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ゴースト  作者: 鏡完
ゴースト第一章
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変化

タクシーの運転手は気さくな、五十代後半に見えるおじさんだった。


遅くなったことに文句は言われなかったが、メーターの料金表示だけはきっちり増えている。


目的地の住所を告げると、おじさんは陽気に話しかけてきた。


最近流行りの歌に始まって、昔の歌はよかっただの、おじさんの昔話にまで発展していたが、あまりよく覚えていない。


そう…僕は今それどころじゃなかった。


それこそ問題だらけだ。


これからどうするのか、何をどうしたらいいのか本気で考えなければならないのだから。




「看護師さん。大丈夫かい?元気が無いみたいだけど?」


「ええ…いえ…大丈夫です。すみません、ご心配かけちゃって」


「いいっていいって、もうすぐ着くけど、どこで止まればいいんかね?」


「あ、それじゃあ次の角を左に曲がって百メートルくらい行ったところの右手に自動販売機があるので、そこでお願いします」


「自動販売機ねぇ?了解ぃ~!」




これも木戸恵里奈の記憶に違いない。


僕はこの辺りに全く土地勘は無いのだから。


タクシー代には十分過ぎるほどの金額が木戸絵里奈の財布には入っていた。


シックな黒い革財布。


ルイ・ヴィトンの高級品だ。


これも木戸絵里奈の記憶。


僕は元々ブランド品なんかに興味はない。


これがルイ・ヴィトンというブランドの財布だとわかるのは、彼女の持っていた記憶が僕の中にあるからだろう。


財布からお金を取り出して、タクシーの運転手に渡す。


人のお金だから、お釣りと領収証をきっちりともらって財布に戻す。




「毎度あり!また使ってくださいねぇ!?」




走り去るタクシーの運転手は最後まで陽気な人だった。






木戸恵里奈の家は、結構な豪邸だった。


この辺りの土地価格は結構高い。


小さな建築事務所を一人で営んでいた僕には手の届かない代物だ。


そんな地域に百坪以上の土地を持っている木戸家の父親は不動産業者の社長をやっているらしい。


石積みの角ばった門柱には立派な鋳物の門扉がついていた。


いつもは裏手にあるガレージから車で帰宅するはずだけど、タクシーと徒歩で帰宅したから、今日は正面の門から入っていく。


両開きの高級玄関ドアにはカードキーを差し込む細い口と暗証番号キーがついていた。


鍵は…と…。


バッグの中にあるカードキーを探していると、両開きの重そうなドアが勝手に開いた。




「おかえり、恵里奈。今日は遅かったね?」




五十二歳の恵里奈の父親は白髪交じりの美男子だった。


太っているというのではないが、恰幅のいい親父さんである。


にこやかに微笑んだその顔には絵里奈に対する愛情が嫌でも伺えた。




「あ、お父さん…ただいま。今日はちょっと病院でいろいろあって…」


「そうなのか…ま、いいから入りなさい。疲れただろう?」


「うん。ありがとう」




木戸家は恵里奈によく似た美人の姉と、この父親との三人が暮らしている。


母親は恵里奈がまだ小さいときに死に別れているが、父親には今お付き合いしている女性がいるようだった。


娘たちの事を考えて、籍も入れずに七年も付き合っている女性と娘たちは未だ面識がないようだ。




「恵里奈。夕食は済ませたのかな?」


「ううん。まだだけど、今日はなんだか疲れちゃって…ご飯は要らないから…」


「食べなきゃ体に良くないぞ?冷蔵庫の中にサラダがあるから、それだけでも食べなさい」


「うんわかった。ありがと」




恵里奈の記憶では、父親はとても優しい人だ。


僕は冷蔵庫を開けてラッピングされた皿を取り出す。


ついでにドレッシングも。


大きな食器棚から、箸を取り出して二階の恵里奈の部屋へと向かった。


階段は普通の家の倍の幅がある。


僕の家とはだいぶ造りこみが違うようだ。


恵里奈の部屋も二十畳はあり、それとは別に六畳のウォークインクローゼットがついている。


素晴らしい豪邸である。


その割には質素な感じで、物があまり置かれているわけでもない。


大きめの机にはパソコンと造花の鉢。


他にはアロマオイルを焚くための小さな白いポットと医療関係の本がびっしりと詰まった書棚が置かれているだけだ。


サラダに手を付けようと思ったが、やっぱり食欲がない。


そうかといって、すぐには寝付けそうにもない。


壁にかかったディズニーキャラクターの描かれている可愛らしい時計を見ると、針は九時半を指していた。


シャワーでも浴びてこようかと思ったが、うら若い身体を勝手に見るわけにもいかないと思い直してやめた。


しかし、これからずっと木戸恵里菜として生きて行かなければならないとしたら、ずっと風呂に入らない訳にもいかない。


どうしよう?


