狐と狸の二重奏(デュオ)1
五月十四日(木)十三時二十三分。
「やあ~恵里菜くん、久しぶりですねぇ。調子はどうですか?」
病室に甘ったるい声が響く。
あの…見栄えだけは良い変態医師の登場だった。
まだ、午後の回診の時間には早いのだが…。
恵里菜の話によれば、この黒木医師が僕の担当医だという事だった。
手術も彼の手によるものだったそうだから、僕にとっては命の恩人なのだけど…。
「今朝はパンナコッタを作ってみたんです。恵里奈くん、もしよかったら一緒に食べませんか?」
そう言って、黒木医師は恵里菜に透明な容器に入ったミルクプリンのような食べ物をプラスチックの小さなスプーンと共に手渡し、顔だけを僕に向けた。
「ああ…三度笠くん。すみませんね~、キミはまだ食べられませんから、今日は差し上げられないのですが…仕方ないですね~…今度、僕が暇で暇でどうしようもないときに、万が一キミの顔を思い出すような事があったら、キミの分も作って来ますからね?」
……。
「さあ!恵里菜くん!僕の愛情がたっぷり入ったパンナコッタを召し上がって下さい!」
やっぱりこの人、な~んか胡散臭いんだよなぁ…その白い物体の中に、愛情以外のモノは入って無いんだろうな…。
「先生、ありがとうございます。でも、今はまだ食欲が無いので、後で頂きますね?」
「そ…そうですか…残念ですねぇ…では僕も後で一緒に頂く事にしましょう…じゃあ、ついでに三度笠君の回診を済ませてしまいましょうか…」
…ついでにかよ…。
おまけに、ものすごく残念そうな顔でこっちを見るなよな……。
「先生、三度笠さんの事、ありがとうございました」
「え、恵里菜くん?どうしてキミがお礼を言わなくちゃなんですかねぇ…?」
黒木医師は、くせのない真っ直ぐな髪を右手で撫でつけた。
「三度笠さんには、いろいろとお世話になっていましたから……」
恵里菜は意味深に笑って僕を見た。
く…ヤバい!
笑顔が眩し過ぎる!
「ぇ…恵里菜くん?まさか……?」
…?
まさか…なんだ?。
「三度笠くんですよ?彼は……」
おいおい…そんなに目を剥かなくても……。
しかも、本人を目の前にして指を指すなよな…。
「先生?…もう前の三度笠さんとは違うんですよ?」
…別人だからな…中身は…。
仕方ない、一応フォローを入れておくか…。
「黒木先生。この度は本当にありがとうございます。おかげ様で命拾いさせて頂きました」
「み!…三度笠くん…ですよね!?」
「はい?」
「どうしたというのですか?いつもの三度笠くんらしくないじゃないですか?」
「えぇ…さすがに僕も二十八になりますから、そろそろ変わらなければと思いましてね。と言うよりも、ようやく本来の自分に戻ったような気がします」
黒木医師は、顎が外れたかのように口を開けて僕を見ている。
その頭上から魂がひょろりと抜けてしまうのではないかと思うほど愕然とした顔だった。
十秒ほど固まったあと、生き返った彼は眼鏡に手をやってかけ直し、生気の戻った顔で恵里菜を見た。
「恵里菜くん!男子三日会わずば刮目して見よと言います!変わるのは三度笠くんだけではないのです!三日後にまたお会いしましょう!…あ、パンナコッタは一応僕が持って行きますね?…あ、そうそう、恵里菜くんに差し上げたのも作り直して来ますから…」
「え?なんでですか?」
恵里菜が不思議そうな顔で訊ねる。
「なんでって、それは……あの、や、やっぱりもう少し上手に出来たときにね?…さ、差し上げたいのですよ」
…どもっていやがる……。
絶対にあやしい……。
黒木医師は恵里菜から何が入っているのかわからん、あやしいパンナコッタなるモノをひったくって、そそくさと病室を出て行った。
「「…あの」」
見事に恵里菜とかぶってしまい、僕と彼女は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
「ごめんなさい…浅倉さんからどうぞ……ふふっ!」
「ははは…いや…なんかあのパンナコッタ、食べなくて良かったかも知れないと思ってね?」
「はい。実はわたしもそう思ったんです。なんか惚れ薬とか入ってたらイヤだな……と思って!同じこと考えてたんですね?おっかしい…」
「惚れ薬ね~…」
そのくらいなら可愛いものだ。
変態医師のやることだから何が入っているか知れたたものではない。
「そう言えば、僕はいつ頃退院出来るのかな?」
「そうですね…今日で術後三日だから何もなければ、あと四日か五日くらいだと思いますけど、後で先生に訊いておきますね?」
その時、病室のドアがノックされた。
恵里菜の「どうぞ」という言葉の後に部屋に入って来たのは雨宮刑事だった。
しかし、いつもの七割ほど増して、彼の表情は厳しいものに見えた。
「こんにちは、突然お邪魔してしまって申し訳ありません。恵里菜さん、三度笠さんと二人きりでお話させて頂きたいのですが、少しよろしいでしょうか?」
「あ…もちろんです!あ、この椅子使って下さい!」
「ありがとうございます恵里菜さん」
恵里菜は、座っていた椅子を雨宮刑事に譲ると、何か言いたそうに立っていた。
「どうしたの?」
