第一話 「アセスメント」
日常の仕事上の妄想ってことで…、ゆっくりつらつら、書いていきます。
地方の古都と言われるこの街。
その外れにある一際古く大きな家。
由緒正しそうな瓦屋根に大きな門、今そこに場違いともいえる一台の軽自動車が近づいていく。
駐車場らしい傍らの空き地にそれは止まる。
「白犬ケアセンター」と書かれたその車。
最初にぱっ、と飛び出してきたのは制服の女子高生だった。
眩しい白いブラウス、赤いタイに紺の襟とプリーツスカート。
きょろきょろ見回し、一筋の白いメッシュが入っている肩までのワンレンの黒髪が揺れる。
清楚と可憐さを兼ね備えた、見惚れるような第一印象とは裏腹に、その台詞が…
「ここぉ?、りっぱなウチだねっ」
遠慮会釈もない言いざま。
「でも古ぅい」
威勢はいいが明らかに知性は?、という典型的な雰囲気だ。
「騒がしいですよ」
言いながら現れた長身の若い男がたしなめる。
キャスケットをかぶり質素なジャケットを着た、何処か影のある印象。
地味だがその雰囲気は記憶にいかにも残りそうではある。
その腕を、慣れた仕草でサッと掴み身を寄せる女子高生。
傍から見れば羨ましい風景のはずなのだろうが…
はいはいまたですか、というような素っ気ない表情の男。
そしてその表情など気にせぬように言う彼女。
「いぃじゃん、古いモンは古いんだからぁ」
「大体、あなたは今日の役目をわかっていますか?」
女の子は、ぱっ、と右手を上げ明るく答える。
「はぁい、事務のアルバイト、書類持ちでぇす」
「なら何でみんな私が持っているのですか」
肩から下げたカバンを叩く。
「えぇ、か弱い女の子に重たいカバン持たせるつもりぃ?」
「言う事が思いっ切り矛盾してますよ」
「細かいことはいぃじゃなーい、ねえ野平さん?」
最後に降りてきたドライバーの男に問いかける。
「白犬ケアセンター」と記された白いポロシャツにジーンズ、そしてサングラスを掛けマスクをした男は、肩をすくめて首を振る。
「いいってさー」
「首を振ったのは無視、ですか。『白神 妙』さん?」
「やだなぁ、いつも通り『シロン』って呼んでよ」
馴れ馴れしいその両手をやんわりと引き解く。
「よそ様に仕事で来てるのですよ」
「…ちぇえっ、わぁったよ」
「余計な事を言わずにおとなしくしてなさい」
「はぁい」
頬を脹らませる彼女に帽子の男は苦笑いする。
「でも、今日の『本当の』役目には期待してますよ」
「うんっ、まかせてっ!」
女の子の快晴の微笑み。
彼は頭に手を当て帽子をぐいと深くかぶる。
ドライバーの男に視線をやり、彼が頷くのを確認し歩き出す。
「行きましょうか」
古めかしい上がり框が三段ほどもある広い屋敷の玄関先、下手なワンルームよりも広いその場所で、彼は声を上げる。
「ごめんください、白犬ケアセンター、ケアマネージャーの真野 善也と申します。ご当主様のアセスメントに参りました」
使用人らしき女性が頭を下げて応対し、奥に走る。
広大な和室の応接間に通され、三人の前に如何にも上等な茶と菓子が出される。
いきなり、さっと手を出す女子高生、使用人の女性はそれを苦笑いしながら礼をして下がっていく。
しかし当の彼女、いや「シロン」と呼ぼうか。
シロンはそれらを飲み食いすることなく、三人分の茶と菓子をじっと見つめるようにする。そして他の二人に向かい、こくり、と頷いてみせる。
ふと緊張の糸が緩んだ雰囲気。
するとシロンがしきりに茶と菓子を指さして、何か訴えているようだ。
如何にも美味しそうな茶菓子、早く食べたい、という事なのだろう。
しかし善也は首を振る。
彼女はちょっと眉をひそめる、が、ちょっと明後日の方を向いたままで黙る。
傍らに大人しく何も言わずに座っているシロンを見て、文句の一つでも言うかと思ったのだろう、善也はほっと息をつく。
しかしこうして黙って座っている彼女を見ると、どこのお嬢様かとも思える気品が、何故か伺えてしまう。
ふと善也は心の中で呟く…
