第3話:吹き荒れる風魔法
「急ぐぞ、猿! 走れ!」
「う、うん!」
一転して険しい表情に変わったプイプイは頭上に乗り、ウチはできたばかりの少々ぬかるむ一本道を走った。
プイプイが言うには、あの悲鳴はメタルスライムのものらしい。もしかしたら、人間に酷い仕打ちを受けているのかもしれない。
「ハッ……ハッ……」
ウチは走った。とにかく走った。全力で走った。
体育の授業でも、遅刻しそうな朝でも出たことのない猛烈なスピードで。
スニーカーが汚れようが、制服に泥ジミができようが関係ない。
そこに、困っている魔族がいるのなら。
そこに、しょうもない人間がいるのなら。
……やるしかないんだ。
それがいまの……ウチの役目なのだから。
「やいやいやいやい! ちょっとそこのオッサンたち、何してるんですかぁ? 弱いものイジメ? ダッサいわぁ」
「ああん?」
「なんだテメェ」
森を出てまもなくの洞窟入口と思しき場所に、バンダナを巻いたオッサンと鎧をまとったムキムキのオッサンがいた。どちらも人相が悪く……うん、すごく人間の小悪党っぽい。
「嬢ちゃん、見ねぇ顔だなぁ? さては俺らの狩場を横取りしに来たな? ククク……そうはさせねぇぞ。苦労して見つけたレベル上げスポットだからなぁ!」
バンダナ男がクナイのようなナイフを振り回しながら言う。インナーもなしにボタン全開の半袖シャツを着るのは……さすがにちょっとアレだ。漂う雰囲気的にコソドロって感じ?
「フッ、俺たちは優しいから選択肢をやろう。何も見なかったことにしてそのまま引き返すか……それとも俺たちと楽しいことをするか。さあ、選べ」
塩顔の鎧のオッサンはモヒカン頭に櫛を入れながら言う。マジで似合ってないし、キメ顔作りながら話すのも最高にキモい。デカい斧と鎧だから……筋肉が取り柄のパワータイプ戦士って感じなのかな。
「ピィィィ……」
メタリックシルバーのお饅頭みたいなカタチをした魔族が傷だらけで無数に横たわっている。あれがきっとメタルスライムだ。虫の息になるまでメッタ打ちにされてしまったのだろう。切り傷や刺し傷が酷い。あまりにも酷い。
オッチャンやプイプイが言うように、彼らはきっとここで静かに暮らしていただけだ。それなのに人間はある日突然やってきて強欲に日常を奪っていく。
両手拳に力が入る頃にはもう、ウチは大人相手に喧嘩を売っていた。
「はぁ? そこに大怪我した子がいながらそそくさと引き返す根性も、弱いものイジメするようなダサい大人と戯れる趣味もウチにはねぇんだよ! 冗談は格好だけにしやがれ!」
「猿……お前……」
神妙な面持ちで頭上のプイプイがウチの顔を覗く。……しまった。ちょっと口が悪すぎて引かれただろうか。でもまあ、相手は腐った大人だもんね。しゃーないしゃーない。
「フッ、そうか。か弱い少女に手を挙げる趣味はないのだが……少々お仕置きが必要なようだな。おい、やるぞ」
「クックック、人間の獲物は久しいよなぁ。身包み剥がした後は大人のお楽しみとするかぁ!」
オッサン二人がそれぞれ斧とナイフを構え始めた。殺気が伝わってくる。この大人たち本気だ。本気でウチを仕留めようとしている。それなら加減は必要ない。ここからの抵抗は正当防衛ってことでいいよね?
『やれ!』『おぅよ!』と、典型的なやり取りをする小悪党。感心していると、バンダナ男が上空に跳躍。同時にモヒカン頭が間合いを詰めてきた。……なんだこの絶妙なコンビネーション。
「おい猿、油断するなよ。お前はいま魔王様の次に強いとはいえ、魔法のコントロールもままならない状態だ。そしてアイツらも一応はここまでたどり着いた冒険者。どんな戦術を使ってくるかわからない。それに……息の根を止めてはならないぞ」
「わかってるよ。……初めてだからちょっと自信ないけど」
跳躍したバンダナ男はポーチから取り出した石を上空から散布。石が弾けると濃い霧がウチらを包み始めた。視界が悪い。あれ? モヒカン頭はどこいった?
