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ゴースト  作者: 鏡完
ゴースト第一章
19/36

チャンス

目覚めたら、ベッドの上だった。


まだ見慣れないベージュのクロスが張ってある天井…。


家政婦の宇津見さんにお風呂を頼んでおきながら不覚にも眠ってしまった。


…一体今何時なんだろう?


僕は窓側に掛けてあるディズニーキャラクターの時計に目を向ける。


七時半…。


もう朝なのかと思って起き上がったが、カーテンのしまっていない黒い窓が、まだ夜であることを教えてくれる。


腕時計を確認すると、日付は変わっていなかった。


ずいぶんしっかりと寝てしまったような気がしたけど、実際には数分の睡眠だったようだ。


良かった…。


全身がくたくたに疲れているが、僕には今夜のうちにどうしてもやっておかなければならないことがあるのだ。


それは、恵里奈への報告だ。


しかしこの身体を借りてからまだ三日間と少し、あまりにもいろいろなことがあり過ぎて、一日が七十二時間くらいに感じる。


おかげで日付と時間の感覚がおかしくなっている。


今日は五月八日。


僕の告別式が行われて、両親からもらった僕の身体が灰に変わった日だ。


本当は告別式の後、僕の身体が荼毘だびにふされるまで、家族と一緒に居たかったけど、それは叶わない願いだ。


そこに居られるのは家族と親類だけだから。


その神聖な場所に他人が入る余地は無いのだろうから…。


他人ではないはずの僕の今の肉体は他人のものだ。


それがどんなに美しかろうと、どんなに若かろうとそれは何の問題にもならないことだ。


自分という個性は、その形がどんなものであろうと一つしかないものなのだと、今になって実感する。


もっと格好よく生まれていれば。


もっと痩せていたらなら。


もっといろんな才能があったなら。


そんなことは、家族と生きてゆく上では何の意味も持たないのだ。


ただ、自分でありさえすればそれで…家族なのだ。


今の僕は、自分の家族に嘘をつき、木戸恵里奈の家族を騙し、この仮住まいに寄生しているだけの存在。


それを知る人は、この仮住まいを貸してくれている若く美しい大家さんが一人、たった一人いるだけだった。


その身体に危険が迫っている。


それも、僕の想像を超えた危険が…。


それをこの身体の所有者本人に直接伝えなければならない。


昨夜の木戸恵里奈は、僕がこの身体に入っている間にも記憶があったという。


あまり時間も無かったから、いつからいつまでの記憶があるのかはっきりは聞いていない。


ただ「はじめは夢の中にいたような…」とだけ言っていたのを聞いただけである。


はっきり意識が戻ったのが、例の戸田圭一を見たときだったとも言っていたから、本格的に意識が活動し始めたのは、二日目の夜だ。


しかし、今日の記憶があるのかどうか、それは僕にはわからない事だ。


それも踏まえて、確認しなければならない。


そして、その方法は一つしかなかった。


そう、僕がこの身体を離れて、他の誰かの身体に入ること。


それだけが今の僕が知り得る、恵里奈との唯一の連絡手段だった。


乾いたノックの音が部屋に響いた。




「お嬢様…お風呂の支度が出来ております?いつでもお入りいただけますからね?」


「わかりました。ありがとうございます、宇津見さん」




ドアの向こうからでもはっきりと聞こえる声で、宇津見さんは僕に告げる。


グッジョブ!メイドさん…。


彼女の完璧な心遣いと年齢を考えると、家政婦さんなんて呼んじゃかわいそうだ。


大昔、何度か見た二時間もののドラマに出てくる家政婦さんは、品の良いおばさんだった。


しかし、宇津見さんはおそらく僕の実年齢よりも下に違いない。


…やっぱりメイドさんだろ…?


…まあ…それはともかく、今日の作戦を考えなければならない。


一番の問題は僕というヤドカリが誰に宿を借りるかだ。


いや…正確には、どちらに借りるかだった。


人道的に考えるなら、親父さんに決まっている。


しかし…僕も男です。


同性の中に入るのは何となく…うん…そうだな…そう…いろいろある。


はっきり言えば『どうしても』という場合を除いては、できるだけ避けたい。


だからと言って、僕の下心を満たすために、お姉さんの中に入りたいわけでは決して無い。


断じてない。


…そう思いたい…。




「恵里奈?ただいま、入ってもいい?」




うお!!!!


お姉さま…おかえりなさいでございます…。




「う、うん大丈夫だよ?」




いくらなんでも、タイミングが良すぎないですか?