(まあそれも当然ですか、何せ彼女「シロン」は…)
しかしその時、ドスドスドス…、大股の足音が聞こえ、善也は意識を応接間の入り口に向ける。
ガラリ、と障子が開きスーツ姿の中年の男性が顔を出すと、そのまま上座に進みずかりと胡坐をかく。
「当主の甥にあたる御狩野 作蔵だ」
「白犬ケアセンター、ケアマネージャーの真野 善也と申します」
鷹揚に頷く中年男性。出した名刺は手に取ろうともしない。
「こちらは運転管理者の野平です」
「彼女は事務見習いの白神です」
連れをそれぞれ紹介していく。
最後の女子高生を見る時のちょっと意外な顔と、その次に垣間見える下司な好奇心には、苦笑いしてしまうほどだった。
「本日はご依頼頂きました、ご当主様のアセスメントに参りました」
「おお、これはご苦労さん」
口ではそういいながら、全く苦労など思いやらない態度、しかし善也はおくびにも出さず頭を下げる。
そう、アセスメントは既に始まっている。それは「情報収集と分析」ということ。
甥と名乗る「作蔵」という人物の情報が、善也の心の中のアセスメントシートにすでに克明に記されていく。
「まあ、ゆっくり何か食べながら、話を聞いてもらおうか」
使用人を呼び、軽食の用意を申し付ける作蔵。
「ありがとうございます、しかし…」 頭を上げる善也。
「今日は仕事で参りましたので、早速ご当主様にお会いしたいのですが」
「まず家族の代表たる私の話を聞くのが先だろう?」
舌打ちをするような不快な表情。
極力穏やかに否定する善也。
「介護はもとより『怪護』のアセスメントはまず、先入観無きご本人の状態を見る事から始まります、それは…」
「…私の言う事は信用ならん、と?」 中年男の顔に一瞬、険が走る。
明らかに何らかの意のありそうな早すぎる反応。
一瞬の気まずい沈黙、…を取り消そうとする笑みをケアマネージャーは浮かべる。
カバンを引き寄せ、書類を取り出そうとする。
「アセスメントについて誤解があるようですね、ご説明いたしましょう」
「そんな説明など…」言いかける作蔵。
その時、資料を留めていた小さなダブルクリップを外そうとした際、どういう拍子か…
パチンっ―、善也の手元から飛び跳ね、シロンの向こうのほうまで飛んで行ってしまう。
落ちたそれを手に取ろうと、女子高生がふと身体を傾ける。
健康的な白い太腿が、一瞬、チラリと見える。それを眼で追い掛けてしまう作蔵。
それどころかそのスカートの奥まで見たそうに、ふと首を傾げるほど。
しかし、その視線が善也の探るようなまなざしと交差してしまう。
思わず眼を反らす中年男。
そして更に女子高生からも、見たな?!、という視線が突き刺さってくる。
「お気に障りましたことはお詫び申し上げます」
言葉に詰まる作蔵を振り向かせる、善也の一言。
「ですがアセスメントはまずご本人との面談、それをご理解いただきますよう」
そしてにっこりと微笑みを添える。ついうなづいてしまう作蔵。
「ありがとうございます、もちろんご家族様の御意見も十分にお聞かせ下さると助かります」
「い、いや、はははっ、こちらも言い過ぎたようで失礼した」
中年男は誤魔化すような作り笑いを浮かべる。
「では、さっそく当主様との面談をお願いします」
カバンを持って立ち上がる善也。しかし作蔵から声がかかる。
「それは置いて行って下され。身一つでよろしいだろう?」
(ずいぶん警戒しているな) しかし心の声を表すことなく、黙ってカバンをシロンに預ける。
「ではアセスメントに行ってきます、あとは『よろしく』お願いしますよ」
頷くドライバーと少女。
屋敷の一番奥の荘厳な雰囲気の座敷の前で、作蔵は膝をつき、善也もそれに倣う。がらりと開く大きな襖。
まず目に入るのが、異様な程大きな床の間と、華麗を通り越してゴテゴテしたような巨大な仏壇だった。見ればいかにも田舎の名家の座敷だ。
しかし善也は心中で眉をひそめていた。
