5-12 幸福
勝負は一瞬だった。
互いに突進し合った二人。莉多の拳は逸れ、奈津の右腕が莉多の胴を貫いた。莉多の黒色マントが奈津の手によって持ち上げられ、大きく揺れる。
二人は抱き合うような状態で、空中で静止した。
そして数秒後、莉多の背中から不幸因子が噴き出した。
「お見事、ですわ」
「わたしは、死ぬ気でしたから」
二人の声は穏やかだった。
莉多の体から漏れ出した黒い霧は、静かに奈津の手へと吸い込まれていく。
「私が負けた理由は、なんなのかしらね……」
「きっと、迷いすぎたんですよ」
「そうかも、しれないわね……」
莉多は優しく微笑んだ。
彼女自身に迷いはないつもりだった。だが、奈津の言う通り、迷っていたのだろう。あのとき葉月を殺していれば、結衣と小夜に手加減をしなければ、不幸因子の回収は完了して絶対的な力を手に入れることが出来た。そうすれば、奈津に負けることなかった。
心の底では、自分のやることに自信が持てなかったのだろう。
だから、誰かに止めて欲しかったのだろう。
実際に、奈津が止めてくれた。そのことに安堵していた。
莉多の表情は穏やかだった。
そんな彼女に対し、奈津は真剣な面持ちで話しかける。
「莉多さんの反乱で、何百人もの命が失われました。でも、まだやり直せます。その償いとして、限界が来るまで不幸因子の吸引を続けてください。莉多さんの体から五年分くらい吸いましたから、あと数年は動けますよ」
死神の遣いとしてやり直す。
その提案に莉多は目を見開いたが、すぐに目を閉じて鼻で笑った。
「冗談じゃないわ。私は、この街を守りたくて遣いになったわけじゃないのよ。罰なら、あの世で受けるつもりよ。転生させてもらえずに、何百年も苦しむことになるでしょうね。そのくらいの覚悟はできているわ」
「そう、ですか……残念です」
「この世が理不尽のない世界になることを、地獄で願っているわ」
「いつかきっと、その時が来ますよ。わたしも、みんなが笑って暮らせる世の中になるように、どこかで祈ってますよ」
二人は互いの背中に手を回し、慈しむように目を細めた。
このときだけは、二人の思いが通じ合っていた。
「私はもう行くわ。この街の不幸因子と一緒にね」
莉多は奈津から手を離し、奈津も莉多から腕を引き抜いた。莉多が不幸因子の操作をできるように、奈津はついでに莉多の魂の修復もしておいた。
「ふふ、ありがとう、奈津」
五区のリーダーだったときと同じ笑みを浮かべ、莉多は下降を始めた。
奈津は彼女に付き添った。
二人は抵抗勢力の六人とメジロ、そしてカラスのもとまでたどり着いた。
戦闘は行われていなかった。カラスはすでに負けを悟り、両手を挙げて降参の意を示している。六人とメジロに囲まれてもなお、カラスは凛とした表情を保っていた。
「カラス、私たちの負けよ」
「ああ、おとなしく罰を受けるさ」
莉多とカラスの敗北宣言の直後、二人の近くで霊穴が開いた。
空間に開いた黒い穴から、数人の死神らしき姿が見えた。大罪人の莉多とカラスを連行しに来たのだろう。霊穴を通ったが最後、二人は二度と現世に出ることはないだろう。
カラスは物悲しそうに小さく息を吐き、メジロに視線を向けた。
「最後にこれだけは言わせて欲しい。メジロ、こっちに来てくれ」
「なんでしょうか?」
メジロは怪しみながらも、カラスが危害を加えないことだけは理解し、黒コートの死神に近づいた。
カラスはそっと、メジロを抱きしめた。
メジロは驚きつつも受け入れる。
「俺の暴走を使って、遣いのシステムを変えてくれ。不幸な死に方をした人間に、希望を与えてやってくれ」
「カラスさん……わかりました。その願い、必ず実現させますから」
「頼んだぞ、佳代……」
佳代。その名を呼ばれた瞬間、メジロの頭にある光景が浮かび上がってきた。それは、カラスの遣いとして、不幸因子を吸引して回る自分の姿だった。
奈津と同じように、人々を不幸因子から守ることに誇りを持っていた。そしてあるとき、自分がカラスに殺されたことを知って激怒した。それでも遣いとしての使命を果たし、吸引限界を迎えて現世を去った。
それはまぎれもなく、前世の記憶だった。
「カ、ラ、ス……?」
懐かしい気持ちが胸から溢れ、メジロは尊敬していた大先輩を呼び捨てにした。前世では、カラスの遣いのときには、そう呼んでいたのだ。
カラスは何も言わず、ただ微笑むだけだった。
彼女はメジロから離れ、霊穴に向かっていく。
莉多はその場にいる遣いたちを見渡し、満面の笑みを見せた。
「あなたたちと居た時間は、とても楽しかったわ。新しいリーダーのもとで、しっかりやるのよ。奈津は、最後までこの時間を大切にしなさい」