意匠の凝らされた木製のドアが開いて、明菜が入ってくる。




「なあに?寝てたの?」


「うん、ちょっと疲れちゃってね…少しだけ」


「ちょっと…大丈夫?目の下にクマできてるよ?」




…きっとそれは、あの軽薄男、三度笠ナオトだっけ?…ヤツのせいに違いない…。


あれで、疲れが一気に三倍増しになった気がする。




「あんな事があったから眠れないのも解るけど、ちゃんと寝ないとダメだよ?」


「そ…そうだね…」




「あんなこと」というのは、昨日の夜の事だろう。


実はそういうわけでもないのだが、ここは話を合わせておこう。


明菜はうつむいた僕を見て、ベッドに上がってきた。


僕の頭を腕に軽く抱いて、なででくれる。


お姉さん…あの…とても嬉しいんですけど、む…胸の谷間が……見えすぎです…。




「一人で寝るのが怖いなら、今日はお姉ちゃんが一緒に寝てあげよっか?」




あ…いや…それでは僕の理性がもたなくなりそうなので……いや!!。


そうじゃない!!。


それ、ナイスなアイデアです!!お姉さん。


僕は、何も言わずうつむいたままコクリと頷いた。




「よし!じゃあ、お風呂も沸かしてもらったことだし、一緒に入っちゃおうか?」




う……あの…それは…。




「ほら、何をウジウジしてる!?行くよ!お父さんが帰ってくるまでに入っちゃお?」




明菜は僕の腕を引っ張って強引に立ち上がらせた。


そのまま、ある意味の心労で、紙のように薄っぺらい存在になった僕を引きずって(?)瞬く間にバスルームへ直行した。




…こ…これはもう役得だと思って、開き直ってしまった方がいいのだろうか…。


明菜を背にして、服を脱ぎながら、僕は結構真剣に悩んでいた。


この数日間、恵里奈の身体を極力見ないようにしているだけでも、僕の忍耐力を総動員しているのに、この上お姉さんの美しいそれを見ないように努める、というのは男としてもう極限に至難の業だ。


僕の身体であった時から、こういう機会にはなかなか恵まれず、早三年もの時が過ぎている。


…仕方ないんだ、これって不可抗力だもんな…。


そうだよ…見るだけだし。


僕が一緒に入ろうって言ったわけじゃないんだし…うん…。


後ろで明菜が服を脱ぐ衣擦れの音が生々しく聞こえる。


ぬおおおおお!!!…。


まずい…ホントにまずい…オジサンの理性はもう限界です!。


振り返りたい!。


とっても振り返りたい!。


…なんで振り返らない!。


逃げちゃだめだ!…逃げちゃだめだ!!…逃げちゃダメだ!!!!。




「恵里奈~。今日は泡風呂にしちゃおっか?」


「うん…そうだね」




…あわぶろ?!?………。


お姉さん…あなたは天才です…。


今まで何人の男性が、あなたの虜になった事なんでしょう?…。


僕は、自分の魂のあちこちに散らばった理性の残骸をかき集めて、それをさらに総動員したうえで、何とか明菜を振り返ることなくバスルームにたどり着いた。


…はあ…はあ…なんだか…違う意味で…あの三度笠の時より精神的に大変な…気がするぞ?…。


僕は、くらくらする頭をどうにかこうにか制御して、ぬるめのシャワーを浴びてから、たっぷりのお湯が張ってある浴槽に浸かった。


…ああ…気持ちいい…。



「恵里奈?…ほい!」



…え?…。


思わず振り向いてしまった僕に、明菜は小さなプラスチックの容器を放り投げてよこした。


上手くキャッチできた後で、僕はその先にある女神さまの化身の全てを見てしまった。


…これって、浴槽の位置が低いからか…。


おまけに昨日と違って手が届くような至近距離です。


ああ…もう死んでもいいや…。


僕はぶくぶくと浴槽に沈んでいく自分を自覚しながら…目を閉じた…。




「ちょっと!?恵里奈!?」



は…!


気付くと、明菜が僕の左腕をつかんで引っ張り上げていた。




「大丈夫?」


「あ、ちょっとめまいがしただけ…大丈夫だよ…」




…あなたの身体は核兵器並みのセクシィダイナマイトです…。




「気分が悪いのなら、言ってよ…恵里奈…」




明菜は僕の腕を引っ張ったまま、心配そうにそう言った。




「大丈夫だよ…本当に少しめまいがしただけだから」


「それならいいけどさ…」


「うん、本当に大丈夫だから」




今のあなたを直視しなければね…。


明菜が僕に投げてよこしたのは、泡風呂の素だった。


僕は適当な量を浴槽に入れ、壁についているジャグジーのスイッチを入れた。


おお!!


