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………なんとなくだが、屋敷やその周辺を見る限り、中世ヨーロッパのような雰囲気を感じる。
昔はよく読んだりプレイしたりした、ファンタジーライトノベルやロールプレイングゲームで結構馴染みがある魔法陣という言葉がある以上、魔法はある所なのだろう。
実際はそんな便利な技術がない事は重々理解していた年齢だったし………若い頃は魔法のようなチカラがあれば、とか考えた事もあったが………今更大騒ぎしても色々なリスクが増えるだけで何も解決しない気がする。
………とりあえずここは、異世界なのだろう、と無理矢理納得する。
少し向こうに見える林………森?そちらの方へ行くべきなのかも知れないが、街中や木々の間とて外敵に出会わないとは限らない。
例えば野犬………というか野良犬でもいたら、この身がどんなレベルの魔物なのかは判らないが、今の自分のような小型動物など恰好の餌食である。
他人に出会ったら問答無用で追い掛け回され、殺されるかもしれない。
若い時からやっていた武道………具体的に言えば躰道と空手だが………は、この姿である以上役に立たないだろう。
あれらは………非常におおざっぱに言ってしまえば対人やある程度ヒト型のモノを相手にするときに使う技と心を鍛える道であり、決して相手を制圧する、倒すことを目的とした術ではないのだ。
一応どちらも黒帯を頂き、メインで習練していた躰道に至っては師範代の資格も持ってはいたし、合気道も少し齧ってはいたが………どちらにせよこの………多分今の姿では使う事はできまい。
とりあえず、戦うよりここは逃げた方が無難であろう。
………武道家としてどうなのかと思われるかもしれないが、いかに自分がそういう技を修行していて、実際試合等では戦っていても、どうしようもない時以外はそういう場所に寄り付かない、そして戦いになりそうだったら逃げるのを躊躇わないのが一番なのである。
特に自分のような段持ちやライセンス持ちは、例えば路上で一般人相手に下手に戦うと色々………過剰防衛という奴で立場がマズくなるのだ。
そんな今は考えてもどうしようもない、あちらの世界の暗黙の了解事項のようなものを考えつつ木から飛び降り、自分が思っていた以上スピードで崩れた塀の隙間から通りっぽい道へ出る。
小さなこの姿なら、屋敷や家の裏を通っていけるだろう。
とりあえず、木から見た時にちょっと遠くに見えた大きな建物………尖塔のようなものが見えた方向に歩いてみることにする。
屋敷の裏らしき場所、塀の上………通れそうな場所ならどこでも通るつもりで歩く。
通りながら思ったが、意外と道は綺麗であり、雑草がほとんど生えていない。
ただ、いわゆる普通の家っぽいのが見当たらない………巨大な敷地を持つ、いわゆる御屋敷と呼ばれる建屋ばかりである。
貴族街とか言ったか………とにかく貴族や王族が住み、いわゆる庶民街や商人街とは別区画にある設定のお話しを読んだ事がある。
この区画はそんな感じの場所なのだろう。
………建屋が道から遠いので、とても窓に近寄れない。
自分の姿を窓に映して確認したかったのだが………今は諦めざるを得まい。
ここへ来てから聞いた言葉は………さっきの男の声だけだが、人の話す言葉やそこかしこにちらちら見える文字………あれは通りの名前か?………は何故か理解できていた。
ただし文字や言葉は理解できても何を指したり意味しているのかは全く理解できない。
ご都合主義的な考え方なのかもしれないが、何かしら魔法的な………超常的なチカラが働いているのか………情報がないので良く判らないが、とにかくそれだけはありがたい。
これで言葉も判らなかったら詰む可能性が大きい。
………言葉を軽く発しては見たものの『にゃあ』としか鳴けない様子なのでどちらにせよ他人とコミュニケーションは取れそうにないが。
かなりのスピードで歩いて来たつもりだが、尖塔のある………ヨーロッパの砦に近い雰囲気の場所まではちょっと時間が掛かった。
体感で30分前後だと思う。
馬車のような音が聞こえたり、何かしら他の動物や人の気配を感じた時隠れたりしていたせいかもな、と思いながら周りの様子を探ってみる。