いや、それよりも今は今後の事を考えなければならない。


僕には木戸恵里菜としての記憶は、およそ一週間分しかない。


それ以前の記憶はさっぱりだ。


これは推測に過ぎないが、おそらくこの一週間の中で木戸恵里菜が思い出したり考えたりした事に関しては、断片的に記憶が共有できるのだと思う。


もちろんそこには木戸恵里菜の感情が含まれるから、この記憶にある人物の感想は、客観的なものではないのかも知れないけど。


ああ、そうだった。


自分のこれからも大切だけど、その前に家族に僕の遺言を伝えなければならなかったのだった。


僕は、彼女の机に向かって椅子に腰をおろした。


早速、机の上のパソコンを立ち上げようと思ったが、やめた。


やっぱり遺言書は手書きに限るだろう。


ましてや木戸恵里菜という他人から渡された遺言書が活字では僕の気持ちが伝わらないような気がする。


僕は机の上の銀のペン立てに刺さっている上品そうなペンを取り、引き出しから便箋を出した。


遺言書と言えば、まずは遺品とかお金の処理だろう。


僕が書いた文字は、上手いんだか下手なんだかわからないような、中途半端な文字だ。


それはたしかに、元の身体だった時の僕の文字だった。


僕は三つの生涯保険と、二つの個人積み立て年金に加入していたから、死んでしまった今、結構な額の保険金が入ることになる。


もちろん、それは家族の受取りになるはずだ。


僕は、保険証券が机の上の棚にある青いファイルに入っていること。


保険金の受取人は各々の書面に明記されていたから問題は無いだろう。


通帳と印鑑の保管場所を遺書に記入した。


さて、これからが本題だ。


家族一人ひとりに自分の気持ちを伝えたい。


そう思っていたが、どうにも上手く言葉が出てこなかった。


情けないことだ。


言いたい事、伝えたい事はたくさんあったはずなのに、いざとなったら言葉にならない。


たくさんの思い出があった。


家族みんなから貰った愛情。


僕に命をくれただけでなく、惜しみない愛情をくれた両親。


僕に真っ直ぐな信頼と愛情をくれたかけがえのない可愛い娘。


姉弟として、人生のいろんな場面で支え合った姉ちゃん。


誰一人、失いたくない大切な家族だった。


僕は家族一人ひとりに自分の素直な気持ちと、思いを書き綴った。


まとまった文章にはならなかったかも知れないけど、きっとみんなはわかってくれるはずだった。


僕は居なくなってしまうけど、みんなには本当に幸せになって欲しかった。


そしてまた、家族で集まった時には、僕の失敗談や笑い話で盛り上がって欲しかった。


ありがとう。


父さん、母さん、姉ちゃん、そして蓮葉。





僕は、四通の手紙をそれぞれ封筒に入れ、木戸恵里奈のバッグにしまった。


すでに夜は明けて、小鳥達が朝の挨拶を交わし合う時間になっていた。







木戸恵里菜という女性は、この現在の日本に於いて絶滅危惧種と言われる大和撫子の鏡と言えるかもしれない。


彼女が残したこの一週間の記憶はまさに清水のような生活だった。


家と職場の往復。


朝早く起きると、二歳年上の姉と交代で、洗濯をしたり、三人分の朝食とお弁当を作ったりが終わると着替えて仕事に出掛ける。


