8話 お嬢様と貴族の義務
まず、父の発した初めの一言は、意外にわたくしを労るものだった。
「どうだった。 辛くはなかったか」
いや……まぁ辛かったには辛かったですけれど、送り込んだのはお父様ですし、面と向かっては言えませんわ。
「いえ、別段と……むしろ、食事も美味で、とても優しい方達に恵まれましたわ(烏丸を除外して)」
嘘はほぼ言ってはいないが、まだ父は不安そうに見えた。
「それならよかったが……なぜ5年もいた? 手紙では聞かなかったが、3年の予定だっただろう」
うぐ、負けず嫌いで諦めきれなかったからとは言えない……
とりあえず、もう一つの理由の方だけ言っておきますわ。
「……3年は、恥ずべき己を律するため、2年は、大恩ある道場への義を通さんとする武士道ですわ」
「い、や……」
「?」
「いや、『?』って、お前……」
な、なにかおかしかった?
いえ、こちらでも『騎士道精神』という言葉はありますし、少し毛色は違う部分も……
……あるとして、大目に見てもらえば、まあ……?
続いて冷や汗をかきながら、父はもう一つ質問をかけてくる。
「……というか、そのおかしな髪型は置いておいて、なぜ服が平民のものになっているのだ?」
「あぁ、元の服は山賊を単独で討伐した時、に…………つきませんでしたわ」
「な……!」
誤魔化せるかと思いましたけれど、やってしまいましたわ〜……!
よくよく考えれば、鍛錬はすれど、淑女が賊を斬り殺したなんて言われて動揺しないわけがありませんものね!?
完全に、考え方があちらに染まってしまっている!
お父様もいつもの厳格な性格から考えられないほど気分が悪そうに俯いていますわ……
「これから先はディナーまで取っておく。 ……早く自分の部屋に戻れ」
「……はい…………」
そのまま部屋を離れて、わたくしは自室に戻った。
部屋はよく手入れされていて、5年前と比べても何の遜色もない。
疲れから、久しぶりの柔らかいベッドに埋もれながら、今日の反省を始めた。
は〜……結局、帰ってきてもこれからどうなるかは分かりませんわね。
これでは他の名家との婚約さえ結べるか、どう、か………
そうですわね。誰ぞに恋慕の念があるわけでもないけれど、『貴族の嫡子』として生まれたからには、いずれわたくしも交渉材料として、そうなるのでしょう。
嫌なわけではない。むしろ、幼い時から義務であり、誇りとさえ思っていた。
国家のシステムとしても、それは当たり前になっている。
何故か?それは貴族の魔術適正にある。
グランデ皇王国のその成り立ちは、初代皇王である『モーニン・フルデリュー』王と側近の『三賢人』が曇天を割り、御旗を立てたことから始まる。
地を開拓し、水を与えた「全知の賢者」
あらゆる魔術の始祖とされる「真魔の賢者」
神の教えを伝え、人々に安らぎと幸福を与えた「信心の賢者」
そして、グランデ王国の貴族は元は大体が真魔の賢者の子孫である。
近親相姦は無く、血も薄れてはいるだろうが、魔術の適性は軒並み高く、有事の際には国家有数の戦力として対策、処理を行う。
特に力を持つ貴族は「高貴なる王の剣」とも呼ばれ、他国への影響も非常に強い。
だからこそ、貴族は魔術の適性、家柄も含めて、正にノブレスオブリージュ……産まれた瞬間から、強きものとして責務を持ち、その真魔の血筋を絶えさせないようにしている。
わたくしもまた、その一人だ。
「これからはお父様、お母様の管轄のもと、社交パーティで存在を知らしめ、強さを流布し、名家へ取り入り、婚約を結び……」
敷かれたレール……時計台の歯車に嵌め込まれる気分に陥ってしまう……
何と楽な人生であり、何と冷血な人生でしょう。
ですけれど、今はこの道を歩むしか選択肢は……
「エルトーシャ。 入りますよ」
「! お母様ですか?」
ドアから、母が入ってきた。
少し皺が出来てはいたが、それは変わらず美しいままの、優しい声の母だった。
わたくしはベッドを飛び出すと、すぐに母に向かい抱きついた。
「ごきげんようエルトーシャ。 よく帰ってきましたわね」
「はい! お母様も、健在で何よりですわ!」
温かい。
少し不安はあったけれど、お母様、お父様のためになら、この家のためになら、わたくしはどんな歯車にもなれる。やはり確かにその覚悟は、わたくしにはあった。
だが、その一抹のそれを感じ取れたのか、母は心配そうに顔を見つめる。
「なにか、悩みがありますね?」
「そんな………いえ、実は……」
隠し事はできそうにもないと、わたくしは、今悩んでいたことについて話した。
「……それでも、お母様も国のため、この家のためにそうしたのでしょう?」
お母様は元は王家の一員と言えるほどに高貴な立場にあり、当然にお父様との婚姻も、始めがロマンチックなものでなかったことは想像に難くない。
だが、聞くと母は少し驚いた後に頬に手を当てて、昔を思い出すように語った。
「あら、わたくしとヴァンベルグは……あなたのお父様は、キチンと愛しあって結婚したんですのよ」
それは、母の昔の……おそらくは学生時代の話だった。
「若い頃、わたくしは苛烈でした。 この国の実力主義にのめり込み、紳士の方々を大勢ぶちのめ……傷つけました」
お母様が?温厚を体現したような方と思っていましたけれど、人は変わるというものでしょうか。
……いえ、暴虐を尽くすお母様など、想像もできませんわ。
「そんな時に、わたくしはお父様と出会い、尽く打ちのめされ、屈服することになりました。 おそらくあれ以上の屈辱は、後にも先にもないでしょう」
それから、頬を赤らめて、少し視線を逸らしながら、その恋慕について語った。
「それから何度もわたくしはお父様に挑み、その都度敗れ、また挑み………そうして、いつしかあの方に焦がれて……」
そうして語り終わると、母はゆっくりとその細い目を開けて、陽光が差す中、わたくしの顔をその手で支えた。
自分と同じ黄色い髪が揺れて、長いまつ毛がよく目につく。
「つまり、あなたが思うより、あなたの人生は自由なのです。 その目に見える鎖の本質は枯れ果てた糸でしかなく、足を縛る重りは、いざ立てば綿毛よりも軽い」
「実際お母様はそうだったのかもしれませんけれど、わたくしには……」
「……けれど、不自由の檻を出た先に見える理想郷も幻惑でしかありませんでした。 今のあなたのように、不自由なままであればと思うこともある道でした」
眉間に深く皺を寄せて、辛そうに顔を顰めている。
この人もまた、簡単な自由ではなかったのだ。
温厚で、強く、無敵であった母が、今は自分と同じ、一人の人間として認識できた。
「いいですか。 あなたが進む先に壁はあれど、立ち上がることを拒むものは何もない」
おそらく、お母様はわたくしを励ましてくれているだけではないのでしょう。
自由とは何か、強さという責任の重さはどれほどか、それに気づかせようとしてくれている。
なら、わたくしの答えは一つ……
「……お母様、本日のディナーにて、表明したいことがありますわ」
そう言うと、母は驚きもせずに、いつものように笑った。
「楽しみにしていますよ、我が愛しい娘」