物語が始まる。
無事、しはるは生贄となる事が認められた。
「本人が望むのならばよいだろう」
と、殿様は沈痛な面持ちで言ったとか。
それを聞いて、しはるは思った。
それ絶対、自分に関係ないからどうでもいいとか思ってるよね。
だがそんな事はどうでもいい。
しはるはうっきうきだった。
そらもう空前絶後のうっきうきである。
にぇーむすの世界、いや、正確には神々の住まう世界は素晴らしく快適に出来上がっている。
要するに、この21世紀の日本となんら変わりない世界がそこにはあるのだ!
ビバ洋式水洗トイレ!
ビバあったかいお風呂!
ビバ冷暖房完備!
きっと現代ニッポンの皆様なら分かってくれる、文明って素晴らしい、そして文明とは上下水道と電気の事なのだ!!
そんなふうに、学者の皆様が聞いたら激怒されそうな事を考えながら、しはるは今、大川の舟着場で家族と最後の別れをしていた。
着ているものは真っ白な新しい木綿の着物。
髪には姉の恋人が作ってくれた木のかんざし。
持ち物といえば、祖母が用意してくれた巾着に入った、母の作った匂い袋に、姉の大事にしていた柘植の櫛。
巾着袋には、父が朝早くに山で摘んできた大輪の花が飾られている。
全員、悲痛な表情で、姉などはまた泣き出しそうな様子だった。
「じゃ、行ってきます! 心配しないで、みんな幸せになってね!」
無神経に笑って手を振ると、しはるは川を渡る舟に1人乗り込んだ。
舟にはしはるの他誰もいない。それでも舟はゆっくりと動き出した。
「しはる、しはる! ごめんなさい! ごめんなさい!」
姉が舟を追いかけようと飛び出した。
それを恋人が抱きしめる。
しょうがないなあ、としはるは苦笑した。
ゆうべ、あれだけ大丈夫だと言ったのに。
しはるは昨夜、交代はしないと泣く姉にだけこっそりと説明したのだ。
神々は生贄の娘を愛玩するが、食べはしないと。
ここにいるよりずっと快適で幸せに暮らせるのだと。
もちろん他言無用で、だ。
いっそ2人で行こうかと誘ってみたが、姉は最後まで信じなかった。
信じたとして、恋人以外の男の嫁になどなる気はないだろうし、なにより『快適』という事が理解できていないようだった。
ボタンひとつで流せるトイレ。臭くない。
シャンプーにトリートメント、ボディソープでシャワーにアロマの泡風呂。
ポチッとな、で研がずに炊けるお米に炊飯器。
洗濯も自動なら乾燥機もワンタッチ。洗剤なんて洗うだけじゃない、消臭・除菌に抗菌まである。
忙しくて疲れた夜は外食もアリならレンジでチン、もあり。
なんなら寿司からピザにファーストフードまで◯ーバーお届け!だ。
だが、江戸時代の田舎の村レベルで、近代化なんて言葉はカケラも存在しないこの世界でそれを分かれという方が無理なんであろう。
ギリギリまで自分が行く、あなたは逃げなさい、と言ってくれた姉には申し訳ないが、しはるは生まれてこの方感じたことがないほど満足していた。
思えば、この村の諸々には幼少期から不満しか感じなかったが、おそらく意識の端っこに21世紀の記憶が残ってでもいたのだろう。
姉は長年の思いを叶えて結婚。
村はこれからも税を安くしてもらえて安泰。
お殿様は国を守れてひと安心。
そしてしはるは晴れてにぇーむすワンダーランドへ!!
これぞまさしく八方良し、全てがウィンウィンの大満足時代の到来!!
ヨシ!
