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京の都 前夜 大橋にて



 暮れ六つの鐘が東山に低く鳴り響き、暮れなずむ薄闇が都を覆いはじめるころ、忠親はようやく五条大橋へとたどり着いた。川面は夕陽の名残を細かく砕き、赤々とした光を波間に散らしていた。その残光は兵の槍先に反射し、冷たい光を周囲に撒き散らし、人々の顔を青白く浮かび上がらせていた。


 橋の袂には武装した兵が列をなし、槍を交差させて通行人を一人ひとり止めていたが、その場の空気は緊迫一色というよりも、むしろ混沌としていた。人垣を成す者たちは皆、旅の荷を抱えた商人風の男や、近隣の村から物見に来た農夫らしき者、さらに都に入り損ねた僧や下働きなど、いずれも要人とは思えぬ風体ばかりであった。彼らの顔には恐怖よりも、迷惑とあきらめと、そしてどこか浮き立つような色が入り交じっていた。


 兵は一人ひとり行李を開かせ、懐を改めさせ、名を問いただしているが、どうやら要人や在京の町衆はすでに羽柴家より配布された通行手形を持っているらしく、懐からその手形を示せば、多少の形ばかりの詮議で済まされ、すぐに通されるようであった。手形を持たぬ者は長蛇の列に並ばされ、検められ、あらぬ嫌疑をかけられてはじかれる。


 はじかれた者たちの多くは、無念そうに舌打ちをしながらも、すぐに気を取り直して橋のたもとに腰を下ろし、「仕方ない、今日は京に入れぬならば、ここで夜を明かすより他はない」と笑い合う。

中には早くも酒樽を抱え出し「せっかくの信長公の大葬よ、祭り見物と洒落込もう」と盃を回し始める者もあった。


 するとそのような者たちを狙ってか、商魂逞しい商人どもが道端に即席の屋台を広げ始めていた。

焼き栗や串団子の匂いが漂い、魚を焼く煙が風に乗って行列に流れ込む。子供らは甘い匂いに釣られて母の袖を引き、母は「今はだめだ」と窘めながらも「いつまで待たせるんやろうねえ」と言いながら屋台を仰ぎ見る。

 列に並ぶ者たちは、迷惑そうにしながらも、口々に軽口を叩き合っていた。


「今宵の京はまるで祭りやな」

「いや、明日は葬式だぞ」

「葬式にしちゃ賑やかすぎるわ」


などと笑い声が飛び交い、ある者は

「どうせ通れんなら、夜明けを待つよりここで飲んで騒いだ方が早い」

と大声で笑った。

その声にまた周囲が笑い、まるでどこかの宮入を待つ群衆のような熱気が広がっていた。


 忠親は馬を降り、近くにできた臨時の馬屋に馬を預けてから、列に加わった。手形を持たぬ以上、この混雑に並ぶほかない。列は四列に分けられ、人々は順々に検めを受けるが、何人かに一人はあっさりとはじかれ、道の脇に追いやられる。だがその者も恥じ入るどころか、笑い声とともに仲間のもとへ戻り、酒を酌み交わしながら「また明日試せばよい」と夜の闇に姿を消していく。


 しかし兵の顔は厳しく、町人の笑い声とはまるで別世界のようであった。

忠親は民衆のざわめきと兵の沈黙と、その二つの空気が交錯する只中に身を置きながら、やがて訪れるであろう難儀を予感し深々とため息をついていた。


 列は牛の歩みのごとく進んだ。四つに割られた烈の一つに並んだ忠親は、ようやく橋の袂、兵の槍先が交差するその目前へと出た。前にいた旅人が行李を開けさせられ、中から衣や乾物を乱雑に掻き出され、兵に何事か問い詰められている。旅人は