一見豪華な和室、しかしその採光や通気などが、具合の悪い人間の居る環境のそれでは全くなかったからだ。
部屋の中央には、絹地と思わしい大きな布団が敷いてあり、その上に黒檀らしい立派な座椅子が置いてある。
そこに座り身を起こしている老人こそ、この御狩野家の当主、「一右衛門」だった。
しかしその表情は青白く虚ろで、何故か大きく右に傾いでいた。そして何故かその左首には大きな黒い布が掛けられている。
その傍で心配そうに見つめるは、きっちりと正座した中年女性。その服装から、この家の使用人と判断できる。
見ると布団の傍ら向かって右には、やはり座椅子に座った老女。
気品のある和服を着ているが、その顔や手足は何故かわなわなと細かく震えている。当主の妻、「ウメノ」らしい。
これもまた、傍らに心配そうな使用人が控えている。
しかしその部屋に作蔵が入って行った時の、二人の使用人の視線に、善也はあるものを連想していた。
「座敷牢」―、体のいい軟禁。使用人二人は命じられた看守。そして命じたのは…
善也は傍らの作蔵を見やる。
いや、まだアセスメントはこれから…、ケアマネージャーは気をとり直し、呼吸を整え意識を集中させる。
作蔵は当主の傍らの使用人に顎をしゃくる。彼女はためらいながらもゆっくりと当主、「一右衛門」の肩にかかった布を取り去る。
赤黒い大きな肉塊がそこにあった。二つの白い点は眼か?
その下には鼻らしき二つの黒点。
さらにその下の裂け目…、口にしか見えない。
つまり、御狩野家の当主、一右衛門の左首筋には、顔としか思えない塊が、取り付いているのだ。
「これは…?!」
「『人面瘡』だ」 作蔵の声。
人面瘡―
それは、奇病の一種とされ、身体の一部に付いた傷が人の顔に変化し、話をしたり物を食べたりするものとされる。
妖怪や怨念が取り付き生じると言われているものだ。
善也は少し考えてから、作蔵に尋ねる。
「ご本人とお話してよろしいでしょうか」
「ああ、話せるものならば、な」 薄ら笑いの冷たい一言。
善也は布団のそばににじり寄る。
当主の寝床の周囲には何も置いておらず、さっぱりしたものだった。
息を吸い込んで、ゆっくりと声をかける。
「ケアマネージャーの真野 善也ともうします。家族様の御依頼で、ご様子をうかがいにまいりました」
一右衛門の顔がぴくり、と動いたようだ。
「私の声が聞こえますか」
その口が動いたようだが、声にはならなかった。
「お名前をおっしゃってください」
「う…」
「生年月日は?」
「…あ?」
呻きのような声しか聞こえない。
しかも本人からなのか、人面瘡らしきものから発せられたものなのか、判別はつけがたかった。
それから身を乗り出し幾つか質問する善也。
しかし反応は似たようなものだった。
引き下がる時に、作蔵が嘲笑うように言う。
「…な、無駄だったろう?」
「いえ、わかった事があります」
「な、何がだ?!」 善也の答えに一転、驚いた表情の作蔵。
「『本人は話をする事ができない』という事がわかるのも、アセスメントの成果の一つなのです」
「フン―」
からかわれたと思ったのか、そっぽを向く中年男。
傍らの当主の妻にも質問する。
「ご主人様は、いつ頃からこんな状態になったのですか」
「ああ、ああ、兄いよ、助けて、助けてやってくれい…」
しかしこちらも、何を訪ねても理解できないのか、同じような答えを返すのみだった。
当主やその妻に付き従っている使用人にも話を聞いてみる。
「あのお優しいご主人様がこんな事になるなんて、ケアマネージャーさん、何とかしてやってください」
「…奥様はご主人様がこんな風になられてから、ずっとこのように…、おいたわしい」
しかし当主やその妻がいつからどんな風に具合が悪くなったのか、については…、
「私はその日はお休みをいただいていまして…」
「その時は使いに出ておりましたので、はっきりわかりません」
ゆっくり考えながら話す態度は、教えられたとおりに答えようとする緊張感のゆえ、と言えば穿ち過ぎだろうか?
