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モーメント・パレード

作者: 神岡 真生

『ゆるふわ』——という表現がある。

 穏やかでふわっと柔らかい、そんな形容の略語であるそれは、近年世の男性を惹きつける女性の性格や容姿を象徴する系統の一つになっている。

 濃すぎず自然に乗せられたお化粧、露出しすぎないオシャレのポイントを抑えた服装。ウェーブのかかった髪の毛は、見ているだけでも触ってみたくなるふんわり感が『ゆるふわ』の特徴をより一層惹き立てている。

 ゆっくりとした話速度と、柔らかい言葉遣いで平和主義を重んじ、怒ることこそあれど基本的に人に厳しく接することはない。

 むしろ普段の穏やかな印象と柔らかさを残しつつ怒っている様子は、相手にいつもと違う印象を与えてより好意的に感じることすらあるだろう。

 そんなゆるふわ女子の雰囲気は、世の男性たちからすれば『放っておけない!』と思わせるツボを的確に刺激し虜にしていく。

 かくいう私自身も、その『ゆるふわ女子』なるものを目指しているのだが、存在を知ってからこの二年間でどこまで理想像に近づけたのかと問われれば、親指と人差し指の間に隙間を作って「ちょっとだけ」と言ってみせる程度の返答しかできない。

 そして現状、『ゆるふわ女子』の称号を欲しいままにしている——もちろん彼女自身がどこまで認識しているかどうかは分からないが——女性は私の知る限り、この十八年間の生活においてたったの一人しかいない。

 たった今も私の隣で静かな寝息を立てながら教科書に顏を埋め、ノートにペンを向けたまま前傾に倒れた姿は、必死に睡魔と奮戦していた様子が伺える。

 ダークブラウンの長髪は背中まで伸び、毛先でくるっとカールしている。頭から足先まで伸びる緩やかな曲線は、お世辞にも発育がいいとは言えないが発展途上の少女と言った体型だ。

 幸いにも、教授の声と講義用映像の音声に紛れて彼女の寝息は私以外の誰にも聞こえていないが、真っすぐに鼻から教科書ののどへと突き刺さっている顔にどんな跡がついているのかは、想像するよりも起きてから実際に拝んだ方がより楽しめるというものだ。

 彼女の名は野口夏子のぐちなつこ。私と夏子は高校からの同級生で、何をするにも一緒の大親友だ。

 高校卒業後も同じ女子大に通うことになり、こうして今も一緒に講義を受けている。喧嘩など一度たりともしたことはないし、毎日それなりに平和な時間を過ごしている。先輩方の助言もあり、一年生のうちはなるべく多くの単位を取得するため毎日学校に通いつめているので大して遊ぶ暇もなく時は過ぎて行き、早いもので季節は十月になっていた。

 でも私にとって今年の七月までは、今よりももっと平和的な時間だった。

 七月二十七日の夜。

 それが私の気持ちが大きく動いた瞬間。



 期末テスト週間に当たる七月最後の一週間は、学生にとっては地獄のような時間であり、それと同時に大学生の夏休みという恐らく人生の中で最も長く自由な時間への最後の難所である。

 夏休み期間と言うにはまだ早いのだが、自分の受講している講義のテストがなければ丸一日休みになるので、翌日テストがある者にとっては準備にあてられる時間になり、既にすべてのテスト日程を終えた者にとっては事実上夏休みのスタートになる。

 私はその日、最後のテストを終えて夏子と共に帰路に着いていた。お昼前にテストが終わってしまい、このまま家に帰るのも何やら勿体ない気がしたので夏子に食事のお誘いをした。

「ねぇ夏子。この後お昼一緒に食べていかない?」

「あー、うん……。あのね楓、私この後約束があるんだ。だからこのまま帰らなかきゃいけないの……。ごめんね……」

 夏子が私に隠し事をしているのはとても珍しいことだった。

 普段ならば事前に「どこに行く」、「誰かと会う予定がある」と私が聞く前に彼女の方から話題を切り出すのだが、今日の夏子は朝から様子がおかしい。

「そうだったの? なんだか今日の夏子、夏子らしくないよ? 具合でも悪いの?」

 私の問いに、夏子は小さく慌てたように首を左右に振った。

「ち、違うの!」

「な、何が違うの?」

 夏子の顔が、みるみる赤くなっていく。

 炎天下の帰り道、熱気にあてられてしまったのであればすぐに冷房の効いたところに行く必要がある。だが夏子の赤面の理由は熱気によるものではないと、何故か私は確信していた。

