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ゴースト  作者: 鏡完
ゴースト第二章
32/36

愛らしいネメシスの歌芝居(ジングシュピール)

目が覚めると、そこにはあのブツブツのあなの空いたジプトーンの天井材が見えた。


襟にスカーフのついた白いブラウスに赤い大きなチェックのスカート姿で、ベッドに寝ている僕を見ているのは…蓮葉…ではなかった。


まだ少しだけぼやけた視界の中で、恵里奈が泣き笑いのような顔で僕を見ていた。


その顔が一瞬だけ蓮葉と重なって見えた。


蓮葉むすめがこんなに大きい訳ないよな…。


視界が戻ると、二人の白衣を着た看護師が身体についていたいくつかのチューブを取り外していたのが見えた。




「浅倉さん?…大丈夫ですか?」


「…あぁ…あれ?…なんで恵里奈ちゃんがここに?あれ?……確か…玄関で倒れて…」




そっか…救急車が来てくれたのかな…。


二人の女性の看護師は、僕にお大事にと言って、そそくさと病室を去って行った。





「浅倉さん、三日も意識不明だったんですよ?…ブランデーケーキの中に毒物が入っていたそうです」




…ブランデーケーキ?




「…あ!!」


「何か思い出しましたか?」


「思い出した。そうだ…あれを一口つまんでから急におかしくなって…」


「国分寺さんが、浅倉さんの警護についていて、浅倉さんが救急車で運ばれたと知らせてくれたんです…あ!そうだ!…わたし国分寺さんに『三度笠さん』が目を覚ましたら連絡してと頼まれていたんです。ちょっと連絡してきますね?」




そう言って、恵里菜は病室を出て行った。


あの男…。


僕は記憶の糸を手繰り寄せて、鈍くなっている頭を働かせる。


あの男が渡したブランデーケーキは、小指の先くらいの量で僕をこんな状態にした。


喉と胃が熱くなって、吐き気とめまいを引き起こして、意識が途切れた。


しかも三日も意識不明状態だったらしい…。


もし、丸々一切れでも食べていたら…間違いなく僕はもう一度死ぬことになっただろう。


つまり、あの男は僕を殺すつもりだったという事だ。


申し訳なさそうに渡したあのケーキで…。


その理由が、あのお店の女の子なら、きちんと決着をつけなければならないな…。


そう考えていると、恵里奈が病室に戻ってきた。


えらく早いな…。


嬉しそうに僕の近くにやってきて、折り畳みの丸い椅子に腰かける。




「国分寺さん、すぐに来るって言ってました。浅倉さん…大丈夫ですか?」


「ああ…もう大丈夫だと思うよ…」




僕は身体を起こした。


意識不明になっていたおかげで、あちこち痛かった身体はだいぶ良くなっていた。


顔は分からないが、他の部分は軽い筋肉痛のような痛みが残っているだけだ。


苦しい思いをしたけど、それだけは良かったと思えた。




「あ、そうだ。浅倉さんに毒を盛った人…ええと…神岡隆二っていう人…自殺したそうです」


「え!?」


「自宅のアパートで首を吊って死んでいたそうです。浅倉さんにあれを渡したあとすぐ位だったみたいですよ?」


「あの男が自殺?」




恵里奈は僕が意識を取り戻したことで、ほっとしているのか、物騒なことを穏やかに話していた。




「えぇ…検死結果からみて間違いないみたいです。雨宮さんがそう言ってました」


「そうか…」


「それと、今回の浅倉さんの事も例の連続誘拐事件と関係があるかも知れないって…」


「…ん?なんで、あの男と誘拐事件が関係あるんだろ?」


「あの…あの人が勤めていたお店の女の子が、一人行方不明になってるんです」




!?




