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不幸少女と死神メジロ  作者: 武池 柾斗
第三章 遣いの使命
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3-2 諦めと再出発

 意識が飛び、気づいたときには車と壁に挟まれていた。

 体が動かせない。眼球だけは動く。


 正面を見る。運転手は意識を失っている。自動車は白色で、赤い液体が付着していた。右を見る。骨の折れた折り畳み傘が歩道に転がり、雨水を溜めていく。左を見る。手提げバッグが歩道に落ち、教科書やノートが散乱し、雨で汚れていく。


 周囲には人だかり。何を言っているのかわからない。


 人々の耳障りな悲鳴を、雨粒の音が打ち消していく。実に心地がいい。それに加え、冷たいはずの雨が温かい。ずっと浴びていたいほど気持ちがいい。


 鉄のニオイがした。口から温かく赤い液体が漏れていた。


 そこでようやく、自動車を彩る赤い液体が自分の血液であることに気付いた。自分が事故に巻き込まれたと認識するのに、随分と時間がかかってしまった。


 痛みは感じなかった。


「ああ、死ぬんだ、わたし……」


 奈津はもう一度体を動かそうとするが、びくともしなかった。


 胸から下の感覚がない。それでも、内臓がいくつも破裂し、脚の骨は修復不可能なほど砕けているということは、察しがついた。


 遠くで救急車のサイレンが聞こえる。誰かが呼んだのだろう。


「もう、助からないよ……」


 奈津は力なく笑った。

 死が目前に迫る。すると、人生の記憶が湧き出てきた。


 家族四人での幸せな生活。一家心中、そして転落。灰色の生活。抜け出すための努力。見え始めた希望。車のライト。


 結局、頑張っても無駄だったのだ。自分の人生に価値などなかったのだ。積み重ねた数年が、一瞬で崩されてしまった。模擬試験の成績が上がっても、貯蓄額の桁が増えても、それが本当の意味で報われることはなかったのだ。


 どうして自分だけ取り残されたのだろう。こんなにつらい思いはしたくなかった。あの時、黙ってトイレに行かなければ、自分も幸せなまま死ねたのだろうか。


 そもそも、両親が心を病まなければ、こんなことにはならなかった。その原因になった神崎健太郎が憎い。ついでに、あの豚が稼いだ汚い金でのうのうと生きている娘の麗華も憎い。あいつがいなければ幸せな家庭のままだったはずなのに。


 その恨みに比べれば、叔父一家、転校先の人間ども、目の前の運転手への憎しみなど軽いものだった。


 だが、もう恨んでも仕方がない。

 自分はもう死ぬ。

 ただ単に、自分は不幸だっただけだ。


 そう思いながら、奈津は目を閉じる。憎しみは心の奥底に埋まり、諦めの感情だけが強く残った。


 その時、車が揺れ、奈津の意識が明確になった。


 物理的な揺れとはどこか違った。何事かと思って目を開けると、車のボンネットに黄緑コートの少女が立っているのが見えた。


「君は、このままに死にたいかい?」


 少女は奈津を見下ろす。異様な雰囲気があった。


「誰? 死神?」

「正解。死神だよ」


 少女は満面の笑みを見せた。


 直感で当たったが、奈津は少しも嬉しくなかった。正解したところで、何か特典があるわけでもない。少女が死神なら、何の目的があるのかは容易に想像できた。


「迎えに来てくれたの?」

「ちょっと違うかな」


「じゃあ、何しに来たの?」

「君に新しい人生を与えに来たんだ」


 奈津は眉をひそめた。


 新しい人生とはどういうものなのだろうか。生まれ変わってまた別の人になるのだろうか。だが、それでは迎えに来たのと何も変わらない気がする。


 少女は奈津の目を見据えて再び口を開く。


「僕の遣い、つまりは手下になって、この街を守って欲しいんだ」

「この街を守る? 何から守るの?」


「人々に災いをもたらす、不幸因子というものがある。君にはそれを吸い取って街を、それからこの世の平和を守って欲しいんだ。君にはその素質がある」


 不幸因子。それがどういうモノかはわからない。だが、人々を理不尽な不幸から守れと言われているような気がした。自分が今、死にかけているような、このどうしようもない事故を防げと、言われているような気がした。


「それが私の新しい人生? その人生に価値はあるの? わたしは、それで幸せになれるの?」


「保障する」


 少女は言い切った。

 奈津は目を閉じ、考えた。


 自分はもう死ぬ。社会に有用な人物となって幸福な生活を送るという、奈津の大部分を占めていた思いは叶わなくなった。だから諦めた。そこに、不幸因子という超常的なモノから街を守るという新たな道が見えた。その道を歩めば幸せになれると、目の前の死神は自信たっぷりに言った。


 答えは決まった。

 奈津はゆっくりと目を開け、死神の少女を見上げた。


「わたしをあなたの遣いにして。どうせわたしは死ぬんだ。それなら、あなたの好きなようにわたしを使って。その代わり、わたしをちゃんと幸せにしてよ」


 それを聞いた少女の顔が明るくなる。

 死神はその場でしゃがみ、奈津に手を伸ばした。


「契約成立だね。ぼくはメジロ、今日から君のパートナーだ」

「わたしは奈津、朝ヶ丘奈津。よろしく、メジロ」


 奈津はメジロの手を取り、その魂は死神の遣いとなった。


 遣いとなった直後は戸惑う事ばかりだった。よくわからないまま空が飛べたり、上空から自分の遺体を見たりするなど、強烈な体験だった。エネルギー節約のためにメジロが鳥の姿になったときは、そのかわいらしさに笑い出してしまった。


 初めて不幸因子の吸引をしたときは、新しい人生の始まりを感じた。死んだ直後から働き始めたが、それに不満を感じないほど楽しくて仕方がなかった。


 他にも死神の遣いが居ると聞いて不安を感じた。遣いになった翌日、集会で四人と顔合わせをした。全員が快く受け入れてくれた。特に、莉多がとてもカッコよく見えた。莉多のようになりたいと思った。


 それから不幸因子の吸引を続け、今に至っている。


 生前の恨みなど、忘れたつもりでいた。だが、こうして思い出してみると、その感情は奥底に残っていたことがわかった。あの恨みは強い。例え逆恨みであったとしても、消えることはない。それも、奈津を構成している一部なのだから。


 自分の心に爆弾を抱えていることを自覚し、奈津は過去の回想を終えた。





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