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ゴースト  作者: 鏡完
ゴースト第一章
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パニック

病室の白い壁は昔から嫌いだった。


幼い頃からそそっかしい僕は、事故に遭って入院したり、怪我をして病院に通ったりすることの多い子供だった。


点滴を受けるときはいつも白い壁に囲まれていた記憶しかない。


今、僕の体にはあちこちにチューブが取り付けられていて、呼吸器もつけられている。


モルヒネを使っているのか、痛みはあまり感じないが、やはり体調は最悪だった。


時折り目を醒ますと、年老いた両親と姉、そして幼い娘が僕の顔を覗き込んでは何か話かけて来るが、よく聞き取れなかった。


やっぱり、あの日が最後の蓮葉との外食になっちゃったな…。


あれ、そう言えば、家族みんなで最後に話をしたのはいつだったっけ?


その前に今日は何日なんだろう?


頭がよく回らなかった。


たぶん、もう僕の体や脳自体がもたなくなっているんだろう。


父さん、母さん、ごめんね。


先に逝ってしまって、本当にごめんね。


許してください。


許してください。


たくさん心配かけて、たくさん迷惑かけて。


本当は僕が二人を看取ってあげなきゃいけないのに、ごめんなさい。


姉ちゃん、ごめんね。


先に逝ってごめんね。


父さんと母さんをよろしくね。


蓮葉、ごめんね。


父ちゃん…せめて、お前が二十歳になるまで、生きていたかったんだけど。


…もうダメ…みたいだ。


…ごめんね。


父ちゃんの分まで、蓮葉は長生きして幸せになってね。


父ちゃんお前の事、きっと見てるから。


何もできないかも知れないけど、きっと見てるからね。


そう思ったけど、僕がみんなに声にして言いたかったのは、もっと言いたかったことは違う言葉だった。


僕は、最後の力を振り絞って目を開け、声を出そうとした。




「みんな…あ…りが……と…う…」




かろうじて、言葉にできただろうか?


家族は気付いてくれただろうか?


わからない。


…わからない…。


僕は、眠くて…眠くて…そして、瞼を閉じた。





それはその直後の事だった。


爽快に目が覚めると同時に僕は驚いた。


そこはまるで、水の中の世界だった。


さっきまでの身体の痛みや倦怠感は全く感じない。


そして父や母が、姉が、蓮葉がそこにいた。


なんだか見慣れないような角度で見ていたので、一瞬わからなかったけど、ここは病室だ。


蓮葉が何か叫んで、僕の体に縋り付いている。


父は立ったまま目を閉じたまま涙を流し、母は手をベッドに置き、がっくりと首をうなだれて、姉は口元を両手で抑えて泣いている。


若い女性の看護師が何か言っていたが、まるで水の中で声を聴いているような感じで、よく聞き取れなかった。


僕は泳ぐように体を反転させて、自分の足元を見た。


足が無い。


それどころか、目の前に持ってきたはずの手も見えない。


下を見ると呼吸器とチューブをつけたまま横たわった自分の姿が見えた。


え?…僕は幽霊になったのか?


それともこれが世にいう幽体離脱って現象?


僕は死んで幽霊になったのか?


混乱する僕の頭。


頭を触ろうとしたけど、僕の手はなく、触れる頭もなかった。


何とも不思議な感じだ。


感覚はある。


手もあるように感じるし、泳ぐようにするとゆっくりと進める。


そうしていると、医師が時計を見ながら何かつぶやき、若い看護師がベッドに横になっている僕の身体についている呼吸器を外し、様々なチューブを外す。


それを見た僕は本当に焦っていた!


ちょっと、待って!


今それを外したら、僕の身体が死んでしまう!


僕は、叫んだけど、看護師には全く聞こえないようで、黙々と作業を続けている。


このままではまずい!


さっきの言葉!


最後の言葉をまだ家族みんなに伝えていない!


僕は看護師に近づいて作業をやめさせようとした。


頭の中にはそれしかなかった。


でも、どんなに慌てても、身体(?)はなかなか進まない!


次々に僕の身体からチューブが外されていく。


それでも、何とか手の届きそうなところまでたどり着いた。


最後に、彼女が僕の呼吸器を外そうとした時だった。


僕は看護師の肩に、見えない自分の両手を置くようにして、僕の体から引き離そうとした。


(頼むから!本当に…ちょっと待って!!)


その時突然、僕の視界が変わった。




「ちょっと待って!!」




同時に大きな声が、病室にこだまする。


目の前には僕の体が、横たわっている。


そして女性のようなきれいな自分の手が横たわった僕の口元の呼吸器をつかんでいた。


でも、さっきみたいな水の世界は消えて、いつもと同じ空間がそこにあった。


振り返ると、蓮葉も、父も、母も、姉もびっくりしたように唖然として僕を見ている。




「あの…看護師さん?どうしたんですか?」




いち早く立ち直った姉が、僕に問いかけた。




「え?かんごしさん?」




僕には全く状況が理解できなかった。




「あの…どうしたんですか?大丈夫ですか?」




真っ赤な目をした姉は、心配そうに僕を見ている。


…看護師さんって?