「あの…まさかエリナってじゃないよね?」


「ええと…名前は板倉…早奈恵さんだったと思います……あ!そうそう!確かお店で使っている源氏名がそうだったと思います……。…え?どうして浅倉さんが知ってるんですか?」


「実は…」




僕は、三度笠の身体に入った夜の出来事を恵里奈に話した。


彼女に余計な心配を掛けないようにと思って嘘をついた事も謝る羽目になったけど…。




「もう…ちゃんと話してくれないとダメです!わたしだって浅倉さんに甘えてるんですから、浅倉さんも少しはわたしを信じてください…。…確かに、わたしは…あまり力にはなれないかも知れないけど、でも…そうして欲しいんです…」


「うん…ごめんね…今度からはちゃんと話をすることにします…」




僕の半分くらいの歳のに怒られてしまった…。


…全く…どっちが歳上なんだか…。


それから、恵里奈は僕の意識のなかった時のことを話してくれた。


明菜や親父さんはもちろん、三度笠の会社の社長が面会に来たこと。


それから、誘拐事件の捜査状況のこと。


こちらについては、雨宮刑事から口止めをされているので、聞いてないことにして欲しいとも言っていたけど。


前回の誘拐を失敗した犯人は、さらに犯行を繰り返しているようだった。


ようだ…というのは、現在この近隣で若い年頃の行方不明者の捜索依頼が十五件あり、その中で、家出等の理由が見当たらず、連続誘拐犯の標的になりそうな人物が三人ほどピックアップされただけでしかないからである。


その中の一人が板倉早奈恵。


あの店でエリナという名前を使っていた女の子だった。


確かに可愛いだったように思う。


そんなところに、私立探偵で雨宮刑事の知り合いの国分寺さんが病室に入ってきた。




「やあ…はじめましてぇ~、ええと…ボクは国分寺という私立探偵をやってる者なんですが~。ええと三度笠さんと言いましたねぇ~?このたびは災難でしたねぇ…大丈夫ですかぁ~?」





ボサボサの長い髪をテンガロンハットで隠し、初夏に似合わないカーキ色の薄手のコートを来た彼は、低い声で面倒臭そうに話をする。


この前彼に会ったのは恵里奈としてだったから、三度笠の身体とは今日が初対面ということになる。




「初めまして、三度笠と言います。おかげさまで、なんとか大丈夫みたいです。すみません、いろいろとご足労をおかけしましたようで…」


「いやぁ…これも仕事ですから~…まぁ…なんですな~、あまり気にしないでぇ…ねぇ…」


「あの、僕に毒を盛った犯人の事ですが…」


「ああ!彼ねぇ…自殺しちまったんですよ…これが…ボクが神岡隆二を探し当てたのは一昨日だったんですがぁ、アパートで首を吊ってましてねぇ…。雨宮ちゃんから聞いた検死報告によると…ああ…雨宮ちゃんというのは雨宮刑事の事ですがねぇ~…神岡はあなたの所に毒を持って行って、アパートに戻るとすぐに首を吊ったようなんですわぁ…おかしかないですかねぇ…これ~」


「自殺…ですか?…ええ…あからさまにおかしいですね…僕とは少しだけいざこざがありましたけど、僕を殺して自分が自殺するほどの事とは到底思えないんですが…」


「それ!そこなんですよぉ~。ボクもね?色々と調べてみてはいたんですが、あなたと関係のあった女の子…ええと…」


「板倉早奈恵…さん…ですか?」




恵里奈が助け船をだした。




「そうそう!!その女の子ですよ~…。彼女の事で、あなた…神岡に殴られたでしょ~?」


「ええ…そんなところです…」


「たしかに、殴られたあなたが神岡に対して怒るなら、ボクも解るんですがねぇ~…。神岡があなたを毒殺するような動機ではないと思うんですわ…ボクも~…。他にあなたが神岡の関係者に恨まれるような事かなんかありましたかねぇ~?」


「さあ…どちらにしても、殺されなければならないような事は無いと思うんですけど…」


「そうでしょうなぁ~。ああ…そうそう問題のブランデーケーキですがね?…だいぶ物騒な代物が入っていましてね…よかったですなぁ~、一口パクリと行ってたら、今頃あなた、コレですよ~?」




そう言って、彼は大きな両手でお化けを演出する。


…いや…もうすでにソレなんだけどね…。




「話しが飛びましたねぇ~…。まあ、今のあなたは温厚な方だし~?ちょっと前のあなたも…まあ…話で聞いただけですがぁ…別段命を狙われなきゃならんほど悪い人間じゃあなかったみたいですしねぇ~」




…盗撮趣味と、うっとうしい奇怪なしゃべり方以外はな…。




「まあなんですわ…あなたは被害者な訳だし、思い当たる節がなければ、違うところに動機があるんでしょうな~。それは、また調べてみますわぁ…。…ほかに…何か思い出したことがあれば、連絡くださいねぇ~」




