第9話:ギャル VS 破壊のゴンザブロウ
老いた涙声が王の間で響く。
「ああ、ああ……メッタン」
傷だらけの王様は身体を引きずりながら、地面にめり込む鉄球のそばへ寄った。
「お主がこんな……こんな目に。……すまない。全ては不甲斐ない吾輩のせいだ」
地に転がった小さな剣、王様の言葉、うつむくプイプイ、そしてバニーオヤジの不敵な笑み。
目の前で起こった悲劇を理解するには十分だった。
「……許せない」
ウチの両手は握り拳を作っていた。つけ爪の落ちた生爪が手の中を突き刺すほどに。
もう、ダメだ。許すことなんてどうしたってできない。相手が同じ人間だろうがどうでもいい。手加減なんてする必要ない。だってアイツは、あのオヤジはメッタンを……殺ったのだから。
「……ごめんプイプイ。ウチ、自制が効かないかも」
「ん? いまなんて————」
強襲。脚部に再び魔力を集中させ、ウチは光の速さに準じた速度でバニーオヤジへ襲いかかった。拳に集めた魔力はダウナー女へ向けた掌底の比ではない。その証として青白い光は炎のように強く灯り、揺らいだ。
「アンタのことはァァァァァァァ!! ゼッッッッッタイに許さないッッ!!!」
紙の如く軽い身体のまま、バニーオヤジの懐へ飛び込む。全力パンチとも言える右ストレートを顔面にお見舞いする———————。
————はずだったのだが。
「あらぁ! どこの子猫ちゃんかしらん?」
バニーオヤジは不敵な笑みを崩すことなく、ウチの拳を片手で防いだ。
……ダメだ。拳が掴まれたまま動かない。ありったけの魔力を注いだはずだ。山のひとつやふたつをぶっ壊すほどの威力をイメージしたのに。それなのに、それなのになぜ……。
「子猫ちゃんも経験値目当てでここまで来たクチかしらん? だ〜けどザンネンだったわねん。ここはアチシが先に見つけたの。いわばアチシのナ・ワ・バ・リ。そしてそこのブクブク太ったメタルスライムの王様はアチシの獲物。横取りは————」
拳を防ぐ左手とは逆の手でウチの首を掴み、バニーオヤジは自らの顔前に手繰り寄せた。濃すぎる顔が至近距離に迫る。そしてドスの効いた声で、言った。
———————許さねぇかんな。
「ア"ッ……グハッ……ガハッ……」
首を掴む力が強くなっていく。これは……明らかな殺意。人間から人間に向けたためらいのない純粋な殺意だ。体験したことなどもちろんあるはずもない。だが、目の前の殺気は容易にそれを物語っている。人間はここまで非情になれるものなのだろうか。
……っていうかウチ、結構ヤバい……かも。い、息が、呼吸ができな……。
「このッ! コイツッ! 猿を……ヒカリを放せェッ!!」
ウチの頭上から飛び出したプイプイがバニーオヤジの右手をポカポカと叩く。非戦闘員だ、なんて言っていたのにこういうとき助けてくれるんだ。なんでだろ。これもオッチャンに命じられた仕事だからかな。……ハハ、ウチのメンタル相当弱ってるな。ウケる。でも、ホントに、そろそろ……。
「なぁにぃ? なんでクソザコのインプが子猫ちゃんを庇ってるわけぇ? キモチワルイわぁ。とりあえず、そうねぇ……。失せろよ」
グーパンを阻止していたバニーオヤジの左手はいわゆるデコピンのカタチに変わり、30センチはあるプイプイを中指で軽々と弾き飛ばした。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
瞬間、首を締めていた右手の力が弱まった。もちろんこのチャンスを逃すはずもない。
ウチはバニーオヤジの手を瞬時に振り解き、後退。そして跳躍。弾かれたプイプイをすかさず宙でキャッチする。
「プイプ……ゴホケホッ、ン"ッン〜ッ! あなた飛べるでしょうが!!!」
「おお! 猿ッ!! ケガはないか⁉︎」
「それはこっちのセリフ! まあ、その様子なら大丈夫っぽいね。っていうかさ、さっきヒカリって名前で呼んでくれたでしょ」
「ななな、なんのことだ⁉︎ ワ、ワタシはその……必死にだなッ……」