「……時間、ちょっとだけあるんだ。楓! 駅前のカフェ寄ってこ!」

「え⁉ だって夏子この後約束があるんでしょ⁉ ちょ、ちょっと! 歩きづらいよ‼」

 私の腕を引っ張って前を歩く夏子は、汗ばむ私の腕を無理やり握ってどんどん駅の方角へと引きずっていく。

 もちろん私にはこの後何の予定もないためカフェに行くことに抵抗はない。

 足がもつれそうになるこの状況にはささやかな抵抗の意志があったのだが、夏子にこの抵抗心は全く届かなかった。


 私は駅前のカフェで黙ったまま夏子の言葉を待っていた。

 届けられたばかりのカプチーノを口にすると、仄かな苦みが私の想像以上に口の中に残ってしまって慌てて冷水を流し込んだ。

 じっと動かない夏子に声を掛けるべく私が口を開こうとした瞬間、

「あのね‼」

 仕掛ける寸前にカウンターを食らった私は唇を噛んでしまったが、無論夏子のせいではない。噛んだことを悟られないようにぐっと堪えて夏子の目を見る。

「私、好きな人ができてね……今日告白しようと思ってるんだ」

「え……え⁉」

 私にとってその情報は、驚愕の一言だった。

 高校生活三年間で、夏子は告白してきた男子六人を全員例外なく振っている。理由は「昔からの憧れの人がいるの。あの人以外見られないんだ」というものだった。

 その夏子が、自分から告白したい相手と言うのは一体誰なのか……いや、もう一人しかいないのではないか。

「もしかして、前に言ってたずっと憧れてたって人のこと?」

「…………うん」

 恥じらって顔を俯けた夏子が再び顔を上げるのに要した時間は、たっぷり一分間だった。

「私ね……この後会うの。会って、私が思い続けてきたことを精一杯伝えたい。黙っててごめんね……」

「いいよ。何から何まで私に言わなきゃいけないなんてことはないんだから」

「ありがとう楓……。私怖いんだ……もし振られたらって思うと……」

「夏子なら平気だよ!」

 再びテーブルに視線を落としそうになった夏子に無責任な励ましを投げかけた私は、視線を交えて続けた。

「だって、夏子は私の大親友だもん」

 何の根拠もない私の言葉に夏子は目を丸くし、やがて小さく笑い出した。

「ふふ……何それ! …………でもありがとう。ちょっと元気出た」

「……そっか」

 斯く言う私自身初恋の体験をまだしたことがないのだが、微笑みかけて冷め始めているカップを手に取って口をつける。

 飲み込んだカプチーノは、私の中に染み込むように入ってきたのをよく覚えている。


 その日の夜、シャワーから自室に戻った私は濡れた髪の毛をタオルで拭きながら、机の上のスマートフォンが震えているのに気付いた。

 画面に表示される名前は『なつこ☆彡』。

 高校一年生の時にプロフィール交換を行った状態のままなので、この名前の表示は夏子自身が付けたものになる。

 名前の下に表示されている『応答』をタップすると、

『かえでえええええええええええええええ‼‼‼』

 と言う絶叫が私の耳に響いた。

 思わず端末を耳から離し、スピーカー出力に変更してからベッドの上に置く。

「な、なによ夏子。どうしたの……」

 夏子と比べると遥かに落ち着いた口調で返答した私は、無意識ではあるものの自分の声量に合わせるように夏子の声を調整させたかったのだろう。だが、そんな願望は刹那のうちに吹き飛ばされた。

『成功したよおおおおおおおおおおおおおお‼‼』

 今度はスピーカー状態で、部屋に夏子の声が響く。

 それと同時に、私の中には二つの感情が湧き出してきた。

「よ、良かったじゃん!」

 彼女に対する喜びの共感。

 中途半端な私の言葉は、相手側からすれば「本当にそう思ってるの?」と言われても文句は言えない表現だった。本当はもっともっと喜んでいたはずだったのだが、私のもう一つの感情が、それを妨げてしまっていたのだ。

