涙花
サラッとお読みください
私は夢を見ているのだろうか。結婚の約束をして必ず戻って来ると言った彼は、何故私では無い女兵士と笑いあってキスをしてるのだろう。私の手から滑り落ちる花束が、これは夢じゃ無いと残酷に告げて来る。
知らずに頬を伝う涙を見た幼馴染のアジールが、兵士達のパレードに突っ込み、私の愛するオリヴァーに掴みかかり乱闘が始まった。何が起こっているのか分からず、私は踏み潰された花束の前にへたり込む。だけど、その目はオリヴァーから離れずに唯一心に見つめていた。
アジールはすぐに取り押さえられ、兵士達に連れて行かれるが、暴れ叫ぶそれは全て私への裏切りを責める言葉だった。オリヴァーを心配するように寄り添う女兵士は誰?約束は嘘だったの?心変わりをした?……貴方が言った愛の言葉は偽りだったの?
私は震える体を無理矢理動かして、オリヴァーに近づく。私達の関係を知ってる街の人達の、オリヴァーに対する罵詈雑言も信じたく無い。きっと何か理由があるはずだ。きっと何か、何か。
「オリヴァー……嘘だよね?」
「すまないが……君は誰だ?」
彼は私のことなど覚えていなかった。そう、私の記憶だけ。
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街の騒ぎに、何事かと偉い人達が動いたらしくオリヴァーと街の住人達から事情聴取が行われたらしい。私も当事者としてオリヴァーの事を聞かされた。オリヴァーは戦争で頭を負傷したらしく、何故か私の記憶だけが抜け落ちていると。そして、今は介護をした女兵士と恋仲なのだと。私はただ、事情が事情なだけに釈放されたアジールに支えられ全てを聞かされた。
涙は枯れる事なく溢れ落ちる。私はその涙を何もない土だけが入った小さな鉢植えに注ぎ続けた。
一ヶ月程経ち、街は落ち着きを取り戻したが、私は亡くなった両親が経営していた花屋をずっと開けられずにいた。店中に咲き誇っていた花々は枯れ果て、私は止まらない涙を今日も小さな鉢植えに落とす。
アジールが私の心配をして、毎日のように家の仕事を抜け出しては私の花屋に訪れる。アジールはオリヴァーの事情を知ってから私の側に何も言わずに居てくれる。街の人達も慰めの言葉をかけてくれる。
そんなある日、オリヴァーと恋仲の女兵士がやって来た。
「アリスさん、上司から聞かされました。俺と貴女は婚約関係にあったと……。でも、俺には貴女との記憶がありません。貴女には不義理を働いてしまって申し訳ありませんが……今は此方のエレノアと恋人関係にあります」
「アリスさん……ごめんなさい……貴女からオリヴァーを奪ってしまった形になってしまい……」
その言葉を聞いた私は震え上がりながら、涙を余計に溢れさせてボタボタと鉢植えに落とす。
「もう、いいの……。私もオリヴァーの事、全部忘れるから……帰って。……幸せにね、オリヴァー」
追い出すように二人を帰し、止まらない涙を鉢植えに注ぎ続ける。これはオリヴァーを忘れる為、オリヴァーの幸せの為なのだから。そして一睡もせずに涙を流し、落とし続けた鉢植えからは淡く白く光る花が一輪、朝日と共に咲いていた。
これは『涙花』。誰かを想い、悲しみの涙を流し続けると咲くと言われる花だ。別名『忘却の花』とも呼ばれる。想い続けた人だけを忘れ続ける花。これを食べれば私はオリヴァーを忘れ続ける。
私はオリヴァーとの今までの記憶を忘れる為に、涙花を食べた。そうじゃなきゃ私は私でいられないから。嫉妬と絶望と裏切りに耐えられないから。どうしようもなく好きなのだ。どうしようもなくオリヴァーが好きなのだ。私に残るのは消えてくれない恋慕の情と……。
オリヴァーとの大切な記憶が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。最後に浮かんだ記憶は真っ赤になりながらプロポーズをしてくれて、オリヴァーも私も幸せな顔で笑っていた記憶だった。
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俺と婚約関係にあったアリスさんは憔悴しきっていた。綺麗に咲き誇っていただろう花々は枯れ果て、彼女は止まることのない涙を何も無い鉢植えに落としていた。そんな彼女を見ていると無性に胸を掻きむしりたい衝動にかられる。そんな彼女の姿が焼きついたまま、眠りにつく。
「アリス、そんなに泣いてアジールに虐められたのか?」
「うん……」
「大丈夫だアリス!!俺が大きくなったらアジールより強くなって守ってやるから、だから俺はアリスを守る騎士になるんだ!!」
「オリヴァーはもう私のカッコいいヒーローだよ?」