莉多は、この期に及んでリーダー面をしようとしている自分がおかしくてたまらなかった。それでも、遣いの少女たちはいつものように返事をしてくれた。それが、とても嬉しかった。
彼女はいつもの余裕のある表情を作り、最後の言葉を残す。
「みなさん、お元気で。もう、会うことはないでしょう」
莉多はそう言って遣いたちに背を向け、カラスとともに霊穴の中へ入っていった。
そして、街中の不幸因子が莉多のもとに吸い寄せられる。最後の黒い霧が門をくぐった直後、向こうの死神たちによって霊穴が閉じられた。
不幸因子によって引き起こされていた異変がすべて収まり、街は静けさに包まれた。
雲の隙間から、光が差し込み、雪が舞い始める。
それと同時に、奈津の体が透け始めた。
「わたしも、そろそろ行かなくちゃね」
彼女は寂しそうに呟き、葉月たちの前に移動した。
「葉月さん、小夜さん、結衣さん。短い間でしたが、お世話になりました。あと、さっきは手荒な真似をしてすみませんでした」
奈津は深々と頭を下げる。
「いやいいよ。そうしないと莉多を止められなかったんだしな。アタシはこの通りピンピンしてるから、大丈夫だって」
「ワタシも……そう思う……奈津は、よくやった……」
「なっちゃんかっこよかったよー!」
先輩たちの言葉に照れ臭くなり、奈津は頭を上げて苦笑した。
「奈津がほとんど吸い取ってくれたおかげで、アタシたちはあと五年吸引できるしな」
「だから、奈津……心配ない……この街は、ワタシたちが、守るから……」
「なっちゃんの分も頑張るからねー!」
そう言われて涙が出そうになった。
だが、霊体なので出るわけがなかった。
「任せましたよ。それじゃあ、お元気で。またどこかで会いましょう」
「おう!」
「さよう、なら……」
「ばいばーい!」
奈津は先輩たちと短い別れの挨拶を交わし、メジロのもとに向かった。
「メジロ。最後にこの街を一周したいんだけど、いいかな?」
「もちろん」
「飛ぶときは、鳥の姿になって肩に乗ってよ」
「わかったよ」
メジロは仕方ないなあと言いたげな様子で応え、鳥の姿に変身した。
「これでいいか?」
男のような低い声で、メジロがかわいらしい姿を見せびらかしてくる。この低い声も随分と久しぶりに聞いたような気がした。
「うん」
奈津は嬉しそうに頷き、メジロは彼女の肩に乗った。
それから、奈津は街の上空を飛んだ。
朝の光と空気が静まっていた街を再び起こしていく。先ほどまでの不幸因子大量発生によって街は無惨な姿になっていたが、それでも人々は今日という日を生きる。これからは復興の日々が続くだろう。何かを失いながらも、生者は前に進み続ける。
これが、奈津が守った世界の姿だった。
それだけで、胸がいっぱいになった。
奈津は中央区、南区、東区、北区、西区を順番に回り、最後に西区中央の高層ビルの屋上に降り立った。
拠点のコンクリートに足を付ける。その感覚が愛おしく感じられた。
屋上の端で、メジロは人の姿に戻って奈津と向かい合った。
奈津は笑っていた。
「いよいよだね」
彼女は徐々に薄くなっていく自分の手を見ながら言った。
メジロは「うん」と、頷くことしかできなかった。
「メジロといた一年間、本当に楽しかった。わたし、今が一番幸せだって、胸を張って言えるよ」
「ぼくだって、奈津と出会えてよかったさ」
メジロは心の涙を必死に抑えつける。
奈津にそう言ってもらえて、救われた気がした。いろいろあったが、彼女が満足のいく結末を迎えられたのだ。その言葉だけでも、最上の価値があった。
奈津はメジロを強く抱きしめた。
「ねえ、メジロ。わたしたち、またどこかで会えるよね。二人とも人間に生まれ変わったり、わたしが死神になったり。別の人間に生まれ変わったわたしが、メジロの遣いになったりするのでもいい」
「ああ。いつか必ず、会えるときが来るさ」
「約束だよ?」
「うん、約束するよ」
メジロは奈津と言葉を交わし、彼女を抱き返した。
死神とその遣い。主従の関係だった奈津とメジロだが、今この時だけは、苦悩を共に乗り越えた友だった。
二人はしばらく抱き合っていたが、奈津の体が消えそうになるのを悟って離れた。
「時間だね。行き方はわかるから、一人で行くよ」
粉雪と朝日のなかで、奈津は精一杯笑った。
「バイバイ、メジロ」
その言葉の直後、奈津は光の粒子となって消えていった。
最後の声は、とても明るかった。
「さようなら、奈津」
メジロは誰もいない空間に向かって、最後の挨拶を交わした。




