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ゴースト  作者: 鏡完
ゴースト第一章
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理想の家族

医師の先生方をはじめ(もちろん、変態医師は無視だ)、看護師の仲間、その他のスタッフ。


そして、木戸恵里奈が看護担当していた患者さんに挨拶をして回った。


仕事に関する人物だけで、恐ろしいことにその数たるや、百人を優に超える。


どれだけの人とのつながりがあるんだ、木戸恵里奈。


僕も小さいながら建築屋を十五年程経営していたから、お客様の数だけで言えば千二百件を超える。


その僕でも、一時期にこれだけの人と仕事上のつながりを持ったことはかつてない。


おかげで、午後は挨拶回りだけで使い切ってしまった状態である。


今は十八時三十分。


木戸恵里奈の腕時計は、文字盤に帆船の繊細な意匠が凝らされている見たこともない年代物だった。


決して今流行りのものではなさそうだが、そういうところにも共感が持てる気がする。


…まあ、僕の一方的な共感だけれど。


さて、挨拶も終わった事だし、一度木戸恵里奈の自宅に戻ろう。


僕自身の家族の事も気になっているのだけど、友人でもない若い看護師が一日のうちに二度も訪問するのは、どう考えてもおかしなことだ。


それに僕自身、これからどうすべきか方針が決まっていない以上、今はやたらと動き回らない方が賢明だろう。


左ハンドルの車は相変わらず運転が難しかったが、どうにか傷をつけることなく恵里奈の自宅までたどり着くことができた。


時間は十九時を廻っていたが、恵里奈の父親も姉もまだ帰ってきてはいないようだった。


僕は部屋に戻って、恵里奈の日記を引き出しにしまい、簡単に夕食を作ってからシャワーを浴びることにした。


さすがに二日間も体を洗わない訳にはいかないだろう。


年頃の女の子がいつまでも風呂に入らない訳にはいかないしな・・・。


なんか、自分でも言い訳がましく思うけど、客観的に考えてもこれは正しい事だろう。


周りから臭い女の子だとレッテルを張られるわけにもいかないしな…


給湯器の電源を入れてから、六畳はある脱衣場で服を脱いで風呂場に入る。


・・・って、うわ!?


なんだこの風呂は!?


白いマーブル調の大理石張りの壁と床。


それは、八畳近くあるダイナミックな浴室だった。


・・・無駄に大きい・・・。


浴槽はたっぷり五人は入れそうな大きさで、やはり大理石でできているが、こちらは黒を基調にして、オレンジや赤やグレーのラインがバランスよく入っているものだった。


その大理石の浴槽の端から四本のやはり大理石の短い円柱が立ち上がっていて、その先端にちょうど風呂全体を照らす、羽根の付いた天使をモチーフにしたような複雑な形のガラスの照明がついている。


浴槽の端に近い壁にはニッチがついていて、間接照明が設置されている。


そのニッチの中から何やらかぐわしい香りが漂っている。


ニッチの地板にも凹みがあって、そこにアロマオイルが焚かれる仕組みになっているようだ。


見るからにひんやりとしてそうな床の大理石は、足を載せるとほんのり温かくて、おそらくは床暖房の機能がついていると思われる。


一体いくらかかってるんだ?この風呂は・・・。


育ちがさもしいせいと、建築をかじっていたせいで建造物がお金に見えてしまう僕がいる。


悲しいさがだ・・・本当に困ったものである。


しかし、一番困るのは壁一面に鏡が設置されていることだった。


たまったものではない。


こんな快適なお風呂なら喜んで入りたいところだが、今の僕には酷なものでしかない。


まっすぐに流れる黒髪も、白くたおやかな腕も足も僕のものではなく、無許可で本人から借りているものだ。


不可抗力の場合は仕方ないとしても、出来得る限りは本人のプライバシーは守ってあげたい。


僕は、自分の中の悪魔の下心と必死で戦いながら、木戸恵里奈の間違いなく美しいであろう裸体を見ないように、それこそできる限り見ないようにして鏡に背を向けながらシャワーを浴びた。


しかしながら、シャンプーやトリートメントを使うときにはどうしても目を開けなければならない。


しかも、それらの洗剤類が鏡の側にあるという、実にけしからん状況にある・・・。


スポンジにボディーソープを付けて泡立ててから、隅々まで丁寧に体を洗い清める。


柔らかな髪を洗って、トリートメントで仕上げてから、タオルを巻いて保温。


うっ!?・・・大事な部分はどうやって洗えばいいのだろうか?