と拳をぐっと握って引き寄せたしはるの前に霧があらわれた。
その柔らかな白に包まれ、しはるは恐怖ではなくときめきを感じる。
ああ、いよいよにぇーむすファンタジアが始まるのね……。
頭の中には柘榴の歌とは別の、にぇーむすOP曲が流れている。
そして集めた、ああんでいやんでむふふな画像も流れている。
まるで走馬灯のようで縁起が悪いが、しはるはそんな事にも気づかずに、ぐふふぐふふと嫌らしい笑みを浮かべていた。
家族にはとても見せられない。
そうこうしているうちに舟は霧を抜けた。
川岸には体の大きな鬼たちが待っている。
その様子に、しはるは違和感を覚えた。
なんだろう、何かがおかしい。
待っているのは鬼たちだ。
男が2人と女が3人。
みなわかりやすい着物を着ている。
そう、とてもわかりやすい。シンプルに鬼、そして野蛮。
彼らは岸についた舟からしはるを乱暴に降ろすと、前後を挟んで歩かせた。
扱いがひどく雑。
どころか、ガラの悪い鬼の男の1人などは、しはるの腕を掴んでにやにやと笑い、「うまそうだ」と言いもした。
徒歩で向かった先の鬼の村は、しはるの故郷の村と何も変わらない様子で、畑仕事をしている者もいれば、家畜の世話をしている者もいる。
おかしい、何か変だ。
しはるは冷や汗が止まらない。
そしてそれはひときわ立派な角を持つ、美しくも恐ろしい鬼神の前に引き出されたときも続いていた。
「ふん、今回はいつもより小さいな。だがうまそうだ」
そう言って近づいてきた鬼神は、いきなりしはるの着物の襟をはだけさせ、むき出しになった肩に噛みついた。
「いやああああああっ!?」
肉がごそりと持っていかれる痛みに、しはるは泣き叫ぶ。
その様をにやりと笑って眺め、口もとの血を拭って舐めた鬼神を、そばにいた女性の鬼が止めた。
「鬼神様、まだ痛みを消す酒も与えておりませんのに、傷をつけるのはおやめください。味が落ちてしまいます」
「おお、そうだったな。では酒を」
女はため息をついてしはるに酒を飲ませながら小言を続ける。
「酒で痛みを消しても、一度落ちた味はなかなか戻りません。食べられるようになるまで半年はかかりますよ」
「そんなにか」
「そんなにです。お前たち、贄の娘を奥の部屋に。傷をつけるなよ」
その言葉を聞きながら、しばらくは心配なさそうだ、と安心したしはるは気を失ったのだった。
しはるが目を覚ますと、そこは10畳ほどの和室で、しはるは肩の手当もすんだ状態で布団に寝かされていた。
周囲には誰もおらず、体を起こしたしはるはぼんやりと辺りを見回す。
日本の、ごく普通の和室だ。
文机があり、床の間には花が一輪飾られ、他には何もないシンプルな、でも落ち着く部屋。
肩に巻かれた包帯が無ければ、全ては夢で、日本で旅行でもしている間に見たものだったのだと笑ってしまいたいくらいになんの変哲もない、ごく普通の和室。
肩の包帯に触れて、しはるは震えた。
食われるのだ。
しはるはこれから半年後に食われる。
ここはにぇーむすファンタジアの世界ではなかったのか?
死にたくない。
食われたくない。
生きていたい。
逃げたい。
頭にいろんな考えが浮かぶ中、目の前にホログラムのようにメッセージが浮かび上がった。
ピロン、と気の抜けるような緊張感のない音付きで。
『メールが1通届いています』
「は?」
『電源を入れて確認してくだい。メールが1通届いています』
「は? いや電源って」
『目を閉じ、パソコンを思い浮かべてください』
混乱しつつ、いや、混乱しているからこそだろうか、指示されるままにしはるは目を閉じ、パソコンを思い浮かべ、その電源を入れた。
と。
ブゥン、という音がして目の前に半透明なスクリーンが立ち上がる。
手元にはやはり半透明なキーボード。
「っしゃああっっ!!」
思わずしはるは小さくガッツポーズを決めた。
これで勝つる。
なぜなら彼女は知っていたのだ。
こういう場合、様々なお助け機能が手に入る可能性があるという事を。
そのため、彼女がまず最初にやったのはメールの確認ではなくインターネットの確認だった。
現代人として何より大事な事。それは通信環境の確保。
そして無事ネットが繋がっている事を確認すると、それからメールを開いてみた。
差出人は「神」。
それに何の感動も感慨もなく、しはるは本文を読む。
そこにはキレそうな内容が書いてあった。
『はじめまして。
わたしはこの世界の管理を担当する事になった神です。
この世界では地上を管理する神々と、その神々と世界の全てを管理する神が分かれています。