「なにこれ全然見えないんだけど!」
「魔石による視覚妨害魔法だ! 気をつけろ! すぐ斧が飛んでくるぞ!」
プイプイのナビから間髪入れずに左から空を裂く気配。考えるよりも先に身体が反応。瞬時に百八十度開脚して地面に伏した。ウチとプイプイの頭上に豪快な一振りが走る。
「あっぶなー! あとちょっと遅れてたらウチら死んでたっぽくない? ってか、めちゃ身体柔らかくなってるのウケるんですけど!
」
「おままままま、おまえ! ワタシが乗ってることも計算に入れろ! ちびりそうになったじゃないか!」
「あ、ションベンくさい小悪魔誕生じゃーん」
「未遂だわ、アホゥ!」
晴れる兆しのない濃霧の中で駄弁りながらゆっくり立ち上がると、どこからともなく小悪党の声が聞こえた。……ん? 喧嘩してる?
「おめぇ、当てる気あんのかぁ? 相手はガキだろうがよ。一撃で仕留められねぇのか、このポンコツ戦士が」
「フッ、霧の濃度が濃すぎたようだな。これでは味方の視力も狂うというものだよ。サポーターがこれではアタッカーの本領を発揮できない。そんなこともわからないのか」
「あぁん? いちゃもんつけんのか? だいたいテメェはな、同僚のくせに指図多すぎなんだよ」
「おやおや、一人では魔族に致命傷を与えられないクソザコ盗賊風情が何か吠えてますね」
拍子抜けする会話の内容。パタパタ浮かぶプイプイと思わず目が合ったが、考えていることはどうやら同じだった。
「もしかしてだけど……いまってめっちゃチャンス?」
「めっちゃチャンス」
「じゃあさ、この邪魔な霧なんとかならない? 魔法でチョチョイとさ」
「ならんこともない。のだが……妨害解除の魔法は説明が難しくてな。まずは打ち消しの概念から学ばねば……って、この場で猿に説明して理解できるものかどうか……」
「そっかぁ」
プイプイが言うのだ。よほど難解で高度な魔法なのだろう。でも、この霧が晴れればそれで良いわけだから……もっとカンタンに考えれば良くない?
「ま、なんでもやってみたらいいよね!」
「ちょっ、おまっ、なにする気だ⁉︎」
一度、瞼を閉じて深呼吸。身体を緩めてからウチは開いた右手を高く上げた。
イメージは『お風呂上がりの火照ったパパに扇風機を向ける』とか『酢飯の粗熱を団扇で仰いで飛ばす』って感じかな。その『風』の強度は霧が晴れるくらいに。もしもできるなら……オッサンたちもどこか遠くへ飛ばしてほしいかな!
「よーし! 吹き飛べェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!」
叫びとともに右手を全力で振り下ろす。
と、獣じみた凶暴な風が四方八方へと吹き荒んだ。
執拗に取り巻いていた霧が晴れていく。
「ななな、なんだぁ⁉︎ オレの霧がぁ!」
「チッ、髪が崩れた。……このままではマズいな。おい、鎧につかまれ」
風は止まない。バンダナ男は飛ばされそうな洗濯物状態となり、身を屈めたモヒカン頭の鎧にヒラヒラとしがみついている。心のどこかで魔法の強度をちょっと遠慮したかもな。反省反省。あと一息、もうちょっと強めの風を吹かそう。
「今度はピンポイントで狙うよー! 覚悟してね!」
振り下ろした右手をオッサン二人組に向け、狙いを定める。
イメージは『龍の如く天へ向かう風』って感じ。
強度は……あの二人が遥か彼方へ飛んでいくほどに!
