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ゴースト  作者: 鏡完
ゴースト第一章
3/36

死ぬという事

病室には、僕の家族はもういなかった。


それどころか、僕の身体もすでにそこにはなく、病室にはベッドと僕の身体に着けられていた医療機器だが残されていた。


一瞬部屋を間違えたかと思って、いくつかの部屋を覗いてみたが、どれも違った。


部屋はこの三〇五号室で間違いない。


…とすれば、身体はすでに霊安室に運ばれているのかもしれない。


僕は廊下に出て、霊安室へと向かった。


霊安室の場所は木戸恵里奈の記憶にあるようで、僕にも場所がわかった。


地下一階にある霊安室には、まだ収納されていない僕の身体が車輪付きの寝台に横たわっていた。


よし、やるなら、今しかない。


僕は霊安室の床に横になった。


僕がこの身体から抜け出た時に彼女の意識が戻るとは限らない。


立ったままだと、急に倒れて危険かもしれないからだ。


………?


…でも、どうやってこの体から抜け出せばいいのだろう?


とりあえず、僕は意識を集中して意識だけを体から起こしているように、起き上がるようにイメージしてみた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


ダメだ。


もう一度やってみたけどやっぱり何も変わらない。


よし!次の方法だ!


思い出せ…確か、あの時僕は彼女の肩をつかんで止めようとしたんだ。


そのイメージを逆にしてこの人の背中から出るようにイメージしてみよう。


僕はうつぶせになって、目を閉じてイメージを膨らませた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


ダメだ!意識は集中しているのに、どうにもならない。


やっぱり、僕はこれからずっと木戸恵里奈として生きていくしかないのだろうか?


でも、それではこの体の持ち主はどうなってしまうんだろう?


そんなことを考えていると、霊安室のドアの向こうで人の話し声が聞こえた。


懐かしいような声だ。


それは僕の家族の声だった。


いかん!こんなところで横になっていてはまずい!


僕は慌てて起き上がって、服についたほこりを落とした。


間髪入れずに、僕の家族がドアを開けて入ってきた。


僕は、目を閉じて横になっている僕の身体に着せられていた服を直すふりをして、入ってきたみんなに頭を下げた。


四人の家族は、僕の身体が横たわっている台の周りに集まった。




「あの…看護師さん。もう、大丈夫なんですか?」




姉ちゃんは涙ながらに僕に尋ねた。


こんなに悲しませてごめんな、姉ちゃん。


父さんも母さんも、それから蓮葉も僕を見ていた。


みんな目を腫らして泣いている。


(本当にごめんなさい)


僕は頭を下げた。




「ええ…大丈夫ですよ。気にしないでください。きっとお疲れだったんでしょう?」




姉ちゃんが、まだ振るえる声で僕に応えた。


僕は思っていたことを思わず口に出してしまったらしい。


姉ちゃんは、それをこの看護師さんが病室をあんなふうに出ていったことを謝っていると勘違いしたみたいだった。




「ぼ…私は大丈夫です。本当に…お悔み申し上げます」




僕の声も震えていた。




「ねえ、看護師さん?」




死んでしまった僕の身体の横にぴったりとくっついていた蓮葉が、僕の方を向いていた。




「蓮葉…ちゃん…」




「ねえ?…父ぢゃんは本当に…ほんどに死んじゃったの?…ひっく…もう…ひっく、もういきがえらないの?ぼう…はずばどとごどでぃば…ひっく…ぼどっでごだいど?」




生き返らないの?もう、はすはのところには戻って来ないの?