「うっ……孤児の俺にそんな事言ってくれるのはアリスだけだ」
俺は幼い頃の記憶を見た。それも忘れてしまったアリスとの子供の頃の記憶だ。それから毎晩のようにアリスとの思い出が夢に出て来る。そして次に思い出すのは枯れた花々に囲まれて涙を流す彼女だった。
「オリヴァー、寝不足?」
「エレノア……すまない、俺は記憶を取り戻し始めてる。今もアリスが頭から離れないんだ……すまない……別れてくれ」
「そう……いつかこうなると何となく分かってたわ。だから貴方と一緒にアリスさんの所へ行って、見せつけたかったのかもしれない。いいわ……別れましょう、オリヴァー」
仕事を早めに終わらせ、そのままアリスの花屋へ急ぐ。すると枯れていた花々は綺麗に咲き誇り、街の人と笑いながら喋るアリスが居た。あんなに憔悴していたのに、何があった?俺はアリスへと近づく。緊張で声が震えていた。
「アリス……今まで記憶が無かったとはいえ、辛い思いをさせて、すまなかった。……エレノアとはちゃんと関係を終わらせてきた。だから……」
「初めまして、兵士さん。恋人さんと喧嘩でもしましたか?なら此方の花をプレゼントしたらどうでしょう。きっと喜んでくれますよ!!」
「アリス……?」
「どうして私の名前を知っているのです?……アジールのお友達でしょうか?」
「怒っているのは分かる……だけどアリス、君との記憶が戻ったんだ」
「私との記憶?すみません、何の事を言っているのか分からなくて……兵士さんとは今日初めて会ったばかりですよね?」
「アリス?」
「特別に此方の花は差し上げます。早く恋人さんと仲直り出来るといいですね」
アリスは本当に俺と初めて会ったかのような反応をする。最初は怒っているだけだと思って、許される日までアリスに会いに行こうと思ったが、次の日のアリスの反応でおかしい事に気づいた。
「初めまして、兵士さん。誰かに花をプレゼントですか?」
「……アリス?昨日も会っただろう?」
「……?すみませんが、兵士さんとは今日、初めて会ったはずですが……あっ、アジール!!こちらの兵士さんはアジールの友達?」
「ああ……アリス、ちょっと此奴と話して来る」
アリスの反応に呆然とする俺をアジールは引っ張り、路地裏へと連れていく。俺はアジールに掴みかかり、アリスの異変について問いただした。だがアジールは冷たい目で俺を見て、俺の手を払い除けた。
「アリスはな、『涙花』を食ったんだよ。ずっとお前を想って流した涙で咲かせた涙花をな。だから毎日アリスに会ったところで、お前の事は次の日には忘れている。諦めろ、仕方ないとはいえ、涙花を咲かせるまでアリスを泣かせ続けたんだから」
「……嘘だ……嘘だ!!アリスが俺を忘れるなんて……!!」
「きっとアリスも今のお前と同じ気持ちだったろうよ。それだけじゃなく、お前はあの女兵士と恋人関係になっていた姿を見てアリスはもっと傷ついていたはずだ。帰れ、二度とアリスの前に現れるな。これ以上傷つきたくなかったらな」
そう言われた俺は路地裏にしばらく座り込んだ。信じたくなかった……だが、これは俺がアリスを忘れた罰なのだと思った。それでも俺は何度も何度もアリスの花屋に足を運び続けた。
今日は仕事が忙しくてアリスの花屋に行くのが遅くなってしまったが、アリスは笑顔で迎えてくれる。
「初めまして、兵士さん。誰かに花をプレゼントですか?」
「ああ……俺にとって一番大事な人に……」
「なら、この花はどうでしょう?『想い花』って言う花なんですが」
知っている。想い花は俺がアリスにプロポーズした時にプレゼントした花だから。
「知ってます?想い花は……」
「知っている。……想い花は闇夜の月明かりの中、薄霞のように光って凄く綺麗なんだろ」
「兵士さん、よく知ってますね。私、この花が一番好きなんです」
屈託のない笑顔で想い花の花束を持つアリスは、プロポーズをした時と同じように見えた。目蓋が熱くなり、涙が溢れそうになる。アリスから想い花の花束を受け取り、俺はその場で跪いた。
「アリス……この花束を君に」
「えっ……私にですか……?だってこれは……」
「アリス……何度君に忘れ去られたとしても、俺は諦めないから……」
「…………嘘つき」
アリスは涙を流し、虚な目で想い花を見ていた。だが、それは一瞬の事でアリスは自分が言った言葉に驚いた様子だった。そして涙を拭き、苦笑いで俺が差し出した想い花をそっと拒否した。
「兵士さん、この花はちゃんと好きな人にあげてください。その時は、好きな人とお花を買いに来てくださいね」
アリスは微笑み、店の奥に行ってしまった。それでも俺は何度でも何度でも………アリスに会いに此処へ来るのだろう。
ありがとうございました!!