11 美咲の結婚観
事情を知る彼女から子供のように扱われるのは気恥ずかしく、しかし逆らうことはできない。わーわーと暴れてみせても所詮誠は子供、簡単に押さえつけられて、反応を楽しませるだけになるとわかっていたからだ。
「さて、とりあえず思うままに削ってみよー」
「デザインの指定はないんですか?」
「ないよー。グレードも低いから割っても怒らないしー、削る感覚から覚えていこー」
それ以上の指示もなく、誠は棒状の――恐らくダイヤモンドヤスリと思われる――工具を手にとっていた。
一応目指す形は雫型、他の形では削りが多くなり、時間がかかるからだ。慣れない手つきで表面にヤスリを当て、円を描くようにスライドさせていく。
十周、二十周。変化を見るためにヤスリを離すと、
「……変わってないねー」
美咲の言う通り、なんら変化のない石がそこにあった。
あれ、おかしいなともう四十周。しかし変化はない。いや本当に微かだが削れたようで白く粉吹いていた。
ヤスリは粗目も粗目、大根おろしのようにシャリシャリと削れていくものだと想定していただけに、誠は困惑していた。はたしてこのまま続けていいものか、それとも一度美咲に意見を仰ぐべきか。答えが出なければ手が止まり、
「……何やってんのー?」
「いや、思いのほか削れていかないなって」
「そりゃそうでしょー、石だもん。力も入ってないから時間かけてやるしかないよー」
他人事のように美咲は言うが、どうやらやり方としては間違っていなかったらしい。ならばと誠はわき目も振らず、ただひたすらにやすり掛けを繰り返していた。
黙々と、淡々と。それでも石は削れない。フローライトのモース硬度は四、硬いとも言えず柔らかいとも言えない絶妙なところ、下手に力を込めて必要以上に削ってしまえば最後、くっつける手段がないのだから慎重にならざるを得なかった。
作業を続けること三十分、目に見えて石の粉の量が増え、ようやく一面の削りだしが終わったところで、
「はいしゅーりょー」
「まだ終わってないけど?」
美咲からのストップに、誠は消化不良な顔をしていた。仕上げどころか粗削り、これではいたずらに宝石を汚しただけに過ぎなかったからだ。
「初めてのことは疲れるからねー、ホットミルク作ってくるからもう飲んで寝なよー」
美咲は誠が有無を言う前に部屋から出て行ってしまった。なし崩し的に弟子となったとはいえ、師匠の言葉を反故にする気も起きず、せめて片付けだけはしておこうと、ヤスリについた粉を払い落して時間をつぶしていた。
五分ほどが経過して、小さな足跡とともにドアが開く。美咲が湯気立ち上るマグカップをトレイに乗せて、
「無糖? 加糖?」
「無糖で」
おっとなー、とからかわれながら置かれたマグカップに手を伸ばせばすでに人肌より温かみを感じるくらいで、気の使い方がうまいところを誠は憎めずにいた。
両手で包み込むように持てばじんわりと染み込むように温かい。すするように飲むと、喉を伝って身体中を熱が巡る。夏の夜には少し毒だった。
「美咲さんはさ」
「なにー?」
「どうして結婚したの?」
「……普通するでしょー、結婚くらいー」
この世界の価値観からすればさも当然のことを、美咲は当然のように答える。間違っていない、何ひとつ間違ったことは言っていないのだが、あの日、前世の記憶があると誠がカミングアウトした日から数日、前世の社会情勢について伝えてきた誠からすれば質問の意図を察してほしいと考えていた。
「そうですけど、独立独歩を気にするような人じゃないですか。いつから結婚っていう選択肢が出来たのかなって」
「んー、あぁ、誠の前世では『シングル』が一般的なんだもんねー」
一夫一妻のことを“シングル”と呼ぶ。この世界の通称にはまだ慣れないが、誠は頷いた。しかし今はそこが重要ではなかった。
美咲は基本的に家族と交流することがない。ご飯時程度しか顔を見せず、それも食べ終われば団欒することなく自室に戻ってしまう。月一回の誕生日には顔だけ出すが、それも誰かと会話することなんて滅多になかった。
先日彩花が言っていた通りの『人嫌い』、そんな人が建前上違法ではない独身を貫くことは、前世を知る誠にとっては異質に映らない。嫌々結婚するくらいなら独身を選ぶ、そうしなかった美咲に誠は興味を抱いていた。
「……改めて考えるとなんで結婚したんだろー?」
「結婚って考えてするものじゃないんですか?」
問われれば、誠の方が困ってしまう。ポイントカードの申請ではないのだ、ちゃんと婚姻届を書いたとは思えない軽さに困惑する。
異なる文化だからといってそれはないだろう、と目で訴えると、
「色々あったんだよー」