腰の辺りと浴槽の底から勢いよくあふれ出るお湯。


みるみるうちに浴槽のあちこちに泡のかたまりが、出来てはくっついてを繰りかえし、ついには浴槽全体にこんもりとした見事な泡の山が出来上がった。


おおお!いい感じ!


これなら、恵里奈の身体も僕の視界に入らない!


完璧ですお姉さま!


洗い終わったらしい明菜が浴槽に入ってくる。


その間僕は復活した理性をやはり総動員し、窓を見るふりをして、男の矜持を守った。


よしよし、いいぞ?久美ひさよし…よく頑張った!


広々とした浴槽の反対側に座った明菜は、やはり気持ちよさそうに伸びをする。


白く細いすらりとした腕が、二本。


泡の山の向こうにそびえたつ。




「ふうぅぅぅぅ!!…気ん持ちいいねぇぇぇ…!!わが家のお風呂は最高だねぇ~!!」




明菜がそう言うと、泡の山の中腹から形の良い足が片方だけ、にょきりと飛び出してくる。


それが、弧を描いてゆっくりと浴槽の縁に掛かる。


お姉さま…それじゃあ浴槽の中での大股開きですよ…。


レディがそんなことしちゃ、はしたないです…気持ちはわかるけど…。


…あれ?


明菜のかかとの上にかすかだが古傷のような跡がある。


ちょうどアキレス腱の辺りだ。




「あれ?お姉ちゃん、そんなところに傷なんてあったっけ?」




明菜は浴槽にかけた右足を戻し、自分自身の目の前に持っていって、それを確認するかのように両手で押さえて見ていた。


泡で隠れているから良いようなものの、浴槽の中では、かなりあられもない格好になっていると思われた。



「ああ…これね…。お風呂に入ったり熱が出た時だけ目立つようになるんだけど、まだ私が物心つかないくらいの時に手術した後なんだって…なんか運動していてアキレス腱を切っちゃったみたいでね?その手術のあとなんだって?お父さんに聞いたんだけどね?この傷、こっち側にもあるんだよ?ほら…」



そう言って明菜は、左足を僕の前に突き出した。


本当だ…多少左右の傷の角度は違うけど、同じような傷痕が白っぽく浮き出ている。



「私が覚えていないくらい小さいときだからねぇ…全くどんな遊びをしていたのやら…」


「お姉ちゃんの事だからやんちゃだったのかもね?」


「ははっ!!そうかもね?でも、あんただってずいぶんじゃじゃ馬だったじゃん?」


「あれ~?そうだっけ?」


「なにをとぼけてるんだか…」




姉の目が何かを思い出すように遠くを見ていた。




「いろいろあったねぇ~…」


「そうだね…」




…なんだろ?




「あ。そうそう!恵里奈が小学校に上がったばっかりのとき!夏休みにあんたが宿題を学校に忘れて、一緒に取りに行ったじゃない?」


「う…うん」


「あの時さぁ…ダンプにひかれそうになった捨て犬を拾ったの覚えてる?」


「ああ!…うん」




…全然覚えていません…ごめんなさい。




「あのあと、その犬を家に連れて帰ってきたら、お父さん…ぷっ…」




…?。




「あんなに小さい子犬なのに、怖がっちゃって『こんな危険な生き物は捨ててきなさ~い!』って、真っ青な顔してさ?…ね?」


「そんなこともあったね~…」




…あったんですね?…。


親父さん、犬が嫌いなんだ…。




「お父さん、ずっと独りで私たちを育ててくれたんだよね…」


「うん…そうだね…」


「恵里奈。あんたの悩んでること、私にはわかるなんて言わないけど、私はともかく、お父さんはもっともっと…下手をするとあんた自身よりも、あんたの事で悩んだり苦しんだりしてると思うよ?」




