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ゴースト  作者: 鏡完
ゴースト第二章
21/36

悲愴な恋のための演奏曲(ソナタ)

五月九日(土)、午前五時三十分。




すでに外は明るく、カーテンを揺らすそよ風が朝の光をとぎれとぎれに運んでくる。


ここ最近、睡眠時間が少なくなっている。


身体が若いせいなのだろうか?


決してそうではないだろう。


隣に寝ている、恵里奈とたった二歳しか違わないはずの木戸明菜は、恵里奈の枕をぶん取って抱き枕よろしく熟睡している。


口は開いているが、それでも思わず見とれてしまうほどの美しい寝顔と、その抱き枕に色濃くついた、まだ乾いていないよだれみがとても対照的で、アンニュイな雰囲気を醸し出している。


よだれを垂らしていても絵になる女、そんな者がそうそういるものじゃないと思うけど。


幸か不幸か、今この部屋にはそんな奇跡的な美女が二人も存在する。


いわゆる垂涎の美女、木戸明菜きどあきなと、その妹の木戸恵里奈きどえりなである。


そして…僕はこの木戸恵里奈の身体を一時的に賃貸(合意の基で)している…ヤドカリ…浅倉久美だ。


…いや「くみ」じゃなくて「ひさよし」ね?


お、男だから…い、今の身体は違うけどね…魂だけは、ちゃんと男だから…。





閑話休題…。





昨夜、恵里奈との情報交換で僕が得られた情報の意味は大きかった。


もちろん、恵里奈の周辺の人の扱い方はもちろん、今まで謎だった部分の大半が解明できた。


なにより、一番の収穫は恵里奈が僕の事をちゃんと信頼してくれたことである。


男にとって、誰かに信頼されるということは、何よりの力になる。


自分のためだけに頑張れる人は、実は結構少ないと思う。


自分を信頼してくれる人がいて初めて、男は強くもなれるし、本当の意味で頑張れるのだと思う。


もう一つ。


恵里奈がこの身体の中で、今現在、起きているのかいないのかはわからないが、僕の思考が恵里奈と共有されていないということは、僕にとってのプライバシーと、なにより男としての尊厳を保障してくれるものだった。


僕だって人間だ。


自分の心の中を見られたく無い時だってあるのだ。


僕は朝の呼び声に従って、トイレを済ませ、一階にある冷蔵庫から牛乳をグラスに注いで、ゆっくりと喉に流し込む。


…ふう…。


僕は昨日までの僕とは違うのだ。


木戸恵里奈とその家族を、ナントカいう訳のわからん連中から守らなければならないのだ。


よし!気合い十分!今日も頑張るぞ!


………何を?


僕の頭の中に、ちょうちょが舞っていた。


そういえば、何をしたらいいのだろう?


僕の…僕自身の事はやり終えてしまったけど、恵里奈の仕事は休みで…。


!!!!…どうしよう!


何もやることがないぞ?


僕の今の仕事は、この家族を守ること。


でも、誰も襲ってこなければ、守るものも守れない…というか、僕の意味がない…。


…待てよ?何かできるはずだ。


……!


そうだ!


恵里奈の親父さんは帰ってきているのだろうか?


僕は迷わず、親父さんの部屋に直行した。


木製の豪奢で重そうなドアをそっと開ける。


…!


いた…。


ぐっすり寝ているみたいだ。


僕は一安心して、また階下に降りた。


少し、状況をまとめよう。


恵里奈は、一年半前に戸田圭一の襲撃に遭った。


さらに一昨日の晩、まるで恵里奈を待っていたかのように、戸田圭一とその一味が再度の襲撃を行った。


戸田圭一は、その六日前に出所したばかりで、すでに一人を殺害し、三人の女性を誘拐、監禁している。


なぜ、戸田圭一は女性たちの前で、その中の一人の交際者を無残に殺したのだろう?


…わからん…その疑問はひとまず置いておこう。


雨宮刑事の情報によれば、その後マンションに監禁されていた女性三人の姿は既になく、そのうちの一人の腕が切り落とされ、そのまま部屋に置き去りにされている。


戸田圭一の記憶に、女性の腕を切り落としたり、マンションから連れ去ったというようなものはなかった。


それとも、忘れていたのか?


いや、その可能性は薄いだろう?


