第17話:浪漫飛行と風魔法
「マイハニー、ミーの乗り心地はいかがァ?」
ウチらを背に乗せ、空を駆けるバイコーンが愉快な声色で尋ねる。
正直、山梨の遊園地にある絶叫アトラクションの勢いを凌駕しているのだけど、全身で風を感じる体験は想像以上に爽快だった。
もちろん安全バーやシートベルトなんてものは存在しないから、彼の首にしがみつくこの両腕を離せばパラシュートなしのスカイダイビングになってしまうのだが。……まあ、今のこの身体ならそうなってももしかしたら平気かも?
「乗り心地は……まあ良くはないけど風が気持ちいいね! ところでさ、あのバカでかい山はなんなの? なんかギザギザな壁みたいに連なってるやつ」
「あれはギガス山脈だな。プリモルディオの中央を南北に走るように位置していて、ちょうど東の王都と西の魔王城のエリアを分け隔てるようになってる。何万年も前にデモンズ様が真っ二つにした巨人の身体が山になった、っていう伝説も残っているな」
さらっとこの世界の地理や驚愕の伝説を口にするプイプイ。新参者にはありがたい。ありがたいのだが……改めてマジでヤベェやつじゃん、あのオッチャン。どれだけ生きてて、どうやったらあの何千メートルもありそうな巨大な質量倒せるのさ。
ドン引きでオッチャンの歴史の一部を噛み締めていると、眼下の草原に気配を感じた。人間だった。
「プイプイ見て! 下!」
「なんだどうした。……うわっ、やっぱり相当数いるな」
広大な草原に冒険者らしき人間たちが闊歩している。それもひとりふたりではない。50、60、70……いや、100を超える人々が何かを探し歩くように見えた。
「こんな数の冒険者が繰り出しているのはちょっと異常ですね。ドラゴン種の討伐事件以来でしょうか」
メッタンが地上を覗き込みながら言う。魔族から見ても異常というこの状況。やはりメタルスライムの里での一件が影響しているのだろうか。
「冒険者の連中は基本的に金で動く。そして連中が里の方角へ進んでいる様子から察するに、やはりワタシたちに懸賞金がかけられたと見ていいかもしれないな」
ほぼ『お尋ね者』が確定。オッチャンの城を出発してからわずか一日足らずでこの状況とは、さすがに先が思いやられるね。……まあ、その責任の大半はウチにあると言っても過言ではないのだけど。
「ウ〜ン、人間があちこちウロウロしていてホント物騒よネ! そんなこともあって最近では魔族の自警団が結成されたっていう噂も聞いたことあるヨ!」
「おい、なんだその話。ワタシ知らないぞ」
「私も初めて聞きましたね」
「魔族もいろんなヤツらがいるからネ〜、人間に一際強い嫌悪感を抱くヤツも少なくないみたいだヨ!」
人間に対する魔族の感情。それはきっと、好意的なものよりも忌避したい感情の方が強いのかもしれない。だって魔族からすれば人間は自分たちの暮らしを脅かし、資源や生命そのものを奪っていく存在なのだから。
根底にある憎しみや復讐心が、オッチャンの側近であるプイプイさえも知らないところで徐々に膨らんできているのかもしれない。仮にそうだとしたら、やっぱりウチは急がなければいけない。大勢の魔族と人間が互いに傷つけ合うことになる前に。
と、考えたくもない最悪のシナリオを想像したとき、ウチらを乗せたバイコーンが大きく揺れ動いた。
「ちょっ……何⁉︎ 急にどうしたのッ⁉︎」
「タタタタ、大変ネ! ミーたち、下から狙われてるヨ!」
慌てふためくバイコーンが飛行しながら左に、右に、振り子の様に回避運動を繰り返す。
止むことなく下から飛んでくる細長く鋭い物体。これは……弓矢?
「あの白い装備……あれは王国騎士団のものです! プイプイ様ッ!」
「チィ! バイコーン、もっと高度を上げられないか⁉︎」
「こここ、これ以上は無理だヨ!」
バイコーンはかろうじて回避行動を続けてくれているが、このままでは矢の嵐の餌食になるのも時間の問題だ。ここまで善意で(あと下心かな)運んでくれたバイコーンを巻き込むわけにはいかない。なんとか……なんとかしないと。
「ねぇ、ドワーフさんの工房まではあとどれくらい?」
「ン〜、この先に見えるテルシャバっていう人間の都市の外れにあるからネ〜。ここからなら歩いていける距離ではあるヨ!」
よし。それならバイコーンをこれ以上危険な目に遭わせる理由はない。一刻も早くここから遠ざけてあげるべきだ。
「オッケー! じゃあ、ここで降りるね!」
「エッッッッ⁉︎ マママ、マイハニー何を言ってル⁉︎」
「ウチらここから歩いていくから、バイコーンはすぐにここから離脱して!」
「え、ちょっ、オマエ、何を言って……」
「ヒカリ殿、この高さではいくら私たちでも……」
正気を疑うような表情でウチを見る魔族たち。
ふふん。これくらいのピンチを軽々と乗り越えられなかったら、この先たぶんやっていけないって。よ〜し、いっちょやるか。
「さあ、行くよ。プイプイとメッタンはウチにつかまっててね。放しちゃダメだよ」
「は⁉︎ え⁉︎」
「ヒヒヒ、ヒカリ殿⁉︎」
動揺する彼らにワイシャツを強めに掴ませた後、地上およそ300メートルほどの高さからウチは飛び降りた。躊躇いも恐怖ももちろん少しはあったけど、事態を打開したい気持ちが強く背中を蹴った。
「バイコーン! ここまで運んでくれてありがと〜! またね〜!!」
「「ア゛ァァァァァァァァ!!! 死ぬゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」」
真っ逆さまに頭から落ちていく。
空気抵抗が皮膚を、髪を、スカートをブルブルと揺さぶっていく。
きっといま、ウチの顔面は世間には見せられないほど酷い顔をしているのだろう。
まあ、一緒にいるのは魔族だし。っていうか……ププクスプス、彼らも相当酷い顔だ。
そんな呑気なことを考えていると束の間、母なる大地が生々しく視界に入ってきた。
このまま何もしなければ、間違いなくミキサーにかけたフレッシュジュースかハンバーグのタネみたいになるだろう。
だけど……そこまでウチは無策じゃない。だって、今のウチには魔法があるのだから。
「集中集中……っと」
接地の瞬間、柔らかい風の塊を。
この肉体を、魔族の仲間を傷つけない空気のクッションを。
それは、エアバッグのような。
それは、ロケットの逆噴射のような。
重力を相殺する圧倒的な風の力をいまここに。
「お願いッッッッ!!!!!!!」
地表へかざした右手にじんわりと熱が灯る。
身体に宿る魔力が一斉に流れ出すような、独特のこの感触。
魔法特有の青白い光が輝いてからは一瞬だった。
荒れ狂う暴風を閉じ込めた巨大な球体が右手の先に発生。
風の球体は高速で回転すると接地した地表を抉り、削り、先まで生い茂っていた草原の一部を瞬く間に不毛な大地へと変えた。
「ウソ……なんで……」
魔法は明らかに——————。
——————ウチの想像を超越した破壊の魔法になっていた。