…そうかもしれない…。


蓮葉が恵里奈と同じような目に遭ったとしたら、僕は死ぬほど悩むだろう…。


本人の気持ちがわからなければ解らないほど苦しむだろう。


娘がそんな思いをするくらいなら、自分が変わってやりたかったと…。




「うん。そうだと思う…」


「だからさ、あんたはちゃんと幸せにならなきゃダメだよ?あんたが幸せになることが、お父さんへの一番の親孝行になるんだから…」


「うん、そうだねお姉ちゃん。わかってる。本当にそうだと思うよ」


「じゃあ、元気だしなよ?今日はお姉ちゃん、本当に一緒に寝てあげるからさ!」


「ありがとう…お姉ちゃん」



身体を洗い終えていた明菜は先に風呂から上がり、僕は身体を洗いながら思った。


明菜の魅力は見た目だけじゃないんだな…。


本当の魅力はあの優しさだ。


その優しい気持ちも、きっとあの親父さんがこの二人を大事に、大事に育んだ成果なんだろうな…。





バスルームから出て、パジャマに着替えてリビングに向かうと、食事の用意が出来ていた。


ダイニングテーブルには、二人分の食事が用意されている。


明菜が同じくパジャマ姿で、調味料や水の入ったグラスなどを用意するために、くるくると動きまわっている。




「あれ?二人分しかないけど…」


「あ…お父さんね?今日どうしても帰れなくなっちゃったんだって…なんか、知り合いの人が大怪我して入院騒ぎになっちゃったらしいの。帰るとしても遅くなるから、先に食べて寝ていなさいって言ってた。あんたの事も心配してたよ?恵里奈は大丈夫かって…食事が冷めちゃうから、食べた後にでも電話しときなよ?」


「そうなんだ…わかった」




知人が大怪我?…僕は、何か引っかかるものを感じた。


もちろん、それは単なる杞憂かもしれないけど。


もうひとつ…。




「あ…そうだ、宇津見さんは?」


「彼女なら、もう帰ったよ?本来は八時までの仕事みたい。私がお風呂から上がったのが八時ちょっと過ぎだったから、少しオーバーしちゃったみたいね?悪い事したわ?でも、食事も作っておいてくれたし、お風呂もぴかぴかだし、家中の埃が無くなったみたいに感じるわ…やっぱりすごいね?家政婦さんってさ?」


「そっかぁ、そういえば私も時間のこととか聞かなかったから…本当に悪い事しちゃったね…?」


「うん、だからその分明日は早く上がってくださいって言っておいたから」


「さすがお姉ちゃん!」




素晴らしいメイドさんに負担をかけすぎて、それを失うわけにはいかないのだ。


食事をしながら、明菜は自分の仕事の話をした。


明菜は外資系の貿易会社で商社でもある『G&Gコーポレーション』という会社に勤務している。


二十四歳の若さで、その力を買われて一つの部署を任されるような立場にあるようだ。


それにしては、早く帰ってくることが多いので不思議に思っていたら、例の経理の田中の話が出てきて、使える使えないの話になり、仕事はいかに効率よく利益を上げて時間内に帰るかが重要だとか言っていた。


僕はと言えば、今日の告別式と三度笠について話をした。


その他の事については今は話す事が出来ないから、話せるのはその二点だけだ。


おかしなことに、三度笠と明菜は面識があるらしい。


明菜の部署では、医療機器を輸出入することもあり、その関係で多少の面識があると言っていた。




「なに?恵里奈もそんな事言われたんだ!あははは!!!…ウケる、ウケる!!あいつ可笑おかしいでしょ?この前私にも『ハニ~…ボクは毎晩毎晩キミの事が気になって夜も眠れないんだぁ~!!』なんて言っててさ!あいつはウチとってはお客様なんだけど、もう話しを聞くのも嫌になってきて、…ウザいから死ねば?…って言ってやったのよ!…そしたらね?…〇▲×□☆…」




…あのバカ…救いようがないな…。


話しを聞いているだけでこめかみのあたりが疼いてくる…。


しかしお姉さま、モノマネが上手ですね…あのウザい感じがよく表現されています…。





僕たちは、夕食を終えて後片付けを済ませ、親父さんに連絡を取った。


親父さんは恵里奈に申し訳なさそうにしていたが、僕は「お姉ちゃんもいるので、大丈夫だから」と言って親父さんの心配を解消すべく尽力するのだった。


それから、姉妹で歯を磨いてからベッドに入った。


明菜は横に寝ている僕をしっかりと抱きしめてくれた。


柔らかい髪が僕の顔にかさって気持ちいい…。


とってもいい匂いです…お姉さま。


…で、でも、そのけしからん程に、たわわに実った…その…む、胸が当っています…おねえさま…。


拷問です…これ…。


それからしばらく他愛のない話をしている内に、明菜は眠ってしまった。


よ…よし、今がチャンスだ!


間近に見える、それこそ美味しそうな明菜の唇をできる限り無視して、僕はその身体をお借りすることにした。

読んで下さっている皆様、遅筆な僕を許してください。

エッチな僕を許してください。


不可抗力なんです。

どうしても必要な伏線なんです、この話。


でもキャラクターたちが勝手に動いて話すんです。


すみません。


僕は彼らに振り回されて、今…書いているのではなく、書かされています。


夢にも出て来るんです、


「早く次を書けって…」


怒るんです、キャラたちが…。


ああ…睡眠不足で妄想癖が出てきてるんですかね?


でも楽しんでいただけたら幸いです。


次回は、そこはかとなく、ヒロインが登場する予感がします。


            鏡完

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