12 健太郎に提案する
「子供作りたくないんですか?」
誠は無遠慮に聞いていた。話が進まないから、と今更遠慮するのも馬鹿らしいと考えたからだ。デリカシーがないのは美咲も一緒であるが故に。
「興味はないねー、でも昔から順番通り産むみたいな風習があってねー、今どき律儀に守る必要も無いんだけどー、真由は真面目だからー」
それはまだ正妻、妾という文化があった頃の名残、相続による骨肉の争いは歴史上なんども繰り返されていることだった。一般市民の間でも、貴族・王族と呼ばれる間でも。大きいものなら戦争にも発展したという教育は今も根付いているらしい。
それを古いと言う感性は誠を驚かせていた。まだ学校教育や社会教育を受けていないのだ、そこのところの機微は独学で知ることが難しかった。
「興味ないって、僕も子供ですけど」
「誠は珍獣枠だからー」
そうか? そうかも。これには誠も思わず納得する。
小休止のような軽口のあと、美咲の吐露は続いていた。
「基本的に子育てを真由がしてくれるのはわかってるんだけどー、一応お腹を痛めて産んだ子供に対して何もしないっていうのも、ねぇ」
「大丈夫じゃないですか?」
「どうして?」
美咲の声のトーンが少し落ちる。彼女なりに悩んでいることに対して、適当なことを言えばどうなるかは火を見るより明らかだった。
理由を述べよ、と腕による拘束が強まる。別に臆することもない、誠は感じたことを口にするだけでよかった。
「そんな風に考えられるだけ、いいお母さんになれると思いますよ。彩花さんを見てください。あの人、人にちょっかいかけるだけで子育てなんて一度もしたことないですから」
実母に対して惨憺たる言い方だが、事実だから仕方がない。いまだに何が気に入ったのか、彩花に会えば誠は頬をつつかれるだけ、それを面倒見ているというなら家出も辞さない気持ちだった。
「気持ちこもってるねー」
「変わってくれます?」
誠の言葉に、美咲はへへへと笑って流していた。ひどい話である。
そして、
「ありがとねー」
「どういたしまして」
助言というより一意見を述べたに過ぎないが、美咲は満足したように誠の頭を撫でていた。
ただ、
「……あー」
「なんです?」
「誠に教えてるとー、そういうことする時間ないなーってねー」
「……」
ふうー、っと大きくため息をひとつ。本当にデリカシーのない言葉だった。
運、金。当初掲げていた目標へ、小さいながらも確実に一歩ずつ踏み進めていると、誠は考えていた。
今年は下にふたり産まれ、真由がそちらへかかりきりになり。他の子供達は四歳になった長男、大輝が先頭となって日々を遊んで過ごしていた。保育園に行くことはなく――もしかしたら存在していないのかもしれないが――だいたい家の中か庭、晴れていれば公園へ行くという具合である。
それは誠も同様だった。大輝が長男という使命に燃えているのが目に見えてわかってしまい、せっかくやる気に満ちているところへ水を差すのは如何なものか、生暖かく見守るだけの余裕を持っていた。どうせ遊びだしたら長男といえど周りを気にすることを忘れてしまうのだから、その後ゆっくりと自分のしたいことをすればいい。
やりたいこと、先日の一件から夜、仕事終わりの美咲に呼び出されることも少なくなりだした頃、今までとは違う時間の使い方を誠は求められていた。ここで休んだり遊んだりということを選ばないあたり、染み付いた真面目根性が抜けていないのだが、とにかく生き急ぐ誠にとってやるべきことがないという事実は恐ろしく、目的に沿った形でのすべきことを模索していた。
ただ、それは案外早く見つかることとなる。元より優先順位はあれどやることを脳内でリスト化していたのだ、それを上から順にこなしていくだけのこと。
そのためのキーパーソンが家族の中にいた。
「健太郎さん」