分かった事と言えば…
「一右衛門は三日前趣味の狩猟に行き、獲物のウサギや野鳥を自ら調理して食べた」
「その夜から苦しみはじめ、高熱が出て翌朝見ると首筋に肉塊が出来ていた」
「その姿に衝撃を受け、妻ウメノの言動がおかしくなった」
…らしい、ことだった。
「以前から言っていたんだ、『狩猟のような殺生をしているといつか報いがある』とな」 作蔵が腕組みして言う。
「この『人面瘡』こそその報いだ、そう思わんかね?」
この一言で作蔵には当主への敬慕など欠片もないことがわかる。
「甥御様の御意見、うけたまわりました」
極力無難な受け答えの善也を睨みつける。
「意見ではない、真実だ。間違えるな」
ずいぶんな上から目線だ。
その後―
奥座敷を辞して戻る最中に、作蔵はふと途中の六畳間の障子を開く。
中に入り座り込むと、善也を手招く。
特別に話がある、というのか、それにしても身勝手な態度だ。
しかし何も言わずにおとなしく付き合う事にする。
「尊大で好色で強欲な男」
善也ですら単純にこの作蔵という男をそう分類したくなっているが…
何かがその向こうに垣間見える気がするのだ。
「で、今回の『人面瘡』への対処だがな」
どうしても『人面瘡』という事にしたいらしい。
「あんたらの『カイゴサービス』では今後、どうなるのかね、詳しく教えてくれ」
辺りを気にするような表情で善也は気づく。
作蔵は使用人の前で、人にものを尋ねる姿は見られたくなかったのだろう。
つまらないプライドだ。
しかし笑顔で説明を始める。
「一般に介護とは、障害者の生活支援、あるいは高齢者・病人などを介抱し世話をすることをいいます」
「しかし私どもの『怪護』とは―
①『怪』(もののけ)による障害に対する支援、介助。
②障害者・高齢者・病人などへの『怪』(もののけ)による介護。
…をいうのです」
こんな相手でも、己の仕事や願いについて語り出すと、つい熱が入る。
「古からの妖怪や霊と言われるものは、おしなべて人の世のゆがみを受けうらみや迷いを抱きし者達」
まるでその妖怪や霊たちを慮り、擁護する善也の熱い言いざま。
「しかし、それらも元は人から生じたものなのです」
しかし目の前の作蔵に、その熱は通じるのだろうか。
「害をなす『怪』(もののけ)そのものを救い、被害者をも救う。それが私達の目指す…」
―ドンッ!
熱い思いは机を叩く音で中断させられる。
…どうやら、通じる事は、無かったようだ。
「御託はもういい、お前は私のために、何をするんだ?!、それだけを言え!」
介護や『怪護』事例を数多こなしている善也だが、そろそろ職業上の笑顔の維持が困難なレベルに近づいてきている。
善也は軽く首を振る。いやまだ大丈夫。
「では申し上げましょう、もし今回のケースが『人面瘡』であるなら…」
作蔵の文句ありげな表情に、わざと被せて言う。
「その人面瘡に『面談』を行います」
「はあ?」 わけが分からん、といった作蔵の顔。
「面談?!、何を言っているさっき話はできなかっただろう?!」
「はい、私のような『人間』とは話せないのは分かりました」
「だったら―」
しかし、わざわざ善也が『人間』と言った意味が、作蔵ですら理解できてきたようだ。
「ん、ちょっと待て、その『面談』をするのは…?」
「ええ、妖怪や霊です」
「―!」 作蔵は驚いた顔を隠すように顎を右手で覆い、そっぽを向く。
いや何か呟いているような、独り言?
善也が口を開こうとする前に、作蔵の視線だけがこちらを向く。
「面談して…、どうするのだ?」
なにか雰囲気が変わった。
何故だ―?、善也は慎重に言葉を選ぶ。
「簡単に言えば、言う事を聞くなら従わせ、出来なければ、そう―」
少しだけ考え、言う。
「排除します」
「排除?!」 作蔵の突然の大声。
その後、そのままじっと考えるような姿。
「…では、あんたは、そんな事に使役できる妖怪や霊を持っている、という事なのか?」
『使役』、『持っている』?、善也のまなじりがぴくりと動いてしまう。
「…まあ、平たく言えば、そうなりますかね」
だがわざと否定せず、作蔵の顔を見つめる。
顎を覆った右手が降り、顔がこちらを向く。
「で、いつだ?」
また以前の作蔵に戻ったような、尊大で強引な口ぶりだ。
さっきのは何だったのだろう?
