5-2 霊穴
そして、莉多は次の目的に向かって飛び上がった。
飛行中に、これからの行動を整理する。まずは南区の霊穴を閉じ、次に西区のものを塞ぐ。その後は処理の終わっていない区域に救援へ行く。すべての穴を閉じた後、次の段階に移る。これが今やるべきこと。それを成して初めて、支配者への道が開かれる。
莉多は高速で空を翔け、南区の霊穴にたどり着いた。
大通りの上空に、異様なほど黒い空間があった。何もない場所に直径十メートルほどの丸い穴が開いていて、そこから不幸因子が大量に漏れ出している。穴の中は見えないが、この遥か先はあの世に繋がっているようだ。
莉多とカラスは霊穴の中心に止まり、その黒い空間に向けて両手を伸ばした。
二人は不幸因子を利用し、霊穴を閉じていく。空間の穴は瞬く間に小さくなっていき、一分も経たないうちに完全に塞がれた。
他の遣いたちも霊穴の対処にとりかかっているが、莉多が閉じたものを除けばまだ一つも塞がっていないようだった。
「次は西区に行くわよ。カラス、掴まりなさい」
莉多の指示通り、カラスは人の姿のまま莉多の背中に身を委ねる。疲労を抑えつつ、いつでも力を使えるようにするには、この体勢で移動するのが最善だった。
ふと、莉多は街を見渡した。
逃げ惑う人々に不幸因子が入り込み、重量のある物質が人めがけて落下していく。またあるところでは自動車が暴走し、軌道を不自然に変えて通行人を轢き殺そうとしている。建物からは火の手が上がり、周囲の人間を焼き殺そうとするかのごとく猛烈に炎を噴き上げていた。
「ひどい有様ね」
莉多は眉をひそめる。
多少の犠牲は覚悟していたとはいえ、現状は想像以上だった。愚かな指導者から解放すべき人々が、無残な死を遂げようとしている。それも想定していた以上の数だった。
莉多は両手を広げ、力を解放した。
その瞬間、周囲でうごめいていた不幸因子が一斉に動きを止めた。人に侵入していたものも体外に排出され、人々は事故寸前で死を回避した。不自然だった火災の規模もみるみるうちに小さくなり、事故の気配も失われていく。
「カラス、予定変更よ。霊穴と同時並行で、不幸因子の支配も進めるわ」
「大丈夫なのか?」
「他の三人は、霊穴を塞ぐのにまだ時間がかかりそうだしね。それに、裏の支配者として、無駄な犠牲はできるだけ抑えたいもの」
莉多は口元を上げ、微笑んだ。だが、目だけは険しかった。
「わかった。俺も協力する」
「ありがとう、カラス」
莉多とカラスは頷き合う。
そして、西区の霊穴に向けて飛行を始めた。
莉多は前に進みながら、両手を広げて不幸因子を支配下に置いていく。カラスは左手で莉多の腰にしがみつき、右手で彼女に助力する。
二人が通った場所の不幸因子は動きを止め、人々にとって無害な存在へと変わる。支配できずに残ってしまったものもあったが、人間を死に至らしめるほどの量ではない。地獄と化していた街で、新たな死の気配が消えていった。
莉多とカラスは飛行を続け、西区の東側にたどり着いた。
大通りの上空、わずか二十メートル上の地点に霊穴が開いている。南区のものと同じ大きさだった。空間の黒い穴からは不幸因子が撒き散らされ、街の状況は悪化していく。多発する事故によって道路は残骸で埋め尽くされ、数多の遺体が転がっている。
莉多は歯を食いしばりながらも、霊穴の対処に当たった。
南区と同じ方法で穴を塞ぎ、その後は周囲の不幸因子を支配する。莉多とカラスの手によって不幸因子の暴走はすぐに止まった。
莉多はやりきれない気持ちに苛まれた。
あの世のエネルギーが沈静化したとはいえ、失った命はもう戻らない。だが、この場所においては、これ以上の死者は出ない。今だけは、人を数で見るしかない。
莉多は遠くを見渡し、現状を確認した。
小夜は中央区の霊穴を塞ぎ終え、東区に向かっている。東区の霊穴は残り二つ。これから、結衣と小夜が一つずつ対処することだろう。北区の葉月はまだ一つ目を閉じ切れていない。
「救援に向かうなら、葉月かしら。まあ、次のことを考えれば、ちょうどいいわね」
「それがいいだろう。メジロと奈津のことはどうする?」
「放っておきましょう。奈津なら、きっと期待通りに動いてくれるわ」
「そうか。それなら、すぐに葉月とスズメのところへ行くぞ」
次にやるべきことを決断し、莉多とカラスは北区へ向かった。
直行はしなかった。まずは中央区に赴き、不幸因子を支配下に収めた。中央区での被害を抑え、それから北区へ進んだ。
北区では葉月と人の姿になったスズメが霊穴の処理にあたっていた。
二人が閉じようと試みている霊穴は、南区と西区で出現したものよりも格段に大きい。直径が二倍ほどある。これでは時間がかかっても不思議ではなかった。
莉多が応援に到着する直前で、ようやく一つ目を塞ぐことができた。
もう一つの霊穴は直径十メートルほど。全力を尽くせば五分で閉じることができる。しかし、葉月とスズメの疲労は大きく、今の二人だけでは十分はかかるだろう。
そこに、莉多とカラスが翔けつけた。
頼もしい援軍に、葉月の表情が一気に明るくなった。
「莉多さーん! よかった! 葉月とスズメだけじゃキツイよ!」
「ふふ、よくやったわね、葉月。スズメ様もお疲れ様です。さあ、私たちとともに、もう一つの霊穴を塞ぎに行きましょう」
莉多は葉月に微笑みかけた後、最後の霊穴へと向かっていった。
葉月とスズメも莉多についていき、二組で塞ぎにかかった。
莉多とカラスであれば、この大きさの霊穴を閉じるのには一分もかからない。しかし、閉じるための労力は他のペアと同じ程度必要だった。葉月とスズメに手伝ってもらえれば、それだけ負担を軽減できる。
莉多とカラスはわざと処理速度を落とした。
霊穴を閉じるのに使う労力を、スズメ・葉月ペアとちょうど同じになる程度に調整した。これにより、次の段階を難なく実行できるだけの余裕が生まれた。
東区の霊穴はあと二つだが、小夜と結衣に任せればいい。二組が現在対処しているものを塞ぎ終えれば、五区の霊穴はすべて消滅する。
「上手くいっているけど、まだまだ油断は禁物よ……」
莉多は空間の穴を狭めながら、小声で自分に言い聞かせた。
彼女自身、この計画が百パーセント成功するとは思っていない。むしろ、失敗する確率の方が高いとさえ考えていた。強大な力を手に入れても、裏の支配者にはなれないかもしれない。死神界が全力で潰しにかかってくるかもしれない。しかし、自分の信念のためには、立ち止まってなどいられなかった。
対処を開始してから五分後、北区の霊穴が閉じられた。
莉多は息を吐き、東区に視線を移す。
どうやら、結衣と小夜のほうも終わったらしい。これで、五区すべての霊穴を塞ぐことができた。これで、あの世からの邪魔は来ないだろう。
莉多はもう一度息を吐き、気合を入れ直した。