「はいはい。わかったわかった。……ありがとうね、プイプイ」
見透かされてバツの悪そうな小悪魔をニヤニヤ眺めながら着地すると、訝しげな声が響いた。
「子猫ちゃん、アンタ……どこの人間だい? フリーの冒険者でもならず者の賞金稼ぎってワケでもなさそうねん」
「…………」
「そしてその身のこなし、見慣れない服装。人間なのに魔族と仲良しこよしやってるところを鑑みると……人間に擬態した魔族か、あるいは……異世界からの来訪者だったりするのかしらん?」
バニーオヤジは単なる馬鹿力の持ち主ではなかった。この短時間での観察と分析、それから仮説の構築。見た目よりもずっと頭がきれる。やっぱり人は見た目だけで判断してはいけないのかもしれない。
「あらぁ? 何も言わないってことは図星なのかしら? ……まあ、どっちだって良いわん。魔族と与するようなら問答無用で人類の敵。ドンハルト王国の名にかけて……フフッ、いや違うわね。アチシの金と名誉と生活のために……ぶっ殺すまでよ」
剥き出しの敵意と鋭い眼光。相対する人間は間違いなくウチらの生命を脅かそうとしている。引いたら、負ける。油断すれば、死ぬ。それだけは直感で理解できた。
張り詰めた空気の中、どちらが先に仕掛けるか互いに無言で探り合う。ピリついた緊張感がお肌と胃腸に悪いなと頭を過ぎるとき、何か思い出した様にプイプイが言った。
「……思い出したぞ」
「なに? いまめっちゃ睨み合ってるとこなんだけど」
「ガチムチの身体に沿ったピチピチタイツと気色悪い口調、長いウサ耳カチューシャと濃い青ヒゲ、とんでもない馬鹿力と鋭い観察眼、それからあの鉄球……。間違いない。あの男は————」
————————ドンハルト王国騎士団5番隊隊長、破壊のゴンザブロウ。
そう、プイプイは言った。
「オークの村を単独で壊滅させ、大地の精霊タイタンまでも負かした王国屈指の実力者。5番隊というものの所属するのはアイツのみ。あとは全て必要に応じて悪どい冒険者を雇い、魔族の生命と財産を貪り続けるカネの亡者。……王都を代表する魔族狩りのプロフェッショナルの一人だ」
淡々と説明しているものの、プイプイの語気の中にどこか恐怖じみたものを感じる。それだけ悪名高く悲惨なことをしたのだろう。……っていうか、ゴンザブロウって。めちゃめちゃ古風で和風なネームだな、おい。
「アチシも随分有名になったものねん。クソみたいな魔族を殴り殺してきた甲斐があったわぁ。まあ、今回をもってまたしても有名になってしまうのだけど。ウフッ。今回の報酬で何を買おうかしらねぇ」
バニーオヤジは鼻歌まじりに棘付き鉄球の鎖を拾い上げ、怯える王様を横目に見てから再びウチらに視線を向けた。
「エドワーズのジジイはメタルスライムキングの首を狩ってくればそれでいいって言ってたけどぉ……手土産が増えそうねぇ。ダラダラやっても疲れるだけだからぁ、チャッチャと終わらせて美味い酒で浴びようかしらねぇ」
目の前の気迫と殺気。隙のない佇まいはウチらを威圧する。
アイツは間違いなく首を狩りにくる。
その脅威から王様とプイプイを守れるのは……たぶんウチだけ。
やらなきゃ、やられる。
なんとか……じゃなくて、絶対に守らなくちゃ。
勇敢に立ち向かった小さな鋼の騎士のためにも、絶対に。
ウチが、守らなくちゃ。
「フフッ、子猫ちゃんも死ぬ覚悟ができたようねぇ。腹の決まったその凛々しい顔、とってもいいわぁ。犯し甲斐があるわよぉ」
「子猫ちゃんじゃない。ウチはヒカリ、神谷ヒカリ! 今からアンタをとっちめるこの名前、よーく覚えておきなさい!」
バニーオヤジが笑いを堪え、青ヒゲが目立つ口元を手で覆っている。……ウチ、何かおかしいこと言ったか?
「クククク……アヒャヒャヒャヒャヒャ! 今から殺すヤツの名前をさぁ……いちいち覚えていられっかってんだよぉ!!!」
人を馬鹿にする高笑いが空間にひとしきり響いた後、バニーオヤジは忽然と姿を消した。