「…と申されますと?」
「決まってる、当主をいつ治すのかだ!」
またいきなりな話だ。
「お待ちください、まだアセスメントが済んだばかりです、これから分析を…」
「さっき『人面瘡』の対処方法を言っただろう?、そうすればいいじゃないか」
「いえ、まだそうと分かったわけでは…」
「誤魔化すのか?!」
なんでそうなる?
「もし『人面瘡』であるなら…、と仮定の話を申し上げました」
「いいや!確かに言ったぞ!!」
善也は内心舌打ちをしていた。
会話の上での「言った言わない」の問答ほど不毛なものはない。
もちろん承知の上で、ごり押ししようというのが丸分かりだ。
今日は金曜日、時刻は夕方に近づいている。
緊急性のさほどなさそうな今回の事例、じっくりアセスメント分析してから、週明けに対処する流れが一般的だが…。
目の前のこの中年男にはそんな常識は通用しそうにない。
「では明日の午後一時に電話にて、今後の詳しい対処の連絡をいたします」
多分「週明けに何とか…」とゴネると思っていたのか、明日の午後一時と期限を切った事が意外だったようだ。
「よろしいですね」
「え?!、あ、ああ…」
とっさに嫌味を言うような、機転は利かないようで助かった。
善也はさっと立ち上がり応接間のほうに戻ってゆく。
応接間に戻ると、女子高生がモグモグと口を動かしているのが眼に入った。
その前には、菓子入れらしい重箱と急須が出ている。
横で呆れかえる使用人の様子で、容易に想像できた。
菓子とお茶のお替りを頼んだのだろう。なんと天然で大胆な…。
さらに上等そうな薯蕷饅頭を一つ手に取ったところで、その眼が善也に向く。
「おかえりぃ、どう…」、そして口ごもってしまう。
努めて無表情の筈だったが、心中のモヤモヤを察知されてしまったようだ。
善也は照れ隠しのようにつるりと、顔を撫でてしまう。
しかしすぐにこの家を立ち去りたい気分は、もはやどうしようもない。
「シロン、野平さん、帰りますよ」 そう言い残し、歩き出す。
ドライバーの野平も立ち上がり、促すようにサングラスとマスクの顔を女子高生に向ける。シロンはあわてて、手に持った饅頭を一口齧り茶を啜る。
「待ってぇー」
そしてカバンを抱えて、善也たちの後を小走りに追い掛けていく。
玄関先で靴を履き、キャスケットをかぶる善也。
「では明日午後一時に…」 念を押すかのような作蔵の声。
「はい必ず」
軽く頭を下げる、善也。
そして横を見ると、使用人と笑顔で話すシロンが眼に入った。
お茶とお菓子、おいしかったよ、とでも話しているのだろう。
いつでも、どこに行っても変わらない笑顔の彼女。
しかし何故かそれを作蔵には見られたくなくて、帽子を深く被りなおす。
「行きますよ」
礼をして去って行く三人。
じっと見送る作蔵、しかし腕を何度も組みなおし落ち着かない様子。
そして三人の乗った軽自動車が走り去っていくのを確かめる。
―と、いきなり作蔵は振り返り、使用人全てに気ぜわしく命じる。
「忘れ物は無いか、十分に確かめろ!」
来客が帰り、ほっとした使用人らは戸惑う。
―え、なんで?と訝し気な顔たち。
「いいか、残されたどんな小さなものでも、私に報告しろ!」
異様な作蔵の叱咤に、皆は慌しく駆け回り始める。
応接間に戻り、どっかりと座り気ぜわしく煙草を取り出そうとする作蔵。
ふと座敷机の上を見る。
そこにはあのケアマネージャーが置いて行った名刺が一枚、そして…
先ほどの女子高生が残していった、齧りかけの饅頭と、飲みかけのお茶。
じっ、とみる中年男の瞳。
「作蔵さま!」
使用人の男から声がかかり慌てて振り向く作蔵。
部屋の隅にあった籐の屑籠を抱えている。
その中には紙屑が三つほど入っていたが…、使用人がゆっくりとその一つを開いてみると、その中から豆粒のような機械が一つ現れる。
