不思議なこと、ふたつ
……あ。
また、白い花が……。
「だーれだ」
中休みの教室の窓辺に立って外を眺めていたあたしの目を、後ろから柔らかい手の平がふわっと覆った。
だれって、そんなのすぐわかっちゃうよ。
「真貴子でしょ?」
「ぴんぽぉん。正解でーす。景品はなんにもないけどね」
親友の真貴子が笑いながらあたしの隣に並んで、同じように外を眺めた。
「怜奈、最近よく外見てるね? なんか面白いモンでも見える?」
「うん。ほら、あそこに咲いてる花」
あたしは、窓のすぐ下に咲いている白い花を指さした。
「花? また怜奈に見えてるの? どこ?」
「ほら、あそこ。あの花」
「どこよ?」
「だから、ほら、あの壁際に……」
真貴子から花の方へと視線を移したあたしは、無言になった。
「…………」
「花なんてどこにも咲いてないじゃん。やっぱり怜奈の見まちがいじゃない?」
まただ。
また、消えた。
あたしは外に向けて伸ばしていた手を引っ込め、白い壁と茶色い土を見つめて黙り込んでしまった。
最近、あたしの身の回りには不思議な現象がふたつ、起きている。
ひとつ目は、急に街のあちこちに咲き始めた花。
クロッカスにちょっと形が似ているけど、今まで見たことのない品種の珍しい白い花が、やたらと目に付くようになったんだ。
ところが、それがどうやらあたしにしか見えない花らしい。
真貴子に話しても、『そんな花が咲いているのは一度も見たことがない』って言うし、誰も花の存在に気づいていないみたい。
しかも今みたいにだれかに見せようとすると、煙のように一瞬で消えてしまう。
最初のうちは真貴子の言うとおり、目の錯覚だろうと思って深く考えなかったんだけど、でも錯覚ってそう何度も何度も続く?
「なんか、怖いな~。目の病気かな? 今度眼科にでも行ってみようかな?」
「あ! それならうちの親戚が眼科医だから紹介するよん!」
「なにちゃっかり身内の商売の宣伝してんの?」
あたしと真貴子は一緒になってケラケラ笑った。
ほんと言うと、こんな風に笑い話にするくらいだから、あんまり怖いとは思ってないんだ。
だってあの白い花が咲く姿は、とっても綺麗なの。
まるで洗濯したての真っ白なシーツが、青空の下で風にふわふわ揺れてるみたいにすごく清々しくて、見ていて心が和むような温かくなるような、そんな素敵な花なんだ。
「あの花、また見たいなぁ。見られるかな?」
「へー、お前、あの花が好きなんだ?」
いきなり背後から声が聞こえてきて、あたしはビックリして飛び上ってしまった。
振り向くと、いつの間にかあたしのすぐ後ろに男子が立っている。
「こ、近藤くん? もしかして近藤くんもあの花が見えるの?」
あたしはドキドキしながら、クラスメイトの近藤くんに話しかけた。
実は不思議な現象のもうひとつは、この彼。
……最近、なぜかやたらと近藤くんと目が合うんだよなぁ。
気がつくといつも彼は、深いハッキリした二重まぶたの目で、微笑みながらあたしを見てるんだ。
机に頬づえをつきながら、教室のドアにもたれ掛りながら、廊下ですれ違いながら、色んな場所であたしを見ている彼と目が合っちゃうの。
「ん? 俺、花が見えるなんて言った?」
「え? だって今……」
「そんなこと、俺言った?」
…………。
言ったよーな。言ってないよーな。
あれ? どっちだ?
「お前、耳も変なんじゃね?」
「うーん。耳鼻科医はちょっと、うちの親戚にもいないわねー」
「だから、真貴子の身内の宣伝はいいってば」
近藤くんは笑顔であたしの肩をポンポン叩いて、離れていった。
その後ろ姿を見ながら、真貴子がコッソリ耳打ちしてくる。
「近藤くんってさ、ぜったい怜奈に気があるよね」
「えっ?」
彼の背中をポーッと目で追っていたあたしは、ドキッとした。
「だっていつも怜奈のことばっかり見つめてるじゃーん? 熱ぅい視線でさ」
「そ、そんなことないと思うよ? 真貴子の思い過ごしじゃない?」
「またまたぁ~。怜奈だって気付いてるクセにぃ~。ひゅーひゅー」
「んもー、ヤメてよ!」
あたしは唇を尖らせながら真貴子の腕をバシッと叩いた。
でも心の中は、ふわりと花がほころぶように華やいでいる。
彼があたしのことを? まさか。そんなことない、ない。
でも……。
まさか?
トクントクンと心臓が、秒針を刻むようにざわめいている。
そのたびに、心地良くて温かい気持ちがあたしの体中に満ちていく。
近藤くんってさ、実は前から、ちょっとイイかなぁって思ってたんだよね。
……ちょ、ちょっとね。ちょっとだけね。
なんて自分で自分に言い訳しつつ、つい、あたしの目は彼のことを無意識に追ってしまう。
そしたら彼がこっちを振り向いて、お互いの目と目がバッチリ合ってしまった。
うわっ。見てたのバレた!
そしたら近藤くんがすごく優しい顔で微笑んでくれて、あたしの心臓が外に飛び出ちゃいそうなくらい大きく鳴った。
あたしはバッと視線をそらして、彼にクルリと背中を向ける。
そして窓際に頬づえをついて、赤く染まってしまった頬を両手でうまく隠しながら、素知らぬ顔でまた外を眺めた。
真貴子のおしゃべりにテキトーに相づちを打ちながらも、心は完全に上の空。
真貴子ゴメン。でも……。
背中向けちゃって、近藤くん気を悪くしてないかな? 怒ってないかな?
だって近藤くんが悪いんだもん! 急にあんな優しい笑顔を見せたりするから……。
青く澄んだ空に流れる雲を見上げながら、あたしの瞳の奥は、さっき彼が見せてくれた笑顔に占領されてしまっていた。