職場では、テキパキと仕事をこなして、患者さんの受けも良い。


仕事が終わると真っ直ぐに自宅に戻って、洗濯物を取り込んで畳んではタンスに綺麗にしまっていく。


その後、夕食を作って少し遅めに帰る家族の二人を待つ間に、大学時代の同級生に手紙を書くような生真面目さだ。


今のところ、彼氏にあたる人物は存在しないようで、彼女の記憶には男性としての男の存在は感じられなかった。


これは僕にとっては有り難いことだった。


この娘に彼氏がいたとしたら大変だったところだ。


彼女の預かり知らぬところで、彼氏と別れる訳にはいかないし、そうかと言って彼氏と一緒にベッドに入る気には到底なれない。


外見は木戸恵里菜でも、中身は僕だ。


いくら外見が女になってしまったとしても、男と愛を語りあうのは無理難題である。


まじまじと鏡を見たが、木戸恵里菜は文句無しに美人である。


おまけに性格も良い。


これは一週間の彼女の記憶からも確かな事だ。


こんな女の子が彼女だったら、と思う男は星の数ほどいるはずである。


本当に彼氏を作らないでいてくれて良かったと思う。



さて、そろそろいつも木戸恵里菜が起きる時間である。


僕は昨日の看護服のまま過ごしていたのを今更のように思い出して、彼女のクローゼットから着替えを取り出した。


なるべく目を閉じて着替えを済ませる。


そこで、自分が尿意を我慢していた事に気付いた。


人間、過度の緊迫感が続くと内臓の働きが悪くなるのかも知れない。


木戸恵里菜の身体に入ってから既に十一時間は経っている。


僕は木戸恵里菜の記憶に従って、トイレを済ませた。


女性としてトイレに入るのは初めてだから、少し手間取ったが、これはなんとか上手く出来たはずだ。



昨夜、結局手を付けなかったサラダを冷蔵庫に戻してから、顔を洗い、部屋に戻って化粧品の入った引き出しを開けた。


そこには様々な化粧品が並んでいたが、困った事に僕は化粧の仕方がわからなかった。


木戸恵里菜の記憶を辿ってもおぼろげにしか記憶が無く、化粧水やらファンデーションやらマスカラやらの名前はわかっても、それをどういう風に使うのかがさっぱりだった。




「参ったな・・・」




思わず独り言が出た。


昨日は動転していて気づかなかったが、ちょっと鼻にかかったような声は木戸恵里菜のもので、昨日まで自分の頭に響いていた本来の声とのあまりの違いに違和感を覚えた。


とりあえず、化粧水の瓶を手にとり、手のひらに少し出して顔に塗る。


確か軽く叩くように塗るんだったはずだ。


その後、パフにファンデーションを少し取り、やはり叩くように塗ってからマスカラを使って目元を・・・・・・ダメだ!いかん、これではケバい・・・・・・。


あまりいじり過ぎると、余計におかしくなりそうだったので、仕方なく口紅を手にとって軽く塗り、唇の上下で合わせ擦る。


・・・・・・。


何かがおかしい・・・・・・。


まだ、すっぴんの方がマシだった気がする・・・・・・。


化粧って案外難しいものだと初めて知った。


僕はもう一度クレンジングを使って顔を洗い直した。


化粧は僕には無理だ。


そう悟った僕は、口紅だけを薄く塗り、グロスで仕上げるだけで済ませた。


うん。


元々色白だし、肌は綺麗なのだから、これでいいだろう!


