仲のいい夫婦
(一)仲のいい夫婦
富田佐紀さんは十二月に銀杏並木が黄葉してくると家にいるのが息苦しくなります。年末から新年にかけて 殆ど旅行に出てしまいます。
夫の満男さんは会社が終わると毎日
「今から帰るよ。」
電話してこない日はありませんでした。
二人で遅い夕食を取って それから佐紀さんはまた下調べにかかります。佐紀さんは殆ど三時間くらいしか眠りません。佐紀さんには色々なことが宝物のように浮かんできます。
二人でアメリカ旅行したときのこと。ロサンジェルスに着いて、飛行機から降りて 荷物が出て来るのを待っていたとき 満男さんはふと財布がないことに気がつきました。
「よく考えて。どこで出したか。」
「あっ、そうだ。トイレに入ったね。あそこに置いてきてしまった。」
急いで成田空港に電話を入れると「届いていますよ。」
レンタカーを借りて早速ロッキーを目指す予定でした。レンタカー会社では
「いやあ、残念。今使える車はみな出払っていて、こんな車しかないんですよ。」
みれば相当なポンコツ。
「これじゃあ、ロッキー縦走なんてできない。」
それでも行けるところまで行こうと 借りてガソリンスタンドに寄りました。すると向うから、手を振りながらさっきの会社の社長がきました。
「富田さん、この車、もどってきました。」
まだ新しい車で これなら山でも登れそうです。二人は辺りの景色に感動しながら 峠まで登って行きました。
「ちょっと、そこでジュース 買ってくる。」
車からおりた佐紀さんは バッグをかき回しましたが財布がありません。そう言えばガソリンスタンドで 財布を出したことに気が付きました。「二人とも財布なしで どうしよう。」
「最悪 クレジットカードはあるから。」
佐紀さんはスタンドへ電話をかけてみました。
「さっき お客さんがきてね。財布の忘れ物に気が付いたんだ。私が預かっているから、来たら電話してくれって言われてますよ。」
その人のいる村まで行くと
「スタンドに預けておくのも危ないから預かっておいたんです。きっと困っていると思って。」
そんなことで知り合った友達が何人もいて メールのやり取り、互いの行き来はまだ続いています。
八年前、具合が悪いと医者にかかった満男さんは
「末期の癌です。あと三か月の命」
佐紀さんはすぐ退職して 病院の満男さんに付き添いました。満男さんは
「どうせ長くないなら、家に帰って死にたい。」
往診してくれる医師を探し、それから家で闘病生活が始まりました。痛みで苦しがる満男さんの背中を撫でていると、
「大丈夫だよ、さすってもらうと 大丈夫。」
それから満男さんは一切 「痛い」ということを言わなかったそうです。十二月の終わり、窓の下は銀杏が黄葉して 毎朝 ひらひらと散って行きます。そして二十八日満男さんは亡くなりました。正月を過ぎてお葬式を出して、がらんとした家の中。佐紀さんは体がいつも冷たくて 自分が何をしているか 全くわからなかったそうです。そんな状態が二年くらいは続きました。
兄弟や友達、また仕事に復帰して、気を紛らせてはいましたが 十二月がくると八年たった今でも 落ち着かないのです。