 感情の名前は、『嫉妬』。

 その対象は、親友から届けられた吉報の内容そのものへと向けられている。

 大好きな親友に彼氏ができたという報せは、私をひどく動揺させていた。

 嫉妬の正体が、恋人をつくるという一点において先を越されたことなのか、夏子と一緒にいられる時間が減ることなのか、今の私に判断することはできない。

 でも今は、親友の奮闘を称賛しよう。

「おめでとう夏子。これで彼氏持ちだね!」

『ううう……。楓のおかげだよおおおおおおお……うえ……ぐすん』

 嗚咽を漏らしながら応えている夏子は、電話の向こうで泣き、震えているのだろう。

「よしよし。長年の恋が叶ったんだもんね。明日からの新しいスタートのために、今日はゆっくり休んでね」

『うん……うん……! ありがとおおおお……ありがとう楓えええええ……!』

 夏子の悲鳴を聞きながら、十分ほどで通話——ほとんど会話に放っていなかった——を終え、私はベッドに転がった。

 見上げた天井はいつもと同じく白いのに、私の心には小さな漣が立ち始めていた。



 本日最後の講義の終了を告げるチャイムが響き、先生と生徒たちが教室から出始めた。

 チャイムの音で起きた夏子は、「う~~~~~ん」と大きく伸びをして席を立つ。

「あれ? もう授業終わっちゃったの?」

「夏子ほとんど寝てたでしょ? あんまりさぼるとテストで痛い目見るよ?」

「ううう……ねぇ楓様……」

「却下」

「まだ何も言ってないよおぉぉ」

 光よりも早く両断した私の言葉に両手上げて抗議した夏子は、すっと両腕を下ろして膝まで下ろし、深々とお辞儀した。

「お願いします! ノート見せて下さい楓さまぁ!」

「ぷっ! ははははっ!」

 渾身の懇願を見た私は思わず吹き出してお腹を抱えて笑ってしまった。

「全くしょうがないなあ! 今回だけだよ?」

「ありがとう楓えぇぇ」

 抱きついてきた夏子の頭をそっと撫で、講義室を後にした。


 放課後、雑談とノートの複写の為に学校の近くのファーストフード店にやってきた私たちは、四人掛けのテーブルに腰を下ろしていた。

 女子大の近くにあるこの店舗は、圧倒的に女性客が多い。店員の顔を見ても、全員が同じ大学の生徒ではないかと思うほど女性の比率が高く、自分たちの周囲を見渡しても同い年位の女性しかおらず、男性客の姿は見当たらない。

 だがそれは、『周囲を見渡すと』の話であって、一人だけ男性客の姿があった。

 優し気な印象を受けると言うだけで、他に特徴という特徴のない青年。強いて言うならば高く通った鼻筋が印象的と言えるだろうか。

 私の斜め向かいに座るその青年の名前は佐野優斗さのゆうと

 彼の横に座わるのは、今なお必死に私のノートを丸々写している夏子。

 そう、優斗君は夏子のボーイフレンドだ。

 聞けば二人は小学校の同級生だという。優斗君が別の中学に進んだことを機に連絡が途絶えていたのだが、小学六年生の同窓会をきっかけに再び連絡を取るようになったらしい。

 夏休みから始まった私たち三人の奇妙な関係は、後期に入って一か月が経とうとしている今も続いているのだ。当然、優斗君は私たちとは違う大学に通っているため、学校のない、もしくは終わった後にこうしてやってくる。

