プロローグ とある日の回想
その日は、高校説明会だった。
高校説明会と言っても、入試前のテストの解説会や、見苦しくもさほどない他校との相違点からひねり出して高校の特色と言う物を訴える会を示す説明会では無い。
それは『厳しい入学試験を勝ち抜いて見事合格し入学してくる諸君に向けた有意義に学校生活を送ってもらうための説明会』とのことである。
内容としては「お手元にお配りしました、『入学の手引』の1ページを...」
という風に必要事項を冊子に印刷して郵送していただければ解決する実に不毛な集いだった。
不毛に感じたのならばなぜ「その日は...」と回想するに値する日になるのか。
なぜ記憶を呼び起こし吟味する必要があるのか?
それは当然その日にあった事が関係する。
しかし関係するのは説明会ではもちろんないが完全に否定されると言う訳でも無い。
俺は、その日ある高校の校門前に立っていた。
■
──私立郷道高等学校
なんでこんな学校に。俺の叩く門はここではなかったはずだ。
「ひろと! 早くしなさい」
説明会に参加するのは俺一人であるはずがなく、当然この学校に入学を勝ち取った(?)
次期高校一年生が続々と校門をくぐっている。
どの人もその目には一点の曇りもなくラメを入れたように沢々とさせている。
そんな中、うちの母親と言ったら人目を憚らずに大声で人の名前を叫んで困惑する。
単なる説明会だというのに派手目の桃色で上下を揃えたフォーマルスーツに、高めのフレンチヒールと言う完全に浮いた服装をしている。
やけに早起きだと思ったら美容院に行ってパーマもかけてきたらしい。
うちの母親もその目は晴天に恵まれているようだ。
「クラスは決まったかしらね」
どこか浮ついた口調が鼻に付く。
「さあね」
テキトーに返事をしておく。
入学式までまだ時間はあるというのに校門から昇降口までの桜の並木道は薄っすら桃色に染まっている。その下を歩く制服姿の生徒たちは比喩抜きで緊張と期待に胸を膨らませているようだった。
どうやらそれは俺の母親も同じようで俺が『あの!』がもれなく付いてくる郷道高校に入学したことを鼻が高いと思っているようだ。俺は気が乗らない。全くだ。
昇降口前に足を畳めるタイプの机を二脚置き不自然な笑顔をしている女性教師と、
見るからに体育教師である赤ジャージ姿のおじさんが何やら紙を渡しているのが見えた。
「こんにちは!」と目の前の相手だけではなく周りにも周知させたいのか、やたら大きな声で言われ足がすくんでしまう。
挨拶をすることは素晴らしいが、度が過ぎることは時として人に迷惑をかけることを
肝に銘じて欲しいね。ここは社交辞令的に応じておく。
「あぁ どうも」
顔が引きつっているのは感覚からして十分分かる。
無理に口角を上げて微笑んでおく。
赤いジャージの体育教師風から冊子を受け取る。やけに分厚い。
「ご入学おめでとうございます!」
「はい」
「こちら 本日の資料になります!」
「はい」
「少し緊張しているのかな? 顔が引きつっているぞ! 大丈夫、今日は単なる説明会だ。 受験の事は忘れなさい」
「はい」
余計なお世話だ。
「今日は体育館で説明会をするから座席表を見て入場して下さい!」
「はい ワカリマシタ」
一切変化しない単調とした口調で最低限の会話で打ち切る。
すぐ横の母親を見ると女性教師と一方的な会話を展開しそうだったので無理に引き剥がし
体育館の方へ歩を進める。「もう なによ 新品なのにひっぱるなんて」などと不満をこぼしていたがそんなことは気にしない。
どいつもこいつも浮足立ちやがって。高等学校は教育機関だ。入ることが目的ではないのだ。この辺では名が挙がっているとはいえ、受験生からの反動でたるみすぎではないのか。
ふと、思うと足音を踏み鳴らしながら歩いていたので小っ恥ずかしいなり立ちすくむ。
