第28.5話:紅髪のスカーレット(前編)
「……ここがメタルスライムの里か。ただの洞穴にしか見えないが」
滞在していた交易都市テルシャバから愛馬のヨハンを走らせ、私は目的地と思われる入口に到着した。遠雷が聞こえるほどの空の表情だったが、濡れることなく早々に到着できたのはこの愛馬が一心不乱に草原を駆けてくれたからだ。ふふ、本当に愛おしく頼もしい愛馬だ。
「お前はここで待っていておくれ。ただ、もしも身の危険を感じたらすぐに逃げるんだ。私のことはいい。お前が無事であることの方が重要なんだ。では、行ってくる」
不思議と伝わったのか、返事代わりに小さく鳴くヨハン。そんな愛馬から降りた私はその頬をゆっくり撫でた後、生気のない洞窟の内部へ進んだ。
進めば進むほど当然に闇が深くなる。洞窟に人間の足元を照らす灯りなどない。故に私は視界が完全に奪われる前に、携帯用の発光魔石を軽く握ってから指で弾き飛ばした。
発光。光の拡散。自然の洞窟内では有り得ない白日の様相が広がった。
私の前方2メートルほど先、目線の高さに光の球体が浮かぶ。これがさっきまで所持していた加工魔石というわけだから、王国の技術進歩は底がしれない。
しかも私が動けば、光も動く。限度はあるが使用者の光量イメージがそのまま反映されるという話だから便利なことこの上ない。いわば松明の役割をこの光が担っているわけだが、片手が空くから緊急時の対応も迅速に行える。なんとも有難い話だ。
そして照らされた洞窟内を見てわかったことがある。いや、洞窟に入る前から感じていたことだがこの空間にはやはり生気がない。生ける物の熱、音、気配……それら生命の躍動がまるでないのだ。
「メタルスライムはどこへ行った?」
メタルスライムの里。と、呼称されているからには多くの彼らを目にしてもおかしくない。というよりかはそれが自然なはずだ。しかし、その個体が全く確認できない。メタルスライムはおろか、暗い場所を好むスケルトンやゴブリンの類すら見当たらない。彼らは一体どこへ行ってしまったのか。……まさかゴンザブロウが全て駆逐したとでもいうのか?
不意に『地の精霊タイタン』の捕縛作戦が脳裏によぎった。対象の捕縛に成功したものの必要以上の暴行と損傷を加えたことにより、作戦評価をAからBに落としたのがゴンザブロウだ。
魔族に対して容赦がない彼なら、経験値目当てにメタルスライムを全滅させたというのも頷ける。だが、この空虚はまるで……。
違和感を言語化しようとしたとき、私の目は足元の異変を捉えた。
——————丸みを帯びた無数の跡、それから……人の足跡。
丸みを帯びた跡は恐らくメタルスライムが移動した跡だ。スライム種独特の小刻みに跳ねながら移動する跡と合致。その跡が出口方向へ向かって続いている……ということは、一定数のメタルスライムが集団で移動したと考えるのが妥当だろう。
そして、人の足跡。ゴンザブロウや彼が雇った屈強な冒険者の足跡には思えない。なぜなら余りにも小さくか弱い足跡だからだ。例えるなら、若い娘の……。
と、私の思考がある一点に到達しようとした瞬間。ハルト王の書面が脳裏によぎった。
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【ドンハルト王国騎士団 2番隊隊長スカーレットへ命ズ】
特命遂行中ノ5番隊隊長ゴンザブロウ、音信途絶
場所ハ、テルシャバ南西部、通称『メタルスライムノ里』
座標位置へ急行後、戦死ノ可能性ヲ考慮シタ状況確認オヨビ情報収集求ム
尚、若イ娘ノ目撃情報アリ、異世界召喚者ト思ワレル
其ノ名ハ『神谷ヒカリ』、注意サレタシ
ドンハルト王国国王 カーネル・J・ハルト
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「……例の異世界召喚者か」
ゴンザブロウの音信途絶、メタルスライムの集団移動、そして……謎の異世界召喚者。
因果関係はまだ不明点しかない。……が、恐らくはその若い娘がこの事件の重要なピースと見て間違いない。
「先を急がねば」
私は立ち上がり、長い紅髪を掻き上げ、洞窟の深部へと歩みを進めた。
道中で散見される魔石採掘の痕跡。剥ぎ取るような手荒な採掘から察するに、ゴンザブロウ一派が回収していったのだろう。今に始まったことではないが、節制という言葉を知らなすぎる。
資源が無限にあるものだと思い込み、欲望に任せて採取を続ければいずれ枯渇する。子どもでも理解できる自然の摂理を連中も王国も知らぬ存ぜぬというわけだ。これでは先が思いやられる。
それに……先住の魔族から一方的に魔石を奪う王国の姿勢もどうかしている。秘密裏の記録によれば、過去に魔王デモンズが直々に和平交渉を提案したという話もある。魔王の申し出なら上手く話をまとめれば定期的な魔石供給だって引き出せたはずだ。
これからは互いに繁栄していくような長期的な視点を持たなければ、困るのは未来の自分たちだと言うのに。王国の上層部は贅沢できる現在に夢中で、どうもそれが理解できないらしい。
……と、愚痴的な思考が頭をひしめくとき、視線の先で小さな光が煌めいた。光は接近するほど光量を増していく。
その光を目指して私は走った。1秒でも早く到達せねばと身体が動いた。
速くなる鼓動、上昇する体温。髪や肌、爪の先まで全身が物々しい空気を感じ取っている。
光の先に何が——————。
「ッ⁉︎ これは……どうしたと言うのだ⁉︎」