一応日焼け止めだけを塗って化粧を終わらせる。


紫外線は『女性の敵』と言うからな。


う…不可抗力とはいえ、彼女の身体を好き勝手に使っている僕も今や立派な女性の敵かもしれん…。


いやいやこうなってしまったら、申し訳ないが、彼女の身体から抜け出す方法を見つけるまでは、有り難く借りておくしかないのだ。


僕は化粧を済ませて一階に行き、朝食を作り始めた。


エプロンを着けて、冷蔵庫から玉ねぎと卵を出して玉ねぎを刻み、鍋で炒めて飴色になったら、水を入れ、それが沸騰する間にスクランブルエッグを作る。


牛乳を少し加えるのがミソだ。


鶏ガラスープを少々と粗挽きコショウで味を整える。


玉ねぎの入った鍋が沸騰したら、コンソメとコショウで味を整えてスープの出来上がり。


昨日のサラダを三つの小皿に分けてドレッシングをかけ、スクランブルエッグはマヨネーズに混ぜて、トーストの具にするのだ。


ちょっぴり和からしを入れると味にエッジが効いて美味しくなる。


冷蔵庫からハムとほうれん草を取り出し、軽くソテーをつくる。


サラダ油をフライパンで温めて、具材を炒めてコンソメと醤油と少々の味噌と一味唐辛子で味を整える。


トーストを、見たこともないような大きなトースターで六枚一気に焼いてマーガリンを塗る。


これだけの枚数を一度に焼けるのは便利だ。


それぞれ出来上がった料理をダイニングテーブルに並べたところで、木戸恵里菜の父親と姉が顔を見せた。


きっちり六時三十分。


いつも通りの時間である。




「「おはよう」」


「おはよう」




挨拶をかわした父親は僕に近づくと、まじまじと顔を覗き込んだ。





「恵里菜、お前寝てないんじゃないのか?目が真っ赤だぞ?」





…うん…良い父親だ。


娘の事をちゃんと見ている。


これは気をつけねばならない。


木戸恵里奈が実は偽物だとバレないように…。




「うん・・・昨日はなんだか寝付けなくて・・・でも大丈夫。体調は悪くないから!」


「そうか・・・また、何日も眠れなくなるようだったら、ちゃんとお父さんに言うんだぞ?」


「うん、わかってる。心配かけてごめんなさい」


「ん?なんだかいつもと違うな・・・恵里菜、昨日は何かあったのかい?」




ヤバい・・・さすがに良くできた父親だ。


僕の受け答えがいつもの恵里菜と違っていたのかも知れない。


それに気付くとは・・・少し気をつけなければ。




「ううん、何でもない。大丈夫だから」




僕はにっこり笑って見せた。




「恵里菜?あなた本当に大丈夫?」


「え?」




姉も僕を心配そうな顔で見ていた。




「あなたが朝からパンを二枚も食べるなんて・・・」


「う、うん。昨日の夜何も食べなかったから、お腹空いちゃって!」




いつも恵里菜はパン一枚だったのか!?




「明菜、いいじゃないか。朝食はたくさん食べた方がいいんだから。なあ、恵里菜」


「う、うん。そうそう、そうだよ!」


「ふうん。そっか、じゃあ食べよっか?」




ふぅ…朝から気が抜けないものだ。




「「「いただきます」」」




僕達は朝食を食べ始めた。




「ん?・・・恵里菜、今日のおかずはお前が作ったんだよな?」




ソテーを一口食べた父親が、驚いた顔で僕を見る。




「あ、美味しくなかった?」





父親は、ゆっくりと頭を振って




「美味い!恵里奈、やっぱりお前…やれば出来るじゃないか!これは本当に美味いぞ!」


「あ、本当だ。美味しい。すごいね、恵里菜。私のより美味しいわ、これ」


「そ、そう?良かった!」




どういうことなんだろう?


ひょっとして恵里菜は料理がうまくないのだろうか?




父親と姉は嬉しそうに食事を続けている。




「このスクランブルエッグもまた格別だな。どこで覚えたんだ?」


「と、友達から教えて貰ったんだ?あの…本当に美味しいのかな…無理とかしてない?」




中流家庭以上の暮らしをしているご家族御一同様だ。


僕の料理が口に合うとは思えなかった。




「ああ、本当に美味しいぞ?今までお前が作ってくれた中では群を抜いて美味い!」


「恵里菜、本当に美味しいよ。良かったね、料理も上手になって!」




…やはり…木戸恵里菜は料理が苦手なようだな…。


言われてみれば、調理中の恵里菜の記憶に塩加減などに気を使っていたイメージがなかったのは、そのせいかも知れない。




「「ご馳走さま!」」


「こんな朝食なら、毎日食べたいものだ。まるで母さんが作ったみたいだったよ」




木戸恵里菜の父親は目頭を押さえながら、そう言った。





食事の後片付けを終えると、この家族は揃って仕事に出掛ける。


もちろん、行き先はバラバラだが今日は恵里菜の車が無いから、父親の車で送ってもらう事になった。





「大丈夫?出勤時間に遅れない?駅まで送ってくれれば電車で行くよ?」


「恵里菜が心配しなくても大丈夫だよ。これでも私は社長だからな?一応社には連絡を入れておいたから問題は無いさ。それに最近はお前とも、ゆっくり話をしていなかったからな。少し短い時間だが、こうして話ができるから、ちょうど良かったのさ」




