3-7 死神と遣い
奈津の意思に反して、彼女の体は神崎親子に向いていく。奈津は抵抗するが、メジロの支配のほうが強く、体は震えながら徐々に救助対象へ近づく。
「か、体が勝手に……メジロ、なにを」
奈津は困惑の目をメジロに向ける。
メジロは右手を奈津に伸ばして、うつむいていた。
「君の体を強制的に動かしているだけだよ。君がやらないなら、君の体を使ってぼくが不幸因子を吸引する。その人たちを助ける」
メジロの声は平坦で、その表情は見えなかった。
彼女の体は雨を弾き、乾いたまま。死神としての責務を果たすために心を鬼にしても、雨に触れるのを避ける余裕は残っていた。遣いの体を支配し、一時的に物となったその体で、やるべきことをやる。それが、メジロにできる唯一の行動だった。
奈津の体が神崎親子を向き、しゃがみ込む。
彼女の両腕が持ち上がり、二人に伸ばされていく。
「やめ、やめて……こんなやつら、救いたくない……」
奈津は悲痛な声で主の死神に懇願する。
必死に抗う。だが、それも虚しく、彼女の顔が神崎親子に向く。嫌でもその憎い人間を見なければならなかった。奈津の肘はまだ曲がっているが、いつ完全に伸ばされてもおかしくはなかった。
「君がやるんじゃない。ぼくがやるんだ」
メジロは確固たる意志をもって、顔を上げる。
死神の支配に逆らう少女の姿が目に映る。憎たらしい人間を救いたくないと、苦しさに耐えている。それがあまりにも痛ましくて、早く諦めて欲しいと願った。できれば、この先の力を使いたくはない。全力を使ってしまえば、もう以前の奈津とメジロには戻れない。
「やだ……やだああああああ!!」
だが、メジロの望みに反して、奈津は必死に抗っていた。
この街の人々を守ることに情熱を燃やしていた少女が、神崎親子の救助だけは拒んでいる。普段からは想像もできないほどに顔を歪ませ、涙を流している。この二人に対する憎悪が凄まじいことを、メジロは理解してしまった。
それだけ、悪い人間なのだろう。
それだけ、周囲を不幸にしてきた人間なのだろう。
メジロは同情してしまいそうになった。救う価値のある人間なのだろうかと疑ってしまいそうになった。
だが、メジロは歯を食いしばり、その感情を振り払った。
自分は死神。不幸因子にとりつかれた人間であれば、誰であろうと救う。それが絶対。このままでは、奈津の体は従わず、三回目の不幸が訪れて二人は死亡する。救助できたはずの対象が死亡することだけは必ず避けなければならない。
メジロは覚悟を決めた。
「誰であろうと救うんだああああああー!!!」
彼女は腹の底から叫び、すべての力を解放した。
その瞬間、奈津とメジロの精神が繋がった。二人の記憶が交差し、情報の濁流がそれぞれの心になだれ込んでくる。
奈津の体が完全に支配され、その両手が拘束を外されたかのように一気に伸ばされる。奈津の表情は歪んだまま固定される。目の前のモノと頭に注ぎ込まれる光景が混ざり合う。今何が起こっているのか、彼女にはわからなくなっていた。
メジロは奈津の体を使い、神崎親子から不幸因子を吸引する。
意識が雨から遠のき、メジロの体に雨が染み込んでいく。メジロは力の解放と記憶の流入による苦痛に耐えながら、神崎親子にとりついた不幸因子を剥ぎ取っていく。
そして数秒後、不幸因子の吸引が終わった。
メジロは右手を下ろし、解放していた力を静めた。
それと同時に、奈津の腕が垂れ下がり、腰が落ちた。
肩で激しく呼吸をしながら、メジロは雨に意識を向ける。鬱陶しかった雨粒が再び弾かれるようになり、彼女の体もすぐに乾いた。それに対し、奈津はうなだれた状態で雨に打たれるままとなっていた。
二人の間に会話は無く、雨音がその隙間を埋めていく。
神崎親子は不幸因子から解放され、彼ら自身の意識を取り戻した。落下後の看板とガラス破片を恐れるように見ながら、二人は傘を拾って近くのホテルに逃げ込んだ。
事故現場に、奈津とメジロだけが残される。
雨は少し弱くなり、雨以外の音も明確に聞こえるようになった。それでも、雨の音がこの場を支配していることには変わりなかった。
呼吸が整ったところで、メジロはゆっくりと口を開いた。
「気の毒だけど、わかって欲しい。これも、必要なことなんだ……」
消え入りそうな声だった。
メジロは奈津の意思を無視し、憎悪の対象を救助させた。そのことを謝りたかった。だが、謝罪は死神としてふさわしくない。同情しつつも理解を求めるのが精一杯だった。
メジロの言葉を聞き、奈津は頭を上げて暗い空を眺めた。
「そう、必要……ね」
奈津はぽつりと呟く。
冷たい雨粒を顔に受けながら、彼女は先ほどの事を思い返す。憎たらしい神崎親子の救助のこともあった。だがそれ以上に、流れ込んできたメジロの記憶が奈津の心を締め付けていた。
「それなら、わたしを殺したのも、必要なことだったんだ……」
奈津の口から言葉が漏れ出る。
メジロは表情を曇らせた。
奈津の体を完全に支配することを決めたときから、覚悟はしていた。精神が繋がるということは、記憶を共有することになる。そうなれば、遣いに隠していた事実が明らかになるのは確実だった。
奈津は首を横に向け、怒りの形相でメジロの目を睨み付けた。
「わたしを遣いにするために、メジロはわたしを殺したんだ!」
奈津の言葉がメジロに突き刺さる。
記憶の流入によって奈津の生前を知ってしまい、罪の意識が生まれた。目の前の少女は、一度絶望の底に叩きつけられても這い上がろうとした。その尊い人生を断ったのは、まぎれもなくメジロ自身なのだから。
メジロは、目を伏せることしかできなかった。




