2話 勇者と夢
*小難しい設定や零れ話しは後書きにて。
──パチパチと木々が音を立てている。
くすんだ金髪の少年は、温かな毛布に包まれたまま、じっと火の中で爆ぜる木を見つめていた。
赤と橙と、時折黄色が細い木肌を舐める。
パチンと。
音を立てて、積み重ねられた枯れ枝が徐々に崩れていく。それをずっと見ている。
──君、余り火を見つめてはいけないよ。その綺麗な瞳が潰れてしまうから。
少年から少し離れた焚き火の側で、黒髪の青年が人の良さそうな顔で笑っている。
穏やかな凪いだ水面を見ているような、落ち着いた青い目がこちらを見ていた。
──それで、君、名前は?
青年の問いに、少年は急に胸が痛くなった。悲しみと寂しさがどこからか這い寄って来て、心臓をぎゅうぎゅうと締め付けている。
──そうか、名前も分からないのか。
少年の答えに青年は何かを考えるように宙を仰ぐと、そうだなぁと腕を組んだ。
──じゃあ、僕の名前を分けてあげよう。僕の名前はカイオリス・ウェントラッシュ。今から君はカイリ・ウェントラッシュと名乗ると良い。
そう言って青年カイオリスは、森の中で出会った少年に名を与え、未来を示した。
──僕の名を継いで、…………に、なっ……くれ……か。
太陽のように眩しい笑顔が、少年を明るく照らした。
* * * * *
相棒の狼が身体を震わせた事で、カイリはハッと目を覚ました。水の匂いが濃い。身体を起こそうとして、彼は目の前に広がった光景にあんぐりと口を開く事となった。木の根が絡まり合っていた大樹の森に、唐突に泉が広がっていたのだ。
「時間帯に関係があるのか?」
天空を見上げれば、煌々と夜の森をまん丸の月が照らしていた。そうだ今晩は満月だったと、カイリは思い出す。
「もしかしたら月の満ち欠けが鍵なのかも」
毛布をミニバッグへと戻し、カイリは泉へとゆっくり近付いた。清らかな水の匂いが辺りに満ちている。
澄んだ水を湛えた泉は底まで見通せる程で、水底には所々淡く発光する鉱石が顔を覗かせている。
静まり返った森の中、聞こえるのはどこからか湧く水の音だけだ。
月と水底の鉱石の明かりで、夜闇の中ぼんやりと浮かび上がる泉は幻想的だった。
「…綺麗だ」
相棒と身を寄せ合って見つめる。
どれくらいそうしていただろうか、不意にアッシュが背後を振り返った。カイリもつられて、背後の大樹の影が濃く落ちた森へと視線を移した。
さく、さく、と落ち葉を踏み締めて誰かがこちらへやって来る。所々薄汚れた白いローブを纏い、フードを深く被ってはいるが、遠目にもフードの下に垣間見える白い膚と、形の整った淡く色付いた唇、そしてほっそりとした体付きは女性的だ。
彼女は随分と疲れた様子に見えたが、カイリとアッシュの存在に遅れて気付くと、ぴたりとその歩みを止めてしまった。
「やぁ、今晩は。美しい月夜ですね」
敵意がない事を示すように、カイリが朗らかに声を掛けた。
数拍の沈黙の後、彼女は恐る恐るといった様子で口を開いた。
「…狼を従えた旅の方、名をお尋ねしても?」
透き通る水のような涼やかな声であった。
その声に一瞬にして聞き入ってしまったカイリが、慌てて返事をする。
「俺はカイリ。カイリ・ウェントラッシュだ。こっちは俺の『守護獣』のアッシュ。折角だから、良かったらこの泉を見付けた者同士、少しお喋りしませんか?」
カイリの紹介に、アッシュが形の良い三角の耳をぴんと立たせる。カイリも立ち上がって、明るい泉の側へと彼女を誘った。彼女も『祝福の泉』を求めてやって来た、冒険者だと思ったのだ。
「ウェントラッシュ…?」
ぽつりと、彼女がファミリーネームを口の中で転がした。
はい、とカイリが頷いたタイミングで、突然、彼女が一目散にカイリへと走り寄る。驚くカイリとは対照的に、アッシュは寧ろ歓迎するように尾を振って、主が見知らぬ相手に抱き付かれる瞬間を見ていた。
「え、えぇ? あの、えぇ、と…」
正面から抱き竦められ、カイリはしどろもどろになって声を上げる。埃を被ったようなローブの匂いに混じり、泉の水のような清らかな水の匂いが彼女から香り、ドキドキと鼓動が跳ねた。
村では積極的な女性が少なかったし、陽気で器量も良いスーリンに人気が集まっていたので、カイリは慣れない状況に顔を赤くして固まるしかなかった。
どうしようとアッシュを見下ろすも嬉しそうに尾を振るだけで、どうやら一目で彼女の事を気に入ってしまった相棒には助けを求める事は難しそうである。
困った様子で固まるカイリに、彼女は身を震わせて仰ぎ見て来る。
「──良かったっ…君が、私の勇者!」
フードがずれて、隠されていた容貌が顕わになった。
月の明かりを集めたような銀色の髪が白い膚にかかり、甘い花の蜜のようにとろりとした黄金の瞳がカイリを射抜いた。その黄金は、恐怖と安堵と、そして歓喜にゆらゆらと揺れてカイリの心を揺さぶり、薄紅に色付いた唇は、カイリの欲していた言葉を差し出して心を締め付けた。
──僕の名を継いで、『勇者』に、なってくれないか。
カイリの運命を決めたとも言える、黒髪の青年の笑みが蘇る。
カイリの夢は、その瞬間から始まったのだ。──彼の名を継いで『勇者』になる事。記憶を失って途方に暮れていた自分に沢山の希望をくれた人、父のような人の願いに報いたかったのだ。
カイリの頬を雫が幾度も伝った。目頭が熱くなって、喉が詰まった。ぐっと嗚咽を堪えると、柔らかな白い指が幼子にするように優しく涙を拭ってくれる。
「カイリ・ウェントラッシュ。ここまで良く頑張りましたね…」
「……──っ、はい」
生きていてくれてありがとうと、言われた気がした。
空白の八年間から、十年。彼女の言葉で、やっと少しだけ彼に報えた気がしたのだった。
*主と『守護獣』との関係…カイリとアッシュのように相棒のような関係であったり、完全なる主従関係であったりと様々。『守護獣』によっては人語を話せるものもいるので、主が幼い時は親代わりをしていたものもいる。
* * * * *
アッシュは人語を話せませんが、全身で気持ちを伝えてくれるのでカイリ以外でも会話には困りません。表現豊か。