そこには点滅する小さな赤い光。
「これか!」
金づちか何かで叩き潰すよう、使用人に命じる。
ほっと息をつく作蔵。
そう、彼が気にしていたのは、盗聴の類だったのだ。
しかしまた女子高生の食べ残しを見つめる。
使用人の女性が、それらを片付けようと手を伸ばす、が…
作蔵は、その饅頭をひったくると、口に放り込む。
そして、飲みかけの茶碗のフチをべろりと舐ると、残りをぐい、と飲み干す。
ドン引いてナメクジを見るようなまなざしの使用人を、一瞬睨みつける。
御狩野家を出て少し行ったあたり、広い農道の路肩に止まっている軽自動車。
「うううっ!」
いきなり、シロンが己の胸を抱えてぶるっと身を震わせる。
「どうしました?」 横に座る善也が訊く。
「突然、あのオヤジの顔が思い浮かんだぁっ!、そしてぇっ、寒気がするぅっ!!」
「なんですか、それは」
「あの陰険オヤジッ、アタシにぃっ、絶対なんか…、そうだっ、こいつでぇっ!」
いきなりシロンは身をかがめると、助手席の下あたりを探り始める。
…
御狩野家では、作蔵が使用人の拡げた新聞紙の上を確認していた。
善也らが残していった小さな装置、金づちで叩き潰され粉々になっている。
赤い点滅も光らない。
ふと、作蔵は何か気になった様に、席を立つ。
しかし横を見ると先ほどの女性使用人の「ナメクジ視線」がまだ続いている。
作蔵はあのケアマネージャーの名刺を引っ掴むようにポケットに入れると、逃げるように部屋を後にした。
母屋から出て、使用人の部屋や控室のあるあたり。
一室の障子を開くと、一人の使用人がラジカセの前で聞き耳を立てていた。
「奴ら、何か話したか?」
「さっき、女の子がなにか話して…」
「…何を言っていた?」
その時、ガサゴソ、ゴソゴソッ、とラジカセからおかしな音がする。
なんだ?、と作蔵と使用人が耳を澄ますと…
『このエロ親父ぃっ!!』 ―キイイイーンッッ!!!
女子高生の雄たけびと凄まじいハウリングが、大音量で響き渡る。
「―ぐわああっ!」
作蔵と使用人は耳を押さえて、転げまわる。
驚いてバタバタと、使用人たちが集まってくる。
ガラリと障子が開き幾つもの顔が覗きこむ。
『アンタのことだよっ!、作蔵とかいうゴキミミズッ!!』 ―キイイーンッ!!!
「―な、なああっ?!」
使用人らの視線が、グサ、グサリ、と突き刺さる。
『アンタァアッ!、何かアタシの、いやらしい事考えてるなぁあっ?!』
「―ち、違うっ!」 首をぶんぶんと振る作蔵。
しかしあの「ナメクジ視線」女性使用人が、ここぞとばかりに早口でさっきの件を暴露し出す。
「や、やめろ!」
続く追い打ちの声。
『おまけにこんな盗聴器仕掛けやがって、アタシの「何」を聞こうというんだぁっ?!』
「い、いや、『ナニ』って、別に…」
再び、使用人らの視線が、グサ、グサ、グサ、と突き刺さってくる。
「アンタのようなヤツは、これでも喰らえっ!」
…と、言ったわりに急に静かになる。一瞬、二瞬の間。
思わず作蔵は聞き耳を立てる。
『ボッチャァアーンッ!』 ―キイイーンッ!!
物凄い水音のようなものと、そしてハウリング。
またもや耳を覆って悶絶してしまう作蔵。
「どうやら川かどこかに、思いっ切り捨てられたようですね、盗聴器」
「言わんでいい!」
「思い知ったかぁっ!、このエロウイルスがぁ!!」
たった今できたばかりの、道端の水路の波紋に、背を向けるシロン。
手をぱんぱんと叩きながら、車の中に戻ってくる。
「あぁ、ちょっとだけ、せいせいしたぁ」
その時はもう元の、人懐っこい笑顔。
ゴキミミズ、とかいう訳のわからない罵倒から、水路に盗聴器を叩きこむ形相。
そして今、後ろに花でも咲き乱れていそうな無垢な笑顔との、なんという落差!