「あ、あの…どのくらい時間がかかるかと思って…」
「そうですね…ちょっとかかるかも知れません。二時間ほどお時間を頂けたらと思うのですが…」
「はい!ちょうど良かったです!じゃあ、わたし一度、家に戻って来ますね?」
にこりと笑ってそう言うと、彼女は楽しそうにパタパタと部屋を出て行った。
「いい娘ですね。恵里菜さんは……」
「本当です、僕もそう思いますよ。恵里菜ちゃんは、きっといいお嫁さんになるでしょうね…」
目を細めてそういう彼は恵里奈を気に入っているのだろうか…。
なんか不安だな…。
まるで、若い男に対して娘を取られまいとする、父親の気分だ。
「さて、本題に入りましょう。実はこの前と同じ質問をさせて頂きたいのです」
「えぇ…と?…なんでしょうか?」
「ずばりお聞きしますが、三度笠さん…いいえ、あなたは一体誰なんですか?」
…なんとまあ…そうきたか……。
「初めてあなたにお会いしたとき、僕は初対面のあなたにどこかで会ったような気がしました。それもごくごく最近の事です」
…雨宮刑事は例によって僕の目を真剣に見つめている。
「あなたはあの時、恵里菜さんの中にいた…」
……。
「そして今、三度笠直和人の中にいる…違いますか?」
…違わない。
全くもって正解だった。
「あの…何をおっしゃっているのか全くわからないのですが…」
僕は、ずば抜けて切れる彼の頭脳を甘く見ていない。
いつかまた、その質問が来ることくらいは予想していたから、顔の表情は変わらなかったと思う。
「えぇ…あなたはそう言うと思っていました。では、少し回り道をしましょうか…」
回り道とは一体何なのか分からないが、さっきから頭の中では、ひっきりなしに警報が鳴っている。
…この刑事は危ないのだ。
「先日、恵里奈さんを襲ったグループの首謀者とみられる矢立耕太が自殺した話はしましたよね?」
「…え?そうなんですか?初耳ですが…」
僕はとぼけた。
やっぱりこの人、あぶない…。
その話は、僕が恵里奈の中にいた時の話だ。
三度笠の身体になってからではない。
…いきなりの先手を打って、僕をひっかけるつもりだったのか…。
「そうでしたか?…ではもう一度説明しますね。…矢立耕太という十七歳の未成年が、今回恵里奈さんを襲った犯人グループの主犯格と見られていました。その彼は逮捕された二日目に留置場の中で舌を噛み切って自殺を図り、亡くなりました」
「そうなんですか…」
「そして、昨夜の事です。犯人グループの中の戸田圭一も同じように舌を噛み切って自殺しました」
「同じ死に方ですか!?」
戸田の『腐れ外道』が死ぬのは自業自得だろう。
今までの行いを考えれば、やすやすと死ねた事が幸せなくらいだ。
しかし、同じ死に方というのは少し気になるな…。
舌を噛み切るなんて、よほどの覚悟がなければできることじゃないぞ…。
「はい…矢立耕太が自殺したこともあって、留置場には自殺を図れるものが他になかったのもあるかもしれませんが、気になるのは矢立耕太が死んだ事を伝えたあと、戸田圭一は始終何かに怯えていました。そして「俺はもうじき殺される」とつぶやいていたそうです」
「留置場にいるのに殺されると?」
「その通りです。おかしいとは思いませんか?」
「ええ…確かに…」
「少し話を変えますが、今まで僕はこの事件を追ってきました。…そして、犯人に辿りついたと思うと、犯人は行方不明になっていたり、自殺を図っています。これは今までの事件すべてに共通する事なんです」
…犯人が自殺?。
「すべてに共通…ですか…」
「そうなんです。そして、犯行の手口や被害者達の監禁方法、移送手段などの点に於いても、かなりの共通点が見られます」
「同一犯の犯行なのに、いつも首謀者が違っていて、しかもその首謀者がいなくなる…という事ですか…」
「さすがですね…呑み込みが早いです」
「それでは、模倣犯とか…ですかね…?」
「僕もそう思って、インターネットのサイトを可能な限り調べてみましたが、どこにもそんなサイトは見つかりませんでした。また、この件は拉致監禁の上、人身売買…。模倣するには拉致被害者たちの流通経路や買い手側の売買方法などが複雑すぎて、誰にでも真似が出来る犯罪ではないんです。しかも、それぞれの事件の首謀者たちは、お互いの接点を全く持ちません。ですから、模倣犯の線は完全に消えます」
「なるほど…」
「そして、犯人と思しき人物の経歴を見ると、それがまさに奇怪なことで、普通の学生、真面目だったサラリーマンに始まり、戸田のような凶悪な人物まで実に様々なんです」
「…でも、流通経路や手口が似ているんですよね?」
「そうなんです。…さすがに僕も今回の事件はお手上げかと思っていました」
「過去形で言うという事は、何か掴めたのですか?」
雨宮刑事は、それこそ僕の目を鋭い目つきで見ていた。
それは…怖いくらいの眼力だった。
「えぇ、そうです。…それは…」
…それは?…なんだ?
もったいぶらないで欲しかった。
雨宮刑事の視線は真剣過ぎて、怖いくらいだ。
その口角がゆっくりと広がって、彼は言葉を紡ぎ出した。
「あなたと出会えたことです……浅倉久美さん!」