直に触るのは気が引けるから、スポンジで・・・。


・・・ぐわ!?石鹸が沁みる!!!


急いでシャワーで流しながら、仕方なく指で洗い流す。


柔らかな感触が僕の罪悪感の心を鞭で打ちのめした。


なんてけしからん柔らかさだ!?


ごめんね、木戸恵里奈さん。


・・・これは本当に不可抗力です。


せめて目を閉じているから勘弁してください。


とりあえず、髪も体も洗い終わって、至福と良心の狭間で精神的にげっそりとした僕は思った。


女の子ってすごい大変・・・。


僕・・・男に生まれてよかったです。


母さん、僕を男に産んでくれて本当にありがとう!


世の中の男性諸君!


女性はもっと大切にしましょう!


僕は今、女の体になっていますが・・・。


なんとか正気を保ったまま、シャワーという大事を終えた僕は、また服を着替えてから脱衣場を後にした。



リビングに向かうと、恵里奈の父親が帰宅したところだった。



「なんだ恵里奈、帰っていたのか?」




うわ!?お父さん!!!


ごめんなさいぃぃぃ!!!


ぼ、僕は娘さんの身体に変なことは何もしていませんよ?


で、でもでもどうしても必要なことだったので仕方なく・・・。




「何を慌てているんだ?おかしな奴だな?」




・・・はっ!!そうだった。


今の僕は恵里奈なのだ。




「お、お、お父さん、おかえりなさい」


「全く・・・お前、昨日から変だぞ?何かあったのかい?」




木戸恵里奈の父親は、ダンディーなだけでなく、ちゃんと娘を思う優しいまなざしを向けて来る。


すみません、お父さん。


何かあったどころの騒ぎじゃないんです。


あなたの娘さんは僕で、本当は恵里奈さんじゃ無いんです。




「ううん、大丈夫だよ?心配かけてごめんね?」


「そうか、お前が大丈夫というなら、私はそれを信じる。でも、辛くなったらいつでも、そして必ず私に相談するんだよ?いいね?私たちは家族なんだからね?」




僕は、自分の罪悪感に鞭を打って嘘をついたが、彼女の父親はそう言って恵里奈の頭を優しくなでる。


今の言葉といい、態度といい、父親の鏡だな・・・この人は。


ちょうどその時、玄関のドアが開いて恵里奈の姉が帰ってきた。




「たっだいま~!遅くなっちゃった!もう!経理の田中の奴、ミスが多くて結局私がやり直しなんだもん!!!本当に使えない奴!!で、恵里奈ちゃ~ん!もしかしてごはんとか出来てたりする?」




・・・もちろんです、お姉さま。





この家族の食事は本当の意味での団欒なのかもしれない。


テレビなどは家のどの部屋にも無く、食事の時も電球の灯りと家族の会話だけで時間が成り立っている。


お互いの情報を交換し、今自分が何を考え、どんな問題にぶつかっているかを話し合う場にもなっている。


これだけの豪邸に住んでいて、収入も一般家庭とは比べるべくもないはずなのに、食事は至って質素なもので十分という感じであるし、映像や音響関係の電化製品などに頼った生活とは対極のものだった。


食事が終わると、姉妹で後片付けをする。


その間、父親は風呂を済ませて、ブランデーを片手に香りの良い葉巻をふかす。


お互いに何かを強制するのではなく、必要以上に干渉もしない。


だからと言って、お互いの情報は交換しているから必要なところは率直に意見を出し合う。


素晴らしい家族だった。


この父親が事業に成功するのもうなずける。


今日、この家族と時間を過ごして僕は思った。


いつまでも、このまま木戸恵里奈の身体を借りているわけにはいかない。


一秒でも早く、この娘を本当の家族に返さければいけないと・・・。




部屋に戻った僕は、ベッドに倒れ込んだ。


枕からいい香りがする。


決して香水の類の匂いではない。


健康的な若い女性が持つ特有の匂いなのかもしれない。


でも、さすがに疲れた。


若い身体でも、やはり疲れはするものなのだ。


弾力のあるベッドは寝心地がよく、僕は沈み込むように眠りに落ちた。

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