戸田圭一が僕=恵里奈を襲う時に一年半前に恵里奈を襲った時の記憶が鮮明に残っていた。


一年半も前の女を襲った記憶を残し、女性の交際相手を殺した記憶をしっかりと持っていた男が、同じように、ここ数日で女の腕を切り落とせば、その記憶は鮮明に残っているはずだろう…。


となれば、戸田圭一は女性たちの移動、もしくは移送と、腕の切断には関わっていないことになる。


そうすると、当然まだ見ぬ戸田圭一の共犯なりがいることになる。


そいつは、なぜ切り取った腕と死体を置き去りだったのだろう…しかも死体と一緒に。


普通ならば、事件の存在を隠ぺいしようとして、死体とか血痕、ましてや人体の一部を残していくなんてことは考えられない。


理由は証拠を残せば、足が着く可能性が高くなるからに決まっている。


証拠を残す理由としては、まず第一に証拠を隠すための時間がなかったという場合。


第二に人の目があって証拠を移動、または処分できなかった場合。


第三に、証拠を残しても捕まらない自信がある場合だ。



第一と第二の理由なら、問題はない。


いずれ雨宮刑事が真相にたどり着いて犯人ないし、その組織を暴いて事件を解決するだろう。


問題は第三の場合だ。


この場合、第一と第二の問題は犯人にとって全く意味をなさない。


証拠を残しても絶対に捕まらない自身があるという事だ。


その理由は?


掲げられる理由はいくつかある。


A・絶大な権力を持ち、どんな犯罪でももみ消すことができる権力者。

B・同じように権力を持ち、実働部隊である手下を動かしてトカゲのしっぽ切りで逃げ切れる者。

C・後先を考えない、単なるバカ。


そしてD……まあ、これは無いだろう…。


とりあえず除外だ。


Cだったら犯人は簡単に捕まるから大丈夫だな。


雨宮刑事は優秀な頭脳を持っている人だ。


Bだった場合もおそらく何とかするだろう。


Aだったら少し面倒だな…かなり巨大な組織が絡んでいる可能性がある。


当面僕が気を付けなければならないのは、AかBの場合だな…。


でもとにかく情報が必要だ。


今日のうちに雨宮刑事に連絡を入れてみよう。


さて、朝ごはんの用意だ!



午前六時三十分。


昨夜の夕食は、スーパーメイドの宇津見さんが作ってくれた、小エビの海藻のサラダとミネストローネのスープ、オレガノを効かせたビーフストロガノフに、彼女が作ったお手製のライ麦パンだった。


付け合わせにほうれん草のお浸しと、刻んだソーセージの入ったポテトサラダがついていた。




昨日は突然親父さんが夕食に間に合わなかったため、一食分がまるまる残っているが、そのほかに三人の朝食分に間に合うくらいの量が鍋と冷蔵庫と、いつも、パンがしまってある戸棚に残されていた。


素晴らし過ぎるよ、宇津見さん。


彼女は朝八時半にこの家にやってくる事になっているが、朝食に間に合わなかった時の為に少し多目の量を作っていたに違いない。


僕はスープを温めて、二口で食べられそうな小さな手作りパンを十個、特大のオーブントースターに入れる。


他の料理をダイニングテーブルに並べ、同じく食器を並べて温めたミネストローネを三つの皿に盛ったところで親父さんが起きてきた。




「おはよう、恵里菜。昨日は済まなかったな」


「おはよう、お父さん。お父さんこそ昨日はずいぶん遅かったんじゃない?体は大丈夫?」


「ああ、私は大丈夫なのだが…」




親父さんは急に話をとめた。




「お父さん、どうしたの?」


「いや、なんでもないんだよ」


「そう…。あ、そう言えば、昨日入院騒ぎだったっていう人は大丈夫だったの?」


「…いや、亡くなった…」




親父さんは、とても沈痛な表情をしていた。


その時、姉の明菜が下りてきた。


まだ昨日のパジャマのままである。




「おはよう…あ、お父さんおはよう…昨日はお疲れ様。大変だったみたいね?…遅かったんでしょう?…帰り」


「ああ、おはよう明菜。悪かったね、急に留守にしてしまって…」


「大丈夫よ~。私達だって、もう子供じゃないんだし~…ああ、眠い…何だろう?昨日は早く寝たんだけど、まだ寝足りないわ?今日が休みで良かったわ」


「私と一緒だったから、寝苦しかったのかな…」




…どう見ても完全に熟睡してたけどな…。


やはり僕が彼女の中に入った事で、身体は休まってはいないのかも知れないな。




「そんな事は無いんだけどねぇ?何だろ…やっぱり経理の田中のせいで、疲れてんのかなぁ…」




例の使えない奴か…。


でも、それはきっと違うだろう…。


ごめんなさい…たぶん、僕のせいですお姉さま…。




「そう言えば、昨日の人は大丈夫だったの?お父さん」


「今も恵里菜に話したんだが、彼女は亡くなった…」




…女の人だったのか…。


ん?まさか…。




「彼女って、お父さん!…まさか…加奈美さん!?」




明菜は僕と同じ事を思ったらしく、そう叫んだ。




「ああ、そうだ…。どうやら自殺…だったらしい…」


「「自殺…。」」




僕と明菜は、異口同音につぶやいた。




「ああ、四階建てのマンションの屋上から飛び降りたらしい…。下が花壇だったから、即死は免れたようなのだが、打ち所が悪くてな…昨晩の内に息を引き取った。私は何も気づいてやれなかったよ…昨日の昼に一緒に昼食を取ったのだが…その時はいつもと…何も変わらなかっのに…」