「それでは快適な空の旅を……お楽しみくださぁぁぁぁぁい!」
手のひらを発射口にして渦巻いた巨大な風が放たれる。可視化された風は回転しながらカタチを変え、まさに龍となって二人に襲いかかった。
ほー、魔法ってこういう感じかぁ。なんとなくわかってきたかも。
「モヒカン……モヒカンがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「せっかく見つけた縄張りがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
龍の風はオッサン二人を飲み込み、うねりながら(そして目の前の山肌を削って)遥か彼方の天に昇って消えていった。さすがにアニメみたいにキラーンッって……なるんかい!
「ウチが吹き飛ばしておいてアレだけど、あの二人大丈夫かな」
「ヤツらも冒険者の端くれだ。緊急用の生存アイテムくらい持ってるだろう。それより……お前またやってくれたな! どうするんだ、あの削れた山ァ!」
「しゃーないしゃーない! 一生懸命だったんだし! そういうコントロールはさ、今後の課題ってことで!」
「このままの調子だとエントに間違いなく締め殺される……トホホ」
呪文のようにブツブツと愚痴を唱えるプイプイ。そんな小悪魔をさておいて、ウチは傷だらけのメタルスライムのそばに駆け寄った。
……深く酷い傷だ。すぐにでも手当してあげなければ。
「ねえ、プイプイ! この子たちウチの魔法でどうにか手当できないかな⁉︎」
「猿は魔力を温存しておけ。彼らの回復は森のヒールスライムに……ほら、来たぞ」
フリフリのフリルと触手がついた無数のお饅頭……が、一本道に列を成して押し寄せてきた。しかも宙に浮きながら。……ヤバい。リボンとかつけたらもっと可愛くなるかも。
「プイプイ様、大変お待たせいたしました」
謎原理でフワフワと浮かぶ一体がウチらに接近。隊長格と思われるヒールスライムは、淑やかな声で話しかけてきた。えー、なにこのとてつもなくお上品な感じ。良い。ステキ。推せる。
「急な要請で悪かったな。ここにいるメタルスライムたちの回復を頼みたい。思ったより傷の具合が深刻なんだ」
「かしこまりました」
隊長格のヒールスライムはスゥと息を吸い込むと——。
「オメェたちぃぃぃ、聞こえたよなぁぁぁ⁉︎ ここにいるメタスラ全部治すからなぁ! 気合い入れていけよぉ!」
「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」」」
ヒールスライムたちの大歓声。「回復ゥ! 回復ゥ!」という猛々しい大合唱とともに、負傷したメタルスライムたちの回復作業が始まった。彼らの触手に触れた負傷部がみるみるうちに癒えていく。
「……えっと、なんかすごい体育会系だね?」
「ヒールスライムは昔からこんなものだ」
呆気に取られているうち、目の前のメタルスライムが微かに意識を取り戻した。プイプイに気付いた様子で、何か伝えたいのか咳き込みながらも言葉を紡いだ。
「……ゴホッ。プイプイさま……?」
「ああ、ワタシだ。あまり無理をするな。いまは回復に専念するといい」
「ゴホッ……ゴホゴホッ。まだ……なかに……ゴホッ……ニン……ゲ……が……」
「おい。どうした。いまなんと言ったんだ?」
言葉にならない言葉を紡ぐメタルスライム。何かを必死に伝えようとしている。
……何だ? この子は何を伝えたいのだろう。
そしてこの……奥歯に肉の破片が挟まったような感覚は何だというのか。
「キン……グ……ゴホッ……なか……で……」
「キング⁉︎ メタルスライムキングが中にいるのか⁉︎」
メタルスライムが再び気を失ったそのとき、目を合わせてウチらは自分を呪った。
戦闘後の安堵で失念していた。勝利の美酒を味わう暇などそもそもなかった。
歩くキノコちゃん————マタンゴの言葉がフラッシュバックする。
『にんげんがよにんくらい、このもりをとおっていったよ』
里を襲った人間は先の二人だけではない。
「「あと……二人いる!!」」