女子高生の恐ろしさに、善也と野平は同時に乾いた笑い声を漏らすしかない。
それに、「エロウイルス」、とは何だ?
男二人の同時の心の声が聞こえるようだ。
「で、あっちの盗聴器は始末してぇ、こっちは盗聴し放題ってぇわけ?」
シロンの言葉に、善也は気を取り直して首を振る。
「盗聴なんて違法な事はしませんよ」
「え、だってぇさっきの家になんか置いてきたじゃん」
「あれはダミーですよ。電波なんか出していません」
首を傾げるシロン。
「なにソレぇ、何でそんな無駄なことすんのぉ?」
「サービスですよ」
「えぇ?」
余計わけがわからなそうな彼女に、善也は優しく語る。
「誰かが何か凄く気している事がある、それを解消させる、それもサービスでしょ」
「安全、安心を提供するのが、私達白犬ケアサービスなのです」
「そんなモン、なのかぁ?…でもぉ、あっちはそんな事全然わかってないじゃん」
「まあ今回は、サービスのほんの『試供品』です、仕方ないでしょう、でも…」
クス、と笑う善也。
「ちゃんと提供できたと思いますよ、安全、安心ではなく『油断』をね…」
そして時刻を確かめるケアマネージャー。
「盗聴器も発覚して…、そろそろですか」
前を向き、ドライバーの男に声をかける。
「お願いします、野平さん」
…一方、御狩野家。
作蔵が必死に怒鳴り散らし、共に盗聴器を聞いていた使用人にすら罵声を浴びせ、皆を無理矢理引き下がらせる。
「くそっ、馬鹿にしやがって!」
毒づく作蔵の眼に、ふと床に落ちた小さな紙片が眼に入る。
それはさっきのケアマネージャーの名刺。さっきの盗聴器騒ぎの時に落としたのか。ふとその紙片を拾い上げる。
(へのへのもへじ…?) そう、それは昔から知られるいかにも古風な落書きだ。
名刺の裏にそれが書いてあるのだ。
(何だこれは?) 考える作蔵
だが―、そこへきょろきょろと何かを探している様子の使用人がやってくる。
当主、一右衛門の傍らに控えていたあの女性だ。
そして作蔵を見つけると、急いで耳打ちをする。
慌てて名刺をポケットにしまうと、奥の間に急ぐ。
奥の間に居たもう一人の使用人が、当主の妻ウメノの手を引いて下がっていく。
それを傍目に身ながら、入れ違いに奥の間に入る。
作蔵は使用人に遠ざかるように命じ、襖がピシャリ、と閉まる。
「来たか」 低い不気味な声が響く。
「お呼びでしょうか」 答える作蔵の声。
「騒がしかったようだが、こちらの盗聴器は発覚したのか」
「は、はい、残念ながら…」
作蔵の思い込むような言葉が続く。
「あ、あの、やはり茶や菓子に薬なり毒なりを仕込んでいたほうが…」
「無理だな」 ぴしりと否定する声。
「は…?」 むっ、としたような返事。
「あの女子高生、おそらく獣人だ」
「ええっ?」
「茶や菓子の匂いを探っておった、おそらく盗聴器があっさり見つかったのも…」
「あの娘が嗅ぎつけたと、いうのですか」 驚く作蔵の声。
低い不気味な声が続く。
「まあ、娘の太腿や下着ばかり気になっていた、お前には分からなかっただろうな」
ギリ…、おそらく作蔵の歯を噛みしめる響き。
「『怪護』などと訳のわからぬことをぬかす、と思いきや肝心なツボはきっちり押さえているようだ」
己に言い聞かせるような低い声。
「まあ、まだ五分五分か」
「は?」
「もう一人の運転手は恐らくただの三等妖怪…、次いであの娘は二等ほどの獣人か…?、ん、待てよこれは…」 何か考え込む風情の低い声。
「…どうされましたか」
「お前、やつらの盗聴器を始末したと言ったな、その詳細を言え」
「え、はい、屑籠の紙屑の中に…」
作蔵の説明する声。
「…というわけで、光の点滅する装置を叩き潰しました」
「ほう、…ははん、そういう事か」
僅かな沈黙。
「寄れ」 言われて作蔵のにじり寄る音。
「よいか、今度は…」
軽自動車の車内、…声が途切れ、沈黙が続く。
善也は声をかける。
「どうしました?」
「繋がらなくなりました」
ドライバーの野平、という男が運転席から振り返る。
メガネとマスクを外したその顔には…
なんと「へのへのもへじ」!