とある日、誠が声をかけたのは佐藤家の太郎、健太郎だった。実質的な家長である彼は、見た目からして大黒柱、日焼けした身体に丸太のような二の腕、エアバッグのように分厚い胸板と、その鍛え上げた身体を何に使っているのかといえば、普段は消防士として働いていた。
休日の彼は家に居ずらそうで――元々じっとしているのが苦手なのだろう――よく子供を連れ出しては遊んだり、ひとりで山や海へと向かうこともあった。見た目通りの活動家である彼は今、朝食後のリラックスタイムを満喫しており、この後の予定を組み立てているようだった。
「おう、誠。最近美咲とよくしてるみたいだな」
手を挙げ気さくに話しかける健太郎へ、誠は軽く一礼を返した後、
「トレーニングルーム使いたいんですけど」
手短に要件だけを伝えていた。
そこはマンションの一室、各種トレーニングマシンが置かれている部屋だった。ルームランナーやエアロバイクはもちろんのこと、部位別に鍛えるストレングスマシンやバーベルなど、個人が所有するには金銭的、スペース的にも負担の大きいものが取り揃えられていた。
トレーニングルームで行うことなどひとつ、健康的な身体を得るために鍛えよう、それが誠の目標だった。なにも、ボディビルダーほど鍛えるつもりはない、人並みの、それより少し上を目指していた。
告げられた健太郎はというと、片眉を持ち上げて誠を見つめていた。
「……早くないか?」
「そうなんですか?」
質問に質問で返す行儀の悪さだが、身体を鍛えることについて誠は無知だった。筋肉の肥大のメカニズムについての知識なら知っているが、効率を求めるなら専門家に任せようと思っていたのだ。
「体が小さすぎてマシンの適正身長に達してないしな。筋肉にあこがれる気持ちはわからんでもないが、今はマシントレーニングより自重トレーニングとか有酸素運動、スポーツをしていたほうが結果的にいい身体になるだろ」
なるほど、と誠は簡単に折れていた。別にマシントレーニングにこだわっていたわけではなく、効果的、効率的ならなんでもよかったからだ。
「おすすめは?」
「体幹、平衡感覚を養うならバランスボールとかでもいいがひとりでやるなよ? あとは球技や武道もありだな、精神面も鍛えられるし」
「……お兄さん達はなにかしてましたっけ?」
「いんや、まだ興味がないみたいだからな。無理して勧めても長続きしないだろうから、自分から言い出すまでは特にはなにもしない予定だ」
佐藤家の教育方針は基本放任、よく言えば自主性を重んじるようで、それもそうかと誠は納得する。でなければ美咲が宝石細工を教えることを周りがよしとしないからだ。
必要なことも聞き終えたと、誠が調べ物に戻ろうと頭を切りかえた時だった。
「――しかし、理路整然とハキハキ話すのな」
「ははは……」
健太郎の感想に、誠は思わず苦笑いする。前世の記憶のことをバレたくないと思っていても、では一歳児がどのような行動、言動をするのかを知らず、また、公園で見かける子と同じように振る舞うのは鳥肌が立つほど恥ずかしかった。
笑って見過ごしてくれないかと期待した誠だったが、健太郎から穴が開くほど見つめられて居心地悪く、悪手とわかっていても逃げ出そうかと考えていた。そんな折、大きな手で頭を押さえつけるように撫でられて、
「中身おっさんなんじゃないかって言う彩花の気持ちもわからんではないな」
「おっさんじゃないです」
失礼な話である。享年二十二なのだ、おっさんと言われるにはまだまだ遠いだろと、誠は心の中で苦情を入れる。
ふくれっ面の誠に、健太郎は軽く微笑みを浮かべ、
「――よし、それじゃあ行くか」
誠を軽々と抱えながら言う。
力強い腕は大木のよう、体重をかけてもまるで動じない頼もしさがあった。
「どこにですか?」
とりあえず誠は聞く。そこには子供のように無邪気な笑みを浮かべる健太郎の姿があった。
「山」
 




