平成毒舌小話
まわりの人から聞いた話、ちょっと信じられないような話、本やテレビに出てきた話の毒舌コメントなど。小話集です。簡単に読めます。
平成耳嚢
(一)昔は近所でお風呂を沸かすとみんなで入りにきたものです。久しぶり薪で焚いたお風呂。入って行った人が
「ああ、いいお風呂だった。しょって帰りたいくらいだ。」
(二)親孝行
康夫さんは十五年寝たきりの父親を看病しました。東日本大震災のときものが入ってこなくなりました。そこで困ったのは 食道を切開して 父親に食べさせていた流動食でした。罹りつけの病院になくなってしまい、そこら中の病院から薬局を探し回ったそうです。父親がなくなったとき母親は仏壇に座って 線香をあげてそこで手を合わせていると、夢かうつつか そこに立っている父親が現れました。にっこりして 大変嬉しそうに
「ありがとう。いいところへ行けたよ。お前たちのおかげだ。」
そう言って いなくなったということです。
それまで康夫さんはいい仕事があっても家から通えるところでないと一切断って、父と 看病疲れの母親の面倒を見てきました。その後 うまくいかなくなった会社に入り、そこの立て直しに精力を傾けてきました。一年後には会社は黒字になり、十億円の売り上げを出すようになりました、銀行がきて「一体どうしてこんなに急に業績が上がるようになったのか」と驚いたそうです。康夫さんが言うには
「うまく行かない会社には『和』がない。お互いが信頼できるようになれば、ひとりでに 業績は上がる。」
それで彼が先ず取り組むことは 朝みんなが 挨拶することだと言います。今では毎朝元気にみんなが「おはようございます。」と挨拶する声が響いているそうです。
「親孝行できない人は仕事もできない」
彼の信念です。
(三)夫婦の和
智樹さんの親は 色々事情があってとうとう 離婚してしまいました。
「母と自分たち子供は互いに連絡があって 手をつないでいる。父親も自分たちには色々言ってきて うまくいっている。だけど父と母は切れてしまった。 父と母が 手を繋がなければ 輪はできない。」
これを聞いて父母は自分たちの勝手を反省して、また元にもどったということです。
(四)お天道様
山田さとえさんは 一家で満州へ行き、何とか日本へ戻ってきた人です。村へ帰って来てももらえる田畑はなし、やっと一枚の田」をもらい、一村離れた荒地を切り開いて開墾しました。田へ行くには一里ばかりの道を歩いていくのです。毎朝水見に行くとき それでもこうして一家が食べて行かれる、有難い、と 先ず朝起きれば お日様に向かって手を合わせ、
「お天道様 ありがとうございます。今日も一日よろしくお願いします。」
毎朝そう言うのを欠かしませんでした。開墾した畑は水利権がないので 近くに川があっても 田にすることはできませんでした。一村超えて水見に行ったころを思うと 田を作らなくなって荒れているのを見ると辛くなります。
(五)