振り回しても雁字搦(がんじがら)めにされた身は自由にならず、もはや笑っているのか泣いているのか、しばらくして解放された時には地面へ伏せるようにして嗚咽(おえつ)を漏らしていた。

 その姿を見ていた他の子供もドン引きである。だから怖がられているのだと言ってもしてやったり顔の彩花には届かず、唯一物言える女性も「まったく……」と、呆れてしまっていた。

 そんな騒がしくしていれば寝る子も起きるもので、誠は心底不機嫌な顔をして薄目を開けていた。泣くくらい許されそうなものだが精神の大人な部分が出張って許さず、代わりに彩花へ指をのばし、

「めっ」

 本人としては駄目だろ、と言いたかったのだがなにぶんまだ身体は未発達、だ行が上手く発声できず単音に留まってしまった。

 それでも意図ははっきりしていて、誰が見ても注意しているようにしか見えず、まさか生後八ヶ月に怒られるなどと夢にも思わなかった彩花は面を食らっていた。

 誠としても幼児虐待を非難するつもりはなかった。そもそも寝起きである、言葉に込められたのはただうるさくするな程度の意味合いしかなく、ただタイミングが非常に悪かった。その場にいた誰もが――誠と、伏して啜り泣く子を除いて――彩花の無体の働きに向けられたものだと信じて疑わなかった。

「――ぷっ」

 誠の頭上から、堪えきれず吹き出した笑いが零れ落ちる。女性の嬌笑(きょうしょう)は軽々と伝播し、不機嫌を露わにする彩花へ向けられていた。その引き金を作った誠も、軽く頬を膨らませながら耳に手を当てていた。

 

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