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14 誠、兄弟喧嘩する

 夏である。疑いようもなく、夏である。

 夏といえばで思い浮かぶものはいくつかあるが、その中でも代表的なものといえば間違いなく海であろう。季節問わず存在しているというのに何故人々は”海”という言葉に夏を想起するのか――まったくもって謎である。

 しかし、そんなことは些細(ささい)な問題――いや問題にすらならない。とにかく誠は今、海にいた。

 さざ波の音が耳朶(じだ)を打つ。(しお)の香りが鼻をくすぐり、空の青と海の青、雲の白と波の白が心を落ち着かせていた。

 砂浜に腰を下ろし、ただ、見る。誠がなぜ海にいるかと言えば深い理由などなく、家族で旅行に来ているというだけのことだった。

 そう、家族である。家に住む大人十人、子ども五人。計十五名がバスを借りての大移動。しかも借りたのは車体だけ、運転手は健太郎だった。

 バスがさも当然のようにレンタカー屋で置かれているということに誠は驚いていたが、いやいや、冷静に考えてみれば周りはだいたい大家族。むしろふたり乗り軽自動車のどこに需要があるというのかと、またひとつ常識を更新していた。

 車で揺られること五時間、目的地についても誠の気分は晴れていなかった。海に思い出がないからである。

 いい思い出ではなく、思い出が皆無なのだ。行ったこともなければ行きたいと思ったこともない。潮風はべとべとする、サンダルに砂が入る、すぐに部屋に戻れない。プールのほうが圧倒的に都合がいいというのに、それでも海を渇望する人々のことを、誠はどこか哀れにさえ思っていた。

 それでも海に来たのは単純で、ひとり留守番しているというわけにはいかないからである。あの出不精の美咲ですら家族旅行に付き合っているのだ、心情的にも世間体的にも付き合わざるを得なかった。

「わー」

「ほら」

 あちらこちらで歓声が上がる。ビーチバレーをしたりビーチフラッグをしたりと、忙しく夏を満喫しているようだ。思えば最年長の健太郎ですらまだ二十代、五児の父とはいえ、遊びたいざかりなのは違いなかった。

 大人になって、多数の友人と遊びに出掛ける機会などどれほどあるだろうか。少なくとも前世の誠には――バイト先の飲み会すら断るほどなのだ――その機会はなかった。

 孤独とは無縁、その点で見ればこの世界は幸せだった。当然、人によるし、全員が全員孤独でないとも言えないことは誠も把握した上であるが。

 だらだらと考え事をしていても誰ひとり誠へ注目する人はいなかった。それぞれそれなりに忙しい、子どもの面倒をみたり昼の準備をしたり、はたまた羽目を外したりと。そんな中、誰の手も(わずら)わせずにいるならむしろ好都合と思われても仕方ない。

 暇だった。何もしていないなら当たり前で、それなら海へ泳ぎに行けばいいだろうと考えることだろう。しかし誠の中にその選択肢はなかった。

 単純にリスクだからだ。海難事故はシーズンになればよく耳にする話である。泳ぐだけならプールでこと足りる、わざわざ自分から死地(しち)へ向かう必要などないとの判断だった。

 一度死んでいる身だからこその判断であるが、事情を知らなければただのさみしい子だ。感情をひたすら抑えつけたとしても、自分は何をしているのか、他にやるべき事があるのではという自問は尽きることがなかった。

「誠、何してるの?」

 思考が風に乗ってどこかへと飛んでいきそうな折り、声をかけられたことで現実に戻ってくる。横を向けば長男の大輝が誠と同じように座っていた。

「……なにも」

 真実をそのまま口にする。そしてまた空を眺める作業へと戻っていた。

「遊ぼ!」

「……」

「遊ぼうよー!」

「……」

「行くよー」

 素っ気ない態度を取れば興味を無くすだろうという誠の考えは甘く、年長者のパワーで押し切られる。物理的に腕を引っ張られ、引きずられてはたまらないと立ち上がることを強制されていた。

「ま、待って。どこ行くの?」

「……わかんない」

 まさかの無計画に誠の表情が無くなる。そして理解した、こちらで手綱(たづな)を握っておかないと危険だということに。具体的に言うなら延々とよく分からない遊びに付き合わされることとなる。

 それだけは嫌だと、助けを求め周囲に目を向ける。連行は確実であり、人に言っても遊んでこいとしか言われないことはわかっていた、せめて行き先だけでも指定する必要があった。