親父さんは、一度感極まってしゃくりあげる。


その目は涙で潤んでいた。




「おそらく彼女が飛び降りる前の事だと思うが…夜になって、私の携帯にメールが来た。…でも、意味がわからん……何故なんだ?」


「なんて書いてあったの?」




明菜が親父さんに訊くと、彼は携帯を操作して、明菜にそれを見せた。


僕が覗き込むと、明菜は一緒に見られるように携帯の角度を変えてくれる。




『私が死んだのは、他の誰でもない、あなたのせいよ!?あなたが私を殺したのよ!あなたもせいぜい苦しい人生を送りなさいね?』




う…こ、これはキツすぎる…。


加奈美さんと言うのは、恐らく姉妹がまだ会った事のないという親父さんの長年の交際相手だろう…。


しかし、メールの内容は、まるで、親父さんを恨んでいるかのような文章だった。




「他には?加奈美さんの他のメールは?お父さん」


「ああ…見てくれて構わんよ…」




明菜は携帯を操作して一つ前の受信メールを開いた。




『今日のお昼頃、木戸さんのお時間があれば、昼食を御一緒に如何ですか?久しぶりに、初めてお会いした、あのオープン・カフェで…』




なんの変哲もない、ごく普通の昼食の誘いだった。




「私は昨日の昼食を彼女と一緒にとったのだが…その時、話をしたんだ。近い内に加奈美さんをお前たちに会わせたいと…。彼女は実に嬉しそうな顔で喜んでくれてね…それなのに何故?…」


「お父さんと加奈美さんって、何年くらい付き合っていたの?」


「ああ、そうだな…かれこれ七年になるな…」


「そう…」


「私は、ずいぶん前に…そう…あれは、彼女と交際を始める直前に言ったんだ。私には娘が二人いて、その子達が大人になるまでは結婚は出来ないとな…」


「どうして?お父さん。どうして結婚しなかったの?」




明菜は親父さんに、そう訊ねたが僕には親父さんのその気持ちが何となくわかるような気がした。




「私はね、明菜…加奈美さんを愛していたが、お前たちの事を私はもっと愛していた。大事だった。だから、私が彼女をこの家に招いた事で、私とお前たちとの関係が少しでも変わることがあったとすれば、私は自分を赦せなくなるだろうと思ったのだ」


「でも、それじゃあ、加奈美さんが可哀相じゃない?」


「そうだな…私は彼女に辛い思いをさせていたんだろうな?…しかしな、明菜…彼女は私の気持ちをわかってくれた上で言ってくれたんだよ…。「木戸さんの大切な二人の娘さんが大人になって、私達の事を心から祝福してくれる時が来たら、私をあなたのお嫁さんにして下さいますか?」とな…」




親父さんは悲痛な顔のまま、そう言った。




「ちょっと待ってよ…私たちが大人になってからって…もう私たちはとっくに大人よ…?それに加奈美さんだって、自分の子供とか欲しかったんじゃないの?」


「ああ…、私もそう思って、加奈美さんに訊ねたのだ。そうしたら彼女は、お前が二十五歳になるまでは我慢しますと言った。そしてな明菜…彼女は子供を持てない身体だったんだよ。彼女が二十五歳の時に…もちろん、まだ私と出会う前の話だが、病気でな、子宮をなくしたんだ。だから彼女は、子供を望んではいなかったんだよ。そして彼女はな…いつも私がお前たちの話をするのを、喜んで聞いてくれてな…。いずれ自分の娘になる子供たちの話だから出来るだけたくさんの事……聞きたいと…いつも……喜んで………」


「お父さん…もういいよ……もう話さなくていいから………」




僕はいても立っても居られずに親父さんをそっと抱きしめた。


今の僕は、この親父さんの娘である恵里菜なのだ。


そして、僕が親父さんの今の立場だったら、自分の娘にこうして貰いたいはずだから……。


親父さんは声をたてずに泣いていた。


明菜も親父さんに寄り添って、彼を背中を抱きしめていた。


親子三人の影が、大きな窓から差し込む朝の光の中で、一つに重なっていた。

読者の皆様、いつも僕の大切な趣味である、この駄文を読んでいただいてありがとうございます。


いよいよ新展開(?)を見せる第二章の幕開けです。

今回のサブタイトルですが、「悲愴な恋のための演奏曲ソナタ」です。


今回、恵里奈の親父は、かなり可哀想なことになっています。


でも、実はそういう意味ではなく、今回の親父さんの悲劇のくだりを書いているときに、たまたまベートーベンの「悲愴」を聞いていたからにほかなりません。


おかげで、話しの内容が暗くなり過ぎずに済んだと自分では思うのですが…皆様はどう感じられたのでしょうか?


もしよければ、ご感想などいただけたらと思います。


よろしくお願い申し上げます。



           鏡完

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