2-7 目的
奈津の出した声が、奈津自身の頭の中で響き渡る。
目の前の事を受け入れなければならないのに、それができない。自分の認識が信じられない。何がどうなっているのか、理解できない。
「なんで……どうして莉多さんの顔をしてるの? ねえ、メジロ!」
「ぼくにだってわからないよ!」
二人の怒声が裏道にむなしく響く。
こんなところで苛立ちをぶつけ合っていても仕方がない。まずは、やり場のないこの感情を抑えなければならない。
メジロは大きく息を吐いた。
「とにかく、不幸因子を吸引するんだ。この人は、おそらく莉多じゃない」
「そう、だね」
奈津は小さく頷き、女の体に両手をかざす。
メジロの言う通り、この人物の正体は不幸因子を吸い取ってみればわかるだろう。奈津は慎重に吸引を開始した。
女の体から黒い霧が浮かび上がり、奈津の両手に吸収されていく。それと同時に女の体が蜃気楼のように揺らぎ、不幸因子の吸引が完了するとその姿に変化があった。
服装は黒いレディーススーツ。髪はダークブラウンのショートカット。薄い化粧をした、二十代後半くらいのきれいな女性。
「莉多さんじゃ、ない」
女の姿が変わり、奈津は顔をしかめた。
「なんで莉多さんの姿をしていたの、この人は。どうして不幸因子を吸い取ったら元に戻ったの。どういうことなの、これは」
奈津は歯ぎしりをした。
不可解な出来事を目の当たりにし、奈津はどうしようもない不安に襲われる。それでも、彼女の頭は無意識的に今までの事象を結び合わせていく。
「人型の黒塊がさっきと同じようにできるとしたら……誰かに操られて、黒塊ができるほどの不幸因子を生み出してしまったとしたら……黒塊ができるときに、その全員が莉多さんの姿になるとしたら……犯人が私たちに怪しまれることなく五区すべてを短時間で回れるとしたら……」
奈津の声が震える。
それはすべて憶測に過ぎない。証拠は目の前で起こった事しかない。だが、その憶測が勝手に重なり合い、一つの仮説が浮かび上がる。考えたくもなかったことが、言葉にできるほど明確に形作られてしまう。
「まさか、まさか……黒塊大量発生の犯人は……」
その名を口にするのを躊躇ってしまう。
考えたくない。疑いたくない。言ってしまったら最後、もう二度とあの人を信じられなくなる。でも言わなければならない。覚悟を決めなければならない。この街を不幸因子から守るのが自分たちの役目なのだから。
自分の推測が間違っていることを願いながら、奈津はその名を口にしようとした。
そのとき、彼女の後ろから声がした。
「そのまさかよ。奈津」
聞き慣れた声。思わず耳を疑う。
奈津とメジロは後ろに振り返った。
その人物はゆっくりとこちらに歩いてくる。暗闇でよく見えないが、その気品のある歩き方や声で誰なのかがわかってしまう。それを信じたくない奈津にとって、姿が見えないのは最後の防波堤だった。
だが、現実は残酷で、その姿がはっきりと目に映ってしまった。
足音が止まり、その人物が口を開く。
「私が、黒塊大量発生の犯人よ」
「り……た……さん」
本人からの宣告を受け、奈津はどうしようもない絶望感に襲われた。
そんな奈津に対し、莉多はいつものように余裕のある笑みを向ける。
「よく見つけたわね。でも、黒塊が出たならちゃんとみんなに報告しなきゃだめよ」
「犯人って……本当に……莉多さん、なの?」
奈津はうわごとのように呟く。莉多の言葉を聞き入れられる心境ではなかった。
「ええ、そうよ。少し手がかりを残しすぎたかしらね。もっとも、わざと欠点を残したところもあるのだけれど。黒塊を作るときに私の姿になってしまうとか、ね」
莉多はメジロの腕の中で倒れている女に目を向けた。
メジロは女を地面に寝かし、怒りの表情で立ち上がった。
「莉多! カラスさんはどうした! カラスさんの監視をどうやってくぐり抜けた!」
メジロは声を張り上げ、莉多の双眸を睨み付ける。