 女子大に通う私にとって、男性と日常的に接する機会は非常に少ない。講義の教授やお店の店員、もっと言うと家族程度しか交流がない。

 自分から積極的に出会いの場を作ろうとするほど恋愛願望があるわけでもないので苦労もしていないが、こうして優斗君と話すのは貴重な時間だった。

「また夏子は講義中に寝てたのか」

 低すぎず、心地良い低音の声で優斗君が言った。

「そうなんだよ。ほぼ寝てたんだから」

「ちょっとは真面目に聞けよな」

 肘で夏子の横腹を小突いた優斗君は穏やかに笑っている。

「いつもごめんな楓さん。楓さんが居なかったらこいつ今頃留年確定してるかもしれないな」

「親友が一年のこの時期に留年とか、勘弁してよ」

 笑い合う私たちを見て、夏子が目を細めて膨れてみせた。

「留年なんかしないって! 私だってまじめにやればちょっとは……できなくも……ない……と思う……多分」

 徐々にフェードアウトしていく語尾の最後の方はよく聞き取れなかったが、私と優斗君に睨まれた夏子はどんどん小さくなっていった。

 それから二十分程度でノートの写しが終わったようで、夏子が丁寧に腰を折って私にノートを返却してきた。

「あー……やっとおわったよお~……。次からはちゃんと授業聞いとこ……」

「当たり前でしょ! もう次は見せてあげないからね」

「わ、分かってるよ! 次からは頑張るから!」

 小さくガッツポーズをした夏子は席を立って注文カウンターへと歩いて行った。

 優斗君と私だけが残された席は、何とも言えない不気味な空気だった。優斗君から見れば私は彼女の親友。私から見れば親友の彼氏。今この場に私と優斗君が揃っているのは、夏子の存在あってこそだ。つまり現状、夏子が居なくなってしまったこの空間を支配しているのは、お互いに感じているであろう不気味な違和感だけだった。

「なぁ楓さん」

「…………ん?」

 話しかけられるとは思っていなかった私の返答はワンテンポ遅れて漏れ出た声だけだった。掠れた喉を潤すため、オレンジジュースの入った紙製のコップから伸びるストローに口をつける。