泣きじゃくって言葉にならない言葉も、僕にははっきりと理解できたし、はっきりと聞こえた。


蓮葉が生まれてから今までこんなに顔を泣き腫らして、ぼろぼろになって悲しんでいる娘を見たのは初めてだった。


わがままを言って怒られたり、ふざけ過ぎて怒られたりして泣いた娘の涙とは全く別物だった。


僕は初めて解った。


自分が死ぬということの意味が。


子供は僕のいない世界でもちゃんと立ち直って生きていくものだと勝手に思っていた。


だけど、まだ十二歳の娘にとって、父親の死とはこんなにも重過ぎるものだったのだ。


たしかに僕の死によって、娘が悲しむとは思っていた。


わかっていた。


だけど、こんな娘の姿は想像していなかった。


こんなにまで、蓮葉は親である僕の事を愛してくれていたんだ。


僕は、自分が延命処置をしなかったことを今更ながらに後悔していた。


涙が次から次にあふれてきて、どうにも止まらない。


僕は、ゆっくりと蓮葉に近づいて、娘を抱きしめた。




「ごめんね…ごめんね…ごめんね…」




それしか言葉が出てこなかった。


腕の中の温かいぬくもりと、僕の肩に落ちて浸みてくる娘の涙の冷たさが、僕の心をいばらつるで絞めつける。


胸が痛い。


心が痛い。


腕の中の小さなたましいが、こんなにも深い悲しみに打ちひしがれている事がとても痛かった。


もっと、伝えたかった。


もっともっと…僕が蓮葉をどれだけ愛していたか…どれだけ大事だったか…伝えたかった。


言葉でも行動でも、僕が蓮葉に出来た事はもっとたくさんあったはずなのに…。


生きているときにどうして?どうしてそれが出来なかったのだろう。


精一杯よりももっと、もっといろいろできたはずなのに…。




「看護師さん…ありがとね?息子と蓮葉のために一緒に泣いてくれて…息子は…何も言わ…ないで逝ってしまって…全く…」




母さんが背中越しに僕に言った言葉が途切れる。


僕にはもう後ろにいる母さんの顔を見ることが出来なかった。


母さんは今きっと泣いているに違いない。


父さんは僕に背を向けて声をたてずに、こぶしを握って泣いている。


僕は蓮葉を抱きしめて、嗚咽をこらえる事しかできなかった。


今この場で、僕が僕だと言っても、誰も信じないだろうし、この身体でそう言っても冗談にしか聞こえない。


それはただ、この愛おしい僕の家族を不快にさせてしまうだけだろう。


それだけは、はっきりとわかっていた。


家族だから。


でも、母さんの一言で僕にできることを一つだけ思いついた。




「あの…ご家族の皆様に…と、浅倉さん…からお預かり…していたものが…あります」




僕は自分でも声が震えているのがわかった。


蓮葉は僕の腕の中で、嗚咽をこらえながら必死に悲しみと戦っている。


でも、父さんと母さんと姉ちゃんは、僕の方を見て話を聞いてくれている。




「ごめんなさい。浅倉さんに…言われて、私の家に預からせてい…ただいてます。ぼ…彼は自分が死んでしまったら、皆さんに渡してください…と…言ってました。明日、ご自宅…までお届け…いたしますので…」


「ありがとうございます。…でも、あの…こんなことをお聞きするのは失礼なんですけど、久美ひさよしと看護師さんは親しい御関係だったんですか?」




…しまったな…姉ちゃんは結構鋭いんだった…。




「あ…いえ…そういうわけでは無いのですが、浅倉さんの…たってのお願いだという事でしたので、病院にもご家族にも内緒でとの…ことでしたから…すみません」




何とか言い訳を考えた。




「わかりました…本当に何から何まですみません。看護師さんにご迷惑かけちゃって…」




何とか姉ちゃんをごまかせたようだ。




「それでは、明日…時間はちょっとわかりませんが、必ずお届けしますね?」




そう言って僕は、蓮葉からゆっくりと体を離した。


とても離れ難かった。


本当はこのまま、ずっと抱きしめていたかった。




「蓮葉ちゃん?明日お姉ちゃんが、お父さんからお預かりしていたものを届けるからね?蓮葉ちゃんがあんまり悲しみ過ぎちゃうとお父さんもきっと悲しく…なっちゃうと思うよ?お父さん、蓮葉ちゃんの笑った顔が大好き…だって言って…たから、帰る前にお父さんに…笑った顔…を見せてあげよう…ね?…」


「ぐ…う……うん!…ふ…ぐぅ」




蓮葉は、引っ切り無しにしゃくり上げていたけど、その小さい頭を僕にわかるように縦に振った。




「それでは、私はお邪魔になってしまうので、これで…失礼させていただきます。みなさん、どうかお気を落とさないでください」




僕は頭を下げて、霊安室を後にした。


他人にしか見えない僕がみんなに言えることは、とても少なかった。




「やっぱりここにいた!」




霊安室を出ると柴田洋子が廊下に立っていた。




「あんた、とっくにタクシー来てるよ?…って、まだ着替えてもいないじゃない!…ったくしょうがないな~。師長には黙っとくから、そのまま帰っちゃいな?それから、これ、あんたの荷物持ってきたから。早く行かないとタクシー代が大変だよ?おもてのロータリーで待ってるはずだから早く行きなよ?」


「あ、ありがとう…」




そうだった。


看護師の服装での通勤は原則として禁止である。


これはきっと木戸恵里奈の知識なのだろう。




「本当に一人で帰れるんだろうね?」


「うん、大丈夫。ありがとね」


「いいよ。気にしないで。…恵里奈、今日はゆっくり休むんだよ?」


「うん。わかった。じゃあ、行くね?」




僕は柴田洋子に手を振って小走りで廊下を急いだ。




「危ないから走るんじゃないよ!?」


「あ!うん!じゃあね」



いけないいけない。


ここは病院だった。


僕は走るのをやめて、早歩きでロータリーに向かった。

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