………更に遠くに大きな建物と尖塔が見えたが、流石に歩くのはキツそうだ。
あれが一般的に言うお城、なのか………良くは判らないがそう思っておくことにする。
ともあれ人間や他の動物に出会わなかったのは僥倖、である。
見えている館………砦のような場所の横に、演習場のような広さの場所がある。
砦にはかなり高い尖塔があり、そこには窓ガラスが入っているのが見えた。
ここまで来て人に見つかるのもマズいのでその広場の手前にあった木にまた登り、葉っぱの陰に隠れる。
ちょっと高くまで登ったので結構遠くまで見渡せる………かなり向こうで、集団が固まって動いているのが判った。
時々怒号のような掛け声や指示する声のようなものが聞こえる。
騎士のような鎧を着ている者や、あるいはそういうお話しに出てくる冒険者が装備している皮のような素材でできた胸当てをしている者も居た。
そして、光を反射していないのでおそらく金属製ではない剣のような物や、ハルバート、弓、槍、メイスやこん棒のような物も見て取れる。
訓練のようなものだろうか、打ち合ってはいるが、打たれて倒れたりした者を助け起こしたりしているのも見て取れる。
笑い声や野次のようなものも聞こえるので、実戦に即した訓練のようなものなのだろう。
それらを眺めつつ、さて、これからどうしようかと先程の続きを考える。
さっきの男は禁忌魔法とやらを使ったとか言っていた。
それがどういうモノなのかは理解できないが………禁忌と名がついている以上、一般には知られていない魔法技術なのだろう。
という事は、その手の話しではよくあるパターン………自分は最悪元の世界には戻れないか、戻る手段を探すまで膨大な時間が掛かる可能性が大きい。
明日以降でいい仕事や、家の事………金関係その他諸々で同僚や弟に色々多大な迷惑をかけてしまうだろうが、こうなってしまってはどうしようもない。
連絡とか取れそうにないし………この身に起きた理不尽さを罵りたい。
だがしかし、何かしらの情報を手に入れなければ動くに動けない。
『あら、珍しい………貴方、どこからここに入って来たの?』
そんなジレンマに近いことを考えていると、突然頭の中に女声が響いた。
「っ………!!」
反射的に………多分、猫が驚いた時のように背中の毛が逆立って尻尾が立ち、反撃姿勢を取っているに違いない。
気配は消していた筈なのだが。
『ああ、驚かせちゃったわね………あら、貴方、普通のマーモキャット………魔物ではないのね』
ふわり、と………明らかに人間の大きさではないヒトガタが目の前に現れる。
『よう………せい?』
『ようせい?何、それ………わたくしは契約精霊よ』
グリーンシルバーの巻き髪、エメラルドグリーンのくるくる良く動く瞳………大きさは10cmほどの、淡い緑のドレスのようなワンピースを身に纏った姿である。
それも手伝って一目で女性とわかる………丁度小学生のような頭身の子だった。
見た目はファンタジーアニメとかに出てくる妖精………あとは羽根が生えていれば完全にそれなので思わず心の中でつぶやくと、再び頭の中に彼女?の言葉が響いてくる。
『けいやくせいれい?』
多分思念会話………テレパシーに近いモノだろうか………ともかく私は鸚鵡返しに聞き返す。
『………思念会話はできるみたいね。やはり貴方は普通のマーモキャットではないわね。どいういう事かしら』
………こうして面と向かっている以上、今更逃げたり攻撃する訳にもいかないし、とはいえお見合いしていても埒が明かない。
しようがないので思念でここにいる経緯を説明することにする。
『………自分もよく判らない。何だか訳の判らない現象がこの身に起きて、ここからちょっと遠くにある屋敷に………多分召喚された、別世界の人間………だった者だ』
『………召喚?禁忌魔法………何処のバカ貴族がそんな魔法を………ともかく、貴方は思念で会話することはできるのね』
『そのようだ』
「じゃあ、普通の言葉の聞き取りはできる?」
『大丈夫みたいだ、貴女の声は聞こえるし理解できる』
………多分自分はにゃあにゃあとしか鳴いてはいないのだろうが、相手の………目の前の契約精霊?さんの声は聞こえている。
ちょっと警戒を解いて、頷くように首を縦に振った。
それがこの契約精霊、エーアとの初会合………そしてこの世界のヒトガタとの初会話であった。