「夏子は昔からあんなだからさ、不安なんだ。楓さんみたいなしっかりした人がいると俺も安心できるし、助かる。だからその……ありがとう」

 小さく頭を下げた優斗君の唐突な行動に虚を突かれた私は、勢い余ってジュースを吸い上げすぎてしまいせき込んだ。

「げほっ、こほっ!」

「だ、大丈夫か。ほらこれ使って」

 そっと差し出された紙ナプキンを受け取って口元を拭う。

「ありがとう……けほっ、でもどうしたの急に」

「いや……あいつがいる前だと中々言いづらいからさ……今言っちゃったわ。ごめんな急に」

 優斗君のまっすぐな視線は、間違いなく夏子への愛情からなるものだと理解できた。

 夏子を心から好きだからこそ、こんな風に恥ずかしがっても私に感謝の言葉を告げたのだろう。

 するとそこに、トレーに何かのバーガーとジュース、ポテトと言ったセットを載せた夏子が戻ってきた。

「いや~お腹減った! 勉強するとお腹減るよね~」

「あんま食うと太るぞ」

「何! 優斗! めちゃくちゃ失礼じゃない⁉」

 二人のやり取りは、いちゃついているというよりも仲のいい友達と言った雰囲気で、見ていても息苦しく感じることはほとんどない。

 小動物のように小さな一口で食事を進める夏子の表情は、なんというか幸せ一色だった。見ているとこちらの食事まで美味しく感じられるような姿だ。

 そんなことを考えながら私も自分のポテトに手を伸ばす。が、夏子のことを見ながら手元を確認していなかったため、指先に当たってポテトがケースごと落下してしまった。

「あっ!」

 私の細やかな悲鳴によって、数名の客がこちらを振り返った。赤面してその場を離れたくなる気持ちをぐっとこらえて、床にばらまいてしまったポテトを拾い上げていく。

「大丈夫楓?」

 夏子も食事を中断して拾うのを手伝ってくれた。

 するともう一本、私たちの細い腕とは違うほどよく筋肉の付いた腕……男性の腕が横から伸びてきた。対角線に座っていた優斗君までもが拾うのを手伝ってくれたのだ。

「ごめんね二人とも、ありがと」

「うん、でもポテト勿体なかったね……」

「そうだね……不注意だった」

 トレイの上に載せた落下済みポテトを片付けてからポテト落下のショックと周囲から寄せられた視線で肩を落としていた。

「悪い、ちょっとトイレ」

 優斗君が立ち上がって席を離れた。手を洗いに行ったのだろうか? 直ぐ後ろに小さな洗面台が設置されているのに。

 邪推をやめた私も立ち上がり、洗面台で手を洗ってから席に戻る。

 夏子も手を洗ってから食事を再開した。

「でも今日は楓のおかげで本当に助かった。ありがとうございます楓様」

「次はちゃーんと授業聞いときな」

「はーい」

 半分近く入っていたポテトの残骸に少々名残惜しさを感じながらも、捨ててしまおうと思って目でゴミ箱を探すと、私の目の前に見るからに揚げたてのポテトが置かれた。

「え」

 声を漏らした私が正面に立つ影を見上げると、

「これ奢り。夏子が世話になったお礼ってことで」

 優斗君が立っていた。

 胸がどきんと大きくアクセントを立て、一遍に頭までのぼせてしまったような感覚に陥り、私の時間は瞬間的に停止してしまった。

「う、うん。わざわざありがとう。頂くね」

 私が再起動するまでにかかったのはほんの一秒足らずだった……はずだ。

「へぇ~優斗イケメンじゃん」

「うるせぇそんなんじゃねぇって」

 二人のやり取りが、遠く聞こえる。

 私が今まで感じたことのなかったような、本能の部分を刺激されてしまったのだろうか。

 ポテトのカバーの赤が、とても眩しいものに見えた。


 ファーストフード店を出ると、外は街の明かりで煌びやかに光り輝いていた。

 この時期になると一気に日が落ちるのが早くなるため、放課後に二時間も喋っていれば外も暗くなっているのも当然だ。

「ねぇ! 次の休みにさ、遊園地行こうよ!」

 駅へと向かう私たちの真ん中を歩く夏子が、私と……優斗君の顔を交互に見てから言った。

「遊園地って、去年できた水の都がシンボルのあれ?」

 私の問いに、夏子が頷いてにっこり笑った。

「へぇ、いいんじぇないか? たまには三人で出かけるのも面白そうだ」

「ね! 優斗もそう思うよね!」

 優斗君と夏子は、早くも行く気満々になっているようだが、私はあまり乗り気になれなかった。

 このメンバーの中で組み合わせられるパターンはいくつかある。

 まず、一人で行くパターン。これは私には少々ハードルが高いためやろうとしたことはない。

 続いて親友である夏子と私の二人で行くパターン。

 夏子と優斗君のカップルで行くパターン。これが最も適しているのではないだろうか。

 そして一組のカップルと一人者の女性——今回の場合は私——で行くパターン。

 最後に最もやってはいけないのは、私と優斗君の二人で行くパターンだろう。

 まさか優斗君と私の二人で行くようなことにはならないが、いくら親友の彼氏と言えども、私にとって三人で行くということは多少気が引けてしまう。こればかりはどうしようもなかった。

「私はいいよ。二人でデートしてきなよ」

 そう言った私の顔を覗き込んだ夏子が、じーっと私の視線を逃がさないように回り込んできた。

「な、何よ……」

「だめ! 三人で行くの!」

「だって! いくら友達とはいえ二人はカップルじゃない! そこに私がいるのはどう考えてもおかしいでしょ!」

「おかしくないよ! 友達なんだから遊園地くらい一緒に行くのは当たり前でしょ⁉」

「そ、それは……」

 ああ、駄目だ。

 夏子がこうなってしまったら、自分の意見を押し通すまで絶対にあきらめないことを私は熟知していた。

 数秒うなってから、渋々承諾した私に夏子は思い切り喜んで見せた。

「やったあああ! 三人で遊園地すっごく楽しみ! ね! 優斗!」

「ああそうだな。俺も楽しみだよ」

 優斗君も夏子の性格はよく理解しているようで、私に対して「ごめんな」と声を出さずに口パクだけして不器用にウインクした。

 その意図を理解していた私も諦めたように頷いて、一人で大喜びする小学生のような夏子の姿を見ていた。


 三日後。

「楽しいねー! 三人で来れてホント良かった!」

 文句のない秋晴れに満足そうな夏子がうんうんと頷いている。

 偶然と言うべきか、あるいは必然と言うべきか。私と夏子の服装は、似たり寄ったりだった。薄いブラウスに長めのカーディガンを羽織り、スカートの下に柄物のタイツを着用している。色や柄こそ違えども、形式としてはほとんど同じスタイルだ。