国分寺さんはそう言って、財布から名刺を出し、僕に差し出した。


少し折れ曲がったそれは、持ち主と同じようにアンニュイな感じが漂っている。




私立探偵  国分寺




それだけが名刺に記載されている。


裏は真っ白の紙だった。


…あの…下の名前も事務所の住所も電話番号も無いのですが…。




「ああぁぁ…そうだ、ボクの電話番号は、お嬢ちゃんに聞いてくれればわかるから…今、書くものもないんですわ…。じゃあ、そういう事で、またねぇ…」




そう言った彼は、あっという間に病室を出て行った。


まさに風のごとくである。


一体何が聞きたかったんだろう…。


恵里奈の顔を見たが、彼女も同じ心境だったようで、きつねにつままれたような顔をしていた。




「…国分寺さん、何しに来たんだろう?」


「…ええと…事実確認でしょうか?…」


「僕自身に狙われる心当たりがあるかないかって事かな…」


「三度笠さんだったら、あるかも知れないですけどね?」


「ある意味、殺したくなる性格だったね…確かに…」




恵里奈は楽しそうに笑っていた。




「あ、そうだ!わたしこれを預かっていました」




黒い革の小さなバッグから、彼女が何かを取り出した。


白く形のいい手に載っていたのは、あの夜、僕にくれた懐中時計だった。




「ほらこれ!実はわたしのとお揃いなんですよ?」




彼女は右手首をひるがえして自分の腕時計を見せた。


そこには確かに、繊細なローマ数字と帆船に模した微細な曲線が描かれていた。




「この腕時計、小さいときにドイツのお婆ちゃんが、お守りにってくれたものなんです」


「へえ~。そうだったんだ…」


「はい!お婆ちゃんは向こうで占い師をやってたんですけど、だからかな…こういうお守りとか、パワーストーンとか…すごく気にする人だったんです」


「そうなんだ…お婆さんって、今はドイツに一人で住んでいるのかな?」


「はい。祖父は二年前に亡くなって今は独りで暮らしてます。お客様を放ってこっちに来るわけにはいかないし…それに、お母さんもいませんから…」




…そっか…恵里奈が物心つく前に亡くなったんだっけ…。




「ごめん…悪い事を聞いちゃったかな…」


「ううん?そんなことないですよ?わたしは母を写真でしか知らないし、父は母の分までわたし達を大事にしてくれていますから…だから、そんなに悲しい事もないんです…不思議ですけど…」


「じゃあ、お婆さんもきっと恵里奈ちゃん達に会いたいだろうね?」


「そうかも知れませんね…でも月に一度は電話で連絡を取っているんです」


「そうなんだ?」


「はい、先月の頭くらいに連絡した時は元気そうでした!…あ、もうお昼ですね?浅倉さんのごはんもらってきますね?」


「あ、ありがとう。でも、恵里奈ちゃん、今日の予定とか大丈夫なのかな…」


「ええ!今は休業中ですから!」




そう言うと、彼女はスリッパをパタパタさせて食事を取りに行ってくれた。


あのパタパタって、歩き方の問題なのかな…。


そういえば、蓮葉むすめもそんな感じだったような気がする。


妙なところに共通点があるものだ。


僕はトイレに行くのと、身体の調子を確かめるつもりで、ベッドから起き上がってみた。


…うわ!…腹が痛い!!…。


パジャマをめくってみると、胃の辺りに包帯が巻かれていた。


え?…もしかして、手術とかしたのかな…。




「ああ!!まだ起き上がっちゃダメですよ!?」


「え?」




食事を取ってかえって来た恵里奈が大きな声をだした。




「浅倉さん、手術したんですから、あと二日くらいは安静にしないと、傷口が開いちゃいますよ!?」


「え?…そうだったんだ…」


「もう!…って…ごめんなさい!わたし言ってなかったですよね?」


「え…うん…」


「ごめんなさい!ちょっと待っててくださいね?…今テーブルを用意しますから」




食事の載ったトレイを引き出しのついた台に乗せると、彼女は手際よくベッドに付いている食事用のテーブルを組み立てた。


テーブルの上を布巾で拭いてから、トレイをそこに置いてくれる。


…食事は重湯おもゆと具の無い味噌汁だけだった。




「まだ術後三日しか経っていないので、こんなものだけしか食べられないんですけど…」


「ああ…大丈夫だよ…仕方ない事だしね…でも、手術が必要なくらい大変な毒だったのかな…」


「うん、青酸カリとトリカブトの濃縮された毒を混合してあったみたいです。これは雨宮さんから聞いたんですけど…浅倉さんの症状から、胃洗浄だけでは間に合わないと判断して、救急の先生が直接手術で胃を洗う事にしたそうです」


