3-6 平等
長身で腹の出た、高価な紺色スーツを着ている白髪交じりの男性が神崎健太郎。着慣れないリクルートスーツに身を包み、少し痛んだ黒髪の女性が神崎麗華。
二人を見ることにより、奈津の記憶が次々と浮かび上がってくる。
脳裏に映るのは第一の人生の暗部ばかりだった。それもこれもすべて、この神崎健太郎という人間のクズが原因。両親を殺しておいて、なぜ今も生きているんだろうか。そんな言葉が頭に響き、奈津の感情がドス黒く染まっていく。
「奈津、どうした?」
奈津の動きが止まったことを不審に思い、メジロが声をかける。
輝きを失った目をしながら、奈津は口だけを動かす。
「ごめん、メジロ。こいつらだけは助けられない」
恐ろしく平坦な声だった。
ただならぬ雰囲気を感じ、メジロは少女の姿に戻る。奈津の右隣に立ち、雨に濡れ続ける彼女を見下ろした。
「なにを言っているんだ! 早くしないと死んでしまうよ!」
「それでいいんだよ」
メジロの大声に対し、奈津は静かに応える。
「奈津? ねえ、どうしたの! なにかおかしいよ!」
メジロはしゃがみこみ、奈津の右肩を掴む。
体を揺らすが、奈津は神崎健太郎と神崎麗華を凝視したまま、メジロに目を向けようともしない。
「ねえ! 奈津! 早く! 不幸因子を吸い取って!」
メジロの叫び声が奈津の耳に突き刺さる。
奈津はそこで初めて、メジロに顔を向けた。
「こいつらなんか死んで当然なんだ!」
奈津の怒声が周囲に響き渡る。その顔は鬼のごとく怒りで歪んでいる。見たことのない表情をされ、メジロは怯えてしまう。
奈津は神崎親子に冷たい視線を向ける。
「このオヤジはお父さんとお母さんを追い詰めた! そのせいでお父さんもお母さんもお姉ちゃんも死んだ! わたしは叔父とかいう人間のクズに虐待された! 奴隷にされた! 人間の尊厳を奪われた!」
奈津は憎しみのあまり立ち上がり、二人を上から睨み付ける。
「そのくせにこの神崎健太郎は出世してのうのうと生きて! その娘も汚い金で裕福に暮らして人を舐めたような顔つきして! 自分のために何人も潰してるに違いない! こんなゴミクズどもは死んだほうがいいんだよ!」
奈津は感情の赴くままに恨みを吐き出した。
その様子はまるで雷のようで、触れば彼女に殺されてしまうような危うさがあった。死神のメジロでさえも、言葉をかけるのをためらってしまった。
その場に沈黙が訪れる。
雨が大粒になり、激しさを増す。雨が周囲の雑音を消し去り、水粒の打ち付ける音が街を支配する。
誰も動かなかった。神崎健太郎も、神崎麗華も、奈津も、メジロも、滝のような雨に打たれているだけだった。
メジロは自らを情けなく思った。手下であるはずの遣いに対して、どうしてこんなにも怯えているのか。死神であるはずの自分が、人間の魂ごときに入れ込み過ぎたのか。
だが、そのようなことを気にしている場合ではない。心を鬼にして、やるべきことを果たさなければならない。
覚悟を決めたメジロが、沈黙を破った。
「奈津。それは死ぬ前のこと。今の君には関係がない。今の君は、誰であろうと平等に、不幸因子から救わなければならないんだよ」
メジロはうつむいていた。
だが、その静かな声には冷酷な一面が垣間見えていた。
それを聞いた奈津は体をメジロに向け、彼女の頭を怒りの目で見下ろした。
「だからどうしたって言うの! こいつらだけは特別なの! 私は間に合わなかった! 救えなかった! だから死ぬ! それでいいでしょ!」
奈津の憤怒が豪雨の音を押しのける。
メジロは眉間にしわを寄せ、奈津を見上げた。
「奈津、君が今何を言っているのか、本当にわかっているのかい?」
「わかってる!」
「それなら、助けなきゃ。まだ間に合う」
メジロは奈津の冷たい目をまっすぐに見つめる。
それは警告だった。死神の自分と契約して遣いになった以上、その使命を果たさなければならない。それを破るというのであれば、それ相応の手段を取る必要がある。可能ならばやりたくない。だから、言う事に従って欲しかった。
それでも、奈津の顔は憎悪にとりつかれたままだった。
「嫌だ! こんなやつら、トラックにでも轢かれて死んでしまえ!」
奈津の叫び声が周囲にこだまする。
その直後、奈津の頭上から大きな破裂音が聞こえた。
奈津とメジロは同時にその場所を見上げる。建物のガラスが突如割れ、その破片が神崎親子めがけて落下している。あまりにも不自然すぎる事故。これは間違いなく、神崎親子にとりついた不幸因子によるものだった。
メジロは奈津を一瞥する。
彼女が動く気配はない。指示を出しても、それに従うかどうかもわからない。かといって、このまま何もしなければ、尖った破片が神崎親子に降り注ぐ。どうするのが良いのか、メジロに選ぶ余地はなかった。
「仕方ない!」
メジロは舌打ちをし、右手を高く挙げる。
黒いエネルギーが彼女の手のひらから放出される。それは瞬時に半球状の物体へと変化し、この場の四人を覆い隠した。
黒い半球体が防壁となり、降ってきたガラスの破片は弾かれる。尖った危険物はすべて歩道脇に逸れ、神崎親子に危害が及ぶことはなかった。
メジロは半球体を霧状に戻し、体に吸収した。
二回目の事故から二人を救うことはできたが、このままでは三度目の事故が訪れてしまう。死神が現世で不幸因子を吸引することはできない。なにがなんでも、奈津に吸い取ってもらうしかない。
メジロは疲労で息を荒げ、肩が上下する。それでも、強い意思で立ち上がり、奈津を見る。
しかし、奈津は落胆したような目でメジロを見返した。
「なんで、こんな奴らを守ったの?」
「それが、ぼくたちのやるべきことだからだ。奈津、不幸因子を吸引して」
メジロは穏やかに答えた。
だが、奈津は首を横に振った。
「嫌だ」
その低い声は、メジロの神経を逆撫でした。苛立ちを感じるが、できるだけ抑えなければならない。
「吸引しろと言っているんだ」
「嫌だよ」
奈津の態度は変わらない。メジロの憤りは大きくなっている。我慢の限界が近いが、奈津との良好な関係を続けるためには、耐えなければならなかった。
「やれ」
「なんで?」
メジロの冷たい声に、奈津も嫌味ったらしく応える。そこで、メジロの理性が切れた。使命感と怒りが猛烈に噴き上がり、怒声となって表れる。
「やれって言っているだろおおおおおおおお!!」
メジロは叫ぶと同時に力を解放する。
そして、奈津の体は自由を失った。