僕は自分の手を見ていた。


さっき見た、小さく細い綺麗な手だった。


僕の手は節が太くてごっつい手をしていたはずだ。


これはやっぱりどう見ても女の人の手だった。


姉から目線を外し、振り返ってベッドを見ると、そこにはまだ僕が横たわっている。


小走りに病室の窓に近づいて自分の姿を見てみる。


外はすでに暗くなっていて、鏡のように今の僕の姿を映し出していた。


そこには、若い看護師が白い看護服を着て、驚いた顔が映っていた。


さすがに、パニックになった。




「ご、ごめん!!!ちょっとまってて!!!」




そう言って、僕はとにかく病室を出た。


廊下を歩いている僕は、まさにパニックだった。


そのパニックのさなか、様々な映像が僕の頭に流れ込んでくる。


知らない映像が僕の頭を走馬灯のように駆け巡る。


知らない人、知らない家、知らない道、知らないお店、知らない部屋。


めまぐるしく変わる景色と共に、いろんな感情が自分の中に渦巻く。


喜怒哀楽なんてものじゃない。


頭の中に一気に浮かんでくるいろんな感情や景色に僕の神経は焼き切れそうになる。


そして…僕の目の前は真っ暗になって…やがて何も感じなくなった。






目が覚めると、そこは病室だった。




「あ、目を覚ましたよ?」


「大丈夫?木戸さん!私がわかる?」


「あ…師長…」




僕にはなぜか、それがこの病院の師長の三枝さんだということが分かった。




「大丈夫?木戸さん、一体どうしたの?」


「えっと…あの三枝師長…?」


「良かったぁ!!心配したのよ?」


「恵里奈、大丈夫?」


(恵里奈?)




看護師仲間の柴田洋子が僕に問いかけた。


(看護師仲間?柴田洋子?あれ?なんだこれ?)


僕は、自分の手を見る。


……!?


そこには、やはり見慣れない綺麗な女性の小さな手が見えた。


僕の名前は浅倉久美あさくらひさよしだ。


ん?でも、木戸恵里奈でもある?…あれ?なんだこれ?




「あれ?僕は一体?」


「「僕~!?」」


「木戸さん、あなた本当に大丈夫!?」


(はい。全然大丈夫じゃありません…)




そう思ったけど、口にするわけにはいかないみたいだ。




「あの…僕…じゃなかった、私は一体どうしたんでしょうか?」


「恵里奈、あんた病室で大騒ぎしたあと、廊下で倒れてたんだよ?もう!ほんとに大丈夫なの?倒れた時に頭とか打ってない?」




肩と胸はちょっと痛いけど、頭は打ってなさそうだ。




「左肩と左胸がちょっと痛いけど、たぶん大丈夫だと思います」




そうか、僕は気が動転して廊下で意識が無くなって…


その時のことを思い出した。


様々な映像、会話、景色、そこに映っていた人々。


その中に、ここにいる看護師の二人の映像もあったような気がする。


というより僕の記憶の中に、はっきりと二人の顔や性格がインプットされている。


もちろん、この身体の持ち主の木戸恵里奈の事も。


昨日食べた食事や何をしていたかも良く『覚えている』。


でも、一週間以上前の事らしきものは全く記憶になかった。




「ねえ、恵里奈。大丈夫?」




ぼけっとしていた僕に柴田洋子が話しかける。


目の前で手をひらひらさせているのは、僕がぼーっとしていたからかもしれない。




「うん、大丈夫…だと思う…」


「とにかく、一応検査を受けてきなさい。そうしたら、今日はもう帰っていいですから。検査結果は明日出ると思うから、明日また来なさいね?…そうそう、車は運転しちゃだめだから、今日はタクシーで帰ること。柴田さん、心配だから検査室まで木戸さんを連れて行ってあげてくれる?」




四十八になる看護師長の三枝光江は優しい口調でそう言った。


病室を出た僕と柴田洋子はレントゲン室に向かった。




「ねえ、洋子ちゃん?」




木戸恵里奈は柴田洋子を確かこう呼んでいたはずだ。




「何?どこか痛いの?」


「ううん、痛くはないけど、ぼ…私…どこか変?」


「うん!変!全然変!確実に変!断言できる!あの病室で何かあったの?」




…ええ!何かどころじゃなくて、そりゃあもう、とても大変なことが起きています。


しかも現在進行形で!