つまり、わたしはこの世界の最高責任者、社長のようなものですね。
わたしはこの世界の神になったのはつい最近の事なのですが、その前は地球の日本で暮らしていました。
時代は20世紀の終わりから21世紀になった直後くらいまで。
ところでこの世界は、もうご覧になったと思いますが、文明の発達が非常に遅いです。
神ですら、地上の一番いい暮らし、お殿様程度。
正直耐えられません。
そこでわたしは考えました。
日本人の魂を呼んで神の暮らしだけでも変えてもらおう、と。
幸い、わたしの子孫がゲーム会社の社長だったため、この世界の夢を見させてわたしが願うような環境が整った状態のゲームを作らせる事に成功。
そのゲームを気に入り、その世界で暮らす事を拒まない魂を選定して、ここの地上に招く手配をしました。
これからあなたには、この神の世界の文化・文明度を上げていく仕事をしてもらいたいと思います。
ついては、そのための手段となるものを準備しました。
みんな大好きインターネットです。
ネット欲しい情報を調べたり、必要なものを買い揃えたりして、頑張って生き延びてください。
そしてこの神の世界に日本レベルの環境を導入してください。
とりあえず最初の1回だけ、25万ほど入金してあります。
以後は、わたしあてに捧げ物をしてくれれば、それでお金を増やせます。
捧げ物の価値は、そこに込められた感謝の思いで決まります。
物ではなく、その物に込められた思いを価値に変えている、と思っていただければいいでしょう。
また、鬼神とその配下の鬼たちはとにかくお酒がお好きで、美味しいお酒があれば大抵の事は全て解決できます。
お願いします。
本当にお願いします。
もう電気文明なしでは生きていけないのです(涙)
なのに神が直接あれこれ文明に手を入れるのはダメとか、老害どもがクッソうるさいのです。
なんとか、なんとか頑張ってください(泣)
本当に本当に、どうぞよろしくお願いします。
この世界の最高神より』
……見なかった事にしたい。
しはるが最初に思ったのはそんな事だった。
見なかったことにして、このネット環境だけ持ってどこかへ逃げたい。
だがそれは不可能だ。
しはるは大きくため息をつくと、メールを閉じて再びインターネットを立ち上げた。
おそらく、予想通りならばお買い物ができるようになっているはず。
しはるはあれこれ思い返しながら、自分が飲んだ中で美味かった酒を探し始めた。
まずは日本酒だろう。
ポチッとな、とすると布団のそばに日本酒の瓶があらわれた。
何と美しい……これは鬼になどやらずに自分で飲むべきか。
ちょうどそのとき、障子の向こうで気配がした。
誰かが近づいてくる。
しはるは急いで有名メーカーの一升瓶を注文して、高い方を布団の中に隠す。
いいか、酒の価値が分かるかどうかという奴に高い酒はやれん、これは古からの倣いなのだ。
「入るわよ」
「はい」
入ってきたのは初めて見る若い鬼の女性だ。
「起きてたのね。具合はどう」
「おかげさまで、快調です。ところで、親切にしてくださった皆様にささやかな贈り物があるのですが」
「ふん、殊勝なことね。だからといって贄になる運命は変わらないわよ。大体、地上の生き物が作ったものなんて……」
「こちらをどうぞ」
そう言ってしはるは有名メーカーの一升瓶をそそそ、と差し出す。
そして、きゅぽん、と栓を開けてその香りを立ち昇らせた。
「こ、これは……」
普通にスーパーでも手に入るほどの有名なものだが、それはそれだけ受け入れられているという事。
日本が誇る日本酒はどれも最高にグレイトなのだよ明智くん。
鬼どもが決してその魅力には逆らえないほどになあ!!
謎の自信に満ちて、しはるは笑みを浮かべた。
「鬼神様に差し上げる前に、お毒見が必要かと。ささ、どうぞご遠慮なくお持ちくださいませ」
「あ、ああ、そうね。毒見、そうだ毒見ね。毒見が必要……」
ごくり、と女は唾を飲み込み、一升瓶を持って出て行った。
落ちたな、としはるはにやりと笑った。
その後、鬼神が住まう鬼の里は文明がどんどん発達し、神の世界中にその文化文明を広げ、その振る舞いを真似る事が神の世界のはやりとなった。
鬼神が贄として差し出された人間の娘を大切にした事から、他の神々の間でもそれが当たり前の事となり、中には自分好みに娘を育てさせる神、贄は人間の娘に限定する神まで現れた。
それを見ながら、件の鬼神の贄は「これじゃ女性向けっていうより男性向けよね」と言ったそうな。
とっぴんぱらりのぷぅ。
ー おしまい ー