そう、あの名刺の裏にあった落書きが、彼の顔になっている?!
ちょっと考えて善也は言う。
「…ふむ、ご苦労様、もういいでしょう。繋がりは切ってください」
「いいのですか?」
善也が頷くとその「へのへのもへじ」は消える。
だが後には現れない、つるりとした何もない顔があるばかり。
そう彼は、妖怪「のっぺらぼう」。
今は「白犬ケアセンター」運転管理者、「野平 望」(のひら のぞむ)なのだ。
「しかし勝手に三等だ、二等だ、と失礼極まりないですね」
御狩野家ですら見せなかった怒りの筋が、善也のこめかみに浮かんでいる。
「まあ、私が『三等妖怪』なのは否定しませんよ」
自虐的なのっぺらぼう、いや野平の言葉。
「でもあなたはそんな特殊能力を身に着けているじゃないですか」
収まり切れない風のケアマネージャー。
「はい、私は自分の描いた絵を、自分の顔と出来ます。だからさっきの家の内緒話も、ふふ、お手のモノです」
「私は妖力はわずか、戦闘能力は平凡、人を驚かせるだけの妖怪、それはわかっています。でもこうしてみんなの役に立てるのが嬉しいのですよ」
前に向きなおる。
「ははは、すみません愚痴でしたね、顔も無いのに」
「謙遜ですよ、野平さん」
善也は首を振る。
「愉快だとおもいましょうよ、だってただの名刺が、あなたの落書き一つで超高性能の盗聴器に早変わりなのですから」
手を伸ばし運転席の野平の肩を叩く。
「他人を勝手に、二等、三等呼ばわりする者には、それ相応の『報い』がありますよ、きっとね!」
「ありがとうございます」
男同士の美しい心の交流の横で…
シロンは、ひたすらぷりぷりむくれている。
「ひどぉい、アタシが二等妖怪?、んで獣人?!、すっげぇブジョクぅ!!」
「まあまあ、あなたの価値がわからないという事は、奴らの程度がそれだけ低い、という事ですよ」 なだめる善也。
「そうですよ、だってあのオヤジ、シロンちゃんの食べ残しにあんな…」
野平が言いかけるのを、素早くとがめる女子高生。
「え、なにぃソレ、『アタシの食べ残し』ってぇ、何のこと?!」
しまった、といった様子で無い口を押えようとする野平。
しかしシロンに問い詰められ仕方なく、話し始める。
「…と、あの作蔵と言うオヤジが、平らげてしまったのだそうですよ」
一瞬真っ青になるシロン、その後、真っ赤になり…
「あのゴキナメクジミミズエロウイルス親父めぇっっ!!」
また訳のわからん罵倒のパレードだ。
「今度会ったら、美少女の怒りの鉄拳、目いっぱい喰らわせてやるぅっ!」
お淑やかとは対極の台詞に、善也はつい口が滑ってしまう。
「誰が美少女ですって?」
―ガンッ!
打撃音が響き、善也は向う脛を押さえる。
ルームミラー越しに苦笑する野平。
「あぁ、もぅやな気分っ!」
シロンはシートにどさりと身を任す。しかしすぐに顔を上げ声を出す。
「野平さんっ、帰ろ!、夕焼けを見に…」
「夕焼け、ですか?」
いきなりの発言を訝しむ。
「だってぇ―」
ばっと身を起こし、野平の横に顔を突き出す。
「こんなぁ、ヤな事があった日は、やっぱ夕日を見なきゃぁ!」
そして善也の顔を見る。
「綺麗な夕焼けに嫌なこと、みぃんな、燃やして貰うんだよっ」
「いいですね、それ」
うなづく善也。
「私も、そんな気分ですよ」
「…はい、了解です。帰りましょう」
野平はマスクと眼鏡をつけ、少しづつ茜色を加える空気の中、車を発進させていく。
第一話の①「アセスメント」 終
第一話の②「要因分析」に続くんだからぁ…、byシロン。