そう言って、白い歯を見せて笑う。





「今日も遅くなりそうなのか?」


「うん、少しね。亡くなった患者さんからご遺族宛ての手紙を預かっていて、それを届けないといけないから・・・」


「そうなのか・・・看護師の仕事も大変なんだなぁ?」





こういう父親に育てられたから、木戸恵里菜は、こんなに素晴らしい大和撫子になれたのかも知れない。


僕を病院まで送ってくれた父親は、体調が悪ければ迎えに来るからと言い残して、仕事に向かった。


僕もナースセンターに向かう。


木戸恵里菜の勤め先であり、僕が昨日息を引き取ったこの病院は、個人経営の病院だが、地元では最大級の病院だった。


病院名は国立病院。


『こくりつ』ではなく、『くにたち』病院である。


経営している理事長の名前が国立くにたちなのである。




「おっはよ!!どうしたの恵里奈?今日はすっぴんじゃない?…むむ!!…でも、あなたって本当にルックスに『だけ』は恵まれてるよね?」




ロッカールームで話しかけてきたのは、鈴本明海すずもとあけみだった。


普段は、少し癖のある長い髪をポニーテールにしているが、仕事中はお団子にしてまとめている。


笑った顔は年頃の女の子らしく、微笑ましく感じたが、どこか引っかかる感じのある物言いをする娘だった。




「あ、おはようございます。そうかなぁ…ありがとね、明海ちゃん」




たしかに僕も木戸恵里奈は容姿『にも』恵まれていると思うが、わざわざ朝っぱらからそんなことを言うのも変だ。


話しながら、おもむろに僕の前で着替え出す鈴本明海。


目のやり場に困った僕は、恵里奈のロッカーを開けて、着替えをはじめながら目をそらした。


う…今の俺は女だった。


どこもかしこも目のやり場に困るものだ…。


決して若い女性が嫌いな訳ではない。


むしろ本来ならば大歓迎な事態ではある。


しかし、どうしても覗き魔の極致的な行動を自分がしているような気がして、なんとも気が引けてしまうだけだ。


正義漢ぶる気はない。


格好をつけるより、素直な自分になってこのチャンスを謳歌すれば、どれだけ僕は自分の下心を満足させることが出来るだろうとも思う。


そして、この事態は不可抗力なのだからと居直って、堂々としていればいいとも考えるのだけど、どうしても反射的に見ないようにしてしまう自分がいるのだから仕方ない。


…要するに、僕は気が小さいのだ。




「昨日大丈夫だったの?恵里奈、倒れたんだって?」


「ああ…うん。大丈夫だと思う。たぶん肩を打っただけだから。今日検査結果が出るって師長が言ってたし…」


「恵里奈は患者さんにモテモテだもんね?頑張り過ぎなんじゃない?」


「そうかなぁ…」


「ん~、でも今日の絵里奈は確かにちょっと変かも…やっぱり頭も打ってるんじゃない?」


「変?」




僕は何かおかしな行動をしたのだろうか?




「うん、なんか暗いっていうか…元気ないっていうか…とにかく、いつもはもっとこう…いろんな意味で元気じゃない?」




…いろんな意味で?




「そ。そうかな…」


「そうだよ。検査結果が出るまでは、休んでいた方がいいんじゃない?」


「うん…でも、大丈夫だと思う」




大丈夫だ。


中身がオッサンになってしまっただけだから。


肩の痛みはほとんど消えた。


若い身体は回復力が違うのだろう。


それとも、体重自体が軽いから大した怪我にもならなかったのか?




「そっか!じゃあ気を付けて仕事してね?じゃあね!」


「うん…ありがとう」




危ない危ない。


木戸恵里奈。


結構目立つ娘なのか?


落ち着いた感じなのかと思ったが、彼女が言っていたように割と元気な娘なのかもしれない。


着替えが終わらないうちに、ロッカールームに入ってきた人がいた。




「木戸さん!何してるの!?ちゃんと休んでなきゃダメじゃない!?」




師長の三枝光江さえぐさみつえだった。




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