「手形を持たぬが、ただの荷物だ」


と必死に訴えたが、兵は冷たく鼻を鳴らし


「怪しい者は入れぬ、明日の朝の開門を待て」


と言い捨てて脇に追いやった。


 それを横目に見て、忠親の胸には嫌な予感が広がった。自分もまた、手形を持たぬ身だ。


 順番が巡り、兵の一人が鋭い声で言った。


 「次の者、行李を開けよ」


 忠親は言われるまま荷を差し出した。薬壺や包帯、薬草の束が次々に取り出され、兵たちは怪訝そうに顔をしかめる。ひとりが薬壺の蓋を開け、鼻を近づけて


「なんじゃこれは、怪しい匂いだな、毒か」と呟いた。


「これは薬です。医者でございますので」


 忠親がきっぱり答えるも、兵は口の端を歪めた。


 「医師だと? ならばなぜ手形を持たぬ。今宵の京はただの町ではない。明日の葬儀は、羽柴公自ら執り行う大事。要らぬ者を一人たりとも通すわけにはいかぬ」


 その声には張り詰めた響きがあった。周囲の兵の顔も険しく、兵にとっては、これは戦場と同じ緊張だった。

わずかな見逃しが即、秀吉の怒りを招き、大恩ある信長公の名誉を汚すことになりかねない。失敗は許されない、その重圧が兵らの眼差しに宿っていた。

しかしここで帰るわけにもいかない忠親はなおも食い下がった。


「御詮議はわかります、ですがわたしは医師でございます。御家桜井家一殿より急ぎ参れと仰せつかっておりますゆえ。務めを果たさねばなり申さぬ」


しかし兵たちは顔を見合わせただけで、鼻先で笑った。


「桜井……?誰がそんな口実を信じるか。今宵に限っては、手形なき者はすべて怪しき者と見なす」


 押し問答は長引いた。列の後方では、はじかれて河原に腰を下ろした者たちが酒を回し、時折わあと大声で笑い声を上げている。その声に負けじと露天の商人が声を張り、市井はお祭り前夜のような熱気に包まれている。