 ……あれかなぁ。

 自信なく、しかし他に思い当たるものもなく。

「お兄ちゃん、あっち行く」

「うん、わかった」

 誠はどうにかごねられることがなかっただけよしとするしかなかった。



 向かった先は岩が重なる磯だった。

 白い砂浜とは対照的な黒い岩が波にさらされ、ときおり水飛沫(みずしぶき)が高く舞う。足を踏み外せばどうなるか、火を見るより明らかな場所に誠は立っていた。

 危ないといえば危ないが、慎重であれば怪我なく過ごせる。仮に怪我をしたとしても命に関わるほどではなく、大輝からも文句は出ていなかった。

 岩の間に溜まった水溜まりは生命の宝庫である。小魚や貝類、小さな蟹や海老といった甲殻類(こうかくるい)が顔を覗かせている。夏盛りということで誠達以外にも複数の家族が海に来ており、磯にも多くの人の姿があった。

「蟹がいたよー! 蟹がいたよー!」

 普段なかなか見られない生命を目にして、大輝は大はしゃぎで誠の手を引っ張っていた。何故二回言ったのか、それは誰にも分からない。

 子どもは力加減が分からないもので、がくがくと誠の身体が揺れていた。はいはいと流そうとしたが、大輝はじっと見つめ、

「触ってみる? ねえ、触ってみる?」

「いや、いい」

「触ってみようよー、ほら」

 人の話など一ミリたりとも耳に入っていないようで、引き込まれるように誠の手を水に浸す。

 自分が触りたいだけなのに巻き込まれた誠にとってはたまったものではない、小さいとはいえ蟹は蟹、むしろ小さいからこそ大きく目立つ鋏で挟まれたらどうなるか、想像するだけでも恐ろしい。

「やだ、やめて!」

「可愛いよー、ね、可愛いでしょ?」

「――っ、可愛くねえよ、バカ!」

 瞬間、誠は口を押さえる。いくら苛立ったからといって子供相手に暴言を吐くなどみっともない。

 猛省する誠の横で大輝はというと、(ねずみ)に噛み付かれた猫のように驚き、掴む手を緩めていた。

 そして、

「お兄ちゃんにバカって言うな!」

 拳骨(げんこつ)

 衝撃で脳が揺れ、目の前に星が飛ぶ。所詮子どもの暴力と侮るなかれ、一歳と四歳、年齢が四倍も離れている相手からの無遠慮(ぶえんりょ)な全力は、かつて頬を叩かれた時よりも鋭く刺さっていた。

 思わず朦朧(もうろう)とする誠は、この状況に至ってむしろ冷静になっていた。それはこの世界には存在しない記憶、前世で聞いただけの話。

『兄弟なんて毎日ケンカするもんだよ』

 今となっては誰の言葉か確かめる方法などないが、ひとりっ子だった誠には全くもって刺さらない言葉だった。毎日喧嘩する理由などあるわけがないし、生産的でもない。どうせ顔を合わせるのだからいがみ合うより無視し合うほうが精神的にも楽だろうと考えていた。

 それが今、覆る。

「バカ、バカバーカ!」

 苛立(いらだ)っていた、怒っていた、気に食わない、うるさい。胸中を渦巻くありとあらゆる憎悪をぶつけることになんら躊躇(ためら)いを持ち合わせていなかった。

 この世界はどうか知らないが、誠の家族や身の回りの環境は間違いなく優しさに満ちている。それでも気に食わないことは気に食わないと言っていいのだ、喧嘩したって別にいいのだ。

「この、このっ」

「バカ、バーカ」

 すでに手を出していた大輝はためらうことなく拳を振り上げる。体格では決して敵わない相手、その肉体はおそらく健太郎の遺伝子を継いでいると思われるほど出来上がっている。だけれども、やられっぱなしを許容できるはずもなく、誠は一発もらう代わりに大輝の両手にしがみつき、続く攻撃を防いでいた。

 子ども同士、よく見る光景であるから、騒いでいても周りが止めるはずもなく。しかし滑りやすい濡れた岩場の上でそんなことをしていればどうなるかわかりきっていた。

 体勢を崩したのはどちらからか、だがどちらにせよふたりは仲良く共倒れし、尖った岩に肩から崩れ落ちていた。

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