図書室で、ふたり
帰りのホームルームが終わって放課後になり、部活に向かう真貴子と帰宅部のあたしは、一緒に教室を出た。
「おい」
後ろからポンと肩を叩かれて、振り向くとそこに近藤くんが立っている。
彼の顔を見たとたん、あたしの胸がふわふわぁっと浮き上がってしまった。
でもそんな自分の気持ちが恥ずかしい。だって、まるで話しかけられて喜んでるみたいじゃん。
だからわざとツーンとした声で答えた。
「なに? なんか用?」
「あのさ、これから俺と一緒に図書室に行かね?」
「……え?」
「さっき花がどーのこーのって言ってたじゃん? 図鑑調べてみようぜ」
あたしはポッカーンとして、彼の顔を見上げてしまった。
だって……この学校では……放課後の図書室に男女そろって行くのって、カップルだけに許されている特権で。
逆に言えば放課後に図書室にいる男女は、その、つまり完全にデキているという証なんですけど。
え? え?
それで近藤くんがあたしを誘ったってことは……?
「ひゅーひゅー♪」
真貴子があたしの腕をツンツン小突いてきて、あたしは真貴子の腕をバシッと叩き返しながら真っ赤な顔でを睨みつけた。……んもう、真貴子ってば!
真貴子は派手に腕をさすって「いったぁい」なんて言いながら、顔がしっかりニヤけてる。
「んじゃ、おジャマ虫はこれで退散します。どうぞおふたりで、ご・ゆっ・く・り」
「真貴子!」
「いやーん。怜奈ちゃん、こわいー」
笑いながらサーッと足早に逃げていく真貴子の背中を睨んでるあたしに、近藤くんがまた話しかけてきた。
「さあ、行こうぜ」
彼はそう言って廊下を歩き出したけど、あたしは一歩も動けない。
だって、ここで彼について行っちゃったらさ、そしたらあたし、周りから近藤くんの彼女って誤解されちゃうし。
そんなの、嫌だもん……。
「どした? 来ねえの?」
「…………」
モジモジしながらソッポ向いてるあたしに、彼はまた声をかけてきた。
「あの白い花、気になるんだろ?」
……白い花? あたし、花の色なんて話してないよね?
「なんで近藤くん、花が白いこと知ってるの?」
と、質問した時にはもう、彼はすでに廊下の遥か向こうを歩いていた。
こらこらこら! 人を誘っておきながら、思いっきり置き去りにするんじゃないー!
「ねえ、待ってよ!」
あたしは慌てて、遠ざかる彼の姿を追って走った。
「ちょっと待ってったら! 無視しないでよ!」
「無視なんかしてねえだろ?」
ちょうど図書室の手前で追い付いたあたしに向かって、彼はイタズラっぽい顔で笑いかけた。
「無視どころか俺、ずっとお前を見つめてたつもりだけど」
「……!」
「あれ? 気付いてなかった? 俺の熱い視線」
あ……熱い視線って……。
あたしは銅像みたいに固まってしまった。
面と向かってそんなこと言われちゃって、とても身動きなんかできない。
真っ赤な顔して口をパクパクさせているあたしの様子を見て、近藤くんがプッと笑った。
「うわー、酸欠おこした金魚みてえ」
「な、なによそれ!?」
「しー。図書室では静かにしましょう」
そう言って彼が開けてくれた扉の中を、赤く染まった顔をムッとしかめながら覗き込むと、シーンとしていて誰の姿も見えない。
「……あれ? 図書委員も先生もいないよ?」
「ほんとだ、珍しいな。貸し切りじゃん。こんな日もあるんだな」
あたし達は中に入り込んで、誰かいないか確認してみたけど、やっぱり誰もいない。
あたしと近藤くんは静かな空間の中で顔を見合わせ、思わず笑顔になる。
「誰もいない教室って、なんかワクワクするね」
「すげー得した気分だな」
いろんな背表紙が図書室の壁一面にズラリと並んでいる様子は、見てるだけで楽しい。あたし、本が好きなんだ。
本棚から植物図鑑を数冊取り出して、窓際の席に向かい合って座ってペラペラとページをめくってみたけど、あの花はどこにも載っていない。
うーん、やっぱり見つからないか。
「まさかの新種発見とか。だったらあの花に、あたしの名前がついちゃうかも」
「…………」
「ねー、なんか反応してよ」
図鑑から顔を上げて、あたしはハッと胸を躍らせた。
近藤くんが見たこともないような穏やかな表情で、あたしのことをじっと見つめている。
放課後の図書室には夕暮れの陽射しが差し込んで、そんな彼の姿を優しく包み込んでいて、彼の瞳はその陽射しよりもずっと柔らかかった。
「な、なに見てるの?」
「お前」
恥ずかしげもなく彼はそう言って、あたしは、自分の赤くなった頬を夕日がごまかしてくれていることに心底感謝する。
「み、見るんなら、あたしじゃなくて図鑑見てよ」
「嫌だねー。俺は図鑑見るために来たんじゃねえもん」
「じゃ、なんのために来たの!?」
「お前とこうして、図書室で放課後を過ごしたかったから」
「…………」
もう、なんと、返事をすれば、いい、ものか……。
さっきからポンポン飛び出る爆弾発言に、こっちの心臓まで爆発しちゃいそうだ。
あたしのこと、からかってる? それとも本気で言ってる?
彼の気持ちが分からないから、どんな反応を返せばいいのかわかんない。
ただもう彼と顔を合わせるのが恥ずかしくて恥ずかしくて、あたしは窓の外に視線を逸らした。
「……あ」
「ん? どうかしたか?」
「ほら、あれ見て!」
フェンスの脇に、あの白い花が一輪咲いていた。
傾いた日の色を浴びながら、ゆらゆら気持ち良さそうに風に揺れているその花をあたしは夢中で指さし、大きな声を出した。
「あの花だよ! ねえ近藤くん、見て!」
「嫌だ」
「え?」
「俺、花を見るよりお前のこと見ていたい」
―― どきん……。
思わず振り返ったあたしを、近藤くんは見つめている。
さっきと変わらず、とっても穏やかな優しい目をしている彼を、あたしは自分の心臓の大きな音を聞きながら見つめ返した。
ふたりきりの図書室に、窓の外から、校庭で部活動してる音が紛れ込んでくる。
すぐ隣なのに、なんだかすごく別世界の音みたいに聞こえた。
昼の明るさと夕暮れ色が混じり合った空気が、向かい合うあたし達をじんわりと包みこんでいる。
……ねえ、本気で言ってる? それとも、ただの冗談?
からかってるだけなら、そんなこと、やめて欲しいんだけど。
そう思っていても口には出せない。だって……。
『ごめんごめん。冗談だから』
もし本当にそんな風に言われて、目の前で笑われちゃったら?
あたし、本気で傷ついちゃいそう。
だからあたしは無言で、校庭の音と自分の鼓動の音を聞くだけで、赤い顔で俯いていた。
「なあ、暗くなってきたしそろそろ帰らねえ?」
近藤くんの声に顔を上げると、彼は立ち上がりながら机の上の図鑑をまとめている。
「一緒に帰ろう。お前の家まで送っていくよ」
「え? い、一緒に?」
「うん。嫌か?」
「…………」
あたしはガタッとイスから立ち上がり、彼の腕から図鑑を奪い取る。
そしてスタスタと足早に本棚に向かいながら
「べつに、いいけど!」
って、ぶっきらぼうに答えた。
嬉しい気持ちに弾む胸を、両腕に抱えた図鑑で必死に押さえつけながら。