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ゴースト  作者: 鏡完
ゴースト第二章
34/36

狐と狸の二重奏(デュオ)2

静寂が白で統一された病室に充満しているようだった。


目の前の刑事の強い視線は、一瞬たりとも僕から逸らされることが無かった。


ここで僕が先に目を逸らすわけにはいかなかった。


それほど、彼の眼力は強く、そして何より真剣だった。


この人は、おとぎ話の世界すら現実に持ち込み、証明できる頭脳を持っているのだろうか…。


完全に非科学的で、僕自身も含めておそらくは誰も信じないようなことですら、その頭の中で真実として構築するのだろうか…。




「刑事さん、なにを夢みたいなこと……」

「あなたが鍵なんです!」




…鍵?




「あのアパートで三度笠さんである、あなたと初めて話をしたとき、僕には隣にいた彼女本人ではなく、あなたに対して、恵里奈さんという人物がはっきりと思い浮かびました。見た目や声はもちろん違いましたが、話し方、癖、目の動き、歩き方、そして考え方と性格です。そしてそれは、今のあなたそのものです」




……。




「さらに言うなら、今日を含めて、今の恵里奈さんを形作っている性格や癖などは、僕が数日前に会っていた恵里奈さんとは全く異なる人物のものでした。三度笠さんについてもそうです。僕が調査した数日前までの彼は、今のあなたとは完全に別人です。外見は同じでもね…」




…こ、これは驚いた…。


僕は、彼に対して反論の余地がないことを認めざるを得なかった。


だって、僕は…全く彼の言うとおりに、『存在している』のだから…。


…しかし…。




「そして、ここからは僕のお願いです。今この瞬間にも、何人かの若い女性たちが拉致され、監禁されて人身売買の生贄にされているんです。彼女たちの命や、これからも起こるであろう被害者を出さないためにも真実を僕に教えてください。僕はなんとしても…命に代えてもこの事件を解決したいんです。だから…もし僕の…考えが当たっていたなら…」




雨宮刑事の目が…鋭い眼光が…涙で潤んでいた…。




「あの…雨宮さん、どうしてそんなにこの事件のことを?」


「…すみません、熱くなりすぎましたね…」


「いえ…本当に仕事熱心なんですね…雨宮さんは…」


「…実は仕事だけではないんです」


「…と言うと?」


「この事件の…。この連続拉致被害者事件の最初の被害者は………僕の婚約者でした…」




………。


彼は目を落として、うつむいた。


僕は初めて、彼の感情的になる姿をの当たりにしたのだった。


うつむいたままの彼は今、声を出さずに泣いているのかも知れない。


今の彼の姿とさっきの涙は嘘でもなく、僕から言質を取るための芝居とも到底思えなかった。




「あの…一つだけ約束してください…」




僕が言うと、雨宮刑事はその顔を上げた。


やっぱりだ…。


彼の頬には幾筋もの涙の痕がついていた。




「なんでしょうか?」


「このことはあなたの胸の内だけに留めておいてください。それから、僕の家族や恵里奈ちゃんの家族に決して危害が及ばぬように努めていただきたいんです」




雨宮刑事の目が大きく見開かれる。




「それじゃあ一つではなくて、二つの約束ですね?…いや失礼しました…もちろんです。お約束します」


「わかりました。お話しましょう」




思わず照れくさくなった。


僕と違って、彼の頭脳はこんな時でも冷静なのだ。


意を決して、僕は彼の目を見た。




「雨宮さん。あなたのおっしゃる通り、僕は浅倉久美です…」




その時、雨宮刑事の目に希望の光が輝きだすのを、僕は見逃さなかった。


それから僕は、初めて自分の身体を抜け出した時から、今までの事のほとんどを彼に語った。


彼は、僕が経験してきた起こり得ないような事実を、所々で頷き、時には質問を交えて、本気で聞いていた。


この時にはまだ、僕と彼がこの先どんな関係になるのかなんて全く想像することができなかったのである。







五月十四日(木)午後八時五十三分。





「…だから雨宮さん…この事件にあれだけの情熱をかけているんですね…」




きっちり二時間後に恵里奈がここに戻って来てから、少し早い食事(例によって重湯と具のない味噌汁だった)を彼女と一緒に済ませて、僕は雨宮刑事との話を彼女に打ち明けた。


もちろん、犯人がもしかすると僕のような存在かもしれないという雨宮刑事の推論の事もだ。


確かに、彼の話をまとめてみると、そう考えればすべての辻褄が合ってしまうのだ。


そして現実に僕というものが現実に存在している以上、可能性が低いとしても、他にも同じものが存在しないとは限らないのだ。


それは、以前に僕が犯人像を考えた時、真っ先に否定したものだった。


恵里奈との話は、優に一時間以上続いただろう…。


熱心に僕の話を聞き終えたところで、家から持ってきてくれたポットで白湯さゆを入れてくれる。




「冷ましてありますから、熱くないですよ?…さあ…」




そう言って、ゆっくりと僕を抱き起してくれた。


シャワーを浴びて来たのか彼女の髪からは、とてもいい香りがした。


身体を支えてくれたままで、白湯を渡してくれる。


それはちょうど良い温かさで僕の喉を潤してくれた。




「そうだ…トイレは大丈夫ですか?」




飲み終えた湯呑み茶碗を台に置きながら、恵里奈が僕に尋ねる。


いや…本当は行きたいけど…ここは我慢だ!


