1.飛ぶ鳥跡を濁さず、旅立つ前にツケは払おう
晴天の街道を目的地を目指して四頭立ての箱型馬車が駆けて行く。
馬車の窓から、陽射しを受け、肩まで切り揃えた黒髪を輝かせながら、窓から覗く景色に見入ってる女性神官アルシアの姿が見えた。
彼女の肩に、腰まで伸ばした豊かな黒髪を蓄えた頭を預け、馬車の揺れを物ともせず転寝をしてる東方蛮族の女がいる。奉仕人のリン・ファオだ。
二人と向かい合って座っているのが、彼女達の上司である女法皇チアノ・ヴァレンチノの面影を残す女魔道師セス・ヴァレンチノ。金色の髪を短く整えたセスはチアノと双子の姉妹だという。それ故、顔に面影あるのだろう。
このセスを護衛する為、ファオとアルシアは全ての魔道師の故郷といわれるズメディ・ザワァール学院へ向う、定期便の馬車に乗り込んでいた。
だが、護衛という堅苦しい任務とは裏腹に、車中では麗らかな春の陽射しに包まれた陽気な雰囲気が漂っていた。
「ふふふ、ほら、起きないだろ」
悪戯っぽい笑みを浮かべたセスがアルシアの肩まで伸びた髪の毛を一掴みすると、穏やかな寝息をたてるファオの鼻をくすぐる。
が、ファオの年齢の割にあどけない寝顔は死人の様に微動だにしない。
「ほんと!なんでなんですか?」
その有様に驚きつつ、アルシアもファオの頬を思いっきり引っ張ってみるが、ファオは何事もなかったかのように穏やかな寝息を立てている。やせ我慢をしているわけでもなさそうだ。
心なしか、その肌も死人のように青白い気がしてきたが、自分の位置から見て影になっているからだろうとアルシアは思うことにした。
青白いといえば、多くの魔道師は白子のような色素というか生命力的薄弱さを感じさせるが、今、アルシアの目の前で年甲斐もない悪戯に耽るセスの肌は健康的で、不自然な瑞々しさを湛えていた。
人間と加齢を魔力で抑えられる魔道師という生物的な能力の差だろうか、双子とは言うが、チアノよりは大分若くみえた。
「魔法なんですか?」
重ねてアルシアがチアノに尋ねた。その問いこそ、彼女の能力から導かれた結果によるものだ。
「どっちのことかな?」
だが、その真意は届かない。セスは、神面都市の北東にあったクリュオ森林王国の宮廷魔術師であった。
が、彼女が仕えている国で政変が起こり、一夜にして彼女は体制側の人間から、反体制側の人間=人民の敵として新体制側に追われる身となり地下深く潜伏した、脛に傷を持つ身なのだ。先ほどからのアルシアが放つ興味深げな視線に気がつかないわけはなかった。
なにより彼女自身も珍しいと自覚はあった。魔道師は時として何らかの身体的特徴、畸形をもって産まれるといわれているが、セスの場合、治療したのだろうか?外見に大きな肉体的特徴は見当たらなかったからだ。
「そうだね。確かに魔法で外見は操作しているかな」
セスはあっさりと認めた。もっとも、ここまで外見を変えれば年齢を除けば生き写しとなるのだろうが、魔道師達は産まれついた時から虚弱なので体格的に明確な差が既にある。
所詮、双子といえども完璧に瓜二つというわけにはいかないのだから、すぐに認めたのかもしれない。
「いえ、その、そっちに関しては存じております」
微妙な空気に負けじとアルシアが答えた。旅立つ前に双子の姉妹が、若い頃はセスが痩せたチアノか、チアノが肥えたセスかというくらい似ていたと、ふざけあいながら話していた光景を目にしていたからだ。
なにより、セスが肥えたを口にしたあたりでチアノに後頭部を殴られた様子から、人生の中で僅かな年月しか一緒に過ごしたことがない二人が、心の内では一時も離れておらず、姉妹の絆も年月に反比例して深いように見えた。
今では加齢とともに互いに進む道が、少しかけ離れてしまった双子の姉妹だが・・・
だが彼女が知りたい答えはそれではない。
「あのうファオのことです。私が触っても何も感じないんです」
アルシアは手に触れた無生物に残留した想いや、皮膚に触れた人の表層思考を読み取ることができる。先ほど、頬を引っ張った時にファオの意思が一切伝わってこなかったことから、これは普通の状態じゃないと悟ったのだろう。
「そっ魔法だよ。ファオの身体から魔力元素が抜けてきてるから、そろそろ起きるかな?5・・・4・・・」
セスは危機感を募らせたアルシアの問いを軽く受け流しつつ、ファオの頭を撫でながら秒読みを始める。馬車の細かい振動が、弥が上にも期待を高まらせていくのだろう。大したことが起こる訳でもないのだろうが、セスが一づつ数え上げる度にアルシアもファオの寝顔に見入ってしまう。
「魔法?一体誰が?」
見入りながらアルシアが、もっともな疑問を口にする。
「四日前に死者の女王に魂を召喚されたじゃない?アレさ、いちっ!ぜっ!」
セスが最後の数字を口にするのと同時にファオが雷に打たれたかのように跳ね起きた!
「あ゛デーッツ!!」
「ったーッツ!・・・ッッッ」
と同時に馬車の中で鈍い音が響き、二人の悲鳴が上がった。勢い良く起き上がったファオの頭がセスの顎に的確に命中したのだ。
「・・・ッッッな、なに?」
何時も、この様な状態に陥れば、やや間抜けな内面の幼いファオの身を、慈母の様に按ずるアルシアが心配するのだが今回は違った。
「ほんとにピッタリでしたね」
眼を丸くしたアルシアがファオの問いを歯牙にもかけず呟く。
驚きの表情で己に怪訝そうな視線を注ぐアルシアに違和感を感じたファオは、今の状況に戸惑いながら、あのように短く聞き返すのがやっとであった。
「あんたが女王と話し終わるのを待ってたのさ」
戸惑うファオに優しく答えたのはセスだったが
「なんで、なんで、わかったんですか?」
その的確な状況説明に今度はファオが驚く番だった。
「見えるから。魔力の流れが見えるからさ」
驚き狼狽えるファオに、セスは常識といわんばかりに事も無げに答える。
「みっ、見えるんですか?」
「アルシアさんも神官だから見えるんでしょ?」
狼狽えるファオを無視してセスがアルシアに話を振るが
「私は・・・」