「どうしたのよ まだ受験のこと気にしてるの? もう終わったことだってよくお父さんと話したでしょ」
話し合い? あれは水掛け論だ。いつまでも先の見えない平行線のまま。結局はに丸め込まれてしまったが合点はいっていない。
「ねえ 公人。 トイレどこ」
はあ。と心の中で息をつく。もう嫌だこの人。ことごとく人をむかつかせる人だ。
トイレの場所ぐらい自分で何とかしろ。しかし、どこだろうか。
一、二回見学をしているので校内の構造は大体把握しているがトイレの位置を完全に覚えるほどこの高校に傾倒はしていなかった。
辺りを見回すとプラカードを首からぶら下げた教職員が後ろで手を組んで立っていた。
遠目から見ても中年で肥満気味のところ体形的に体育教師ではなさそうだ。
今度は紳士的に歩き、話しかける。
「あの、すみません」
このことがこの日を回想する理由の一つである。近づいてみると身長は頭一個分小さく見下すようになってしまうこの男性教諭との出会いである。
彼は細い銀縁メガネからギョロッと焦点を上に向けて「どうされました」と野太い声で言った。
「えっえーと、お手洗いはどこでしょう」
先ほどと大して変わらない作り笑いで尋ねる。
男性教諭は表情を変えない。その目に「黙れ小僧」と書いてあるようにも見える。
何もしていないはずなのに。
「本日は体育館のトイレは点検のため校舎のトイレを開放してあります。 そちらからお入りください」
と、首で方向を指す。どこまでも感じの悪い人だ。
「ありがとうございます」
と、どこまでもにこやかな母親が頭を下げてそそくさと行ってしまった。
俺は別にトイレに行きたい訳でもなく、かといって先に行くのもなんか親に悪いのでそのまま留まることになった。
特にすることは無く、目の前の中年教師と話すほど会話スキルは持ち合わせていないので辺りを見回す。どうやら母親が入って行った校舎には生徒がいるようだ。
「今日も高校生はいるんですか」
なんとなく独り言のように尋ねる。
中年教師はゆっくり視線を移して言った。
「ええ。 新入生歓迎会の準備や部活、委員会の引継ぎがあるそうで用のある生徒は登校しています」
「そうですか」
随分具体的な返答をいただいたが単調にそう返す。
実はこの日がこの後の事象を防ぐには重要な日の一日であったと回想するが、当時の俺にそんなことが出来たら超能力者の域を優に超えていると言って差し支えないだろう。
ある者達は突然のことで拍子抜けしたし、ある者は予定通りの事の運びに笑みをこぼし、ある者達はまだこれから起きるとも知らない。
この日にすべてが阻止できるわけではないが解決を早める近道になったはずだ。
中年教師との会話に切れ間が現れたところ、ちょうどよく母親が「すみません」と言いながら出てきてそれに乗じてその場を離れる。
この時あの仏頂面の中年教師にはもう関わり合いがありませんようにと願ったが叶わないのである。
ここでもう一つ厄介な出会いがあったのだがそれはほんの数秒の事であった。
出てきた母親に「遅い」、「早くしろ」だのいちゃもんを付けていたその時のよそ見が悪かったのか後ろから走ってくる女子生徒に気付かず派手に衝突し、女子生徒が何かをおとしたのだ。お互いに転んで落し物は俺の面前に着陸した。分厚いハードカバーの本が背表紙を向けていた。題名をその時見たがある文豪の本だったと記憶しているが具体的には思い出せない。女子生徒に差し出すと「すみません」と一言詫び、そそくさと受け取って体育館に入って行った。覚えているのはこの出来事だけでその女子生徒の容姿、声はその後の説明会の内容と同程度に判然としない。
「変な子ね」と母親が呟くと俺は頷いてそのまま体育館に入って行った。
説明会は普通に滞りなく終わる。
ただ月並みな人と違ったのは説明会終了後、校長から「屋谷公人さんと保護者の方、少々お時間頂けますか」と放送があり新入生挨拶の原稿作成の依頼があった事ぐらいである。