5-3 爆弾
「みんな、ご苦労様。おかげで、霊穴は全部閉じられたわ。次は、不幸因子の吸引をお願い。でも、あまり無理はしないように。いいわね?」
莉多はテレパシーで新たな指令を遣いたちに出した。
その後、葉月に近づく。
「葉月、あなたには別にやってもらいたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「はいはーい! いいですよー! なんですか?」
葉月は無邪気に莉多と向き合った。
莉多は妖しく微笑みながら、小柄な少女の目を見つめた。
「とっても大事なことなの。あまり難しい事ではないのだけれど」
「そうなんですかー? なにすればいいですかー?」
「ふふっ、それはね……」
莉多の目つきが一瞬にして鋭くなる。
素早く右手を引き、間髪入れずに豪速で突き出す。莉多の右手が葉月の胸を貫き、背中から飛び出した。
「えっ……?」
葉月は目を丸くした。
何が起こったのかわからなかった。どうして莉多の腕が胸に刺さっているのか、理解できなかった。だが、少しずつ状況が呑めてくる。頼もしいリーダーだったはずの莉多に、殺されそうになっている。そうわかった瞬間、葉月の全身に激痛が走った。
「ぎゃあああああああああああああ!」
葉月は喉が破れそうになるほどの叫び声を上げた。
それと同時に、彼女の胸から黒い霧が噴き出した。不幸因子は先ほどの大量発生時とは比べものにならないほど猛烈な勢いで葉月の体から漏れ出し、爆発的に広がっていく。
遣いが撃破されたとき、溜めた分の不幸因子が一気に解放される。莉多の言うもう一つの爆弾というのは、死神の遣いのことだったのだ。
「安心しなさい。殺しはしないから。ただ、あなたが集めた二年分のエネルギーを頂くだけよ。葉月にはこれからも働いてもらいたいから」
莉多は左手で不幸因子を支配下に入れながら、葉月に語りかけた。
だが、葉月は顔を歪ませて声を上げ続けている。身体的な苦痛と精神的な衝撃で、莉多の言葉を聞く余裕などないのだろう。
莉多は葉月から不幸因子を奪い続ける。
そのとき、横からスズメが莉多に掴みかかった。
「莉多! バカなことはやめて!」
茶色の長い髪を振り乱しながら、スズメは莉多の肩を揺さぶる。
だが、莉多はスズメを一瞥するだけで気にも留めなかった。
スズメは微弱な力で莉多の妨害をしようとするが、莉多にとっては痛くも痒くもない。ただ、カラスにとっては少し鬱陶しく感じた。
「お前は黙っていろ」
カラスは右手から不幸因子を放ち、スズメの体を縛り上げた。
全身を締め付けられ、スズメは身動きがとれなくなる。口も封じられ、言葉を発することができなくなる。急激に力が抜け、スズメは抵抗すらできなくなった。
「ス、ズメ……」
葉月は叫ぶのをやめ、相棒の死神に目をやる。
そのぐったりとした姿に怒りを覚え、葉月は莉多を睨み付けた。
「り、莉多さん……なんで、こんなこと、するの?」
喉から質問を絞り出した葉月に対し、莉多は穏やかに笑った。
「人型黒塊のことも、この不幸因子の大量発生のことも、全部私がやったの。この腐った世界を作り変えるためにね。今まで騙してごめんなさいね。でも、葉月も、あなたを追い詰めたこの社会を憎んでいたでしょう?」
「そ、そんな……葉月は、みんなを、守るために……」
葉月は悲痛な目で莉多の言葉を否定した。
本心でそれを言っているのだろうか。莉多は疑問に思った。本気ならば、奈津のようにはっきりと言うはずだった。
莉多は少女の双眸を覗き込み、記憶を探る。
流れ込んできた記憶が、莉多の脳裏で映し出される。葉月は母親に虐待されていた。暴力は日常茶飯事だった。ある日、母親と男のケンカに巻き込まれ、運悪く包丁が首に刺さって死んでしまった。葉月は死の狭間で、母親ではなく母親を豹変させてしまった社会を憎んだ。そして、母親に対して何もできなかった自分を呪った。
死神の遣いになり、無力感の解消によって社会への憎しみは薄れたようだ。だが、完全に消え去ったわけではない。葉月の言葉は、半分本当で、半分嘘だった。
「無理しなくていいのよ。あなたはよく頑張ったわ。次は、私の作る社会で、みんなを守るために働いて欲しい。理不尽のない、理想の社会でね」
莉多の優しい声に対し、葉月は応えなかった。
その沈黙が拒否であることを察し、莉多は再び微笑んだ。
「まあ、いいわ。あと少しで、逆らう気もなくなるでしょう。核は破壊していないから死ぬことはないわ。不幸因子をすべて手中に収めるまではおとなしくしていなさい」
莉多は腕を引き抜く。
ぽっかりと空いた葉月の胸から黒い霧が飛び出し、彼女の力が抜ける。同時にスズメの拘束が解かれた。葉月とスズメは為す術もなく、夜の街へ頭から落ちていった。
莉多とカラスは二人の落下を見届け、大きく息を吐いた。
「あとは、結衣、小夜、そして東区の不幸因子ね。それを合わせれば、十年分の不幸因子が手に入るはずだわ。カラスが支配するものを足せば、五年分くらいは増えるわね。それだけあれば、私たちには誰も逆らえないわ」
疲労が見え隠れする顔で、莉多は口元を上げた。
見通しは立った。すみやかに次の行動へ移らなければならない。
莉多は動き出そうとした。
その瞬間、彼女の後ろから強大な殺気が迫ってきた。
莉多が振り返ると同時に、右わき腹に蹴りが繰り出された。彼女は反射的にそれを防ぐ。殺気の持ち主は彼女の体を踏み台にし、もう片方の足でカラスに回し蹴りを放つ。カラスはそれを防ぎ切れず、後方に飛ばされた。
刺客は回転の勢いを利用し、左拳を莉多の顔めがけて突き入れる。彼女は右手でそれを受け止めるが、すかさず右拳が襲いかかってきた。莉多はその打撃を左手で食い止める。敵は間髪入れずに頭を突き出し、莉多の額に直撃した。
莉多は後ろに飛ばされながらも、すぐに体勢を整えて刺客に視線を向ける。
彼女の正面に、怒りをあらわにした結衣の姿があった。