「色々とは?」
便利な大人の方便で逃げることを誠は許さない。子供じゃないのだ、その程度ではぐらかされてはやらないと意志を見せる。
美咲は困ったように照れ笑いをして、誠へと近づいていた。そしてそのまま脇に手をやり、ぬいぐるみのように抱くとベッドに腰掛ける。
誠から顔が見えないようにしたまま、口を開いていた。
「私たち五人は小学校からの付き合いでねー、付き合いというかーグループというかー。いつも一緒にいたんだよー」
美咲の言葉を聞いて誠は首を縦に振る。
納得できる話だった。美咲の言う五人とは、彩花を筆頭とした女性陣のこと、いきなり見ず知らずの他人と共同生活を送るなどただのリスクであり、幼いことからお互いを理解している同士で固まるのは、当然のことだった。
「彩花がリーダーでー、玲奈と陽子で計画を練ってー、私と真由が引っ付いていくー、そんな感じー? だから結婚も彩花が決めるのかなーって」
「んな、他人事みたいな」
「他人事だったんだろうねー、彩花が言うことに間違いなしでー、玲奈と陽子が考えてれば失敗しなくてー、どうしても心理的に無理なことは真由が止めてー。それで上手く言ってたから甘えちゃうよねー。損しないんだしそこら辺の手続きとか全部お願いーって。結婚しないと生きにくいってことくらい大人になるまで嫌ってほど見てきたしさー」
「適当ですね」
「適当っていうかー、そんなことに頭の容量とか時間をさきたくないんだよねー。運が良かったからそれに全力で乗っかった感じー?」
そんな同意を求められても、誠は返す言葉がなかった。
多夫多妻に違和感を感じている時点で感情移入出来ない。美咲は彩花から旅行に行こうと言われれば着いていくし、結婚しようと言われれば結婚する。両者の比重が同じになっていることが、それ以上の理解を拒んでいた。
ただ、そこに善悪がないことを誠は理解していた。異文化なのだ、この世界で生きる人の常識や考えが理解できずとも頭ごなしに間違っている、矯正しなさいというつもりはなかった。
「――誠はどうなのー。前世で結婚とかー?」
「してませんよ。まだ二十……」
言いかけて、口を閉じる。まだ二十歳というのは前世の常識、この世界ではもう二十歳であることを思い出していたからだ。
なので言葉を選び直し、
「……結婚を考える余裕なんてなかったんですよ」
「世知辛いねー、想像できないやー」
「でしょうね。こっちだってよく美咲さんが家族でいられてるなって思ってますし」
「どういうこと?」
「家族なのにそんな皆との接点断って、ほとんど居候みたいなものじゃないですか」
本心に、ひとつまみの悪戯心を込めて誠が言うと、左右にあった腕からの締め付けが強くなる。ぎゅうと抱かれ、耳元を熱い吐息がくすぐっていた。
「……真由からなんか言われたかなー?」
囁かれ、誠は背中に這いよるものを感じながら首を捻る。はて、全くもって身に覚えがない。
「真由さんとなにかあったんですか?」
「あー……いや、何も言われてないならそれでいいんだよー」
「そう言われると逆に気になるんですけど」
「……」
美咲は黙ってしまった。
もしや家庭内不和かと、誠の心中がざわめく。不特定多数の他人と共同生活を送ったことはない誠だったが、社会経験くらいはある。日中の殆どを共に過ごすため、表面上は仲良く振舞っていても、陰では何を話しているかなど考えたくもない。
無論、夫婦なら何時でも仲良くしていなければならないなんてルールがないことくらい、誠も理解していた。ただ見たくなかったのだ、親の仲違いする姿など一度で十分だし、何も知らない兄弟が経験する必要のないことだった。
「言いたくないならいいですけど、溜め込まないでくださいよ」
「そういうんじゃないんだよー、ただ子供に話す内容じゃないかなーって」
「中身二十三ですけど」
「もっと嫌かなー」
じゃあ誰だったらいいんだよと誠が思うのも仕方ないことだった。
頑として言わないのならもうそれで良かった。誠が黙ると沈黙に耐えられなかったのか、美咲は口を開いた。
「……そろそろ子供作らないのーって提案されてさー」
口から出たのはそんな言葉、確かに子供に話す内容ではなく、男性にも相談しずらい。
――あぁ。
記憶の片隅で沈んでいた場面を思い出す。それはいつの日かの公園のこと、真由とだれかがそんな話をしていたと、朧気ながら誠は考えていた。
だから真由から言われたか問うたのか、それはそれとして、軽い気持ちで威圧するのは如何なものか。
ちょっとしたことに機嫌を悪くするのは、美咲の悪い癖だった。誠は既に慣れてしまったが、他の子供にはもう少し寛容であれと願う。
 