「ううん、別に何もなかったけど…」




僕は、思っていることと全く違う事を答えを口にした。




「そっか…何もなかったんならいいけどさ…そう言やさ、かわいそうだったね…あの患者さんの娘さん。あんたの代わりに私が処置したんだけど、その間ずっと父ちゃん!父ちゃん!ってさ…もう…見ているこっちが泣けちゃったよ…」




まずい!!そうだった!!


父さんと母さんと姉ちゃん、それに蓮葉の事、すっかり忘れてた!!


どうしよう!?




「あ、そうだ!ご家族に謝りに行かなくちゃ!」




柴田洋子は慌てた僕を見て、両肩をしっかりと掴んだ。




「あんたね、それは後でもできるでしょう?今はあんたの検査が先!ハイ!服脱いでこれ着て!」




レントゲン室に入って洋子に差し出されたのは、レントゲンを撮るときに着るX線の遮断用の前掛けだ。


緑色で、前後に鉛の入った防護用のエプロンみたいな着衣である。


頭を打っていないのは分かる気がするけど、一応他人の体だから検査はしておいたいた方がいいよな、きっと…って…えぇ!?服脱ぐの!?


二十二歳の女の子の体だよ!?


これって、まずいじゃん!?


胸がドキドキしてきた。




「早くしなよ?レントゲン技師さん、勤務時間終わってるのに待っててくれてるんだから…」




そうは言っても、僕は四十二歳のおじ様な訳で…それが若い女の子の服を本人の了解もなく、勝手に脱がすわけにはいかない訳で…。


心拍数がさらに上昇する中、心の中で下手な言い訳をしていると、洋子は心配そうに僕に近づいてきた。




「ねぇ…あんた、本当に大丈夫?」


「う、うん。大丈夫」




仕方ない。


確かに、倒れたときに僕の意識はなかった。


頭も打っているかもしれない…。


ここは本人の体のためだ。


下着まででいいんだ。


何も全裸になるわけじゃないし。


僕は服を脱ぎ始めた。


看護師の服はなかなか脱ぎづらい。


一繋ぎになっているし、男の僕には慣れていない服だ。


でも、記憶をたどるべくもなく、木戸恵里奈の手がなんとなくではあるけど、それを覚えているようで、思ったよりも簡単に服は脱げた。


後は緑色の前掛けをかけるだけだ。




「肩と胸のレントゲンも撮るから、ブラは外してよ?あんた一ケ月も看護師やってるんだから判るでしょ?……ねえ…恵里奈…あんた本当に大丈夫なの?」




前掛けを手にした僕に柴田洋子がとどめを刺す。


だ、大丈夫じゃないです。


それに…僕は看護師やってないです…。


ああ…恵里奈さん本当にごめんなさい。


ブラジャーのホックは胸の中央についていた。


それを外すと、綺麗な曲線があらわになる。


二つの膨らみの中央には可愛らしい小さな突起物がついていた。


恵里奈さん、本当にごめんなさい。


心からお詫び申し上げます。




「はい!これ!Tシャツ着て!」


「あ、ありがとう…」


「もう…初めてレントゲン撮るわけじゃないんだから、しっかりしてよ?」




…いえ…女としてレントゲンを撮るのは初めてです…はい…。


準備が終わって、レントゲンの台に横たわる。


柴田洋子は、台に上がるときも手を取って手伝ってくれた。


口調は強いけど優しい人だ。


ここ一週間の木戸恵里奈の記憶では、柴田洋子は確かにこんな感じの女性だった。


レントゲン撮影を行っている間、僕は頭を整理しようと試みた。


今、僕が使っているのは、木戸恵里奈という女性の身体である。


彼女の家の住所も電話番号も、お父さんの名前も全部わかっている。


もちろん僕がこれから帰る家は、今まで暮らしていた家じゃなくなるわけだろう。


木戸恵里奈の家に帰って、記憶にある部屋のベッドで寝ることになる。


でも、僕の身体はどうなるんだろう。


今ならまだ、もう一度あの身体に戻ることもできるかもしれない。


そうすれば、この身体は彼女に返せるし、僕も…


う…!?


僕は…死んでしまった僕の身体に戻れるのだろうか?


無事にレントゲン撮影は終了し、僕はまた心の中で木戸恵里奈に謝りながら服を着る。




「本当に一人で大丈夫?ご両親に電話して迎えに来てもらった方がいいんじゃない?」


「ううん、大丈夫」


「じゃあ、タクシー呼んでおくからさ。さっきの病室のベッドで休んでいてね?」


「うん、わかった。ありがとね、洋子ちゃん」




僕が答えると洋子は本当に大丈夫かしら…とブツブツ言いながら、ナースセンターの方に歩いて行った。


僕はというと、洋子の姿が見えなくなるのを見計らって、僕の身体があるはずの病室へと向かった。


















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