さすがにアレは恥ずかしすぎるだろ…。




「ううん…まだ大丈夫」




七分丈の黒いTシャツから覗く白い腕を腰に当てて、恵里奈は怒ったように頬を膨らませる。




「浅倉さん!あれからもう六時間以上経っています。もし我慢してたら、今度こそ本当に怒りますからね!?」




…げ…。


それも困るぞ…。




「…あの…じゃあ、看護師さんを呼んでもらえますか…ね…?」


「いいですよ~?呼んであげますね?コホン…看護師の木戸さ~ん…患者さんがお呼びですよ~?………はい!…ここにわたしがいますからね~?ちゃんとした看護師ですので、安心して任せてくださいね~?」




茶目っ気たっぷりに独りコントを打った彼女はにっこりと微笑んだ。


…そして僕は二度目の洗礼を受けた…。


あの黒木医師なら喜んで洗礼を受けたがることだろう。


いっそ彼のようになれたら、どれほど幸せな事か…。




「ほらぁ…ダメですよ!こんなにガマンしちゃ!!」


「…はい…すみません…」




尿瓶しびんの中の量を見て、恵里奈は僕に小さい雷を落とした。


…まさに踏んだり蹴ったりというやつだ。


しかし、別室になっているトイレにそれを捨てて戻ってきた恵里奈は、さっきまでと違って、少し不安そうな顔をしていた。




「ねえ…浅倉さん?この事件…解決するんでしょうか…」


「解決しなきゃ…だね…なんとしてもね!」




そうは言っても、雨宮刑事の捜査はいつもふりだしに戻ることになるだろう。


相手が、もし本当に僕のような存在だとしたら、誰にでもなれることになる。


どこにでも忍び込めるし、どんな防御もきかない。


ついさっきまで味方だった隣の人が、いきなり刃物で襲いかかることもあるわけだ。


さらに言えば、人づてに憑りついてゆくことで、日本の首相や、アメリカの大統領にすらなり替われるのだ。


今まで全く気付かなかったけど、考えてみると僕のこの能力って…ほとんど無敵なんじゃないだろうか…。


悪いことをしても、逮捕された瞬間に警官に乗り移って知らんぷりしていれば、全く問題なく逃げられる。


要は殺される前に身体から出てしまえば、十三分二十七秒の間に、他の人に移ればいいだけだ。


すごい力だな…これ…。


そう考えると、この力を敵になった者が持った時、どう対処すればいいのだろう。


あの時、十三分二十七秒の事は、雨宮刑事にも言ってない。


僕の唯一の弱点だからだ。


今僕が思いつく方法、それは…広大な敷地に、たった一人取り残された状態で、僕が憑りついたその身体が死んでしまった時、そこから僕の魂だけが抜け出せたとしても、十三分二十七秒の間に誰かに憑りつくことが出来なければ、あの苦しみの中で僕はおそらく消えるのだろうから…。


考えに耽っていた僕が気が付くと、恵里奈は元々白い顔をまるで紙のように白くしていた。


もしかしたら、彼女も同じようなことを考えていたのかも知れない。


顔を見れば蒼白で、恵里奈が怯えているのが良くわかった。


もし、犯人が僕と同じ力を持っていたとしたら、同じ立場の僕だって怖いのだ。


僕は少し身体を起こして、彼女に手を伸ばした。


恵里奈は、僕の手を取って力強く握り返してくる。


その白い手が、少し震えているのが伝わってきた。


僕はその手を恵里奈の体ごとゆっくりと引き寄せて、胸に彼女の頭を抱いた。




「大丈夫。僕がついてるから…約束したでしょ?…ちゃんと守るから…」




恵里奈は何も答えず、僕の胸の上で一度だけ頭を動かした。


このが怖いときは僕が抱きしめてあげよう。


このが悲しいときは一緒に泣こう。


嬉しいときは一緒に笑って、苦しいときは全力で助けよう。


…そうだ…僕はこのと約束したんだ。


…僕が守ると…。


その約束は、僕の命を懸けても果たすべきものだ。


このが今まで僕にしてくれた事に対する、それが僕なりの恩返しなのだから…。




消灯時間が来たのだろうか…。


部屋の照明が自動で消えて、非常口を示す緑色のライトだけが部屋を薄明かりに照らした。


恵里奈の震えは収まり、それに変わって小さな寝息が聞こえてきた。


家に帰らなくてもいいのかと心配になったが、今はこのを起こしたくなかった。


彼女の体温は暖かくて、それは僕の心まで温めてくれるように感じられたから…。





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