105話 運とは2
ひとまずお茶をすすって爆食いタイムは終了か。後輩が口を開く。
「「運がない」状態っていつまで続くのかって話でしたね。そんなの分からないですよ。分かったらそれを自分の運に見合った台選びをしますって。」
さぁ入りました。車が走り、プラスが普及した現代においても解明されない不思議な概念「運」について。このテーマはホントに面白い。同じオリスロを遊技する人たちの間でも星の数ほど考え方がある。
「そりゃそうだな。けど分からないことではあるけれどいいも悪いもある程度連続性があるように感じない?」
何を言ってるんだと一蹴されないだろうか。これはここ数か月オリスロと関わって肌で感じたこと。
「うーん。勝ち、負けがそれぞれ連続するときはありますけどそれを「連続性」とまでよべるかはなんともですね。」
赤貝を一つ口に放り込み飲み込んだあとに後輩が返す。そっか。こう感じてたのは俺だけか。
「そっか。じゃあ本題、「運」は個体差があると思う?」
そうそう。これ。これが一番聞きたかった。まぁ車内での会話でどう返ってくるかおおかた予想がついているけどさ。
「当然あるでしょう。同じ設定の同じ条件から打ち始めて万枚出す人もいれば,万枚負ける人もいるわけで。これが「運の個体差」じゃなければなんなんですか。」
「そうだろうな。おれもその考え方に大いに同意ではあるが、収束論(運のいい、悪いの一時的な偏りはあってもものすごく大きな試行回数のもとではほぼ確率通りに収束するという考え方。)も無視はできないと思っている。」
「・・・収束論は好きじゃないですね。ほとんどの台において収束するまで打てるわけじゃないことを利用した「運の弱者に対する納得のさせ方」みたいに感じてます。」
・・・なるほど。ここの違いは面白いな。追加注文のためタブレットを操作しながら次の言葉を探す。
「まとめるとやはり運は個体差による差が第一で連続性的なものはおまけ程度って考えか。おれは個体差もあるとは思うけどある程度は試行回数に応じて確率通りに収束するという論理も無視できないと思っている。大事なのは収束する中で自分が今どんな流れの中にいるのか、いい流れと思えば荒い台にも行けるし、悪い流れと思えば保険をかけて天井に少しでも近い台を選んだりとかさ。」
後輩はそうかなぁという顔をしながらも続きを待っているように見えたのでそのまま言葉を続ける。ねくすと。
「まぁ自信があるわけでもないし明確な根拠があるわけでもないけどさ。それでも自分の運のなさを他と比べて嘆くより,いい気持で遊技できると思うんよ。甘い機種で負けたら「荒い機種だったらもっと負けてたかも。」天井に到達したら「救済がある台を打っててまだマシだった。」こんな風に考えてる。なんだろう。当然毎日勝てるに越したことないんだけどそんなことできないのは承知の上である以上,負けた日のストレスは軽い方がいいじゃないと思ってさ。」
さぁ、実際に運について考えていたことを後輩に少しでも元気になってもらえりゃと思いながら言葉を選んだつもりだが効果はあっただろうか。