1-6 危機
北区では葉月が人型黒塊との戦闘を繰り広げていた。
ビル街を高速で飛び回り、黒塊に打撃を与えて離れるというヒットアンドアウェイの戦法をとっている。しかし、葉月は体が小さく、スピードに特化しているため、決定打を与えるには至っていない。
このまま続ければ撃破も可能だが、それでは彼女の救援能力を役に立てることができない。おまけに東区の救援を終えたばかりで疲労も溜まっている。長期戦になることを覚悟しつつも、葉月は焦りを感じていた。
そこに奈津が向かっているという知らせが入った。
希望の光が差し込み、葉月の戦意が高まる。基本戦法は変えないまま、黒塊を徐々に上空へと誘い込んでいく。これで、奈津も少しは戦いやすくなるだろう。
黒塊から離れた葉月は、加速して再び攻撃を仕掛ける。
右拳が黒塊の頭部に突き出される。黒塊は両腕でそれを防ぐ。疲労でスピードが落ち、黒塊に反応の余地を与えてしまっていた。
黒塊は反撃に移る。
繰り出された右足は葉月の腹部を捉え、彼女は大きく蹴り飛ばされた。黒塊は葉月との距離を詰め、彼女の顔面めがけて右拳を放った。葉月は反射的に目を閉じる。
その瞬間、黒塊の体が大きく吹き飛ばされた。
何事かと思い、葉月は目を開ける。
そこには、頼もしい後輩の姿があった。
「葉月さん! 大丈夫ですか!」
「おっ! なっちゃんだー! 葉月だけじゃパワー足りなくて、ちょっと厳しいかなー」
葉月は余計な心配をさせないように、いつもの調子で声を発した。
その言葉を受けて奈津は微笑む。
「二人で撃破しましょう」
「おー!」
葉月は右手を高く挙げて元気よく応じる。
そうしている間に、奈津が蹴り飛ばした黒塊がこちらに向かってきていた。奈津と葉月は身構えるが、黒塊は二人を避けるように進行方向を変え、街に向かって降下を始めた。不幸因子の暴走は物理的破壊に移るつもりだ。
奈津はすぐに反応できなかった。
彼女が気づいたときには、葉月が黒塊に向かって翔けていた。
奈津以上のスピードで黒塊を追い、驚くべき速さで黒塊に迫る。飛翔の勢いを利用して黒塊を横方向に殴り飛ばし、追撃をかけた。黒塊は対象を葉月に切り替え、彼女に襲いかかる。再び戦闘状態に入った葉月は、打撃と離脱を繰り返した。
葉月が黒塊を引きつけている。
奈津も加勢に向かった。
黒塊に蹴りを与えた葉月が、遠ざかる。そこで奈津と葉月の目が合った。葉月が頷き、奈津が加速する。ひるんだ黒塊に奈津が肉迫。奈津は右脚を大きく後ろに振り、黒塊の体を全力で蹴り上げた。
高く浮き上がった黒塊に向かって、葉月が急上昇。黒塊に追いついた葉月は、両手を固く組んで背中を反らす。そこから両手を思い切り振り下ろし、黒塊に叩きつけた。
黒塊の体がくの字に曲がり、猛スピードで落下していく。その先には奈津が待ち構えていた。奈津は黒塊の軌道に入り、固く握った右拳を引き下げる。黒塊が奈津に衝突する寸前、彼女は右拳を大きく突き上げた。
豪速落下の黒塊と奈津の拳がぶつかり合う。その衝撃は黒塊の全身に致命的なダメージを与え、核が耐え切れずに内部で砕け散る。黒塊の体が崩壊し、黒い霧が全方位に噴出した。
黒塊の討伐を成し、奈津と葉月は遺物の不幸因子を吸引した。
「いやー、助かったよー。ありがとうねー!」
「いえいえ。葉月さんのスピードには惚れ惚れしますよ」
戦いに勝利した二人は、互いを讃え合った。
他の区域でも決着はついたようだった。東区の結衣は黒塊を一人で倒し、南区の小夜のもとへ救援に駆け付けていた。北区とほぼ同じタイミングで、南区の黒塊は結衣と小夜の手によって撃破された。中央区に戻った莉多は速やかに黒塊を撃破し、現在は待機状態に入っていた。
五区の黒塊が殲滅されたのを受け、莉多は全員に言葉を送る。
「これで全部かしら。小夜、不幸因子の気配は感じる?」
「……感じない。大丈夫、そう」
「わかったわ。ありがとう、小夜」
莉多は安堵の息を吐き、指令を出した。
「みんな自分の担当区域に戻って、不幸因子の吸引を再開して。黒塊が出たら、先程のように助け合いましょう」
彼女の指示を受け、遣いの少女たちは動き出した。
北区から西区に戻った奈津は、担当区域を一周して不幸因子を吸引した。たいした量ではなかったため、吸引活動はすぐに終わった。
拠点で待機状態に入った奈津は眼下に広がる街を眺めた。
夜も深まり、人々の活動はピークを過ぎて静かになっていく。街を賑やかに照らしていた電灯も次第にその数を減らし、道路を埋め尽くしていた車のライトも今ではまばらに走っている程度。それでも、この大都市は眠ることを知らなかった。
こうやって眺めていると、戦闘の高揚感が静まっていく。
通常の状態まで落ち着いた奈津は、肩のメジロに話しかける。
「メジロ、あの黒塊、なんか変じゃなかった?」
「確かに、数が多かったな。不幸因子の濃度も相当なものだった」
「それもあるけど、出てくるときが変だった。普通の黒塊は不幸因子が集まって出来上がるのに、さっきの人型の黒塊は初めからそこに隠れていたかのような出方だったよ」
「まさか……それは!」
奈津の言葉を受け、メジロの低い声に動揺が混ざる。
「心当たりあるの?」
「……考えられるのは二つ。一つはあの世で出来た黒塊がそのままこちらに出てきた。もう一つは、人為的なものか……」
「そ、それって」
奈津は眉をひそめる。
メジロは小さく頷いた。
「ああ、生きている誰かが不幸因子を操る能力を身に付け、悪用している。それも、死神以上の能力だ」
「そんなことがあるの!?」
奈津は驚くしかなかった。生きている者が不幸因子を操る能力を身に付けたという事ですら信じられないのに、それが死神以上だという。メジロの推測が間違いであってほしいと思った。
メジロは奈津の質問に答える。
「生きている者が不幸因子の感知や操作の力を付けた例はある。いずれもたいした被害は出なかったようだが、今回ばかりは様子が違う」
「これって、なんとかしないとマズイよね」
「そうだな。自然的にせよ人為的にせよ、このままだとこの街が滅ぶ。場合によってはこの国、いや、世界が滅ぶ可能性すらある」
その話を聞いて、奈津は拳を握りしめた。
第二の人生で、最大の山場かもしれない。一年しか経験していないうちに、それが来てしまった。だが、やるしかない。奈津の意思は固まっていた。
「わたしたちがなんとかしよう! この街を、この世界を守るって誓ったから!」