莉多はそれに臆することなく、首を横に小さく振った。
その直後、人の姿になったカラスが莉多のそばに降り立った。黒いコートに身を包んだ黒髪ショートの女性。死神本来の姿となったカラスが、奈津とメジロに冷たい視線を突き刺している。
「残念ながら、カラスも共犯よ、メジロ様」
メジロは愕然とした。体から力が抜け、膝をついてしまう。
五区の死神だけでなく、世界中の死神から尊敬されているカラスが、現世を脅かす行動に手を貸している。メジロにとっては、莉多が犯人であることよりも衝撃的だった。
「なにをしようとしているんですか、莉多さん、カラスさん」
メジロに代わり、奈津が立ち上がった。
「なにを? 黒塊の大量生産以外に何があるというのかしら?」
「とぼけないで! 黒塊の発生が何かの準備段階だってことはわかってるんです! そうじゃなきゃ、わたしたちは今日ここで調査なんかしなかった!」
奈津は莉多をまっすぐに見つめる。
メジロが衝撃を受けて一時的に発話不可能な状態になっているなら、自分が問い詰めるしかない。莉多が犯人だとわかった以上、相手にも自分にも容赦は不要だった。
「さすがは、奈津とメジロ様ね。期待通りだわ」
奈津の言葉を受け、莉多の笑みが邪悪で楽しそうなものに変わる。
「そうよ。黒塊はただの準備にすぎないわ。せっかくだから教えてあげる。私は、不幸因子を使って、この腐った社会を作り変える! 不幸因子にはそれだけの力があるわ!」
莉多の目的が明らかになり、奈津は眉をひそめる。
「社会を作り変える? 死者のあなたが?」
「ええ、死んでいるからこそやるのよ」
「カラスさんも同じ目的ですか?」
奈津はカラスに視線を移す。
カラスは黙って奈津に視線をぶつけていたが、やがて目を閉じた。小さく息を吐き、目を開けて奈津を見つめ返す。
「俺には別の目的がある。だが、今は言う必要がない。莉多は俺を、俺は莉多を、それぞれの目的のために利用している。それだけだ」
カラスはそう話した後、再び口を閉ざした。
奈津はこれ以上訊いても無駄だと判断し、莉多に視線を戻す。
「莉多さん、どうして死んだ後に社会を作り変えようとするんですか? わたしたちにはもう、関係ないじゃないですか」
「確かにそうね。でも、なんでそんなことをするのかは、奈津が一番よくわかっているのではないかしら?」
「どういう意味ですか?」
「あなたの第一の人生を振り返ってみるといいわ。答えはそこにある」
莉多も奈津も、それ以上話を続けようとしなかった。
奈津は困惑していた。莉多が不幸因子を悪用しようとしている理由が、自分の生前と何か関係があるのだろうか。関係があるとすれば、莉多と同じように、一歩間違えれば現世に危害を及ぼそうとしてしまうのだろうか。
だが、これだけは言える。忌々しい記憶を掘り返すときが来たのだと。莉多の企みを止めるために、向き合わなければならないのだと。
それぞれの思惑が行き交い、路地裏は静寂に包まれていた。
「……口封じは、しないの?」
その静けさを破ったのはメジロだった。
その場に膝を落としたまま、顔をうつむけたまま、目だけは莉多とカラスを捉えている。知ってしまったからには殺されるのだと、メジロは覚悟していた。
「口封じだなんて、するはずがありませんわ。メジロ様。だって、あなた方二人は私たちの後継者候補なのですから」
莉多は穏やかにそう言うと、奈津とメジロに向けてお辞儀をした。
「では、今日のところはこれで失礼いたしますわ」
頭を上げた莉多は奈津に微笑みかけ、カラスとともに飛び去っていった。
路地裏が静けさに包まれる。
二人が去ったことで、緊張していた空気が和らぐ。しかし、奈津とメジロは、莉多とカラスが飛んでいった方向を眺めることしかできなかった。
「なにが、どうなってるの……」
「ぼくが聞きたいくらいだよ……」
その呟きは夜闇の中に消えていった。