 唯一違うのは、私が小さなハンドバッグを持っているのに対して、夏子がリュックを背負っているという部分だけだった。

 それもそのはずだ。

 普段から一緒にいるから、と言うだけではない。

 私が……合わせてしまったのだから。

「二人は、本当に仲がいいんだな。持ってる服の趣味まで一緒なんてすげーよ」

 優斗君が私たちの全身を見て、感心したように言っている。

「そうでしょ? 私たちの絆は以心伝心できるほどに強いんだもん!」

「頭悪そうだから無理に四字熟語とか使うな」

「ひどぉい!」

 ひどいのは私だ。

「ね! 楓もそう思うよねー?」

 違う。夏子は悪くない。

「おーい、楓?」

 悪いのは……私だ。

「楓!」

 パチン! と私の目の前で手を叩いた夏子のおかげで、あらぬ方向へと飛翔しそうになった思考が現実へと戻ってきた。

「ご、ごめん。ぼーっとしてた。三人で来れて良かったって話だっけ?」

「違うよ! 優斗がひどいって話だよ!」

「え⁉」

「何で聞いてないのー!」

 夏子が口を尖らせて分かりやすくふてくされる。

「ご、ごめん! これあげるから機嫌直してよ」

 そう言って、手に握っていたカプチーノのカップを差し出すと、夏子は一口飲んでから、悲鳴を上げた。

「ニガっ‼」

「あ、ごめん! 夏子苦いの駄目だったっけ?」

「分かってたんでしょ~⁉ もう二人なんて知らなぁい!」

 ぷいっとそっぽを向いて歩き出した夏子の背を見て、優斗君と私は顔を見合わせて笑った。

 夏子を追いかけながら口にしたカプチーノは、いつも飲むのよりも確かに苦く感じた。


 他愛ない話をしながら園内のアトラクションを制覇すべく——この遊園地の広さは一日ではとても回りきれないのだがこの辺りは気持ちの問題だ——私たちは、次々と列に並んで満喫していた。

 そして夕刻、パレードの時刻になると秋が終わってもう冬になってしまったのかと思うほど冷たい風が駆け抜けた。

 だが集まった人の熱気で寒いとまでは思わなかった。

 少なくとも私の肌だけは。

 色とりどりの電飾が明滅する車と、周囲を取り囲むようにして行進するスタッフたちが洗練された動きを見せながら徐々に遠ざかっていく。

「綺麗だったね! 来てよかった!」

「ああ、俺も久々に思いっきり羽を伸ばせた」

 二人にとっては無意識の行動だったのかもしれないが、そっと肩を寄せ合った姿は、私の心に小さな棘のようにチクリと突き刺さっていた。

 人混みが徐々に解散していく。

 大きく動いた人の波に呑まれてしまった私たちは、一先ずここからの脱出を目指した。

「こっち! 空いてるよ!」

「ああ!」

「わかった!」

 一足先に脱出した私の呼びかけに答えた二人が、徐々に歩み寄ってくる。

 すると唐突に、夏子の姿が私の視界から消え、代わりに私の聴覚に響いたのは優斗君の焦った声だった。

「夏子‼‼」

 ここからでは人の壁で二人の状況が上手く見えない私は、ただ待つことしかできない。今までに聞いたことがないような優斗君の声に困惑する私は、必死に二人の姿を探した。

 ようやく抜け出した優斗君と夏子が、少し離れたところにいるのを発見し、私は駆け寄った。

 その場に座り込んでいる夏子は膝を抱えて苦悶の表情を浮かべている。

「どうしたの……?」

 そう訊ねた私の視線は、夏子の膝へと自然に向けられていた。

 黒いタイツの膝部分が破け、薄っすらと出血しているように見える。

「ころん————」

 だの? 大丈夫? と訊ねる前に、優斗君の声がそれを遮った。

「大丈夫か夏子⁉ 痛むのか⁉」

「へ、平気だよ優斗。ちょっと擦り剝いただけだから!」

「俺が一緒にいたのに……ごめんな……」

「ちょっと……! 優斗のせいじゃないんだから! 気にしないでよ!」

 優斗君は、夏子に抱き着いていた。

 普段からは想像もできない優斗君の感情的な行動に、私の思考は一つの確信を得ていた。


 そうか——


————だから私は、


————勝てないんだ。


 私が初めて好きになったその人は、私が大好きな親友を放そうとしなった。

 背後を通過していったパレードの光彩が舞踊り、私の心から儚く散った恋を飲み込んで消滅していく。

 心の中に薄く形成されていた硝子のような感情が、光の中に、ゆっくりと、儚く蒸発していった。

 



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