そんな喧騒からか、自然詮議の声も忠親の返答も大きくなる。

すると、すぐ後方から別の男が声を張り上げた


「おい、手形を持ってへんのやったら早よどいてくれ、もう並び疲れたわ」


文句を言われ、忠親は無言で振り返り兵を見た。兵は冷たい目で忠親を見ながらうなずいた。

後ろの男に頭を下げながら、忠親は事態は良い方には動いてないと察していた。


結局、通る通せぬの押し問答はついに限界を迎えた。

兵の一人が声を荒げ、槍の穂先を忠親の胸元に突き付けた。


灯火にぎらつく鋼が冷たく光り、ひしめく群衆はわっと忠親を取り巻く円になった。あちこちから悲鳴が洩れる。


その一瞬の緊張の中、槍の穂先を睨みながら忠親は胸を張り、腹の底から声を放った。


「羽柴秀長殿のご家来、桜井家一殿のご家中の方はおられぬか!」


その大音声は列の後方にまで響き、たちまち群衆の間にどよめきが広がった。

「秀長様の名を……」

「桜井家中だと?」

「桜井家一殿と申したぞ」


 さきほどまで祭り前夜のように軽口を叩いていた町人たちの顔から笑みが消え、驚きと野次馬根性が入り交じった色が浮かぶ。


 槍を構える兵たちも一瞬たじろいだが、なお疑いの眼差しを向けていた。

その時、待たれ、待たれよ!と人垣を割って上役らしい武士が現れ、低く鋭い声で命じた。


「待て。その方、もしや御家中を騙る者ではあるまいな。御家中であるならば、まず証とすべきものを示せ」


忠親は息を呑んだ。証など思い当たらない。

長距離を走ったのか、息を切らせた武士は


「もう一度行李を改めよ」


と命じ、詮議の兵が再び荷を引き出した。

薬壺や包帯の下から、白く小さなものが転がり出る。

折り紙の鶴、これは捨丸が佐吉に送ったものだ。女忍びが密命の印として忠親に渡したものである。

忠親自身は気にも留めず荷の片隅へ収めていたが、その折鶴を目にした瞬間、上役の武士は息を呑み、顔色を変えた。

「……おい」

低い声で部下を呼ぶと、周囲の兵はすぐさま槍を退けた。武士は折り鶴を持ち、忠親の前に深々と頭を垂れた。

「あいすみませぬ、三条の方に行かれると伺っていたもので…。伝達が遅れた事これまでのご無礼、どうかお許し下され」

その姿を見ると、どこかで忠親が五条に居ると聞いて慌てて走ってきたと見える。

「こちらこそ…もともとは大阪に向かうつもりでおりましたので、こちら側の橋に来てしまいました」


 なるほどそれで、と小さく呟きながら従者を呼び寄せ、一通の通行書付を取り出させる。

羽柴の朱印が捺されたその文を恭しく差し出しながら言った。


「何はさておき、間に合って良かった。以後の検問では、この書付をお示し下されば詮議を受けずにお通りいただけます」


書状を受け取りやれやれとため息をつく忠親に上役の男は訝しげに首を傾げた。


「……馬で参られると聞き及んでおりましたが」


「ええ、馬は橋の袂に留めてあります」


忠親が答えると、武士は即座に部下を振り返った。


「その馬をすぐにここへ引け!」


ほどなくして預けていた馬が引き立てられ、忠親の前に戻された。

武士は再び非礼を詫び、声を張った。


「ではこのまま馬にお乗り下され。そのまま列を抜け、大徳寺まで直ちに向かわれよ、皆の者ォ道を開けよォ!」


群衆の間には再びざわめきが走った。

槍を突き付けられていた男が、折鶴一つで上役に深々と頭を下げさせ、堂々と馬に乗って通されてゆく。それも羽柴の紋処を持っている。

忠親は静かに馬に跨がり、深く一礼してから、群衆のどよめきを背に受けつつ北へ歩を進めた。


 通行書付を懐に収め、馬に跨った忠親は北を目指した。橋の袂の喧噪を離れると、京の大路は一転して人影がまばらである。

すっかり日の落ちた京町の両脇の家々は戸を固く閉ざし、軒には白黒の万幕が張り渡され、葬儀を前にした重苦しい気配が漂っていた。道を行き交うのは要所ごとに立つ羽柴軍の警固ばかりで、商人や町人の姿はほとんどない。


 忠親は馬を駆けさせたい衝動に駆られたが、夕闇に揺れる松明の列の中を走ればかえって目立つ。目立てば余計な詮議を避けるためにも急いではいても手綱を抑え、速足程度で石畳を叩かせた。

蹄の音が乾いた夜気にこだまし、やけに響いた。


「……チッ、いつ来ても鬱陶しい街だぜ」

 ふと耳の奥に天の声が落ちた。乱暴で苛立ちを含んだ声音だ。


「機嫌が悪いな」


忠親は小声で呟いた。


「決まってんだろ。ワシにゃ鬱陶しいだけの檻だからよ。この都は鬼を締め出すために作られてやがる。弱ぇ鬼なら入ったが最後、二度と出られねえ。ワシくらいになりゃ通れねえことはねえが……鼻につくんだよ、この街は」


吐き捨てるような声に、忠親はしばし黙した。やがて問いを投げる。

「……この葬儀のさなかに、鬼は現れるだろうか」


「出るわけがねえ」天は即座に切り捨てた。

「なぜ言い切れる」忠親が食い下がる。

「そういうもんだ。都そのものが鬼を閉ざす檻なんだよ。祭りだろうが葬式だろうが、全部ひっくるめてな、だから葬儀目指してくる鬼などいる訳がない。」


天はそれ以上は何も言わなかった。沈黙が夜気に沈み、遠くから低く重なり合う読経の声だけがかすかに響いてきた。


 忠親は通行書を掲げながらいくつかの検問を抜けた。


「大徳寺に呼ばれておる、詮議は不要」

と言えば羽柴の紋を見た兵はすぐに槍を立てて道を開ける。


やがて闇の向こうに、黒々とした大徳寺の甍が月光を受けて浮かび上がってきた。






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