「うわ、怖いね…三度笠…そこまであの男に恨まれてたのかな…」


「浅倉さん、詮索は後にして食事をしてください?これっぽっちですけど、食べると回復が早くなりますから」


「はい。…看護師さんの言うとおりにいたします」


「よろしい!では頑張って食べてくださいね?」




ふふふ…と笑って、恵里奈も自分の食事を買いに行くと言って病室を出ていった。


あのパタパタと一緒に…。


僕はゆっくりと重湯を噛んで咀嚼し、おそらく冷ましてあったであろう味噌汁を少しずつ胃に流し込んだ。


思っていたよりも、それは美味しく感じられた。


点滴で栄養は補えても、やはり食べ物を摂るという事は大事なのだろう。


食べ終わると同時に恵里奈が買い物のビニール袋を提げて戻ってきた。




「あ、偉いです!ちゃんと残さずに食べたんですね?」


「はい、看護師さんに怒られちゃうからね?」


「そうですよ~!残したら怒っちゃうんですから!」




可愛らしい顔を無理に怖くしようとしても失敗だった。


こんな看護師さんがいるのなら、入院も悪くないな…。




「あ、そういえば、おトイレ大丈夫ですか?」




僕は確かにさっきから尿意を感じていた。


しかし、歩けない身なので我慢していたのである。


僕の顔を見て察したのか、恵里奈はベッドの下から尿瓶を出した。


…う!…まさか!?…。




「何をひきつった顔してるんですか…。浅倉さんの意識レベルが戻ったから、カテーテルは外されちゃったんですよ?…あれ?なんで外しちゃったんだろ?普通は歩けるまで取らないんだけど……ま、いっか!」


「あの、なんで恵里奈ちゃんが!…。あの…ほかの…か、看護師さんは来ないのかな…?」




自分でもしどろもどろになっているのは分かるが、いくらなんでも恵里奈に尿を取ってもらうのは恥ずかしすぎる。




「わたしもれっきとした看護師なんですよ?…大丈夫です!ちゃんと仕事でもやってるんですから!」




うわ…でもまずいだろ!?




「ちょ…ちょっと待って!おねがいだから…」




…後生です。


今は僕の身体ではないですが、それでもかなり恥ずかしいんで…。




「浅倉さ~ん……これでおあいこですよ~?わたしはもう浅倉さんに見られちゃったんですからねぇ~?」




恵里奈は消え入りそうな小さな声で僕の耳元に囁きかけた。


…え?…あ!……あぁ~ねぇ~…。


…そうですよねぇ~…。




「すみません…じゃあ、お願いします…です…」




それを言われてしまえば、観念するしかないよな…とほほ…。


恵里奈が布団をまさぐってズボンをおろし、尿瓶を布団の中に入れる。


あの白く、形の良い手が僕に触れて来るのがイヤでもわかる。


…まずい!!意識をするな!!


息子よ!


耐えろ!我慢だ!我慢しろ!!!




「大丈夫ですよ…浅倉さん…仕事で慣れてるんですから!」




…無理だった…。


他人の息子は、僕の言う事を完全に無視して直立不動の姿勢を貫き通している。


恵里奈に横になるように言われ、さらに恥ずかしい姿勢で息子をつかまれたまま、僕は…時間をかけて、なんとかトイレを済ませることが出来た…。


…身体が若すぎるのだ。


自分の身体ならいう事を聞いたはずである。


間違いない!!…と思いたい…ふぅ…。


終わった時は、顔や首元だけでなく全身に汗をかいていた。


参った…知っている女性にしてもらうのは、こんなに緊張するものなのか?。




「浅倉さん、我慢しすぎですよ?トイレの我慢は身体に良くないんですから、ちゃんと言ってくださいね?他の人じゃ恥ずかしいでしょうから、わたしがやってあげますから!」




…あの…ほかの人でお願いします…ホントに…。


出来ればオバちゃんとか…。


でも、さっきの恵里奈の言葉…これってもしかしてある意味、あの時の仕返しなのかな…?


こんな看護師さんがいるのなら、早く退院したいと切に願う僕であった。

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