帰り道、ふしぎ
生徒玄関を出て正門を通り、学校からだいぶ離れるまで、あたしの顔は緊張でずっとシャチホコ張っていた。
だって、誰に見られているわけでもないのに、すっごい人目が気になっちゃう。
でもべつに、これは何でもないんだもん。クラスメイトと一緒に下校してるだけなんだもん。
だから皆さん、ヘンな風に誤解しないでね!
……って空気を周囲にバンバン撒き散らしながら、あたしはギクシャクした動きで歩き続けた。
そのうちに生徒の姿がまばらになって、あんまり人目が気にならなくなってきて、やっと安心して背中を丸めて大きく息を吐き出す。
ぶうぅぅぅ~! き、緊張してすっごい肩が凝ったあぁ~。
「なあ、もしかして俺のこと意識してくれてんの?」
至近距離の真横から、からかうような声が聞こえてきて、反射的にあたしの背筋はまたシャキーンと伸びる。
そ、そうだ。安心してる場合じゃなかった。この緊張の原因が隣にいるんだった。
あたしは動揺を悟られないように、強気な口調で返事をした。
「意識なんてしてないけど? そんな風に見える?」
「見える」
「してないもん! 意識なんて!」
「じゃ、ひょっとして嫌がってる?」
今までずっとこの状況を楽しんでたみたいな近藤くんの声のトーンが、急に下がったように感じた。
「俺と一緒にいるとこ見られるの、嫌?」
背の高い彼が、少し首を傾げながらそう聞いてくる。
もうほとんど沈みかけた空の濃い夕焼けが、彼の瞳に翳を落としていた。
その表情がなんだかとても寂しげで、あたしは慌てて首をブンブン横に振る。
「……よかった」
彼の目が、とても嬉しそうに細められた。
そんな近藤くんの素敵な笑顔を見たら、あたしの気持ちも嬉しくなって、くすぐったいような柔らかい気持ちが体中の緊張をほぐしていった。
すっかりリラックスしたおかげで、軽口なんかもポンポン出てきたりして、帰り道をふたり一緒に楽しくおしゃべりしながらテクテク歩いていく。
ところがまたまた彼から爆弾発言が飛び出して、そんな穏やかな空気が吹っ飛んでしまった。
「なあ怜奈、手ぇ繋いでもいいか?」
「……!?」
はあぁぁ!? ……手!? 手!?
手ぇ繋ぐうぅぅーーーー!?
しかも、いきなり名前呼び捨て!?
「れ、れ、怜奈ってなによ!」
「ん? お前の名前だけど」
「知ってますそんなことは! そんなことが言いたいんじゃなくて、あたしは……!」
―― キュッ……
いきなり近藤くんがあたしの手を握ってきたから、口から飛び出しかけた言葉を空気と一緒に思い切り飲み込んでしまった。
「…………」
「嫌なら振り払っていいから」
あたしは無言で視線を下ろし、近藤くんの大きな手にしっかり包まれている自分の手を見た。
涼しさの増した日暮れの空気の中で、彼の手の感触が沁み込むように伝わってくる。
とっても、とっても温かくて。
キュウゥッて、心臓が鳴って。
その温もりも、心臓の痛さも、全然イヤじゃなくて。
だから……振り払えないよ。
黙って手を繋がれているあたしを見て、彼はそのままゆっくり歩き出した。
あたしはうつむいたまま、彼に引っ張られるように一歩分だけ遅れて歩き出す。
夕暮れの街はあっという間に薄闇に包まれ、ぽつぽつと街灯に明かりが灯り始めた。
あちこちの家の窓辺にも、温かそうな明かりが見える。
橋の下から、静かに流れる水の音が聞こえる。
すれ違う自転車から、かすかな風を感じる。
あたし達は、ずっと手を繋いだまま黙って歩いていた。
―― トクン、トクン、トクン……
さっきから忙しく鳴り続ける心臓の音。そして……あたしは……。
「怜奈」
「…………」
「どうして泣いてる?」
わかんないよ。
そんなの、あたしにもわかんない。
「俺と手を繋ぐのが嫌? なら、放していいよ?」
あたしは首を横に振った。
だって、嫌じゃないんだもん。そういうことじゃ、ないんだよ。
あのね、きっとね、街を照らす灯りとか。
窓辺から聞こえてくる家族の声とか。
暗い空を彩る、ちっぽけな星の光りとか。
『怜奈』って近藤くんから呼ばれた時の、飛び跳ねるようなドキドキとか。
……世界は、なんて一生懸命なんだろう。
その世界の中で近藤くんとあたしが、こうして手を繋いで歩いてる。そのことが、とても素敵に思えたんだ。
胸が張り裂けそうなくらい、いっぱいで。ジーンって、痺れるみたいに熱くなって。
「そしたらね、なんか勝手に涙が出てきちゃったよ」
「そっか」
あたしの手を包み込む手に、キュッと力が込められた。
「それってさ、“幸せ”ってヤツじゃね?」
そんな彼の声を聞いて、あたしの胸は甘く切なくなる。
彼と繋いでいない方の手で涙をそっとぬぐって、あふれる想いを噛みしめた。
あたしの心の中から、あたし自身の声が問いかけてくる。
『ねえ、この想いをなんて呼ぶの?』 って。
その問いの答えを、知ってる。
でも口に出すのが照れくさいし、もったいない気がして。
それよりも今は、夜風に吹かれながら彼とこうして歩いていたい。
彼と手を繋ぎながら、不思議に心地良い胸の痛みと一緒に……。
「着いたぞ。お前んち」
なのに、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうね……。
近藤くんはあたしの家の前で、繋いでいた手を離した。
守られるように温められていた手に急に冷たい風を感じて、ちょっぴり心細くなってしまう。
「じゃ、またな」
「うん、また明日。送ってくれてありがとう」
遠ざかる彼の姿をその場で見送りながら、あたしは初めての気持ちを感じていた。
もっとずっと、近藤くんと一緒にいられたらいいのにな。
そんな風に思う自分の気持ちが不思議で、嬉しい。
やがて彼の姿が曲がり角を曲がって見えなくなって、彼にも誰にも聞かれていないのを確信してから、あたしは小さくつぶやく。
「近藤くん……」
彼の名前を口にすると、胸がきゅんって鳴る。
勝手に頬がゆるんで、照れ笑いみたいな顔になっちゃう。
恥ずかしいな。こんなとこ、ご近所さんに見られたら変に思われちゃうよ。早く家に入ろう。
そう思いながら見上げる自宅は、ご近所の家と同じように明かりが灯っている。
見慣れたその光景が、なんだか嬉しい。
そして歩き出そうとして、あたしはふと気がついた。
あ……。
白い花。
足元に、いつの間にかあの花が咲いていた。
周りの夜の闇から浮かび上がるように、ふわり白さを際立たせて咲く花は、水辺に揺らめく蛍の光みたいに儚くて、でもこんなにも目を離せない。
それになんだか、花の気持ちが伝わってくるような気がした。
あたしの胸に咲いたこの気持ちを、祝福してくれているみたい。
喜んでくれているの? ……ありがとう。
花が、答えるように優しく揺れた。
あたしにしか見えないその花が、愛しい。
あたしは微笑みながら、白く咲く花を見つめていた。